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第13話 収まるべき場所
決定は、静かに下された。
公に宣告されるものではなく、あくまで内部の配置換えとして扱われたが、その意味を理解する者にとっては十分だった。
ロイドは、王妃付き護衛騎士から外された。
代わりに与えられたのは、王城付きの一般任務。表向きは負担軽減と配置の見直しという名目だが、王妃殿下のすぐそばに立つ資格を外されたという事実に変わりはない。
知らせが広がったのは、朝の点呼のあとだった。
私はその場にいたわけではないが、廊下の空気で分かる。声が抑えられ、視線が交わされ、誰もはっきりとは言わないまま、理解だけが行き渡っていく。
侍女たちの間でもざわめきは小さい。
驚きはある。けれど否定はない。
それだけで十分だった。
私は手元の書簡へ視線を落とし、いつも通りに作業を進める。紙を揃え、目を通し、必要なものにだけ印をつける。手は止まらない。
ただ、ほんの少しだけ思い返す。
あの人は、もともとここに立てるだけのものを持っていた。
最初から足りなかったわけではない。ただ、支えられていたことに気づかなかっただけで、そしてそれを失ってからも、まだ気づいていない。
午前の業務が一段落したころ、エルマが静かに口を開いた。
「配置が変わるわ」
「承知しております」
「驚かないのね」
「ここ数日の流れを見れば、自然なことかと」
エルマはわずかに目を細める。
「そうね。誰か一人の失敗ではなく、積み重なった結果だから」
それ以上は言わない。
それで十分だった。
王妃殿下の側はすでに次の体制へ移っている。護衛の位置も、動線も、わずかに整え直され、新しく入った騎士は無理に前へ出ることもなく、周囲の流れに合わせて動いていた。
それだけで、場は滑らかに回る。
「今日は静かね」
午後、王妃殿下がふと仰る。
「はい。余計な滞りがございません」
エルマが答えると、王妃殿下はそれ以上何も言わず、ただ茶を口にされた。
必要なものが戻ったとき、人はそれをわざわざ褒めない。ただ、違和感が消えたことを受け入れるだけだ。
それが、いまの状態だった。
夕刻、書庫から戻る途中、回廊の端で足を止めた。
向こうから歩いてくる人影に気づいたからだ。
ロイドだった。
以前よりも簡素な制服。王妃付きの印章は外され、その立ち位置も、もうこの奥へは来ないはずの場所だった。
すれ違う距離で、彼が口を開く。
「……エレノア」
私は足を止める。
「はい」
「少し、時間をもらえるか」
断る理由はない。
「構いません」
人の少ない回廊へ移ると、しばらくのあいだ、言葉は出てこなかった。
やがてロイドが口を開く。
「……あのときは、言い方が悪かった」
私は何も言わず、その続きを待つ。
「結婚生活を軽んじたつもりはない。ただ——」
そこで言葉が途切れる。
その先を、私は静かに引き取った。
「余計なものだと、そう言いましたね」
ロイドの表情が強張る。
「それは、仕事に集中するための判断で——」
「ええ、分かっています」
遮るでもなく、ただ言葉を置く。
「ですが、結婚生活を“余計なもの”と切り捨てた時点で、そこに愛情はありません」
わずかに息が詰まる気配がした。
ロイドは何も言わない。
「違いますか」
問いかけても、答えは返ってこない。
沈黙が、そのまま答えだった。
「あなたの中でどう言い換えられても構いませんが、少なくとも、私にはそう聞こえました」
少しだけ間を置く。
「そして、それで十分です」
ロイドの視線が揺れて、言葉は返ってこない。
私は続ける。
「申し訳ありません」
声は静かだった。
「今さら戻る理由がありませんので」
ロイドは何も言わなかった。
引き止めも、否定もない。ただ、何かをようやく理解し始めたような顔で、そこに立っているだけだった。
私は軽く頭を下げ、そのまま歩き出す。
呼び止められることはなかった。
回廊を抜け、中庭へ出る。
夕暮れの光が石畳に落ち、風がゆるやかに通り抜けていく。
足を止めることなく、そのまま自室へ戻った。
机に向かい、明日の予定を整える。書簡を並べ、必要なものだけを手元に残す。
無駄がない。
足りないものもない。
すべてが、あるべき場所に収まっている。
ふと、手が止まる。
あの夜の言葉が、静かに浮かんだ。
余計なことに気を取られたくない。
あのときは、それが正しいのだと思った。
けれど今なら分かる。
余計だったのではない。
ただ、必要だと理解されていなかっただけだ。
それでも、もういい。
必要とされない場所に戻る理由はないし、必要とされる場所が、いまここにある。
王妃殿下のもとで働く日々は、忙しくはあるが、無駄がない。なにより、誰かの影ではなく、自分の働きとして積み重なっていく。
それだけで十分だった。
部屋の中は静かで、整っている。
今さら引き止められても、遅い。
自立して歩き出した私にとっても、彼は余計なものだった。
