愛を選んだ夫と離縁しました。本物の聖女である私は娘と南国で暮らします

藤原遊

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第19話「国のために」

封を切ったあと、リリアーナはしばらく言葉を読まずに立っていた。

紙は厚く、王家の正式な書状に使われるものだった。
筆跡は王自身のものではない。だが文面の構え方から、王の意向がそのまま写されていることはわかる。

庭には潮の風が流れている。
遠くで波が砕け、ソフィアが石を並べて遊ぶ音が小さく聞こえていた。

リリアーナはようやく目を落とし、文面を読み進めた。

書状は簡潔だった。
形式を整えた挨拶のあと、すぐ本題に入る。

王国の結界が揺らいでいること。
魔導士団が補助調律で維持していること。
その負担が増え続けていること。

そして最後に、はっきりと書かれている。

――聖女リリアーナに、帰還を願う。

リリアーナは読み終えると、静かに紙を折りたたんだ。

その様子を、門の外に立つ使者がじっと待っている。
男はまだ頭を下げたままだった。

「中へ」

リリアーナは門を開け、短く言った。

使者は一瞬驚いたように顔を上げ、それから深く礼をする。

「失礼いたします」

家の中は簡素だった。

港町の商人が以前使っていた家を、そのまま借りている。
王城の客間と比べれば、家具も壁もずっと質素だ。

それでも窓から海が見える。

使者は椅子に座ることを勧められ、慎重に腰を下ろした。

リリアーナは向かいに座る。

書状は机の上に置いたままだ。

「陛下のご意向は、すでに読ませていただきました」

使者は姿勢を正した。

「では……」

期待が滲んだ声だった。

リリアーナはそれを遮らず、少しだけ間を置いてから言った。

「状況は理解いたしました」

それだけでは、返答にならない。

使者はすぐ続ける。

「結界の補助調律は、魔導士団が交代で続けております。しかし――」

言葉が一瞬詰まる。

「……疲労が大きく、このままでは長く保たない可能性があります」

リリアーナは静かに聞いていた。

使者は続ける。

「辺境では魔物の動きも活発になり、交易路にも影響が出始めております。王都の市場でも、すでに価格の上昇が見られ――」

そこまで言って、言葉を選び直す。

「陛下も、苦渋の決断でこの書状を送られました」

リリアーナは小さく頷いた。

「ええ」

その声には否定も皮肉もない。

ただ事実を受け止めた響きだった。

「私も、苦渋でした」

使者は言葉を失う。

リリアーナは書状に手を置いた。

「王城を出ると決めたときも、簡単な決断ではありませんでした」

海風が窓から入り、紙の端がわずかに揺れる。

使者は慎重に言葉を選んだ。

「……ですが今、国が必要としているのは貴女です」

リリアーナは答えない。

代わりに窓の外を見た。

庭ではソフィアが、小さな貝殻を並べている。

その背中をしばらく見つめてから、ゆっくり視線を戻した。

「返答は」

リリアーナは静かに言う。

「明日お伝えいたします」

使者は一瞬戸惑ったが、すぐ頭を下げた。

「承知いたしました」

その言葉で、この場の会話は終わった。

使者が去ったあと、家の中は再び静かになる。

リリアーナは机に置かれた書状をもう一度開いた。

読み直す必要はない。

内容は、すでに理解している。

それでも紙を見つめながら、しばらく動かなかった。

庭からソフィアの声が聞こえる。

「お母さま!」

リリアーナは顔を上げた。

ソフィアが手のひらを見せる。

小さな白い貝殻だった。

「きれい」

リリアーナは椅子から立ち上がる。

そしてゆっくり庭へ出た。

返事は、まだ決めていない。

だが、その時は近い。
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