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気づいたら、妊娠9ヶ月でした。

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この26年
ずーっとニコニコニコニコして
人の言うことをちゃんと聞いて 
何か言われたら笑ってごまかしていた。 
嫌なことを嫌と言えず 
自分さえガマンすれば
それで丸く収まると思っていた。 

ふと思った。 
それで得したことあるか?と。
丸くは確かに収まったかもしれない。 
時が解決してくれたかもしれない。 
だが、時間がどれだけ経っても私の黒い鬱憤は生ゴミのように腐っていくばかりだった。 
 
小学生の頃だっただろうか。 
3人ぐらいの女子に 
死ねと言われたり、イヤミを言われたりしていた。 
嫌な目つきをしていた。 
死ぬほど嫌いだった。 
本を読もうと廊下にある本棚から本を選ぼうとしていたとき、後ろに3人組がいると気づかず後ろから脚で蹴られた。 
「あっごめ~ん。足が滑っちゃった♡」
死ねばいいと思った。 
女の塊みたいなものが大嫌いだった。 
群れるのが嫌いだったから
いつも1匹狼だった。 
そんなことをする奴らと同じになりたくないから、いつもひとりだった。 
 
そんな考えを今生きている26歳まで続けていたのだ。 
恐ろしく感じる。 
 
中学に上がって
部活を始めた。 
ハンドボールだった。
同じハンドボール部で
悪口を言う女子がいた。 
裏で何を言われているか分からない。
そう思うと不安でいっぱいになり、試合や練習で過呼吸が多くなった。 
怖かった。 
逃げたかった。 
逃げられなかった。 
皆勤賞を目指しなさいと小学生から母に 
言われていた。 
  
何故か分からないけど、 
こんなヤツらのために今死んだら 
私はこの世に生きていた爪痕も残せずに誰かに忘れられてしまう。そんな気がした。 
 
小学校と中学校で 
何があろうが一度も休まずに学校へ行って 
なんとか皆勤賞が取れた。 
 
嬉しかったけど
今思えば 
少し休みたかった。 
 


高校生になった。 
中3の夏から猛勉強してなんとか
公立に行けた。 
 
バレーボール部に入った。友達もできて、
嬉しかった。 
嫌われたくない一心で
ニコニコして
優しくして 
そうやって自分に嘘ばかりついて腐っていく暗い心にに蓋をした。 
 
嫌だと言えなかった。 
もっとちゃんと嫌だと言えばよかった。 
なんでだろう。 
私の人生こんなもんだったかな。 
そう思うようになった。
上手くいかないことが多くなった。 
 
電車通学だった。 
同じバレーボール部で住んでいる場所が近い友達が私を含め4人いた。 
3人のうち1人がリーダーみたいなもので 
その子が私は苦手だった。 
 
忘れもしない出来事だった。 
4人乗りの席があり、 
リーダーの子の隣に座ろうとした。
その時リュックをわざとらしく
その席にボン!と置き、
私を座れなくしたのである。 
ショックだった。 
その時、後の2人の友達は笑っていた。 
アハハハハ! 
なんで笑っていられるんだろう。 
悲しくて、悔しくて仕方なかった。
その時からもうその子たちと
電車で一緒に乗ることはなかった。 
一人で泣いていた。
 
そのリーダーの子から 
目の前で私の悪口や嫌味を言われた。 
だんだん自信がなくなっていった。
私なんて、と何度も思った。 
  
もう我慢の限界だった。 
カウンセラーの先生に相談した。 
カウンセリング室に行き
リーダーの子も呼ばれ
その子に 
「こういうことはしてはいけません」
と伝えた。 
リーダーの子は腹が立ったのか
ドアをバシッと閉めて
部活に向かった。 
 
