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第二章
茫然自失
しおりを挟むーーー数日前ーーー
リディアの死亡をエドマンドが知ったのは、フローレンシアがブライスガウからエドマンドの城にやって来て、さらには部屋に直接乗り込んできたからだった。
激しい怒りを身に纏い、エドマンドの部屋へ乗り込んできたフローレンシアの目は、泣きすぎたのか赤く腫れていた。鋭い目つきでエドマンドを睨みつけたかと思うと、「リディアが死んだのはエドマンドのせいよ!」と涙を流しながら責めたてた。
「エドマンドがリディアを信じなかったからこうなったのよ!あなたが殺したも同然だわ!リディアはずっとずっとエドマンドの事を愛していたじゃない。私がどんなに別の殿方を薦めてもリディアは貴方しか見ていなかったわ。それなのに、なぜあんな酷いことができるの?彼女を信用せず、疑うだなんて!!」
エドマンドはフローレンシアの再従兄弟であるとはいえ、王太子にこの様な態度を取ることなど、普通ならばありえぬ事だった。しかし、それほどにフローレンシアも取り乱していたのだろう。
「死んだ?……誰が?」
「私の親友で、貴方の元婚約者だったリディア、リディア・レーゼル・フォン・ブライスガウよ!愚か者!!」
初めは、一体フローレンシアが何を言っているのか理解できなかった。いや、理解できなかったというよりも、脳が理解を拒否していたというのが正しいだろう。
「でも、どうして」
「貴方、まだ何も知らないの?呆れた!舞踏会の後、リディアの馬車が野盗に襲われたのよ。貴方が、あの夜、リディアをブライスガウになんか返すからよ。あぁ、可哀想なリディア。暗い森の中でどんなに心細かったか……。それなのに、元婚約者の貴方は城でぬくぬくとお茶を飲んでいたってわけ?ふざけるのもいい加減にしなさいよ!」
フローレンシアはテーブルに置かれていたティーカップを手に取ると、エドマンドの顔に中身の紅茶をぶちまけた。部屋に飛び込んできた使用人達が、その様子を見て悲鳴をあげる。
「エドマンド様!」
「フローレンシア様!いくらなんでも目に余る振る舞いでございます!」
「目に余る?目に余るですって?!私は親友を見殺しにした男に紅茶をかけただけで勘弁してやってるのよ!本当だったらこんなものでは済まされないわ!」
使用人が暴れるフローレンシアを押さえつけ、なだめている横で、エドマンドは頭から紅茶を滴らせて呆然としていた。
「あ、ありえない。僕はただ……」
――リディアが死んだ?
それが事実だと認識した瞬間、まるで体の一部を失ったような喪失感がエドマンドを襲った。
野盗に襲われて殺されたなんて、あまりにも惨すぎる最期ではないか。目頭が熱くなり、涙がボロボロと溢れでた。
「な、なんで泣いてるのよ!貴方に泣く資格なんてあるもんですか!」
フローレンシアの言う通りだ。
エドマンドがリディアの死に直接的に関与してないとはいえ、怒りのあまりリディアを、あの夜城から追い出したのはエドマンドである。
どうしてあの日、自分はあんなにも怒りが収まらなかったのだろう。
エドマンドは自らの性格を温厚だと自負していた。
しかし、あの日舞踏会で抱き合うリディアとあの騎士を目にした途端、抑えきれないほどの怒りが込み上げ、感情のままに言葉を連ねてしまった。今までに二人が重ねてきた年月、想いの全てを裏切られて、愛しいと思う気持ちは完全に憎しみへと反転した。
もう二度と顔を見たくなくて、城を追い出した。しかし、最期に見たリディアの姿があんな事になるなんて。まさかこんな事になるとは、夢にも思わなかった。
「一体これはなんの騒ぎですか?!」
扉を勢いよく開けて入ってきたのはカサンドラとヒルデガルドだった。二人とも、紅茶を滴らせ、涙を流しているたエドマンドを見て小さく悲鳴をあげている。
「エドマンド様!まぁ、なんということでしょう」
ヒルデガルドはエドマンドのもとにやってくると、手に持っていたハンカチでエドマンドの顔を拭いた。
「フローレンシア様、いくらエドマンド様の再従兄弟とはいえ、王太子様へのこのような無礼を見過ごすわけにはいきません」
「ノルデンドルフの者にあれこれ言われる筋合いはないわ。これは私とエドマンドの問題よ!」
フローレンシアが冷たい眼差しでカサンドラを睨みつけると、カサンドラも負けじと睨み返した。
「わかっているのよ。貴方達がリディアを陥れようとしたって事くらい。ノルデンドルフ領に行ったら、貴方達の兄上にお会いしたわ。管理を任されたと言っていたけど、まるで我が物顔だったわよ。次の領主の座を狙っているのが見え見えだわ。そして妹達は王太子妃の座を狙おうっていう魂胆なわけ?あまりにも下品な振る舞いには驚かされるわね」
「兄上は小議会の命令に従っただけです。そんな言いがかりはおやめ下さい」
