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幼女と邪神とユキ
ぼっちと邪神とエルフ女王
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クレバスがエルフ少女を抱えて別空間へ消えてから、体感で二時間ほどが過ぎた。
馬車のきしむ音と、車輪が土を踏む感触だけが単調に続いている。その単調さの裏側で、別空間ではとんでもない時間が流れているはずだ。
あっちの空間は、俺が普段鍛錬に使っている場所と同じ仕様だ。
中で一年経っても、外では一分しか進まない。単純に計算するなら、二時間で百二十年。
……百二十年も何をしているんだ、あいつらは。
ふと視線を落とすと、足元で巨大イソギンチャクがしゅるしゅると動いていた。
クレバスに置いて行かれたのが相当ショックだったらしく、さっきまでしょんぼり丸くなっていたのだが、今は紙とペンを器用に扱って俺と絵しりとりをしている。
その触手とは裏腹に、線は驚くほど滑らかで、影まできちんと描き分けていた。
妙に整ったかわいい鳥の絵を見て、俺は真顔で頷く。
……絵、上手いな。
「戻ったのじゃ~」
空間が音もなく裂け、その隙間からクレバスがぬるりと姿を現した。
腕の中には、同じくぬめぬめと光るエルフ少女。髪からローブの裾まで、しっとりと濡れて肌に張り付いている。
床に横たえられた少女は、瞳だけが乾いた魚のようにぎょろりと動き、身体はびくりとも動かない。
指先でつついてみると、陸に揚げられた魚みたいにびくんと震えた。どうやら生きてはいるようだ。
「何をしたかは聞かないでおこう……」
「うむ。積年の恨み、果たしたりなのじゃ」
クレバスの肌はやけに艶っとしている。
本人は満足げだし、エルフは物理的にぬるぬるだし、俺の脳はそっと思考を停止した。
クレバスが指をぱちんと鳴らすと、絵しりとり仲間のイソギンチャクが、足元の影にずぶずぶと沈んでいく。召喚解除、というやつだろう。
ほんの少しだけ愛着が湧きつつあった生物との別れに、胸のどこかがくすぐったくなる。
なるほど、これが「湧いた生き物と別れる感情」ってやつか。
前にクレバスが、不死鳥を家に連れてきたがっていた気持ちが、ほんの少しだけ理解できた。
「それで、コレ。どうするんだ?」
ぬめったローブごと床に転がっているエルフ少女を顎で示す。
「うーむ。やりすぎた感は否めないのじゃ……一応正気は保っておるようじゃから、戻ってくるのを待つとするかのう」
「俺としては早く旅を再開したいんだが」
「仕方ないのう。頭に回復魔法をかければ治るはずじゃぞ」
「分かった」
ひとまず言われた通り、少女の頭に手をかざし、回復魔法を流し込む。
神経と精神にだけ軽く干渉するよう調整し、あとは自然に任せた。
十数分ほどすると、固まっていた指先がわずかに震え、肩がぴくりと跳ねる。
やがてエルフ少女は、重いまぶたを持ち上げるようにして上体を起こした。
「やっと、感覚忘れたのにぃ……」
開口一番、涙声だった。
ぶるりと肩を震わせ、瞳の端に涙を浮かべる姿は、さっきまでの強気な声からは想像もつかない。
……やっぱり中で同じこと、五千年前にもやられてるんだな。
封印前から積み上げた恨みを、時間圧縮空間で百二十年かけて晴らされたのなら泣きたい気持ちもまあ分からなくはない。
「何でこうなったかは理解したのか?」
「ひゃっ、ひゃい! エルフ族領、フォルスト王国の女王である私の名に懸けて、貴方たちとは敵対しません! むしろ友好条約を結んでください!」
いきなり肩書きから来たな。
予想していた方向とだいぶ違うが、敵対しないと言うなら、それで十分だ。