部活の顧問の先生になんで遅くなったのか聞かれた。 

事情をその子が話した。 
「なんばしよっとやお前!」 
彼女がそう怒鳴られていたのは覚えている。 
「お前もなんで言わんやったとか!」 
私も怒られた。 
 
早いうちから誰かに 
言えばよかったと思った。 
なんで、今まで我慢してたんだろう。 
そういう気持ちだった。 
 
そのあと、 
その子は部活を辞めた。 
 色んなことがあった。
確かにリーダーの子はいなくなって平和にはなった。
が、
2年生になって 
友達関係がギクシャクした。 
3人レシーブサボっていたし 
後輩にひどいことを言ってしまったり。 
それから 
嫌われていった。(当たり前だよね) 
悪口を言われていることも
なんとなくわかっていた。 
上手くいかないことが多かった。 
彼氏ともうまくいかず、 
友達より彼氏だったときがあった。 
友達付き合いが悪かった。 
彼氏に依存していた。 
最終的に彼氏が
浮気していたことが分かり、 
「お前なんかよりももっと 
いい女はいるし、お前なんかよりも性格だって浮気相手の方がいい。」と言われた。 
なんだお前。と思った。 
悔しすぎて悲しすぎて泣いた。 
(後に電話がかかってきてあれは嘘だったと泣きついてきたが胸糞悪かったので二度と電話かけてくるなと言ってやった。) 
友達も親も彼氏も誰も私の味方なんていなかった。 
あの夏の暑い中、体育館の踊り場でひとりで昼ごはんを食べていた。 
寂しかった。
なんで私ここで生きているんだろうと思った。 
居場所が欲しかった。 
誰かに必要とされたかった。 
死んだ方がマシじゃないかと思った。




高校前の駅で飛び込み自殺を測った。 
1歩、前に出る。 
電車が来る。 
あと一歩で私の人生が終わる。 
その1歩を踏み出そうとしたときだった。 
ポケットのスマホの電話が鳴った。 
「かかった!よかった…」 
「…誰?」 
「○○(元彼)だよ!なんで忘れるんだよ」 
「何の用?」 
「LINEも返事も来ないし既読もつかないし、心配になって...。 
あのとき、言いすぎた。 
俺が全部悪かった。お前もしかしたら死ぬんじゃないかって思って…。」
泣きたくなった。 
今まさにその時だったから。 
そこまではよかった。
が、その後続けて 
「他の男とした?」
は?と思った。 
「他の男としないで!」
と言われたのでコイツのために死ぬのかと
思うと本当にバカバカしくなってきた。 
でも逆に私はその手があったかと思ってしまった。 
部活を引退したあと、
出会い系サイトで男を釣った。
学校の全校集会で出会い系サイト使ってはいけませんと注意喚起をしていたし
警察がサイトをパトロールしていると
言っていた。
馬鹿だなと思っていた。
私は一度も見つからなかった。








抱いてくれるなら誰でもよかった。 
寂しさを紛らわせられたら構わない。 
何も減らないと思っていた。 
抱かれても抱かれても 
寂しさや虚しさがなくなることは
なかった。 
体だけ求められる。
彼女はいるけど手が出せないと言って私に手を出す奴もいた。
私はバカだなあと心の中で抱かれながら泣いた。
体が繋がっても心が繋がることはない。 
男は本当に好きならば手など最初から出さないのだから。 
 




高3の冬。 
好きな人ができた。 
別の高校の人だった。 
同じ高校の先輩からの紹介だった。 
たまに会ってカラオケに行ったりするぐらいだった。 
LINEは頻繁に取っていた。 
ある時に「ヤラセて」と
LINEで言ってきた。
迷った。 
付き合ってないからしないよ。と送ると 
「俺の事好きじゃないの?」ときた。 
そうきたか。 
好きだから、まあいっか。 
軽い気持ちだった。 
大人になった今クソ野郎だったなと思う。 
 





何度かその人とした。 
私は好きだけど、 
相手は私の事好きじゃないんだろうな。 
都合のいい女になっていることも 
わかっていた。 
 
生理が来なくなった。 
妊娠?と一瞬よぎった。 
自分で検査をしてみたけど
出ない。 
生理来ないのはラッキーだと思った。 
(バカだよね笑) 
 
それから高校卒業して 
就職して、 上京した。
 毎日日々を過ごしていた。 
 
入社して半年が経った時、
太ってきたとは思っていた。 
痩身エステにお試しで行くことにした。 
お腹もグリグリされる予定だったが
エステの人が 
「お腹…なんかおかしいから病院行った方がいいかも…」 
 
