30 / 30
第6章 断絶
第30話 お茶会
午後の茶会は、静かに始まり、そのまま静けさを保ったまま進んでいった。
差し込む陽はやわらかく、窓辺に置かれた花の影がゆるやかに形を変えている。その変化に目を向ける者はいないが、誰もが同じ空気の中に身を置いていることだけは、自然と共有されていた。
話題は、今年の天候のことから始まった。
どこが過ごしやすかったか、どの街の滞在が心地よかったか——そのどれもが軽い雑談の形をとりながら、言葉の端々に人の動きや場の整い方を滲ませていく。
「南のほうは、今年は少し落ち着いているようですね」
その一言に、いくつかの頷きが重なり、すぐにやわらかな声が応じる。
「ええ、慌ただしさがありませんもの。あのあたりは、かえって動きやすいのかもしれません」
深く踏み込むことはない。
けれど、それで十分だった。
誰がどこへ向かうか、どこへ顔を出すべきか——そうしたものは言葉にされる前に、すでに整い始めている。
エリシアはカップに指を添えたまま、その流れを見ていた。
何かを加える必要はない。
けれど、何もせずにいるわけでもない。
触れすぎれば形は崩れ、足りなければ流れが鈍る。その境目は曖昧でありながら、いまの彼女にとっては迷うものではなかった。
ふと、視線が一度だけ交わる。
それだけで十分だった。
「近いうちに、あちらへご挨拶に伺おうと思っておりますの」
ある婦人の言葉に、向かいの席から穏やかな声が返る。
「それでしたら、きっと喜ばれますわ」
軽いやり取りだった。
けれど、その軽さのままに、必要なものはすべて行き渡る。
誰かが取りまとめることもなく、誰かが命じることもないまま、それぞれが動くべき先へと向かっていく。
その流れを崩さないことが、この場の役割だった。
エリシアは静かにカップを置いた。
その小さな動きに合わせるように、場の呼吸がひとつ整う。誰かが席を立つ気配が生まれ、別の誰かがそれを受ける。
終わりを告げる言葉はない。
けれど、茶会は最初からそうであったかのように、ゆるやかにほどけていった。
最後のひとりを見送ったあと、部屋には静けさだけが残る。
余韻というよりも、何も残していない軽さに近い静けさだった。
それでよかった。
廊下へ出ると、空気がわずかに変わる。
人の気配が遠ざかり、足音だけが小さく響く中で、窓の外の光はすでに夕方の色へと移り始めていた。
エリシアは足を止めずに進む。
迷う必要はなかった。
扉の前で軽く手をかけ、短く叩くと、間を置かずに内側から声が返る。
「どうぞ」
そのまま扉を開ける。
フェリクスは机に向かっていたが、エリシアの姿を認めると一度だけ視線を上げ、それ以上は何も言わなかった。
エリシアは部屋の中へ入り、静かに扉を閉める。
外と内の空気がゆるやかに切り分けられ、室内の静けさが落ち着く。
しばらくは、紙をめくる音だけが続いた。
言葉を交わさなくても、不足はない。
やがて、フェリクスがふと顔を上げる。
「今日は、どうだった」
その問いは、確かめるためのものではなかった。
エリシアは手を止める。
「穏やかでした」
短い返答だったが、それで足りる。
フェリクスはわずかに口元を緩める。
「それが一番だな」
それだけで、会話は終わる。
余計な言葉は続かない。
エリシアは再び視線を落とし、静かに手元へ意識を戻す。
窓の外では、夕方の光がゆっくりと落ちていく。
ここでは、何かを示す必要がない。
どこまで踏み込むかも、どこで止めるかも、言葉にせずとも共有されている。
その静けさの中で、時間だけが滞りなく進んでいく。
エリシアはペンを取り、迷いなく次の一行を書き足した。
差し込む陽はやわらかく、窓辺に置かれた花の影がゆるやかに形を変えている。その変化に目を向ける者はいないが、誰もが同じ空気の中に身を置いていることだけは、自然と共有されていた。
話題は、今年の天候のことから始まった。
どこが過ごしやすかったか、どの街の滞在が心地よかったか——そのどれもが軽い雑談の形をとりながら、言葉の端々に人の動きや場の整い方を滲ませていく。
「南のほうは、今年は少し落ち着いているようですね」
その一言に、いくつかの頷きが重なり、すぐにやわらかな声が応じる。
「ええ、慌ただしさがありませんもの。あのあたりは、かえって動きやすいのかもしれません」
深く踏み込むことはない。
けれど、それで十分だった。
誰がどこへ向かうか、どこへ顔を出すべきか——そうしたものは言葉にされる前に、すでに整い始めている。
エリシアはカップに指を添えたまま、その流れを見ていた。
何かを加える必要はない。
けれど、何もせずにいるわけでもない。
触れすぎれば形は崩れ、足りなければ流れが鈍る。その境目は曖昧でありながら、いまの彼女にとっては迷うものではなかった。
ふと、視線が一度だけ交わる。
それだけで十分だった。
「近いうちに、あちらへご挨拶に伺おうと思っておりますの」
ある婦人の言葉に、向かいの席から穏やかな声が返る。
