君と運命になっていく

やらぎはら響

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「あんたなんて産むんじゃなかった!」

 中絶しなかったらそりゃ産まれるだろう。
 ヒステリックな叫び声に町田伊織は内心独り言ちた。
 額がしっかりと出た黒いベリーショートの髪の下で、伊織の瞳が目の前の人物をそっと眺める。
 真正面からまっすぐには見ない。
 顔をまっすぐに見れば不機嫌になって癇癪を起こすからだ。
目線を向けた先には三十代後半にしては若々しい女が、緩やかにウェーブした茶色のロングヘアーを振り乱して罵詈雑言を言っている。
着ているワンピースは大柄な花模様で派手だ。
やたら白い肌と黙っていれば綺麗に整った顔立ちである母の爽子(さわこ)が呼吸のために言葉を途切れさせた。

「病院の時間だから」

 そのタイミングをこれ幸いとばかりに伊織は背中にある玄関の扉を後ろ手に開けて急いで外に出た。

「なんであんたなんかいるの!」

 背中を罵声が追いかけてくるけれど、無情に音を立てて閉まった玄関扉がさえぎった。

(そんなこと俺に言われてもな)

 家を出ていいならとっくに出ているのに、二十歳になっても家を出ることは許さないときつく制限しているのは爽子自身だ。
 母の罵倒もいつものことと、寒風に身を晒しながらさっさと歩き出す。
 一月も中旬になればすっかり年始の浮かれ具合も落ち着いている。
 年が明けても相変わらずの爽子の様子を思い出し、自分の母親は相も変わらず苛烈な人間だなと感心する。
 口を開けば産むんじゃなかったと自分を罵倒する母に、伊織は肩をすくめた。

「もういちいち傷つかない俺って図太いなあ」

 何はともあれ今日は通院日だ。
 伊織はさっさと通いなれた個人クリニックへと向かうべく足を動かす。
 途端にくらりと視界が一瞬回って、立ち止まった。
 眩暈の気持ち悪さはすぐにおさまった。
 視界が戻ったことにほっとする。

「うーん、吐き気もだけど眩暈も酷くなってるな」

 貧血に似た眩暈が頻繁にあることが正直鬱陶しい。
ついでに断続的に吐き気がずっと続いているのも辟易する。
 どうにかならないかなと思いながらまた歩き出した。
 自宅から十五分の個人クリニックはそれなりの大きさの白い建物だ。
建物に入って受付を済ませると、予約をしてあるのですぐに名前が呼ばれた。
診察室に入ると、物心ついたときから主治医をしている松島が座っている。
 細身で猫背のこの医者は母の幼馴染らしい。
 伊織の認識では幼馴染というより愛人関係だと思っているけれど。
 伊織に父親はいないけれど、母が働くことなく生活出来ているのは松島からの金があるからだ。
 一緒に暮らすわけでもないのに爽子へ金を渡している。
伊織と爽子の生活は、松島がすべて面倒をみていた。
多分肉体関係もある。
 二人の間に恋人というような甘やかさはないので、伊織は愛人関係なんだろうと認識していた。

「やあ伊織君、具合はどうだい?」
「悪くなるばっかりですね。吐き気がずっとあるから食べる気しないし、貧血みたいな眩暈も多いです」

 伊織は持病があるらしい。
 らしいというのは、詳細を一切知らされていないからだ。
 爽子が言うには生まれつきらしく、欠かさず薬を飲むようにとこのクリニックに通うことを厳命されているけれど、病名や詳しい病状は知らなくていいと教えてもらえていない。
 松島に何度か尋ねたけれど、爽子の許可がなければ教えられないと取り合ってもらえなかったので、知ることは諦めた。
 なのに中学二年になるまでは一切病状がなかったので、本当に自分が病気なのか疑問だった。
 薬を飲み忘れれば爽子が烈火のごとく怒るので毎日飲んでいたけれど、自分では必要とは思えなかった。
 そもそも伊織を蛇蝎のごとく嫌っているのに、薬にうるさいのが不思議で仕方ない。
 ただ中学二年生になってから、だんだん吐き気や眩暈が出るようになってきてようやく病気なのだと自覚した。
それ以来、症状は年々酷くなる一方だった。