エッ?と思った。 
でも確かにお腹だけ出っ張っているし… 
生理も来ていないから 
産婦人科に行って薬だけ貰って帰ろうと思った。 
 
夕方だったので 
もうすぐ終わるような
雰囲気の産婦人科だった。 
問診票に書くと、看護師さんが 
「生理、来てない? 
なんか結構お腹大きい…」 
「トイレ行ってきてもいいですか?」 
「あっ!ちょっとまって、検査して。」 
検尿コップを渡される。 
 




検査後 
看護師さんから
「あなた!!
妊娠してるわよ!!」
お医者さんから呼び出され、
「驚かないでくださいね・・・ 
妊娠9ヶ月です。」 
 
「!?!?!?」
(驚かずにいられるがないだろうがよ) 
 
「嘘じゃないですからね…。 
気づかなかったの?」 
 
「はい…。」 
 
「切迫流産の可能性が高いです。 
とりあえず張りだけ確認して、もっと大きい病院紹介しますから。」と言われた。 
 


母に妊娠のことを 
伝えなければならないと思った。 
貯金も4万しかない。
病院代だけ払って、外に出た。 
母に仕事をやめなければいけないかもしれないとLINEで送った。 
電話をした。 
「どがんしたと(どうしたの)… 
なんのあったと…(なにがあったの)」 
「お母さんごめん…妊娠しとった…」 
 
「ええぇぇぇ!!!?何ヶ月...」 
 
「9ヶ月…」 
 
「9ヶ月!?!?もう産まれるやん!!」 
 
「切迫流産だって…。」 
 
「とにかく、安静にしとき。そっちに迎えに行くから。」 
 
雨がパラパラ降っていた。 
もう私の人生、終わりかもしれない...。 
どうしよう、どうしよう。 
とにかくなんとかするしかない。
仕事先の店長に連絡しなければ。 
その日にあったことをLINEで送った。 
 



店長も青天の霹靂みたいだった。 
同じ寮だったので 
私のところまで
先輩ひとりと店長が来てくれた。 
暗い気持ちでこれからどうしよう…と 
悩んでいた時だった。 
 

「ましろさん…大丈夫…?」 
迷惑かけて本当に申し訳ない気持ちで一杯で泣き出してしまった。 
私「すみません...私のせいで...」 
 
店長「辞めてもらうことになると思うけど...これからどうするの?」  
 
私「とりあえず親に連絡して、相手もそのつもりないと思うので、
ひとりで育てようと思ってます。」 
 
先輩「養育費、貰えない人もいるからちゃんと貰えるようにするんだよ。」 
 
私「ハイ...」 

次の日、その県内で大きい病院に行った。
「切迫流産ですね。」と言われた。
地元に帰って出産したいと伝えた。
「だめです!絶対この県内で産んでください!」と言われた。
どうしよう、頼れる親戚は地元にしかいない・・・。
もういっそ、首を吊って死んでしまえば・・・。
病院から帰ってきた後、暗い夜の中虚ろとしていた。
でも待て。
この子には私しかいないんだ。
私のことをせっかく選んでくれたのには何か理由がある。
ここで死んではいけない。
腹をくくった。

 



次の日両親が
はるばる遠方から来てくれた。 
父に頭を下げて、よろしくお願いしますと 
伝えた。 
姉も駆けつけてくれた。
引っ越しの準備が着々と進んでいった。

  


仲のいいパートさんや
バイトさんともお別れ...。 
本当だったらバイトの子たちと 
ディズニーシーに行く約束をしていた。 
バイトの子のひとりから
LINEが来ていた。 
「ましろさん! 
なんで言ってくれなかったんですか~!!辞めるなんて聞いてないです泣 」もうそのLINE見ただけで号泣。
ちょうどシーのチケットまだ買ってないとのことだったのでその子と近くのファミレスでご飯を食べに。 
色んなことを話した。 
距離的にもう会えないことも
わかっていた。 
優しくて可愛い子だった。 
もう正社員じゃないから、
タメ語でいいよと言って喋りまくった。 
シーのチケットとお金を交換して 
またいつか会おうね! と快く送り出してくれた。 
元気にしているだろうか...。 
今でもふと思う時がある。 
無論、私はこれからが波乱万丈である。 

相手に妊娠を伝えると
彼女がいる、と言われた。 
逃げたいと言い連絡がつかなくなった。 
あてにはできないと覚悟した。 
引越しの準備をし、 地元まで新幹線と車で帰った。
急いで母子手帳をもらいにいった。 

母子手帳の存在すら
今まで知らなかったが。 
 
「エッ!9ヶ月...!?」
担当の人に驚かれた。 
そりゃそうだ。 
 



「母乳も出ているし、
急いだ方がいいかもしれません。病院紹介しますから。」と言われ 
その日のうちに大きい病院に行った。 
行ったその日に 
医師に「入院です。」と言われ、 
 
私「えぇ...」となった。 
 
入院生活が始まった。 
全く体を動かさせてくれないのである。 
(当たり前なのだが。) 
 
未婚の母なので 
看護師さんに事情を話さなければならなかった。 
黙秘していたけど、 
「ずっと黙ってはいられないのよ」と言われたので事情を話した。 
わかってくれた。 
 
入院生活の夜になると母がいなくて
寂しくなりメソメソ泣いていた。 
私がこれだけ甘やかされて育っていて私に
母親が務まるんだろうか...。 
そんな思いとこれからどうなるんだろうという不安と一緒に...。 
 






ついにきた。
朝の4時半。 
いつものように寝ているときだった。 
パン!
お腹の中の何かが弾けた音がした。 
破水だとすぐに思った。 
ナースコールを押した。
「破水しました」 
「こっちへ」 
分娩室に行くか
否やわからないまま案内され 
陣痛が始まった。  
噂通り鼻からスイカの痛さである。 


早く終わらないかバカヤロー! 
(ビートたけし風)という思いだった。
私が「ヒイィィィ!」と泣きそうになりながら
陣痛に耐えているというのに 
看護師さんパソコンをカタカタしている。 
なんだよ、私こんなに痛いんだぞ。 という気持ちだった。
なんとか耐えて分娩室へ。 
痛い 
はよ終われ、痛い... 
こんなに痛いのにあの人は来てくれない。 
来てくれたのは母。 
私本当はあの人に手を繋いでもらって 
頑張れって言って欲しかった...。 
旦那と呼べる人は私にはいない…。
悲しい気持ちもあったけど、
それどころではない。
そんなことを言っている場合ではないのだ。 
これから私はこの子を産むのだ。 
死ねやしないのだ。 
この子を残して死ぬなんてできない。 
死んでも産んでやると思った。 
その時だった。 
「オギャァァ」 
よかった。産まれた。 
死ぬかと思った。 
死ななかった。 
そのあと産まれたての小鹿みたいな脚で移動して
しょぼくれたように朝ごはんをモッシャモッシャ食べた。 
あの日の朝ごはんすごいおいしかった...。 
そのあと傷を縫ってもらい、 
陣痛に比べりゃマシだけど痛い。 
「痛い痛い...!」
そんな私に笑いながら 
「そんなに痛い?(笑)」と笑っていた(笑)
(チクショウ...笑) 
 



1日目は体力なさすぎてその日だけ娘の面倒を見てもらった。 
そこから娘の世話は大変である。 
だけど、可愛い...。
可愛すぎんか我…。
初めての子どもだったから、尚更...。 
そんな時だった。 
相手の母親が娘の顔を見に来た。
「なにかあったら、言うんやよ」
正直なところ 
相手の母親は悪くないと思っているから 
「ハイ」とだけ言って娘の顔を
ジッと見つめ、切ないような顔をした。 
「今度○○(相手)も連れてくるから」 
そう言うと病院を後にした。 
今更...。
相手に連絡はした。 
「産まれました」と送ると 
「おめでとうございます」
とだけ返ってきた。
他人事である。(お前の子なんだよと言ってやればよかった。)
私の出産がどれだけ大変だったか、
どれだけしんどかったか。 
この男は分かっていないんだろう。 
もうなんか飽きれた。 
会いには来たが、娘を1度だけ 
抱っこだけして、嬉しいのかどうなのか分からない顔をしていた。 
後はのそのそ帰っていった。 
 