カサンドラはこめかみに青筋を立てて静かに怒っていた。しかしフローレンシアはそんな事など知ったことではないと言う様子だ。
「お姉様、あまり強い言い方はしないで。フローレンシア様の言い分もわかりますわ。いきなりあんな事が起きて、ノルデンドルフの者がその土地の管理をするなどということがあれば、そう思われても仕方ありません。それほどに、フローレンシア様の哀しみが深いという事ですもの」
エドマンドの側に寄り添っていたヒルデガルドが申し訳なさそうに言った。張り詰めていた緊張が少しだけ緩和される。
「フローレンシア様、リディア様の事は……本当にお気の毒な事でした。でも、これだけは言わせて欲しいのです。ノルデンドルフ家の者は何もしておりません。領土の管理の為、私の兄が派遣されたのは、国王陛下からのご指示です。確かに素行が良いとは言えませんけれど、兄がそんな酷い事、するはずがありませんわ」
ヒルデガルドに涙目で訴えられ、フローレンシアもそれ以上強く言う事は出来なかったのか、大きな足音を立ててそのまま部屋から出ていってしまった。カサンドラもフローレンシアの跡を追って部屋の外へと出ていく。部屋には、エドマンドと、ヒルデガルドだけが残された。
「ヒルデガルド、ありがとう。フローレンシアは、悪いやつではないんだ。でも、感情の起伏が激しいところがあって」
「わかってますわ。そこがあの方の素敵な所ですもの。まぁ、エドマンド様、お召し物がびしょ濡れです。これは着替えるべきですね……」
ヒルデガルドは扉の外に控えていた使用人達に、風呂の支度をするよう言いつけた。
「ありがとう、助かるよ」
「いいんです、これくらい。エドマンド様のお役に立てるなら、何だっていたしますわ」
ヒルデガルドはにっこりと微笑む。
花が綻ぶような可愛らしい笑み。鈴を転がすような高めの声は、リディアとは正反対だ。
リディアが笑う時は、少し下を向いて、静かに笑うので、その笑顔を人に見せない事が多かった。でも、エドマンドはその笑顔が美しく、柔らかかった事を知っている。リディアの笑顔を思い出し、もう二度のその顔が見られないかと思うと、また涙が溢れてきた。
「エドマンド様……?」
「すまない。少し、彼女を思い出してしまって」
「リディア様を?」
「おかしな話だな、僕は彼女に裏切られたのに。失ってから、それでもやはり彼女が僕にとって大事な人間だと思い知らされるなんてね」
「でもリディア様は、エドマンド様に毒を盛ったのでしょう?」
「……そう、だと思う。でも、そもそも、僕はリディアには相応しい男じゃなかった。リディアはあの通り、何でもできる完璧な女性なんだ。それに比べて僕は、王太子の地位だけが取り柄で、他に良いところなんてない。彼女が愛想を尽かして、あの素晴らしい騎士と一緒になりたいと思うのは当たり前だよ」
「何を仰るんです!だからと言って、それがエドマンド様に毒を盛っていい理由にはなりません。それに、エドマンド様は素敵な方です。お優しくて、美しい。気づかなかったリディア様が悪いんですわ!」
「ヒルデガルド……」
ヒルデガルドの瞳は涙で潤んでいた。
「私では、ダメですか?」
「え?」
「私が、エドマンド様に良いところを教えて差し上げます。私でしたら、エドマンド様のおそばを決して離れません」
これはエドマンドにとっては思ってもみなかった事で、なんと答えれば良いのかわからなかった。
ヒルデガルドは確かに優しく、いつもエドマンドを助けてくれる。
リディアが里帰りしていた時、エドマンドの体調を気にかけ、薬渡してくれたりと、エドマンドの面倒を見てくれていたのはヒルデガルドだ。しかしそれは彼女の優しさによるもので、それは他の皆にも平等に与えられているものだとばかり思っていた。
「君は……」
そう言いかけたエドマンドの唇は、ヒルデガルドによって塞がれていた。
ふわりと甘い、バニラの様な香りがする。ちゅ、と名残惜しそうな音を立てて唇が離れると、ヒルデガルドは真っ直ぐな目でエドマンドを見つめた。
「貴方が、好きなんです」
驚きのあまり、エドマンドは声を発する事が出来なかった。無言のまま、先程までキスされていた唇に手を触れる。
(ヒルデガルドは、そういう意味で、僕を好きだということなのか?)
混乱して、思考がうまく回らない。なんと言おうか考えあぐねているうちに、ヒルデガルドは自分がとんでもない事をしてしまったという事に気づいたのか、顔を真っ赤にして謝り出した。
「も、申し訳ありません!エドマンド様はリディア様を亡くされたばかりなのに、こんな、ずるい真似を……。でも、私の気持ちは偽りではありません。それだけは……どうか覚えていておいてください」
ヒルデガルドは早口でそう捲し立てると、その場から去ってしまった。
部屋には、混乱したままのエドマンドが一人、残された。
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