「条約とかは必要ないんだが……もし本当にしたいならクレバスと話をしてくれ」
こういうのは神同士で勝手にやってくれた方が早い。
俺は即座に丸投げすることにした。
ぬめったローブを乾かし終えたエルフ少女が、今度はじっと俺を見つめてきた。
瞳がじろじろと俺をなぞり、その顔に妙な感心が浮かぶ。
「黒目黒髪……勇者様と同じですね」
「アイリスよ。こやつに色気仕掛けは通じないのじゃ。既に悟りを開いておるでな」
「ちっ……」
はっきり舌打ちしたぞ、こいつ。
悟りを開いた覚えはないが、長く生きていると欲は自分で締め付ける癖が付く。そういうことにしておこう。
「日本人なら、私の魅力で堕とせたのにぃ……」
懐かしい単語を聞いて、少しだけ遠い昔を思い出す。
帰りたいとは思わないが、耳に残る響きだけは妙に心地いい。
「残念じゃったな。こやつは既に妾が予約済みなのじゃ」
クレバスが何か言っているが、半分ぐらい聞き流す。
予約済み、という表現に突っ込むべきか迷ったが、面倒なのでやめておいた。
「時間停止解除するぞ。何事もなかったかのように定位置に戻ってくれ」
「はい……」
クレバスとアイリスが、元々の位置に戻るのを確認してから、馬車の中に掛けていた時間停止を解除する。
途端に外の風音と車輪の振動が戻り、止まっていた世界が再び動き出した。
ユキの腕の中で固まっていたシロとミドリが、同時に瞬きを繰り返した。
「あれー? にーに?」
「……まほう?」
「ああ、ありがとな。ユキ」
「ん、礼には及ばない」
ユキからシロとミドリを受け取り、いつもの配置に収まる。
シロは肩車に、ミドリは左腕の中に。二人が落ちないよう、そっと魔法で支えを加える。
視線の先で、エルフ――アイリスがまだフードを被り直していなかった。
尖った耳がそのまま露出しているのを、シロがじっと見つめる。
「みみ!」
嬉しそうに指さして叫んだシロの声が、狭い車内に弾んだ。
興味津々の瞳が、じっとアイリスの耳を見ている。
さて――どう説明したものか。
馬車のきしむ音と、車輪が土を踏む感触だけが単調に続いている。その単調さの裏側で、別空間ではとんでもない時間が流れているはずだ。
あっちの空間は、俺が普段鍛錬に使っている場所と同じ仕様だ。
中で一年経っても、外では一分しか進まない。単純に計算するなら、二時間で百二十年。
……百二十年も何をしているんだ、あいつらは。
ふと視線を落とすと、足元で巨大イソギンチャクがしゅるしゅると動いていた。
クレバスに置いて行かれたのが相当ショックだったらしく、さっきまでしょんぼり丸くなっていたのだが、今は紙とペンを器用に扱って俺と絵しりとりをしている。
その触手とは裏腹に、線は驚くほど滑らかで、影まできちんと描き分けていた。
妙に整ったかわいい鳥の絵を見て、俺は真顔で頷く。
……絵、上手いな。
「戻ったのじゃ~」
空間が音もなく裂け、その隙間からクレバスがぬるりと姿を現した。
腕の中には、同じくぬめぬめと光るエルフ少女。髪からローブの裾まで、しっとりと濡れて肌に張り付いている。
床に横たえられた少女は、瞳だけが乾いた魚のようにぎょろりと動き、身体はびくりとも動かない。
指先でつついてみると、陸に揚げられた魚みたいにびくんと震えた。どうやら生きてはいるようだ。
「何をしたかは聞かないでおこう……」
「うむ。積年の恨み、果たしたりなのじゃ」
クレバスの肌はやけに艶っとしている。
本人は満足げだし、エルフは物理的にぬるぬるだし、俺の脳はそっと思考を停止した。
クレバスが指をぱちんと鳴らすと、絵しりとり仲間のイソギンチャクが、足元の影にずぶずぶと沈んでいく。召喚解除、というやつだろう。
ほんの少しだけ愛着が湧きつつあった生物との別れに、胸のどこかがくすぐったくなる。
