ヒリキなぼくと

きなり

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ヒリキなぼくと作文と佐伯

ぼくの事情

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「ヒリキ、ヒリキったら、聞いているの?」

 ヒリキ? 一瞬、母親のヒステリックな呼びかけが、自分にぴったりした言葉に聞こえた。梅雨のねっとりとしたしめりけが、ぼくの気持ちをよけいに滅入らせていた。

 母親の呼びかけが、ぼくの耳にはヒリキと聞こえた。ヒリキは非力と書く。名前ではない。ぼくの名前は、渋谷ひびきという。ひびきと非力、ちょっと音が似ている。

 ヒリキという言葉をどこで覚えたのか、あまり記憶はない。たぶん塾の授業の時かなあ。いつのまにか知っていた。スマホで調べると、『権力や勢力の弱いこと』っていう意味らしい。今のぼくに一番ぴったりにくる言葉だ。小学生って、無能だ。何もできない。してはいけない。ないないだらけ。このモヤモヤを心の中にこっそりとしまって、東京のはしっこで小学5年生ライフをぼくは送っている。

「そんなにのんびりして。このままだと成績落ちるわよ」

 本音ではそんなことを思ってないくせに、わざとプレッシャーをかける一言を母親はぼくにあびせかけてくる。

「ジュースを飲みにきただけ。大丈夫だってわかってるだろ。模試では、S判定だし」

 母親は、自分にできないことをぼくに強いる。ソファでのんびりと韓流ドラマを見ている母親を横目に、ぼくは部屋にそそくさと戻った。そして、お決まりの塾の課題に向かう。

 嫌いな母親の言うことをなぜ聞いているんだろう。自分でもわからない。ぼくは小学生という身分だからなのかな。

 小学生って面倒。親の許可がなかったら、小学生は何もできない、何もしちゃダメだからだ。勉強も遊びもご飯を食べるのも…。小学生ライフは、親の言いなりになること。そう思うたび、いつものどがぎゅっとつまる。

 子どもが唯一許されるのは、自由に考えることぐらい。早く大人になりたい。お金持ちになって、好きに暮らしたい。親がいないところに行きたい。あんなやつと暮らしたくない。ずっとそう思っている。

 でも子どもだからできない。権力を盾に色々言う母親にも、それに屈する自分にも、腹が立つ。でも、何もできない。

     ◇   ◇

「今から授業参観に発表してもらう作文を書きます。テーマは『将来の夢』です。20日の授業参観に発表するものなので、ちゃんと書いてね」

 6時限目の国語の授業で、遠藤先生は黒板に『将来の夢』と無駄に大きく書き、原稿用紙を配っていった。

 外をながめると、窓ガラスに大きな雨粒がたたきつけている。

 みんながざわめいた。何人かが「え~」とか「夢はないで~す」と言っている。でも、ほとんどのクラスメイトが書く準備を始めた。

 ここ最近の中学受験科目の中に作文が入ってくることも多い。対策として、作文を1週間に一度は書いている。作文慣れしている自分にとって、よく書くテーマ。楽勝だ。遠藤先生が点数をくれそうな答えを探し始めた。

 本当に考えていることを書いたら、大人はきっとびっくりする。出だしはこう。『ぼくはお金がほしい。お金があれば、いやな母親の言うことをきかなくても、生きていける。自由でいられる。大人になって、お金を稼いで、一生楽して暮らしたい。』そう書きたい。でも、そんなこと、絶対書けない。

 大人は、子どもに社会に役立つ人になってほしいと思っている。まっぴらごめんだけどね。大人になったら、自由になる。今はうそ作文しか書けないけど…。ヒリキな子どもである以上、勉強するくらいしかできない。それが現実だ。

 今回の作文はどういう形がいいかな。親の影響とか、身近な出来事から考えて、自分の将来の夢を適当にでっち上げる。いつものことだ。どんな夢でもいい。大人がぼくの夢にも、ぼく本人にも、興味がないのは知っている。

 とりあえず医者とかにすればいいか。いや、発表したら、クラスの反発をかうことは間違いない。それに母親に期待されても困る。かといって、父親のようになりたいと書いてもダメ。あとから「平凡な人生送りたいの?」って怒られるだろう。ユーチューバーって書くのは、頭が悪すぎる。そういえば、この間、遠藤先生が、SDGSについて熱心に話していた。たぶんそれが正解。今回はその線でいくか。将来の夢は環境関連の仕事。それがいい。ぼくは、近所の不法投棄のごみのことから書き始めた。

