29 / 69
28
しおりを挟む
冬が終わり、王都にもようやく春の気配が訪れはじめた。
朝靄の中に漂う土と草の香り。屋根の雪は溶け、小川の流れが細く澄んで聞こえるようになった。
だが、心地よい季節の訪れとは裏腹に、城内の空気は日増しに重く、冷たくなっていた。
「臨時徴税案が、議会に正式提出されました」
エドガーの報告に、リリーナは手にしていた茶杯を静かに置いた。
春の陽光が射し込む書斎の中、微かに震える影が机の上に落ちている。
「戦火がこちらに届いてから、まだ二ヶ月も経っていないのに……」
書面に目を通す彼女のまなざしは、静かに、だが鋭く細められていた。
『第一王子殿下の遠征を支えるために』――その一文に、意図が凝縮されている。
「今、この国のすべてが“戦”に巻き込まれているという既成事実を、作り出したいのね」
カミラが椅子に腰を下ろし、長い脚を組み替えながら吐き捨てるように言った。
「名分は立ってるわ。戦費。防衛。王族の安全。どれも否定できない。だからこそ、厄介なのよ」
「そして、徴税の範囲があまりに広い」
リリーナは静かに続ける。
「王都の商人、職人、下層貴族。――かろうじて冬を越した者たちの財布に、今、手を伸ばす」
「彼らが不満を持つのは当然です。しかも、第一王子の“名の下に”課されるとなれば、悪感情はあっという間に膨れ上がります」
エドガーの声もまた、静かながら憂いを含んでいた。
「……兄上はそれを望んでいないわ」
リリーナは胸元に手を添える。
薄絹の内側、アクアマリンの魔石がぬくもりを保ったまま、彼女の胸の鼓動を感じていた。
「兄上は、誰よりも“騎士”であろうとする方。民に剣を向けるようなことは、決して本意じゃない」
「でも、貴族たちは動いている。彼の名前を盾に、己の望む国を築こうとしている」
カミラの口調に、わずかな焦燥が滲んだ。
リリーナは椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
早咲きの白い花が、城の中庭にぽつぽつと開き始めていた。
春は確かに来ている。けれど、それは決して穏やかなものではなかった。
「……代案を出しましょう」
その声は、あくまで静かで、優美だった。
けれどカミラも、エドガーも、その言葉の奥に秘められた意志の強さに気づいていた。
「国境の交易路を通る商隊に、安全保障と引き換えの通行税を課す。輸送隊を軍が護衛する代わりに、適切な協力金を。名分も立つし、民の生活には手を出さずに済む」
「その代わりに、奨学基金からの食料補助を継続。中堅層が過剰に搾られるのを防ぐ」
「あなた……最初からここまで想定してたの?」
カミラが半ば呆れたように言うと、リリーナは小さく笑った。
「兄上が戦場に立ったその日から、私は民衆の盾になると決めたわ。ユリアンのためにも、王家のためにも。……そして、兄上の名誉のためにも」
窓の向こうに、白い花が風に揺れている。
その美しさは、どこか儚く、しかし確かに希望のように見えた。
朝靄の中に漂う土と草の香り。屋根の雪は溶け、小川の流れが細く澄んで聞こえるようになった。
だが、心地よい季節の訪れとは裏腹に、城内の空気は日増しに重く、冷たくなっていた。
「臨時徴税案が、議会に正式提出されました」
エドガーの報告に、リリーナは手にしていた茶杯を静かに置いた。
春の陽光が射し込む書斎の中、微かに震える影が机の上に落ちている。
「戦火がこちらに届いてから、まだ二ヶ月も経っていないのに……」
書面に目を通す彼女のまなざしは、静かに、だが鋭く細められていた。
『第一王子殿下の遠征を支えるために』――その一文に、意図が凝縮されている。
「今、この国のすべてが“戦”に巻き込まれているという既成事実を、作り出したいのね」
カミラが椅子に腰を下ろし、長い脚を組み替えながら吐き捨てるように言った。
「名分は立ってるわ。戦費。防衛。王族の安全。どれも否定できない。だからこそ、厄介なのよ」
「そして、徴税の範囲があまりに広い」
リリーナは静かに続ける。
「王都の商人、職人、下層貴族。――かろうじて冬を越した者たちの財布に、今、手を伸ばす」
「彼らが不満を持つのは当然です。しかも、第一王子の“名の下に”課されるとなれば、悪感情はあっという間に膨れ上がります」
エドガーの声もまた、静かながら憂いを含んでいた。
「……兄上はそれを望んでいないわ」
リリーナは胸元に手を添える。
薄絹の内側、アクアマリンの魔石がぬくもりを保ったまま、彼女の胸の鼓動を感じていた。
「兄上は、誰よりも“騎士”であろうとする方。民に剣を向けるようなことは、決して本意じゃない」
「でも、貴族たちは動いている。彼の名前を盾に、己の望む国を築こうとしている」
カミラの口調に、わずかな焦燥が滲んだ。
リリーナは椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
早咲きの白い花が、城の中庭にぽつぽつと開き始めていた。
春は確かに来ている。けれど、それは決して穏やかなものではなかった。
「……代案を出しましょう」
その声は、あくまで静かで、優美だった。
けれどカミラも、エドガーも、その言葉の奥に秘められた意志の強さに気づいていた。
「国境の交易路を通る商隊に、安全保障と引き換えの通行税を課す。輸送隊を軍が護衛する代わりに、適切な協力金を。名分も立つし、民の生活には手を出さずに済む」