私が入院している間に話し合いがあった。 
親同士知り合いだったので話をすることができた。 
母親と相手が実家に来た。 
ウチのオカンが
「ウチの可愛かましろになんばしたか(なにをしたのか)!」
感情が高ぶって相手に言ったらしい。
「見逃してください」と相手の母親。 
「それじゃひき逃げと
一緒じゃないですか!」 
「この子にも人生があるんです」 
「じゃあウチの娘の人生はどうなるんですか!」 
  
話し合いをしていた時相手はうちのオカンを睨みつけていたらしい。 
次の話し合いのときに相手の父親も一緒にやってきた。
「うちの子がそんなことするわけないじゃないですか」は? 
本当に舐め腐っている。 
私はすぐにでも1階の話し合いに行きたかったけど産後は体を大事にしてと言われ血が上ってはいけないからと、2階で娘を抱っこしながら終わるのを待っていた。 
産まれたばかりの娘が愛おしいけど
相手には腸が煮えくり返っていた。 
 








2時間くらい経った時、 
叔父が2階に登ってきて
「終わったぞ」と娘をだっこした。 
長かった。 
いや、これからがまた長いのである。 
話を聞くと 
相手は俺の子じゃないの一点張りで 
DNA鑑定しないと認めないと言ってきた。 
(私はその時好きな人が相手しかいなかったからその人しかいなかった。)
言うけどね、お前の顔そっくりなんだよ。 
目も鼻も。)
話し合いにならないので調停までいき、 
DNAもしてもらった。 
99%相手の子だった。 
父親も「申し訳なかった」と頭を下げ 
「ちゃんとお金を払わせます」 
慰謝料と養育費をもらうことができた。 
 
ホッとした。 
でも1番やりきれないのが相手が嘘をついたにも関わらず謝りにすら来なかったことだ。 
悪くないと思っているのか 
怖くて行けないのか知らないが 
ムカついた。 
 

















そんなこんなでシングルマザーとして
これから働こうとしていたときだった。
 
元々実家の隣でパン屋を営んでいたが、
母が体調を崩してしまい、閉業していた。 
そのパン屋の機械を見に
とある事業所から代表が来ていた。 
その時、なにかあると代表は思ったらしい。 
実家にいる私に会いに来てくれた。 
事情を聞いてくれた。 
元々近くにあるお菓子屋さんでパートをするつもりだった。
(面接をする予定だった)
翌日事業所に招かれ話をした。 
9ヶ月まで妊娠に気づかなかったこと 
昔からいじめられることが多かったこと忘れ物や忘れ事が多かったこと。 
色々話した。 
もしかして発達障害なんじゃないかと言われた。 
自分が?まさかね...。 
でも、もしかしたらそうかもしれない。 
こんなに生きにくかったのは私に障がいがあるからかもしれない。 
大きい心療内科に発達障害専門の先生がいるから行かないかと言われた。 
ついでにそのお菓子屋さんのパートの面接も事業所に通ってほしいから辞退してくれと言われた。 
正直、普通を貫きたかったから嫌だった。 
何を言われたかは覚えていないが 
何かを言われ、面接も渋々辞退した。
そういう、運命だったんだろう。 
 









某所にある
大きな心療内科の病院に行った。 
問診みたいなことをしたあと 
(なんか変な質問ばっかりだった)
専門の先生の診療室に入った。 
お茶の水博士みたいな頭の先生だった。 
「今までなにか困ったことは無かったかい?」 
「忘れ物や忘れ事が多くて先生に怒られてばっかりで、困ってました。」 
「他には?」 
「いじめられることが多かったです。」 
・ 
・ 
・ 
(そのあと泣きながら何かを話したのは覚えているが何を話したのかあまり覚えていない) 

「あなたは、発達障害です。」
ハッキリ言われた。 
ショックすぎて言葉が出なかった。 
皆勤賞取って?
普通のつもりで生きてきて。 
発達障害?こんなに頑張ったのに?
何がいけなくて 
どこが間違いなのか分からなかった。 
何かの手違いであってほしかった。 
 
