死ぬまでに叶えたい十の願い

木風

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第一話 最初の願い

「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」

王宮の奥、正妃と側妃が静かに対峙する王宮は、表向きの華やかさとは裏腹に、常に緊張を孕んでいた。
王太子エドヴァルトとエリアーナが結婚したのは、三年前の春のことだった。

式典は盛大だった。
玉座の間に咲き乱れる白百合、粛々と響き渡る管弦楽、絹のように滑らかな誓いの言葉。
列席した貴族たちは皆、二人の未来を寿ぎ、杯を掲げた。

しかし式が終わり、宴が閉じ、夜の帳が王宮に下りると——エドヴァルトは静かに寝室を出ていった。
エリアーナはひとり、婚礼の白いドレスのまま、大きな寝台の端に腰かけていた。
窓の外では祝いの花火が散り、その光が一瞬だけ部屋を赤く染めた。

彼女はそれをただ見つめていた。
泣きはしなかった。
泣く理由もなかった。

わずかに、扉の外に人の気配を感じたけれど、その夜、この部屋を訪れる人はいなかった。

「わかりきっていたことだわ」

政略結婚。

エリアーナはトルクヴィスト公爵家の長女で、辺境の国境を守る大きな領地を守る家の娘。
王家との縁組は家の繁栄のためであり、彼女個人の幸福のためではなかった。
それは最初からわかっていたことだ。

エドヴァルトも同様だった。彼には既に、思い人がいたのだ。
側妃セラフィーナ——王太子が心から愛した女性。
しかし身分の差が壁となり、正妃の座には置けなかった。

エドヴァルトはセラフィーナを愛していたが故に、エリアーナをどこか遠ざけた。
正妃として傍に置きながら、心のどこかで彼女を、自分とセラフィーナの間に立ちはだかる壁のように感じていた。

だからこそ二人は、同じ屋根の下で暮らしながら、まるで他人のようだった。
食事は別々。行事の際には並んで立つが、終われば各自の部屋へ戻る。
言葉を交わすのは政務の話と、公式の場での必要最低限の挨拶のみ。

エリアーナが声をかけても、エドヴァルトは短く答えるか、沈黙するかのどちらか。

王宮の者たちはひそひそと噂した。

「王太子妃はお気に召されなかったのね」
「あの方は側妃セラフィーナ様しか見えていらっしゃらない」

エリアーナはそれを聞こえないふりをして、毎日きちんと身だしなみを整え、にこやかに公務をこなし、誰にも心配をかけまいとした。

三年間、そうやって生きてきた。

エリアーナは泣き言を言わなかった。
恨みごとも言わなかった。
ただ静かに、自分に与えられた役割を果たす。

民に優しく、王宮の礼儀を守り、エドヴァルトの公の場での補佐を欠かさず。
彼女の唯一の楽しみは、王宮の図書室に籠もること。
膨大な蔵書の中に身を潜め、知らない世界の物語を読む。
辺境の小さな城で育った彼女には、本の中の世界だけが広大だった。

街に出たいと思ったことがある。
音楽会に行きたいと思ったことがある。
野原でピクニックをしたい、星空の下で眠りたい、海の色を見たい——そんな小さな夢を、エリアーナは胸の奥の引き出しにしまっておいた。
王太子妃がそんなことを望んでも仕方がない、と思っていたから。

三年間の白い結婚。
それが崩れたのは、ある秋の夜のこと。

その夜、エリアーナは頭痛を感じて早めに就寝した。
翌朝目覚めると、胸の中心に鈍い痛みが。
初めは疲れからくるものだと思っていた。
しかし数日経っても痛みは消えず、むしろ少しずつ形を変えて、深いところに根を張っていくような感覚。

王宮の医師が呼ばれ、エリアーナの胸に手をかざした医師は、みるみる顔色を変えた。
二人目の医師、三人目の魔術師が呼ばれ、最後には王国で最も優れた老呪術師が呼ばれた。

