【完結】辺境伯令嬢は敵国の将軍に嫁ぎます 〜戦場で命を賭した幼馴染と政略結婚〜

藤原遊

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第4章 氷の婚礼

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朝は鈍く曇っていた。
窓の外に広がる空は灰色で、陽光は薄い靄にかき消され、地上に届く光はわずかだった。
その陰鬱な光に照らされながら、エリシアーナはゆっくりと寝台から身を起こした。

身体の痛みはまだ残っていた。
深く息をすれば胸の奥が軋み、肩には重みがある。
だが、もう歩くことはできる。
医師は「傷は塞がった。出血の心配はない。ただ、跡は残るだろう」と言い残し、深く頭を下げて去っていった。

その言葉は、救いであると同時に呪いのようでもあった。
生き延びたことは奇跡。だが、もう二度と元の身体には戻れない。
その現実が、冷たく胸に突き刺さっていた。

扉が開く音がした。
母アデライドが静かに入ってくる。
戦で荒れた日々を共に過ごしてもなお気高く、美しかったはずの人の瞳は、いま涙で赤く濡れていた。

「……無理をしていないでしょうね」

声は震えていた。

エリシアーナは小さな笑みを浮かべた。

「大丈夫です。もう痛みもありません」

「嘘を……」

母は唇を噛み、視線を逸らした。
「どうして、あなたが……」
絞り出すように呟き、涙が頬を伝った。
「あなたはこの地を守るために命を削ったのに、国はそのあなたを敵に差し出す……私は許せない」

エリシアーナはその手を取り、そっと握った。

「母様……私は選んだのです。だから泣かないで」

「泣くなという方が無理でしょう……」

アデライドは震える声で答え、娘の手を強く握り返した。

背後から声がかかった。

「姫様。私もご一緒いたします」

マルグリットが歩み寄り、深く頭を下げる。
その目は赤く腫れていたが、声には揺らぎがなかった。

「どこへ行かれようとも、私の務めは変わりません。命に代えても、お傍に」

続いて、ブリギッテが片膝をついた。

「アーデンであろうと、私は姫様の盾です。必ずお守りいたします」

二人の言葉に、エリシアーナの胸は熱くなった。

「……ありがとう。あなたたちがいてくれるのなら、心強いわ」

口にした言葉とは裏腹に、不安は胸を離れなかった。
敵国へ嫁ぐ。それは、和平が揺らげば真っ先に命を奪われる立場だ。
人質でしかないのだから。

だが、心の奥で小さな灯が揺れていた。
――もしかしたら。
――これは幼い日の約束が、歪んだ形で果たされるということなのかもしれない。

「大きくなったら、レオンのお嫁さんになるね」

花冠を抱いて笑った自分の声が、脳裏に蘇る。
あの約束が、いま実現しようとしている。
喜ぶべきことなのか、罰なのか。
その答えはまだ出せない。

だが、心のどこかでほんのわずかに浮き立つ気持ちを、否定することはできなかった。

その日、ヴァレンシアの街は沈痛な空気に包まれていた。
領民が道の両脇に並び、頭を垂れて見送る。
誰も声を上げない。すすり泣きと風の音だけが響く。

馬車の扉が開かれた。
エリシアーナは一歩、二歩と歩みを進める。
胸の奥に広がるのは恐怖と、かすかな希望。
彼の隣に立てるかもしれないという思いと、その彼に憎まれているという痛みが、ないまぜになって胸を締め付ける。

振り返れば、母が涙を流し、マルグリットとブリギッテが毅然と立っていた。
その姿を目に焼き付け、エリシアーナは馬車に乗り込んだ。

車輪が軋みを上げ、石畳を進む音が街に響く。
和平の代償を背に、エリシアーナはアーデンへの道を歩み始めた。
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