「その代わりに、奨学基金からの食料補助を継続。中堅層が過剰に搾られるのを防ぐ」
「あなた……最初からここまで想定してたの?」
カミラが半ば呆れたように言うと、リリーナは小さく笑った。
「兄上が戦場に立ったその日から、私は民衆の盾になると決めたわ。ユリアンのためにも、王家のためにも。……そして、兄上の名誉のためにも」
窓の向こうに、白い花が風に揺れている。
その美しさは、どこか儚く、しかし確かに希望のように見えた。
3
あなたにおすすめの小説
喚ばれてないのに異世界召喚されました~不器用な魔王と身代わり少女~
浅海 景
恋愛
一冊の本をきっかけに異世界へと転移してしまった佑那。本来召喚されて現れるはずの救世主だが、誰からも喚ばれていない佑那は賓客として王宮に留まることになった。異世界に慣れてきたある日、魔王が現れ佑那は攫われてしまう。王女の代わりに攫われたと思い込んだ佑那は恩を返すため、身代わりとして振舞おうとする。不器用な魔王と臆病な少女がすれ違いながらも心を通わせていく物語。
呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する
香月文香
恋愛
月の明るすぎる夜、公爵令嬢のイリーシャは、双子の弟が殺される場面に遭遇する。弟を殺めたのは、義理の兄である「呪われた子」のユージンだった。恐怖に震えながら理由を問うイリーシャに、彼は甘く笑いながら告げる。
「きみを愛しているからだよ」
イリーシャは弟の地位を奪い公爵家当主となったユージンと結婚することに。
ユージンは重すぎる愛でもってイリーシャを溺愛するが、彼女は彼を許せなくて——。
ヤンデレに執着された発狂寸前ヒロインによる愛と憎悪の反復横跳び。
※他サイト(小説家になろう・魔法のiらんど)にも掲載しています
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
バイトの時間なのでお先に失礼します!~普通科と特進科の相互理解~
スズキアカネ
恋愛
バイト三昧の変わり者な普通科の彼女と、美形・高身長・秀才の三拍子揃った特進科の彼。
何もかもが違う、相容れないはずの彼らの学園生活をハチャメチャに描いた和風青春現代ラブコメ。
◇◆◇
作品の転載転用は禁止です。著作権は放棄しておりません。
DO NOT REPOST.
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~
浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。
御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。
「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」
自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。
【完結】これはきっと運命の赤い糸
夏目若葉
恋愛
大手商社㈱オッティモで受付の仕事をしている浅木美桜(あさぎ みお)。
医師の三雲や、経産省のエリート官僚である仁科から付き合ってもいないのに何故かプロポーズを受け、引いてしまう。
自社の創立30周年記念パーティーで、同じビルの大企業・㈱志田ケミカルプロダクツの青砥桔平(あおと きっぺい)と出会う。
一目惚れに近い形で、自然と互いに惹かれ合うふたりだったが、川井という探偵から「あの男は辞めておけ」と忠告が入る。
桔平は志田ケミカルの会長の孫で、御曹司だった。
志田ケミカルの会社の内情を調べていた川井から、青砥家のお家事情を聞いてしまう。
会長の娘婿である桔平の父・一馬は、地盤固めのために銀行頭取の娘との見合い話を桔平に勧めているらしいと聞いて、美桜はショックを受ける。
その上、自分の母が青砥家と因縁があると知り……
━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
大手商社・㈱オッティモの受付で働く
浅木 美桜(あさぎ みお) 24歳
×
大手化粧品メーカー・㈱志田ケミカルプロダクツの若き常務
青砥 桔平(あおと きっぺい) 30歳
×
オフィスビル内を探っている探偵
川井 智親(かわい ともちか) 32歳
男装獣師と妖獣ノエル 2~このたび第三騎士団の専属獣師になりました~
百門一新
恋愛
男装の獣師ラビィは『黒大狼のノエル』と暮らしている。彼は、普通の人間には見えない『妖獣』というモノだった。動物と話せる能力を持っている彼女は、幼馴染で副隊長セドリックの兄、総隊長のせいで第三騎士団の専属獣師になることに…!?
「ノエルが他の人にも見えるようになる……?」
総隊長の話を聞いて行動を開始したところ、新たな妖獣との出会いも!
そろそろ我慢もぷっつんしそうな幼馴染の副隊長と、じゃじゃ馬でやんちゃすぎるチビ獣師のラブ。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ」「カクヨム」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる