私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊

文字の大きさ
20 / 25

第20話|通告

私は夫を執務室へ呼んだ。

屋敷の奥にあるその部屋は、昼でも少し薄暗い。分厚い帳簿と地図に囲まれた空間で、私はこれまで何度も家の運営を整えてきた。今日整えるのは、別のものだ。

「改まって何だ」

夫は椅子に腰を下ろしながら言う。

私は立ったまま告げた。

「離縁いたします」

笑いかけた口元が止まり、やがて消える。

「……本気か」

「本気です」

間を置かない。

「あなたは公に、跡取りを考え直すと仰いました」

「軽口だ」

「当主の軽口で、屋敷は揺れます」

私は静かに続ける。

「愛人の子が本邸に出入りしている」

夫の視線がわずかに動く。

「離れではなく本邸。教育係もつき、食卓にも同席する。あれを客人扱いとお考えなら、屋敷の者の目を甘く見すぎています」

沈黙が落ちる。

私は言葉を重ねる。

「愛人を本邸に迎える準備も進んでおりますね。部屋の改装、侍女の配置換え。屋敷の采配は私の役目です。知らぬはずがありません」

夫は苛立ったように言う。

「それがどうした」

「暗黙の了解があるということです」

私はようやく一歩踏み出す。

「あなたは既に、愛人の子を後継候補として扱っている。だから本邸に入れる」

否定は来ない。

「他を置くのであれば、契約通り、ルイは侯爵家へ戻します」

夫が立ち上がる。

「ルイは嫡子だ」

「嫡子が“比較される立場”にある時点で、安定はありません」

私は声を荒げない。

「あなたが揺らがぬと示す前に、揺らぐ可能性を示したのです」

机を叩く音が響く。

「私は廃すると言ったわけではない!」

「選び直すと仰った」

事実だけを返す。

私は続ける。

「私は侯爵家の一人娘です。本来ならば侯爵家の跡取りでした」

夫の目が細くなる。

「公爵家が望んだ。王家の血を取り込むために。だから私は嫁いだ。その代わりに交わした契約がある。“公爵家の跡継ぎ以外は侯爵家へ戻す”」

言葉は淡々としている。

だが、逃げ道はない。

「あなたが他を選ぶ可能性を公に示した以上、私は契約を履行するだけです」

夫は初めて黙り込む。

怒りではなく、計算の顔だ。

何を失うのか、今さら数え始めている。

「慰謝料は求めません。持参金も置いて参ります。公爵家の体面も守ります」

「なぜそこまで——」

「私は家を壊しに来たのではありません」

静かに言う。

「私の子を、揺らぐ地位から下ろすだけです」

長い沈黙。

空気が重い。

ようやく夫が言う。

「……本当に出ていくのか」

「はい」

「後悔するぞ」

私はわずかに首を傾ける。

「後悔は、揺らいだ側がするものです」

初めて、夫の呼吸が乱れた。

私は一礼する。

「正式な手続きは追ってお伝えいたします」

扉へ向かう。

背後から、遅れて声が落ちる。

「待て」

私は振り返らない。

揺らいだのは跡取りだけではない。

家そのものだ。

その音を背に、私は執務室を後にした。
感想 35

あなたにおすすめの小説

夫は私を愛していないそうなので、遠慮なく離婚します。今さら引き止められても遅いです

藤原遊
恋愛
王妃付き護衛騎士である夫に、「お前を愛したことはない」と告げられた。 理由は単純。 愛などなくても、仕事に支障はないからだという。 ──そうですか。 それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね。 王妃の機嫌、侍女たちとの関係、贈り物の選定。 夫が「当然のように」こなしていたそれらは、すべて私が整えていたもの。 離婚後、少しずつ歯車は狂い始める。 気づいたときにはもう遅い。 積み上げてきた信用は、静かに崩れていく。 一方で私は、王妃のもとへ。 今さら引き止められても、遅いのです。

わたくしは、すでに離婚を告げました。撤回は致しません

絹乃
恋愛
ユリアーナは夫である伯爵のブレフトから、完全に無視されていた。ブレフトの愛人であるメイドからの嫌がらせも、むしろメイドの肩を持つ始末だ。生来のセンスの良さから、ユリアーナには調度品や服の見立ての依頼がひっきりなしに来る。その収入すらも、ブレフトは奪おうとする。ユリアーナの上品さ、審美眼、それらが何よりも価値あるものだと愚かなブレフトは気づかない。伯爵家という檻に閉じ込められたユリアーナを救ったのは、幼なじみのレオンだった。ユリアーナに離婚を告げられたブレフトは、ようやく妻が素晴らしい女性であったと気づく。けれど、もう遅かった。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

七年目の裏切り 〜赴任先の夫から届く愛の手紙は、愛人の代筆でした〜

恋せよ恋
恋愛
「君は僕の最愛だ。もう二度と、君を危険に晒したくない」 命懸けの出産後、涙を流して私を抱きしめた夫ジュリアン。 その言葉通り、彼は「私を大切にするため」に夜の営みを断った。 私は、女としての寂しさを「愛されている誇り」に変え、 隣国へ赴任した夫を信じて二人の子供と家を守り続けていた。 毎週届く、情熱的な愛の手紙。タイプライターで綴られた その愛の言葉を、私は宝物のように抱きしめていた。 ……しかし、その手紙は「裏切り」だった。 夫が異国の地で、愛人と肌を重ねながら綴らせていた「偽りの愛」。 身分を隠して夫の赴任先の隣国へと向かった私が見たのは……。 果たして、貞淑な妻・メラニアが選んだ結論は……。 子供たちのため結婚生活の継続か、それとも……。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります

せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。  読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。 「私は君を愛することはないだろう。  しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。  これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」  結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。  この人は何を言っているのかしら?  そんなことは言われなくても分かっている。  私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。  私も貴方を愛さない……  侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。  そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。  記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。  この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。  それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。  そんな私は初夜を迎えることになる。  その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……    よくある記憶喪失の話です。  誤字脱字、申し訳ありません。  ご都合主義です。  

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……