長い白髪に深い皺を刻んだ老人で、その眼は長い年月を見てきた者だけが持つ静謐さを湛えていた。
彼は長い時間をかけてエリアーナを診察し、最後に深いため息をつく。

「呪いでございます」

その言葉は、石を水に落とすように、部屋に静寂の波紋を広げた。
呪術師は言いにくそうに続けた。

「強力な呪詛が、妃殿下の魂に刻まれております。これは……死の呪いでございます。余命は、一年」

エリアーナは静かにその言葉を受け取った。

一年。
それが彼女に残された時間だった。

「恐らく何かを媒介としております。何か受け取ったなど、お心当たりはありませんか?」

——エリアーナは、数日前の茶会を思い出した。

セラフィーナ様から手渡された、深紅の花。
出席の御礼の言葉と共に差し出されたそれは、美しく、香りさえ甘やかだった。

その時、セラフィーナ様はにこやかに微笑んでいたが、花を持つ指先が、ほんのわずかに震えていたのが気になった。

知らせはすぐにエドヴァルトに伝えられた。
彼が医務室に来たのは、報告を受けてから一時間後のこと。
エリアーナは寝台に起き上がり、窓から秋の庭園を眺めていた。

扉が開く音がして、エリアーナは振り返ると、エドヴァルトが立っていた。

三年間共に暮らしながら、これほど近くで彼の顔を見たことがあっただろうか。
高い頬骨、引き結ばれた薄い唇、険しいとも真剣ともとれる眼差し。
いつもどこか遠くを見ているような目が、今だけは確かにエリアーナを見ていた。

「呪いの出所は判明しているのか」

その言葉がエドヴァルトの最初の言葉。
体の具合は、という問いも、辛くはないかという言葉もない。
エリアーナはそれを責める気にはなれなかった。

それがこの三年間というものだったから。

「はい。呪術師が調べたところ、先日の茶会の折に、呪いの込められた花を渡されたとのことでした」
「誰が」

エリアーナは少し間を置いた。それから静かに言った。

「セラフィーナ様、です」

沈黙が落ちた。
エドヴァルトの表情が、わずかに揺れた。
それは驚きだったのか、否定だったのか、エリアーナには読み取れなかった。

「それは……確かなのか」
「呪術師がそのようにおっしゃいました。証拠も残っているとのことです」

また沈黙。
エドヴァルトはしばらく何かを考えるように立っていた。

「処罰については検討する。お前は療養に専念しろ」

それだけ言って、彼は部屋を出ていこうとした。

「殿下」

エリアーナの声に、エドヴァルトは足を止めた。

「お願いがあります。離縁していただけませんか」

エドヴァルトの目が細くなった。

「余命一年とのことです」

エリアーナは穏やかな声で続ける。
三年間穏やかで居続けたように、今もそれを保っていた。

「王太子妃が王家に縛られたまま死ぬのは、様々な意味で不都合かと思います。私を自由にしていただければ、故郷の家に戻り、静かに余生を過ごすことができます。ご迷惑はおかけしません」

エドヴァルトはしばらく彼女を見つめていた。

「断る」
「……なぜ、でしょうか」

エリアーナは目を瞬かせた。

「お前は王太子妃だ。公爵家との関係のためにも、その立場を捨てることは許可しない」
「しかし——」
「断ると言った」

きっぱりとした言葉。
エリアーナは少し考え、そして口を開いた。

「では、一つ交換条件を申し上げてもよろしいでしょうか」

エドヴァルトは黙って続きを促した。

「死ぬまでに、私の願いを十個、叶えてください」
「十個」
「はい。大きなことはお願いしません。ささやかなことばかりです。それを叶えていただけるなら、王太子妃として最後まで務めを全うすることをお約束します」

エドヴァルトは長い間、エリアーナを見つめていた。
彼女はその視線を真っ直ぐ受け止めた。
逃げも隠れもしない、ただ静かな目で。

「……内容による」
「まず一つ目をお聞きいただけますか」

エドヴァルトの眉が少し上がった。

「街に、一緒に出かけていただきたいのです」
「街に」
「はい。王太子妃として王宮に入ってから三年が経ちますが、まだ王都の街を歩いたことがないのです。この国の人々の暮らしを、自分の目で見てみたいと思っていました」

また沈黙が続き、エリアーナは静かに待つ。

「……わかった」

それが、全ての始まりだった。
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