     ◇   ◇

「はい。終わり。書けなかった人いる? 手をあげて」

 手をあげたのは、クラスの4分の1くらい。作文なんて全然難しくないのに。その中には、出崎や光岡もいた。二人とも中学受験をするんだから、このくらいの作文、ちゃちゃっと書けよ。

「その8人は、明日までの宿題。よく考えて、明日の国語の時間までに提出してください。今日の授業はおしまい。帰りの会ね」と遠藤先生が声をあげた。

 今日も一日、ほとんど誰ともしゃべらなかったなと思いながら、帰りの準備をする。明後日の模試に合わせ、今日はハードな『4教科集中特訓』。夜の9時まで勉強をする。雨は止まない。早めに塾に行かないと。ため息がもれた。

 うちのクラスは、34人。グループは7つ。女子が4つに、男子が3つ。男子はグループに入っていない人間もいるけど、何らかの形で関わっていることが多い。外から見ると、よくわかる。関わらないから。いや、関われないだけか。学校では、最低限のコミュニケーションのみですごしている。

 こういう状況になってしまったのは、『全国無料共通模試』のせいだ。

『全国無料共通模試』とは、通っている東上スクールで行っている年に2回ある全国模試のことだ。全国の小学生が無料で受けられるテストで、自分の学力を見るにはちょうどいいと言われている。

 それまでのぼくは、どこにでもいる普通の公立の小学生だった。頭がいいとは言われてたけど、あまり気にしたことはなかった。ゲームやカードが趣味。塾にも行ってなかった。親友はいなかったけど、友だちは、そこそこまあまあいて、なんとかしのいでいた。そんな楽しくはなかったけどね。受験も、高校からとしか思っていなかった。

 4年生の時、『全国無料共通模試』を受けたのが、運のツキだ。このテストをいつメンで受けようという話になった。気が乗らなかったけど、しょうがない。付き合いで模試を受けた。

 難しい問題なんて何もなかったので、普通に解答用紙に書きこんだ。そうしたら、全国468位になった。

 成績ランクに「渋谷ひびき」って名前がのってるのを見た時、ふーんって感じで何とも思わなかった。その時は、成績に順位をつけることに興味なんてなかったから。でも、周囲はかなり驚いたらしい。塾にも入ってもいないのに、この成績をとることはほとんどないと後から聞いた。5万人の小学生が受けていたそうだ。

 そうしたら、塾から何回も電話がくる、くる。ものすごくしつこかった。「授業料免除の特待生にならないか」って。ぼくにいつも無関心な母親が調子に乗った。そして、知らないうちに、偏差値の高い国立の中高一貫校を受けることになってしまった。

 出崎は元友だちで、幼稚園からの幼なじみだ。面白いギャグやコントをまねるのがうまく、クラスの人気者。一緒にいると、いつも笑いが絶えないやつだ。

 あの模試までは、ね。出崎は3年生から受験勉強を始め、模試では14000番台。受験勉強もしていないぼくが3ケタの順位だったのが気にくわなかったらしい。塾に入った途端、学校でシカトされるようになった。

 最初は、どうして無視されるかわからず、とまどった。ぼくは、もともと友だちが多いタイプじゃない。出崎が他のやつにも言ったのだろう。いつの間にか、友だちと呼んでいた人たちは離れていった。

「いい気になるなよ」と、直接言われたこともあった。そんな気になったことは一度もなかったのに、さ。ぼくは言い返さなかった。同じ立場だったら、なまいきだと思うかもしれない。そういう想像もできるから、我慢した。出崎たちの行動を責めたくはない。学校で友だちと仲よくすることをあきらめただけだ。

 出崎は、自慢げに時おりぼくを見るけど、どうでもいい。もう興味はない。そして、こう思うことにした。

 単に近所に生まれた同じ年の人間なだけ。趣味や考えも違う人間と、同じクラスだからって仲良くする必要はないと。自分より成績が上だからという理由で、クラスでのけ者にするヒレツな人間とわざわざ付き合う必要もない。一人ぼっちのほうがまだましだ。

