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ルナ離宮にカティアを迎え入れてから、早くも数週間が経過していた。
教育は順調だった――いや、順調という言葉では足りないかもしれない。
驚くべき速度で、カティアはあらゆる学問を吸収していった。
語学も、計算も、歴史も、地理も。
たった数度の講義で要点を把握し、翌日には完璧に自分のものにしている。
「……通常の子供の倍どころか、三倍近い速度でございますな」
ノルベルトが報告書を読み上げる声に、思わず私は満足げに頷いた。
「ふふ……やはり、私の目に狂いはなかったな」
「殿下の慧眼、見事にございます」
ノルベルトも、もはや苦笑すら浮かべずに手放しで称賛している。
「……イレーネからの追加報告もございます」
「ほう?」
「カティア様がどのように知識を身につけていたのか――詳しく調査させましたところ、後宮の出入り商人や下働きの者たちと日常的に会話していたようです。正式な教師も師範もおらぬ環境で、耳学問だけであの水準に達したと」
「……鬼才というほかないな」
私は思わず低く呟いた。
身分も庇護もない少女が、口伝えの断片情報を繋ぎ合わせて体系的な知識に昇華させた――
並の才では到底たどり着けるものではない。
「イレーネも大した情報収集力だな」
「彼女もまた、殿下に拾われた孤児でございますゆえ……主に似て才幹を示しております」
「褒め言葉として受け取っておこう」
私は微笑を浮かべた。
◇ ◇ ◇
だが、一方で気掛かりもあった。
後宮の現状――特に、カティアが生まれ育った鉱石宮の状況である。
「……ノルベルト。例の調査は?」
「はい。調べた限り、後宮の下層区画では、親を失った王女殿下方の生活が特に劣悪であることが判明しております」
ノルベルトは静かに書簡を差し出した。
「衣服の支給も不安定、医療も最低限、教育など皆無に近く……後宮上層からの監督も実質形骸化しております」
私は目を細めた。
「……国王陛下に上申しよう。これは制度そのものに手を入れるべき段階だ」
「畏まりました」
王子は十に達すると軍務や学問院へ移されるが――
王女はそうではない。その差が放置されれば、後宮はますます腐敗するだけだ。
「改革は必要だ……。後宮の歪みは早期に正さねば、いずれ大きな歪みとなる」
静かに呟く私を見て、ノルベルトは少しだけ口元を緩めた。
「殿下は昔から、放っておけぬお性分でございますからな」
「それが外交官の性というものだ」
私は肩を竦める。
◇ ◇ ◇
執務を終えた私は、包みを片手にカティアの部屋へ向かった。
「カティア」
部屋の扉をノックすると、イレーネがぱっと顔を覗かせた。
「殿下、お疲れ様です! どうぞお入りください」
中に入ると、カティアが静かに立ち上がり、控えめに頭を下げた。
「……お疲れ様でございます、殿下」
「ふふ。勉学の進捗は順調のようだな。ご褒美だよ」
私は包みを差し出した。
「王都でも評判の店だ。新作の焼き菓子だと聞いてね」
カティアは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに控えめに受け取った。
「……ありがとうございます。頂戴いたします」
イレーネが隣で嬉しそうに微笑む。
カティアも、僅かにではあるが――その唇に柔らかな笑みが浮かんでいた。
私はその様子を静かに見つめながら、心の中で小さく安堵していた。
(少しずつ――少しずつだ)
警戒の壁は厚い。だが、亀裂は着実に広がり始めている。
教育は順調だった――いや、順調という言葉では足りないかもしれない。
驚くべき速度で、カティアはあらゆる学問を吸収していった。
語学も、計算も、歴史も、地理も。
たった数度の講義で要点を把握し、翌日には完璧に自分のものにしている。
「……通常の子供の倍どころか、三倍近い速度でございますな」
ノルベルトが報告書を読み上げる声に、思わず私は満足げに頷いた。
「ふふ……やはり、私の目に狂いはなかったな」
「殿下の慧眼、見事にございます」
ノルベルトも、もはや苦笑すら浮かべずに手放しで称賛している。
「……イレーネからの追加報告もございます」
「ほう?」
「カティア様がどのように知識を身につけていたのか――詳しく調査させましたところ、後宮の出入り商人や下働きの者たちと日常的に会話していたようです。正式な教師も師範もおらぬ環境で、耳学問だけであの水準に達したと」
「……鬼才というほかないな」
私は思わず低く呟いた。
身分も庇護もない少女が、口伝えの断片情報を繋ぎ合わせて体系的な知識に昇華させた――
並の才では到底たどり着けるものではない。
「イレーネも大した情報収集力だな」
「彼女もまた、殿下に拾われた孤児でございますゆえ……主に似て才幹を示しております」
「褒め言葉として受け取っておこう」
私は微笑を浮かべた。
◇ ◇ ◇
だが、一方で気掛かりもあった。
後宮の現状――特に、カティアが生まれ育った鉱石宮の状況である。
「……ノルベルト。例の調査は?」
「はい。調べた限り、後宮の下層区画では、親を失った王女殿下方の生活が特に劣悪であることが判明しております」
ノルベルトは静かに書簡を差し出した。
「衣服の支給も不安定、医療も最低限、教育など皆無に近く……後宮上層からの監督も実質形骸化しております」
私は目を細めた。
「……国王陛下に上申しよう。これは制度そのものに手を入れるべき段階だ」
「畏まりました」
王子は十に達すると軍務や学問院へ移されるが――
王女はそうではない。その差が放置されれば、後宮はますます腐敗するだけだ。
「改革は必要だ……。後宮の歪みは早期に正さねば、いずれ大きな歪みとなる」
静かに呟く私を見て、ノルベルトは少しだけ口元を緩めた。
「殿下は昔から、放っておけぬお性分でございますからな」
「それが外交官の性というものだ」
私は肩を竦める。
◇ ◇ ◇
執務を終えた私は、包みを片手にカティアの部屋へ向かった。
「カティア」
部屋の扉をノックすると、イレーネがぱっと顔を覗かせた。
「殿下、お疲れ様です! どうぞお入りください」
中に入ると、カティアが静かに立ち上がり、控えめに頭を下げた。
「……お疲れ様でございます、殿下」
「ふふ。勉学の進捗は順調のようだな。ご褒美だよ」
私は包みを差し出した。
「王都でも評判の店だ。新作の焼き菓子だと聞いてね」
カティアは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに控えめに受け取った。
「……ありがとうございます。頂戴いたします」
イレーネが隣で嬉しそうに微笑む。
カティアも、僅かにではあるが――その唇に柔らかな笑みが浮かんでいた。
私はその様子を静かに見つめながら、心の中で小さく安堵していた。
(少しずつ――少しずつだ)
警戒の壁は厚い。だが、亀裂は着実に広がり始めている。
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