泣いて泣いたけど 
もう、仕方ないとも思えた。 
少し楽になった気がした。 
私がこんなに生きづらかったのは発達障害があったからだと。 
でもそこで障害があるからと甘えてはいけないのだとも思った。 
障害が何なのだ。 
誰しも完璧ではないことだってわかっていた。 
ここで負けてたまるか。 
私がここでくたばるわけが無い。 
そんな想いが沸々と湧いた。  
 



事業所に通い始めて色んなことがあった。 
たくさんの人との出会い。 
色んな人と色んな話をした。 
特に代表や職員の方と世間話をすることが多かった。 
 
昔から太っていることが悩みだった。 
事業所に行き始めたとき、 
身長160cm体重66キロだった。
ちょいぽちゃ(?)程度だった。 
きっかけが「ダイエットしなきゃね」と言われたことだった。 
夜ご飯の白米を抜けばスグ痩せると誰かから聞いたかネットで調べて知った。 
スグに実践した。 
効果はすぐに出た。 
どんどん、ごはんの抜き方がエスカレートしていった。 
痩せていくのは嬉しいけど、 
心がどんどん削られていくような感覚があった。 
痩せた自分を鏡で見るのが楽しすぎて
興奮して眠れなくなった。 
色んなことが起こって(話すと長くなるのでここも割愛する)
どうしよう、どうしようとなった。 
嫉妬もされた。 
今まで大事な友達と思っていた子が
急に怖く感じる。 
あんなに優しかったのに。 
自分が悪いんだ、 
そう思い込むようになった。 
ネットで買ったSサイズの
黒のジーパンが履けた。 
嬉しかった。 
ずっと憧れていたモデルのような体型になれたから。 
母が心配し始めた。 
痩せすぎなんじゃないか...。 
心がおかしくなってきた。 
妄想が止まらない。 
妄想の頭の中の出来事と現実が全く違う。 
家のことが急にできなくなる。 
娘が泣いている。 
あやすが、体力がないのですぐに疲れる。 
娘が私を安心させようとひとりでおもちゃで遊ぶのを見せてパチパチと拍手をする。 
それを見て、涙が止まらない。  
私母親になれていない...。
部屋が散らかっているので
気の巡りが悪くなっていた。 
誰もいないのに
いきなり障子が破れ始める。 
何なんだと、破れた穴を覗く。 
人の目があった。 
「うわっ!」 
怖くなって、後ずさりしたとき後ろの障子も勝手に破れる。 
怖い、怖い...。 
もう耐えられなかった。 
妄想が本当に止まらなくて
物凄い悪口を言ったり 
男性に襲われるという妄想があったり。 
あってもないことを言ったり、 
県内の心療内科の病院を回った。 
何か悪いことしたんじゃないか...。 
娘を殺したんじゃないか...。 
死ぬ気で産んだ娘を私は殺したんじゃないか...。 
(実際何も事件のようなことは起こっておらず、
何もしていなかった。)
 病院に着くと、別室に連れていかれ変なところに寝かせられた。 
体が疲れきっていた。 
もうずっと、眠っていなかった。 
血液検査をさせられ、体重を測らされた。 
52キロだった。 
凄く嬉しかった。 
が、 
そのつかの間 
「入院です。」 
「なんで!?私何も悪いことしてない!私を裏切るの!?」そう叫んだけど、無理やり看護師さんに病棟へ連れていかれあっという間に二十扉の鍵のかかった部屋に閉じ込められた。 
娘は無事なんだろうか...。 
何か悪いことしたんじゃないか...。 
2週間くらいだろうか 
風呂とご飯以外はその部屋行きだった。 
生き地獄だった。 
夜が嫌だった。 
その部屋の柱になにかの日付が書いてあった。 
なんの日付なのか分からない。 
自殺した人の部屋なのだろうか。
何もかもが監視下だった。 
 