公に宣告されるものではなく、あくまで内部の配置換えとして扱われたが、その意味を理解する者にとっては十分だった。
ロイドは、王妃付き護衛騎士から外された。
代わりに与えられたのは、王城付きの一般任務。表向きは負担軽減と配置の見直しという名目だが、王妃殿下のすぐそばに立つ資格を外されたという事実に変わりはない。
知らせが広がったのは、朝の点呼のあとだった。
私はその場にいたわけではないが、廊下の空気で分かる。声が抑えられ、視線が交わされ、誰もはっきりとは言わないまま、理解だけが行き渡っていく。
侍女たちの間でもざわめきは小さい。
驚きはある。けれど否定はない。
それだけで十分だった。
私は手元の書簡へ視線を落とし、いつも通りに作業を進める。紙を揃え、目を通し、必要なものにだけ印をつける。手は止まらない。
ただ、ほんの少しだけ思い返す。
あの人は、もともとここに立てるだけのものを持っていた。
最初から足りなかったわけではない。ただ、支えられていたことに気づかなかっただけで、そしてそれを失ってからも、まだ気づいていない。
午前の業務が一段落したころ、エルマが静かに口を開いた。
「配置が変わるわ」
「承知しております」
「驚かないのね」
「ここ数日の流れを見れば、自然なことかと」
エルマはわずかに目を細める。
「そうね。誰か一人の失敗ではなく、積み重なった結果だから」
それ以上は言わない。
それで十分だった。
王妃殿下の側はすでに次の体制へ移っている。護衛の位置も、動線も、わずかに整え直され、新しく入った騎士は無理に前へ出ることもなく、周囲の流れに合わせて動いていた。
それだけで、場は滑らかに回る。
「今日は静かね」
午後、王妃殿下がふと仰る。
「はい。余計な滞りがございません」
エルマが答えると、王妃殿下はそれ以上何も言わず、ただ茶を口にされた。
必要なものが戻ったとき、人はそれをわざわざ褒めない。ただ、違和感が消えたことを受け入れるだけだ。
それが、いまの状態だった。
夕刻、書庫から戻る途中、回廊の端で足を止めた。
向こうから歩いてくる人影に気づいたからだ。
ロイドだった。
以前よりも簡素な制服。王妃付きの印章は外され、その立ち位置も、もうこの奥へは来ないはずの場所だった。
すれ違う距離で、彼が口を開く。
「……エレノア」
私は足を止める。
「はい」
「少し、時間をもらえるか」
断る理由はない。
「構いません」
人の少ない回廊へ移ると、しばらくのあいだ、言葉は出てこなかった。
やがてロイドが口を開く。
「……あのときは、言い方が悪かった」
私は何も言わず、その続きを待つ。
「結婚生活を軽んじたつもりはない。ただ——」
そこで言葉が途切れる。
その先を、私は静かに引き取った。
「余計なものだと、そう言いましたね」
ロイドの表情が強張る。
「それは、仕事に集中するための判断で——」
「ええ、分かっています」
遮るでもなく、ただ言葉を置く。
「ですが、結婚生活を“余計なもの”と切り捨てた時点で、そこに愛情はありません」
わずかに息が詰まる気配がした。
ロイドは何も言わない。
「違いますか」
問いかけても、答えは返ってこない。
沈黙が、そのまま答えだった。
「あなたの中でどう言い換えられても構いませんが、少なくとも、私にはそう聞こえました」
少しだけ間を置く。
「そして、それで十分です」
ロイドの視線が揺れて、言葉は返ってこない。
私は続ける。
「申し訳ありません」
声は静かだった。
「今さら戻る理由がありませんので」
ロイドは何も言わなかった。
引き止めも、否定もない。ただ、何かをようやく理解し始めたような顔で、そこに立っているだけだった。
私は軽く頭を下げ、そのまま歩き出す。
呼び止められることはなかった。
回廊を抜け、中庭へ出る。
夕暮れの光が石畳に落ち、風がゆるやかに通り抜けていく。
足を止めることなく、そのまま自室へ戻った。
机に向かい、明日の予定を整える。書簡を並べ、必要なものだけを手元に残す。
無駄がない。
足りないものもない。
すべてが、あるべき場所に収まっている。
ふと、手が止まる。
あの夜の言葉が、静かに浮かんだ。
余計なことに気を取られたくない。
あのときは、それが正しいのだと思った。
けれど今なら分かる。
余計だったのではない。
ただ、必要だと理解されていなかっただけだ。
それでも、もういい。
必要とされない場所に戻る理由はないし、必要とされる場所が、いまここにある。
王妃殿下のもとで働く日々は、忙しくはあるが、無駄がない。なにより、誰かの影ではなく、自分の働きとして積み重なっていく。
それだけで十分だった。
部屋の中は静かで、整っている。
今さら引き止められても、遅い。
自立して歩き出した私にとっても、彼は余計なものだった。
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