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第9話 結末
公爵と顔を合わせる機会は、いつの間にかほとんどなくなっていた。
同じ屋敷にいながら、互いに時間をずらすように動いているのが分かるが、それが意図されたものかどうかを確かめる必要はなく、実際に言葉を交わすこともほとんどないまま、日々はそのまま過ぎていく。
ある日、廊下で行き合う。
距離が縮まっても、どちらも足を止めないまま、すれ違いざまにわずかな声だけが落ちた。
「……体調は」
私は足を緩めることなく、ほんのわずかに視線だけを向ける。
「問題ございません」
短く返すと、それ以上の言葉は生まれないまま、公爵はそのまま通り過ぎ、私も振り返ることなく歩みを続ける。
それで関係は足りていた。
屋敷を出ると、迎えの馬車がすでに整えられており、私は迷うことなく乗り込む。王宮へ向かう道は変わらず、石畳の振動と流れていく景色の中で思考を巡らせる必要もなく、ただ一定の速度で時間が進んでいく。
通されたのは、いつもの応接の部屋だった。
王弟はすでにそこにおり、私が礼を取ると短く頷いたあと、ほんのわずかに視線を和らげる。
「今日は早いな」
「ええ。思っていたよりも、早く片付きましたので」
そう答えると、王弟の表情がかすかに緩み、示された席に腰を下ろした私は、向かい合う形を取ることなく自然と隣に近い位置に落ち着く。その距離は並ぶほど近くはないが、かといって隔てるものもなく、言葉を重ねずとも間が途切れない程度には十分に保たれていた。
互いに無理に言葉を探すことはない。
それでも沈黙は重くならず、必要なやり取りだけが適切な間隔で交わされる。
「……無理はしていないか」
不意に落ちた問いに、私は視線を向ける。
「問題ございません。むしろ、落ち着いております」
そう答えると、王弟はそれ以上問うことなく頷き、そのまま空気は自然に落ち着いたものへと戻る。
私はカップに手を伸ばし、温度の残る茶を口に含む。喉を通る感覚に合わせて、張りつめていたものがわずかにほどけ、ごく自然な形で口元が緩むのを自覚する。
視線を上げると、王弟の目がこちらを捉えていた。
何も言わない。
ただ静かに見ている。
私はその視線を受け止め、ほんのわずかに目を細めて応じる。
それ以上の言葉は必要なかった。
やがて時間が過ぎ、私が立ち上がると、王弟もそれに合わせて動く。
「そろそろ、失礼いたします」
「送ろう」
その言葉に、私はわずかに笑みを含ませる。
「……ありがとうございます」
断る理由はない。
王弟は当然のように歩き出し、私もそれに並ぶ。廊下に出ると、控えていた者たちの空気が静かに整い、王弟が自ら並び、その隣に私がいるという配置だけで、余計な言葉を交わさずとも十分に意味が伝わる。
一定の距離を保ったまま歩き、触れ合うことはないが、その距離は誰の目にも明確だった。
玄関口に着くと馬車が整えられており、王弟はそこで足を止める。
「また来い」
短い言葉だった。
「はい」
私は一礼し、そのまま馬車に乗り込む。
扉が閉じられる直前、外に立つ姿が一瞬だけ視界に入り、そのまま馬車は静かに動き出す。
同じ道を辿る。
変わったものと、変わらないものがある。
私は窓の外に視線を向ける。
――私はもう、都合のいい妻ではありませんので。
同じ屋敷にいながら、互いに時間をずらすように動いているのが分かるが、それが意図されたものかどうかを確かめる必要はなく、実際に言葉を交わすこともほとんどないまま、日々はそのまま過ぎていく。
ある日、廊下で行き合う。
距離が縮まっても、どちらも足を止めないまま、すれ違いざまにわずかな声だけが落ちた。
「……体調は」
私は足を緩めることなく、ほんのわずかに視線だけを向ける。
「問題ございません」
短く返すと、それ以上の言葉は生まれないまま、公爵はそのまま通り過ぎ、私も振り返ることなく歩みを続ける。
それで関係は足りていた。
屋敷を出ると、迎えの馬車がすでに整えられており、私は迷うことなく乗り込む。王宮へ向かう道は変わらず、石畳の振動と流れていく景色の中で思考を巡らせる必要もなく、ただ一定の速度で時間が進んでいく。
通されたのは、いつもの応接の部屋だった。
王弟はすでにそこにおり、私が礼を取ると短く頷いたあと、ほんのわずかに視線を和らげる。
「今日は早いな」
「ええ。思っていたよりも、早く片付きましたので」
そう答えると、王弟の表情がかすかに緩み、示された席に腰を下ろした私は、向かい合う形を取ることなく自然と隣に近い位置に落ち着く。その距離は並ぶほど近くはないが、かといって隔てるものもなく、言葉を重ねずとも間が途切れない程度には十分に保たれていた。
互いに無理に言葉を探すことはない。
それでも沈黙は重くならず、必要なやり取りだけが適切な間隔で交わされる。
「……無理はしていないか」
不意に落ちた問いに、私は視線を向ける。
「問題ございません。むしろ、落ち着いております」
そう答えると、王弟はそれ以上問うことなく頷き、そのまま空気は自然に落ち着いたものへと戻る。
私はカップに手を伸ばし、温度の残る茶を口に含む。喉を通る感覚に合わせて、張りつめていたものがわずかにほどけ、ごく自然な形で口元が緩むのを自覚する。
視線を上げると、王弟の目がこちらを捉えていた。
何も言わない。
ただ静かに見ている。
私はその視線を受け止め、ほんのわずかに目を細めて応じる。
それ以上の言葉は必要なかった。
やがて時間が過ぎ、私が立ち上がると、王弟もそれに合わせて動く。
「そろそろ、失礼いたします」
「送ろう」
その言葉に、私はわずかに笑みを含ませる。
「……ありがとうございます」
断る理由はない。
王弟は当然のように歩き出し、私もそれに並ぶ。廊下に出ると、控えていた者たちの空気が静かに整い、王弟が自ら並び、その隣に私がいるという配置だけで、余計な言葉を交わさずとも十分に意味が伝わる。
一定の距離を保ったまま歩き、触れ合うことはないが、その距離は誰の目にも明確だった。
玄関口に着くと馬車が整えられており、王弟はそこで足を止める。
「また来い」
短い言葉だった。
「はい」
私は一礼し、そのまま馬車に乗り込む。
扉が閉じられる直前、外に立つ姿が一瞬だけ視界に入り、そのまま馬車は静かに動き出す。
同じ道を辿る。
変わったものと、変わらないものがある。
私は窓の外に視線を向ける。
――私はもう、都合のいい妻ではありませんので。
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