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第20話「お断りいたします」
翌朝、海は穏やかだった。
窓から入る潮の風が部屋の空気をゆっくり動かし、机の上の紙の端をかすかに揺らしている。
リリアーナは椅子に座り、王家から届いた書状をもう一度開いた。内容はすでに理解している。結界の揺らぎ、魔導士団の負担、そして帰還の要請。どの行も、昨日読んだときと変わらない。
読み終えると、紙を丁寧に整えて机の上に置いた。
そのまましばらく動かなかった。
庭からソフィアの声が聞こえる。
振り向くと、娘が小さな貝殻を両手で持って立っていた。白い殻に、薄い桃色が混じっている。
「きれいでしょう?」
「ええ、きれいですね。割れやすいから、箱に入れておきましょう」
ソフィアは頷き、小さな木箱を開けて貝殻をしまう。その様子を見ながら、リリアーナは静かに立ち上がった。答えはすでに決まっている。
昼前、門の外に王家の使者が現れた。昨日と同じ男だった。家へ通すと、使者は深く頭を下げた。
「お返事を伺いに参りました」
リリアーナは椅子を勧め、自分も向かいに座る。
「陛下の書状は拝読しました」
使者の表情がわずかに緩む。
「では――」
「状況も理解しております。結界の補助調律を魔導士団が続けていること、負担が増えていること、辺境の警備や交易路にも影響が出ていること。書状にはすべて書かれていました」
使者は静かに頷いた。
リリアーナは机の上の書状に手を置き、そのまま言葉を続ける。
「ですが、順にお答えします。まず、離縁は正式に成立しています。私は王家の人間ではありません」
使者は何か言いかけたが、口を閉じた。
「そして、聖女も解任されているため、私は一貴族に過ぎません。
しかし、王都から出るよう当時の王太子から要請され、受領しました。
いま私が戻れば“都合で戻れる前例”になります。今日、国のために戻ることを許せば、明日は別の理由で呼び戻されるかもしれません。決まりは、一度曲げれば元には戻らないものです」
窓の外で波の音が聞こえる。
「それは、次の聖女を苦しめます。次の王家も苦しめます。だから――」
リリアーナは少しだけ言葉を止めた。
「決まりを曲げるのは、簡単です」
使者が顔を上げる。
「戻れと言うのも、簡単です」
沈黙が落ちた。
使者はその意味を理解している。彼自身が、国の事情を背負ってその言葉を持ってきたのだから。
リリアーナは静かに結論を告げた。
「復帰は辞退いたします」
言葉は短かったが、迷いはなかった。
使者はしばらく黙っていたが、やがて深く頭を下げた。
「……承知いたしました。陛下には、私から必ず」
使者が帰ったあと、家の中は再び静かになった。
リリアーナは机に戻り、返答の書面を書き始める。王家への正式な返書だった。文面は簡潔に整え、復帰要請を辞退する旨を丁寧に記す。
書き終えると紙を折り、封筒に入れる。
封蝋を溶かし、封の上に落とし、印章を押す。
赤い封蝋に紋章が浮かび上がった。
そのとき、庭からソフィアの声が聞こえる。
「お母さま、きのうの貝、まだあるよ」
リリアーナは振り向き、小さく笑った。
「ええ。大事にしまっておきましょう」
机の上の封書を一度だけ見てから、リリアーナは娘の方へ歩いていった。
窓から入る潮の風が部屋の空気をゆっくり動かし、机の上の紙の端をかすかに揺らしている。
リリアーナは椅子に座り、王家から届いた書状をもう一度開いた。内容はすでに理解している。結界の揺らぎ、魔導士団の負担、そして帰還の要請。どの行も、昨日読んだときと変わらない。
読み終えると、紙を丁寧に整えて机の上に置いた。
そのまましばらく動かなかった。
庭からソフィアの声が聞こえる。
振り向くと、娘が小さな貝殻を両手で持って立っていた。白い殻に、薄い桃色が混じっている。
「きれいでしょう?」
「ええ、きれいですね。割れやすいから、箱に入れておきましょう」
ソフィアは頷き、小さな木箱を開けて貝殻をしまう。その様子を見ながら、リリアーナは静かに立ち上がった。答えはすでに決まっている。
昼前、門の外に王家の使者が現れた。昨日と同じ男だった。家へ通すと、使者は深く頭を下げた。
「お返事を伺いに参りました」
リリアーナは椅子を勧め、自分も向かいに座る。
「陛下の書状は拝読しました」
使者の表情がわずかに緩む。
「では――」
「状況も理解しております。結界の補助調律を魔導士団が続けていること、負担が増えていること、辺境の警備や交易路にも影響が出ていること。書状にはすべて書かれていました」
使者は静かに頷いた。
リリアーナは机の上の書状に手を置き、そのまま言葉を続ける。
「ですが、順にお答えします。まず、離縁は正式に成立しています。私は王家の人間ではありません」
使者は何か言いかけたが、口を閉じた。
「そして、聖女も解任されているため、私は一貴族に過ぎません。
しかし、王都から出るよう当時の王太子から要請され、受領しました。
いま私が戻れば“都合で戻れる前例”になります。今日、国のために戻ることを許せば、明日は別の理由で呼び戻されるかもしれません。決まりは、一度曲げれば元には戻らないものです」
窓の外で波の音が聞こえる。
「それは、次の聖女を苦しめます。次の王家も苦しめます。だから――」
リリアーナは少しだけ言葉を止めた。
「決まりを曲げるのは、簡単です」
使者が顔を上げる。
「戻れと言うのも、簡単です」
沈黙が落ちた。
使者はその意味を理解している。彼自身が、国の事情を背負ってその言葉を持ってきたのだから。
リリアーナは静かに結論を告げた。
「復帰は辞退いたします」
言葉は短かったが、迷いはなかった。
使者はしばらく黙っていたが、やがて深く頭を下げた。
「……承知いたしました。陛下には、私から必ず」
使者が帰ったあと、家の中は再び静かになった。
リリアーナは机に戻り、返答の書面を書き始める。王家への正式な返書だった。文面は簡潔に整え、復帰要請を辞退する旨を丁寧に記す。
書き終えると紙を折り、封筒に入れる。
封蝋を溶かし、封の上に落とし、印章を押す。
赤い封蝋に紋章が浮かび上がった。
そのとき、庭からソフィアの声が聞こえる。
「お母さま、きのうの貝、まだあるよ」
リリアーナは振り向き、小さく笑った。
「ええ。大事にしまっておきましょう」
机の上の封書を一度だけ見てから、リリアーナは娘の方へ歩いていった。
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