ある夜中のことだった。 
部屋の真ん中に立って虚ろ虚ろとしていた。 
いきなり後ろの透明ガラスがガン!と音を立てた。 
男の人の気配だった。 
どうしよう、どうしよう...。 
後ろによろめいた。 
するとドアからもガン!と音がして 
ドアの向こうに黒い影の男の人がゆっくりこちらに向かってくる。 
幻覚なんだろうか、見分けがつかない。 
死ぬんだろうか、
その時。 
「ましろさん!」 
バン!と鍵を開けて入ってきた看護師さんが私を抱きしめてくれた。 
来た瞬間に男性の影はサッと消えた。 
モニターで見ていたんだろう。 
「ここしかお部屋がないしもう夜だから休もうね...」
ベッドに寝かせられた。 
(怖すぎて結局徹夜した。)
あれは生霊だったと 
後の2回目の入院でわかることになる。 
 
いつだっただろうか、 
若い男性の声が聞こえた。 
どんな内容を話したのかは忘れたが 
私が
「娘を殺したかもしれない」と言った時 
「そんな優しい人が子どもを殺せるわけが無い」そう言われたのはハッキリ覚えている。
少しホッとした。 
 
病室から出られない中 
看護師さんから呼ばれた。 
「ましろさん、ちょっと来て。」
なんだろうと思った。 
病棟の入口には顔が見えないように 
透明のガラスの上にぼやけたテープみたいなものが貼ってある。 
入口まで連れていかれた。 
高校生だろうか。 
背が高くて 
ブレザーだけど、 
どこの制服か分からない。 
看護師さんがその高校生と話をしていた。 
その若い男性の声がその高校生なんじゃないかと思った。 
「病室、戻りましょう」 
看護師さんからそう言われ、
私は戻り高校生は帰って行った。 
その高校生が声の主なのか、名前も分からないし今でも謎だが、 
これがもし本当だったら、 
ここでお礼を言わせてほしい。 
本当にありがとう。 
 
事業所の代表が塗り絵や勉強道具を持ってきてくれた。 
嬉しかった。 
塗り絵をしたり、勉強したり 
少し学生時代に戻れた気がして
楽しかった。 
作業療法も楽しかったし、
薬も嫌がってはいたが 
観念してちゃんと飲むようになった。
入院生活が楽しくなってきた時、
私は退院することになった。 
 
 







~あとがき~

26になった今、
その時の出来事が頭の中に浮かぶ。 
あんなこともあったし、
こんなこともあったな。 
そんな風に。 
嫌だった、苦しかった、辛かった、 
悲しかった、悔しかった...。 
色んな思いが巡る。 
そんな私も25で結婚し、
2人目を出産した。 
何度も、何度も 
死にたいとも思った。 
私なんか死ねばいいんだ。と思った。 
死ななかった。 
私を思ってくれる大事な家族がいる。 
同級生のある一部からいじめられ先生からは忘れ物して怒られ自分なんか、 
途方もないアホではないかと思った。 
違った。 
あのとき私は思っていた。 
私の人生を誰も見ていないかもしれない。 
これだけ耐え忍び、 
これだけの歳月を生き延びている私を神様は見捨てないだろうと。 
どれだけ死ねと言われようが、
どれだけ悪口を言われようが、
お前らごときに
人生潰されてたまるかという
根性を持って生きていた。 
殺す勢いで生きてきた。 
私を見下してきた人間に私という人生を見せつけてやりたかった。 
もしかしたら 
これは意味が無いかもしれない。 
だがこの思いを伝えず
誰が死ねるというのか。
もし、今あなたが死にたいと感じていたら
私は殺す勢いで生きろといいたい。
馬鹿にされるかもしれない。
笑われるかもしれない。
でも、こんな私でも
生きていたら何とかなると本当に思うことができたのだから。
何があっても光が見える時がくる。
その時まで生きていてほしい。
あなたを死ぬ気で産んだ母親のためにも、
あなたに生きていてほしい。
 
 
この本が少しでも
誰かの心に響いてくれたら 
これほど嬉しいことはない。 
 
最後に、 
私という人間に繋がってくれた方、
支えてくれた方たちにお礼を言いたい。
ありがとう。 


最大の愛に感謝を込めて。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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