10 / 19
第3章 崩壊の兆し
第10話 違和感
招待状が来ないと気づいたのは、四日ほど経ってからだった。
最初から数えて待つものではないが、春先は違う。茶会や夜会、贈り物に添えられる一筆まで、紙の出入りが増える時期だ。例年なら、朝の書状の束を見れば、何となく収まりが分かる。
その朝、アルノーは届いた書状を順に確認した。
領地からの報告、商会からの問い合わせ、軍務局からの通知。必要なものばかりだが、それだけだった。
「以上でございます」
ベルナールが言う。
「……少ないな」
「時期を考えますと、やや。例年ですと、この頃には侯爵家や子爵家からも一度は動きがございます」
アルノーは書状を机へ置いた。毎年の細かな違いを覚えているわけではない。それでも、この時期にしては足りない。
「侯爵家や子爵家からは」
「今朝の分にはございません」
「昨日は」
「商会からが中心でございました」
アルノーは机の端を指で軽く叩いた。
「たまたまだろう」
そう言って、別の書類へ手を伸ばす。
午前のあいだ、倉庫の件と贈答の一覧に目を通す。書類は増減を繰り返すが、どうにも収まりが悪い。
昼前、納入係が入ってきた。
「レヴェル商会より返答がございました」
「遅いな」
「茶葉と贈答の件、いったん保留にしたいとのことです」
「保留?」
「今年の割り振りを見直したいと。春の分は、確定できる範囲に絞るとのことです」
アルノーは顔を上げる。
「こちらとの取引を減らすのか」
「結果としては、そのようになります」
「理由は」
納入係はわずかに間を置いた。
「順番が定まらないため、先に決められる分から回すと」
アルノーは椅子に背を預けた。
「またそれか」
「申し訳ございません」
「減らされた分は他で補え」
「候補はございますが、どこも少量になります」
「構わん」
納入係が下がる。
午後、案内係が持ってきた書状も、祭礼の相談だった。
「ほかにはないのか」
「本日は以上です」
扉が閉まる。
アルノーは窓の外を見た。中庭では花鉢の入れ替えが進んでいる。色は増えているのに、どうにも落ち着かない。
そのとき、ノックが入る。
マルティナが小さな帳面を差し出した。
「奥様のお部屋にございました」
アルノーは受け取り、頁を開く。
家名と日付、それに短い書き込み。誰が早く動くか、誰は後でよいか、贈答の順番、注意点。細かいが、乱れがない。
頁をめくる手が止まる。
シュトラール子爵家――春の最初の茶会。欠席の場合、護衛や輸送の話は別で整えること。
さらに進めると、レヴェル商会の名もあった。数量より順番が重要、と短く書かれている。
「……いつもこんなものをつけていたのか」
「はい。毎年」
アルノーは帳面を閉じた。
そこに書かれているのは、大げさなことではない。だが、今引っかかっている話ばかりだった。
「なぜもっと早く出さなかった」
「奥様のお部屋のものですので」
正しい返答だった。
「……もういい。下がれ」
帳面だけが残る。
アルノーは再び頁を開く。知らない名前がいくつも並んでいる。夫人同士の付き合いと思っていたものの中に、商会や軍務に関わる者の名も混じっていた。
見ていなかっただけか。
そう思い、頁を閉じる。
夕方、ベルナールが戻る。
「ハーグレン侯爵家の件ですが、来週、小さな集まりがあるようです」
「来週?」
「例年ですと、奥様へ先にお知らせが入ることが多いかと」
アルノーは顔を上げる。
「今回は」
「まだ届いておりません」
しばらく、言葉が途切れる。
順番の問題かもしれない。明日届くのかもしれない。そう考えることはできる。
「……確認しろ」
「どのように」
「さりげなく」
ベルナールは一礼して下がった。
アルノーは机の上の帳面を見る。
茶会、贈答、護衛、商会。
それぞれは小さいが、順番が崩れると手が止まる。
夜、ようやく一通の書状が届いた。
封を見て、アルノーは手を止める。
侯爵家でも子爵家でもない。グランツ商会だった。
明日まで返答がなければ、契約は見送る――それだけの文面。
アルノーは紙を机に置く。
机の上には、エリシアの短い手紙と、小さな帳面が残っていた。
本来あるはずの紙の重みが、どこか足りないままだった。
最初から数えて待つものではないが、春先は違う。茶会や夜会、贈り物に添えられる一筆まで、紙の出入りが増える時期だ。例年なら、朝の書状の束を見れば、何となく収まりが分かる。
その朝、アルノーは届いた書状を順に確認した。
領地からの報告、商会からの問い合わせ、軍務局からの通知。必要なものばかりだが、それだけだった。
「以上でございます」
ベルナールが言う。
「……少ないな」
「時期を考えますと、やや。例年ですと、この頃には侯爵家や子爵家からも一度は動きがございます」
アルノーは書状を机へ置いた。毎年の細かな違いを覚えているわけではない。それでも、この時期にしては足りない。
「侯爵家や子爵家からは」
「今朝の分にはございません」
「昨日は」
「商会からが中心でございました」
アルノーは机の端を指で軽く叩いた。
「たまたまだろう」
そう言って、別の書類へ手を伸ばす。
午前のあいだ、倉庫の件と贈答の一覧に目を通す。書類は増減を繰り返すが、どうにも収まりが悪い。
昼前、納入係が入ってきた。
「レヴェル商会より返答がございました」
「遅いな」
「茶葉と贈答の件、いったん保留にしたいとのことです」
「保留?」
「今年の割り振りを見直したいと。春の分は、確定できる範囲に絞るとのことです」
アルノーは顔を上げる。
「こちらとの取引を減らすのか」
「結果としては、そのようになります」
「理由は」
納入係はわずかに間を置いた。
「順番が定まらないため、先に決められる分から回すと」
アルノーは椅子に背を預けた。
「またそれか」
「申し訳ございません」
「減らされた分は他で補え」
「候補はございますが、どこも少量になります」
「構わん」
納入係が下がる。
午後、案内係が持ってきた書状も、祭礼の相談だった。
「ほかにはないのか」
「本日は以上です」
扉が閉まる。
アルノーは窓の外を見た。中庭では花鉢の入れ替えが進んでいる。色は増えているのに、どうにも落ち着かない。
そのとき、ノックが入る。
マルティナが小さな帳面を差し出した。
「奥様のお部屋にございました」
アルノーは受け取り、頁を開く。
家名と日付、それに短い書き込み。誰が早く動くか、誰は後でよいか、贈答の順番、注意点。細かいが、乱れがない。
頁をめくる手が止まる。
シュトラール子爵家――春の最初の茶会。欠席の場合、護衛や輸送の話は別で整えること。
さらに進めると、レヴェル商会の名もあった。数量より順番が重要、と短く書かれている。