 イジメは今のところない。ハブられてるだけ。だんだんわかってきたのは、下に見られる人がイジメられやすいってこと。とりあえず成績だけはいいぼくは、下に見られてはいない。

 だからかな、スクールカーストからちょっとずれている。何度か机の上に鉛筆で落書きされたこともあったけど、授業用のタブレットで写真を撮り、これ見よがしに保存しておいた。証拠になると思ったから。そういう対応をしていたら、いやがらせは受けなくなった。過剰な反応はしない。証拠はとる。それを積み重ねて、ぼくはただクラス内で浮くだけの存在になっていった。

     ◇   ◇

「終わった~」

 週一回の『4教科集中特訓』が終わって、やっと解放された。うちの塾は、授業を聞いて終わりではない。習熟をはかるため、授業後に必ずテストをする。Sクラスは85点以上とらないと帰宅できない。そんなに難しいことではないけど、今日はダメだった。83点。2点差なんて変わりないんじゃないかとは思う。だけど塾では許されない。塾の間はいつも緊張。じゃないと、追い落とされる。

 そうは言いつつも、成績別クラスは、15人いるSクラスの中で、ベスト3はキープしている。はたから見れば、うらやましいと言われるのはわかってるけど、そう望んだことはない。みんな、ライバルなのだ。学校にも塾にも友だちと呼べる人間はいない。ひたすら勉強するだけだ。

 勉強自体は嫌いじゃない。でも、面白いと思ったこともない。目の前にある問題を片づければいいだけだから。解き方がわかり、記憶力さえあれば、勉強はなんとかなる。みんな、何であんなに点がとれないんだろう。不思議だ。試験に出そうな課題を一つひとつクリアしていけばいいだけなのに。

 受験を止めたいって言っても、いまさら母親や塾は許してくれないだろうな。特待生とはいえ、お金や労力がかかっている。それに今さら公立中学校に行ったところで、うまくいかないことはわかってる。国立でうまくいくのかも不明だけどね。ま、今よりはましでしょ。

 本当にぼくはヒリキだ。好きに生きるなんて、夢のまた夢。成績がちょっとよくても、なんの意味もない。

 いつもの帰り時間は8時。4教科集中特訓の日は9時。今日はそれより30分遅い。

     ◇   ◇

 あんなにざあざあに降っていた雨も、今はぴたりと止んでいる。駅の駐輪場にある自転車に乗って、薄暗い電灯の中、雨上がりの湿気を切りさきながら、走る。

 帰りに『スーパーマルゴ』に寄って、ティラチョコを買って帰ることが、今日のラストミッション。脳に甘いもの。それが唯一の楽しみ。今日一日、本当に自分がしたいことができたのはこれだけだ。

 駐輪場に自転車をとめ、スーパーに入った。『スーパーマルゴ』は、こじんまりしているけど、夜遅くまでやってるし、帰る道ぞいにある。それに超安い。ここでティラチョコを仕入れることにした。

 閉店時間間近の店内はがらんとしていた。湿気をふくんだ外の空気とは違い、冷房できんきんに冷えた店内は、寒かった。商品があまり残っていない弁当売り場で、毎日教室で見る、色あせた黄色いTシャツがちらっと見えた。佐伯峻だ。

 佐伯は、ぼくの席の前にいる。作文が書けなかった八人のうちの一人。クラスで浮いている二人の中の一人でもある。もう一人は? それは、ぼく。名前も近いし、体育や授業でペアを組まされている。浮いているっていう意味では、ぼくと佐伯は同類だ。

 5年生の時、佐伯は転校してきた、背も後から二番目と長身。顔は小さい。ビー玉みたいな大きな黒目が印象的なやつだ。服は少しボロっちいけど、それを上回るキラキラ感がある。見た目だけなら、モテ要素満載。その証拠に、転校早々女子が取り囲んでいた。転校生って注目される。うまくやれば人気者にもなれたはず。

 でも、初日でつまずいた。取り囲んだ女子に「うるせえな」とにらんだからだ。そして、「キレたら怖い人」とウワサになった。そして、じょじょに人は離れた。というか、女子は遠巻きに見るようになった。男子も同様だ。暴力を受けるとでも思っているのかもしれない。そうして、いつの間に佐伯は浮いた存在になっていた。
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