なるほど、これが「湧いた生き物と別れる感情」ってやつか。
前にクレバスが、不死鳥を家に連れてきたがっていた気持ちが、ほんの少しだけ理解できた。
「それで、コレ。どうするんだ?」
ぬめったローブごと床に転がっているエルフ少女を顎で示す。
「うーむ。やりすぎた感は否めないのじゃ……一応正気は保っておるようじゃから、戻ってくるのを待つとするかのう」
「俺としては早く旅を再開したいんだが」
「仕方ないのう。頭に回復魔法をかければ治るはずじゃぞ」
「分かった」
ひとまず言われた通り、少女の頭に手をかざし、回復魔法を流し込む。
神経と精神にだけ軽く干渉するよう調整し、あとは自然に任せた。
十数分ほどすると、固まっていた指先がわずかに震え、肩がぴくりと跳ねる。
やがてエルフ少女は、重いまぶたを持ち上げるようにして上体を起こした。
「やっと、感覚忘れたのにぃ……」
開口一番、涙声だった。
ぶるりと肩を震わせ、瞳の端に涙を浮かべる姿は、さっきまでの強気な声からは想像もつかない。
……やっぱり中で同じこと、五千年前にもやられてるんだな。
封印前から積み上げた恨みを、時間圧縮空間で百二十年かけて晴らされたのなら泣きたい気持ちもまあ分からなくはない。
「何でこうなったかは理解したのか?」
「ひゃっ、ひゃい! エルフ族領、フォルスト王国の女王である私の名に懸けて、貴方たちとは敵対しません! むしろ友好条約を結んでください!」
いきなり肩書きから来たな。
予想していた方向とだいぶ違うが、敵対しないと言うなら、それで十分だ。
「条約とかは必要ないんだが……もし本当にしたいならクレバスと話をしてくれ」
こういうのは神同士で勝手にやってくれた方が早い。
俺は即座に丸投げすることにした。
ぬめったローブを乾かし終えたエルフ少女が、今度はじっと俺を見つめてきた。
瞳がじろじろと俺をなぞり、その顔に妙な感心が浮かぶ。
「黒目黒髪……勇者様と同じですね」
「アイリスよ。こやつに色気仕掛けは通じないのじゃ。既に悟りを開いておるでな」
「ちっ……」
はっきり舌打ちしたぞ、こいつ。
悟りを開いた覚えはないが、長く生きていると欲は自分で締め付ける癖が付く。そういうことにしておこう。
「日本人なら、私の魅力で堕とせたのにぃ……」
懐かしい単語を聞いて、少しだけ遠い昔を思い出す。
帰りたいとは思わないが、耳に残る響きだけは妙に心地いい。
「残念じゃったな。こやつは既に妾が予約済みなのじゃ」
クレバスが何か言っているが、半分ぐらい聞き流す。
予約済み、という表現に突っ込むべきか迷ったが、面倒なのでやめておいた。
「時間停止解除するぞ。何事もなかったかのように定位置に戻ってくれ」
「はい……」
クレバスとアイリスが、元々の位置に戻るのを確認してから、馬車の中に掛けていた時間停止を解除する。
途端に外の風音と車輪の振動が戻り、止まっていた世界が再び動き出した。
ユキの腕の中で固まっていたシロとミドリが、同時に瞬きを繰り返した。
「あれー? にーに?」
「……まほう?」
「ああ、ありがとな。ユキ」
「ん、礼には及ばない」
ユキからシロとミドリを受け取り、いつもの配置に収まる。
シロは肩車に、ミドリは左腕の中に。二人が落ちないよう、そっと魔法で支えを加える。
視線の先で、エルフ――アイリスがまだフードを被り直していなかった。
尖った耳がそのまま露出しているのを、シロがじっと見つめる。
「みみ!」
嬉しそうに指さして叫んだシロの声が、狭い車内に弾んだ。
興味津々の瞳が、じっとアイリスの耳を見ている。
さて――どう説明したものか。
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