「……いつもこんなものをつけていたのか」
「はい。毎年」
アルノーは帳面を閉じた。
そこに書かれているのは、大げさなことではない。だが、今引っかかっている話ばかりだった。
「なぜもっと早く出さなかった」
「奥様のお部屋のものですので」
正しい返答だった。
「……もういい。下がれ」
帳面だけが残る。
アルノーは再び頁を開く。知らない名前がいくつも並んでいる。夫人同士の付き合いと思っていたものの中に、商会や軍務に関わる者の名も混じっていた。
見ていなかっただけか。
そう思い、頁を閉じる。
夕方、ベルナールが戻る。
「ハーグレン侯爵家の件ですが、来週、小さな集まりがあるようです」
「来週?」
「例年ですと、奥様へ先にお知らせが入ることが多いかと」
アルノーは顔を上げる。
「今回は」
「まだ届いておりません」
しばらく、言葉が途切れる。
順番の問題かもしれない。明日届くのかもしれない。そう考えることはできる。
「……確認しろ」
「どのように」
「さりげなく」
ベルナールは一礼して下がった。
アルノーは机の上の帳面を見る。
茶会、贈答、護衛、商会。
それぞれは小さいが、順番が崩れると手が止まる。
夜、ようやく一通の書状が届いた。
封を見て、アルノーは手を止める。
侯爵家でも子爵家でもない。グランツ商会だった。
明日まで返答がなければ、契約は見送る――それだけの文面。
アルノーは紙を机に置く。
机の上には、エリシアの短い手紙と、小さな帳面が残っていた。
本来あるはずの紙の重みが、どこか足りないままだった。
あなたにおすすめの小説
余命半年の私は、あなたの愛など要りませんので離縁します
なつめ
恋愛
公爵家に嫁いで三年。
夫アレクシスは義務だけを果たす、冷たい人だった。
愛のない結婚だとわかっていたから、主人公エレノアも期待しないふりをして生きてきた。
けれどある日、彼女は余命半年を宣告される。
原因は長年蓄積した病と、心身を削る公爵家での生活。
残された時間が半年しかないのなら、もう誰にも気を遣わず、自分のために生きたい。そう決意したエレノアは、夫へ静かに告げる。
「あなたの愛など要りませんので、離縁してください」
最初はそれを淡々と受け止めたはずの夫は、彼女が本当に去ろうとした時に初めて、自分が妻を深く愛していたことを知る。
だが気づくのが遅すぎた。
彼女の命は、もう長くない。
遅すぎた愛にすがる夫と、最後まで自分の尊厳を守ろうとする妻。
離縁、後悔、すれ違い、余命。
泣けて苦しくて、それでも最後まで追いたくなる後悔系・溺愛逆転ロマンス。
幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】
小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」
ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。
きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。
いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。
婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ
水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。
ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。
なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。
アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。
※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います
☆HOTランキング20位(2021.6.21)
感謝です*.*
HOTランキング5位(2021.6.22)
「従妹は病弱なんだ」と私を放置する婿入り婚約者はいりません 〜帰国した義兄に、身も心も奪い尽くされる〜
恋せよ恋
恋愛
「指輪選び? ビビアンが熱を出したから無理だ」
「結婚式の打ち合わせ? ビビアンが寂しがるから
彼女も同伴でいいだろう?」
婿入りの立場も忘れて、自称病弱な従妹を優先
し続ける婚約者。
ついに私の心は折れた。
……でも、いいのよ。
代わりに帰ってきたのは、私を「女」として見る、
最強の義兄だったから。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります
せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。
読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。
「私は君を愛することはないだろう。
しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。
これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」
結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。
この人は何を言っているのかしら?
そんなことは言われなくても分かっている。
私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。
私も貴方を愛さない……
侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。
そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。
記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。
この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。
それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。
そんな私は初夜を迎えることになる。
その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……
よくある記憶喪失の話です。
誤字脱字、申し訳ありません。
ご都合主義です。