「それでしたら、きっと喜ばれますわ」
軽いやり取りだった。
けれど、その軽さのままに、必要なものはすべて行き渡る。
誰かが取りまとめることもなく、誰かが命じることもないまま、それぞれが動くべき先へと向かっていく。
その流れを崩さないことが、この場の役割だった。
エリシアは静かにカップを置いた。
その小さな動きに合わせるように、場の呼吸がひとつ整う。誰かが席を立つ気配が生まれ、別の誰かがそれを受ける。
終わりを告げる言葉はない。
けれど、茶会は最初からそうであったかのように、ゆるやかにほどけていった。
最後のひとりを見送ったあと、部屋には静けさだけが残る。
余韻というよりも、何も残していない軽さに近い静けさだった。
それでよかった。
廊下へ出ると、空気がわずかに変わる。
人の気配が遠ざかり、足音だけが小さく響く中で、窓の外の光はすでに夕方の色へと移り始めていた。
エリシアは足を止めずに進む。
迷う必要はなかった。
扉の前で軽く手をかけ、短く叩くと、間を置かずに内側から声が返る。
「どうぞ」
そのまま扉を開ける。
フェリクスは机に向かっていたが、エリシアの姿を認めると一度だけ視線を上げ、それ以上は何も言わなかった。
エリシアは部屋の中へ入り、静かに扉を閉める。
外と内の空気がゆるやかに切り分けられ、室内の静けさが落ち着く。
しばらくは、紙をめくる音だけが続いた。
言葉を交わさなくても、不足はない。
やがて、フェリクスがふと顔を上げる。
「今日は、どうだった」
その問いは、確かめるためのものではなかった。
エリシアは手を止める。
「穏やかでした」
短い返答だったが、それで足りる。
フェリクスはわずかに口元を緩める。
「それが一番だな」
それだけで、会話は終わる。
余計な言葉は続かない。
エリシアは再び視線を落とし、静かに手元へ意識を戻す。
窓の外では、夕方の光がゆっくりと落ちていく。
ここでは、何かを示す必要がない。
どこまで踏み込むかも、どこで止めるかも、言葉にせずとも共有されている。
その静けさの中で、時間だけが滞りなく進んでいく。
エリシアはペンを取り、迷いなく次の一行を書き足した。
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(13件)
あなたにおすすめの小説
幼馴染が夫を奪った後に時間が戻ったので、婚約を破棄します
天宮有
恋愛
バハムス王子の婚約者になった私ルーミエは、様々な問題を魔法で解決していた。
結婚式で起きた問題を解決した際に、私は全ての魔力を失ってしまう。
中断していた結婚式が再開すると「魔力のない者とは関わりたくない」とバハムスが言い出す。
そしてバハムスは、幼馴染のメリタを妻にしていた。
これはメリタの計画で、私からバハムスを奪うことに成功する。
私は城から追い出されると、今まで力になってくれた魔法使いのジトアがやって来る。
ずっと好きだったと告白されて、私のために時間を戻す魔法を編み出したようだ。
ジトアの魔法により時間を戻すことに成功して、私がバハムスの妻になってない時だった。
幼馴染と婚約者の本心を知ったから、私は婚約を破棄します。
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。
パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。
将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。
平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。
根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。
その突然の失踪に、大騒ぎ。
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
完結 この手からこぼれ落ちるもの
ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。
長かった。。
君は、この家の第一夫人として
最高の女性だよ
全て君に任せるよ
僕は、ベリンダの事で忙しいからね?
全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ
僕が君に触れる事は無いけれど
この家の跡継ぎは、心配要らないよ?
君の父上の姪であるベリンダが
産んでくれるから
心配しないでね
そう、優しく微笑んだオリバー様
今まで優しかったのは?
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
あまり好きな言葉ではないが「どっちもどっち」が正しく当てはまる2人でしたね。
察してちゃん主人公が苦手なのもありますが。