「伊織君は今二十歳だっけ?」
「そうです。夏で二十歳になりました」
「そう、か」

 松島はどこか目線をさまよわせて、落ち着かない様子だった。
 ここ数ヶ月ずっと何だか挙動がソワソワしている。

「十八の時は成人式に行かなかったよね。今年は行ったの?」
「行ってないですよ。スーツとかないし、友達もいないし」

 昔から友達を作ると爽子がヒステリーを起こしていた。
 学校が終われば即帰宅させて、遊びには行かせない。
 学校で仲のいい子を作っても相手の家に電話をして罵詈雑言をわめく。
 そんなことになれば誰も話しかけなくなるのは当たり前で、二十歳になるまでのあいだに出来た友人はゼロだ。
 頑張って交流をしてもあとから母の暴言によって遠巻きにされるなら、最初から仲良くしない方が平穏だと悟った。

「……あいかわらずお小遣い制?」
「そうですね」

 あっさり頷くと、松島はわずかに目を伏せた。
 今はバイトをしているけれど、伊織にお金を持たせることを嫌がった爽子に通帳も銀行カードも取られていて、毎月五千円だけ渡される。
 もし友人がいたとしても、まともに交流が出来ないだろうなと伊織は思っていた。
 そのバイト先だって、進学も就職も反対されたので知人の紹介で始めようとした定食屋だったけれど、人前に出るのは許さないと爽子が店に猛抗議をした。
 結果的に店主が人前でなければいいだろうと皿洗いや店じまい作業なんかの裏方を提案してくれたのが幸いして、なんとかバイトを始められたのだ。
 松島はどこか痛ましげに伊織を見るけれど、爽子を止めてくれたことは一度もない。
 愛人が子供に何をしようとどうでもいいのだろうと伊織は思っている。

「そうか……今日は終わりだよ」
「はい。薬はいつも通りですか?」

 診察はいつも問診だけなので一分もあれば終わる。
 薬は変わったことはないけれど、一応毎回の診察と同じように尋ねると、松島はぴくりと肩を震わせた。
 そのままじっと伊織を見つめてくる。
 今日は本当にいつもと違うなと思う。
 どこか怯えているようにも気まずそうにも見えるし、伊織の顔を見ようとしない。
 ずっと視線を動かして目をあわせないようにしている。
 不思議に思っていると、松島は一度ぎゅっと目を閉じると何かを決意したような強い眼差しで首を振った。

「いや、今回から飲まなくていい」
「へ?」

思わず松島を凝視するけれど、すぐに目をそらされた。
眼鏡のせいか元々、彼とはあまり目があうことはない。
それでも今日はあからさまだった。

「次の人がいるから退室してくれるかな」
「あ、はい」

 そんなことを言われてしまえば出ていくしかない。
 伊織は腑に落ちない気持ちで椅子から立ち上がった。
 けれど物心ついたときから飲んでいた薬を飲まなくてもいいと突然言われて、伊織はチラチラと松島を見ながら立ち上がった。
 薬の作用なんかも教えてもらったことがないし、特殊な薬だからといつも薬局ではなくこの診察室で渡されていた。
 体調が悪いと言っているのに何故薬を止められたのかがわからない。
 松島を見ても唇を引き結んでいるので教えてもらえそうにない。
 その顔は強張っていて、話かけるのも戸惑われた。
 内心ため息を吐きながら伊織は診察室の扉を開いた。

「伊織君」

 呼ばれて肩越しに振り返る。
 呼び止めた松島はこちらを見てはいなかった。
 膝の上にある手がぎゅっと握りしめられている。

「……すまない」

 小さな声が聞こえるか聞こえないかで呟かれる。
 謝られる理由がわからないけれど、出ていくように言われているので聞き返すのもはばかられて、伊織はそのまま診察室を出て行った。
 受付に戻って支払いをしてクリニックを出た。
今度はバイト先へと歩き始めて、ブルッと寒さで体が震えた。
 吐き気のせいであまり食事が出来ないから、伊織は体に肉がついてない。
そのせいか寒さには弱かった。
マフラーをしてくればよかったと思いつつ、松島のことを考える。
 何だか思い詰めているように見えたし、何故か薬も出されなかった。

「余命決まっちゃったとかじゃないよね」

 嫌な想像をついしてしまう。
 ただでさえ病名も何も教えてもらえないので、不安はあった。

「薬出さないって、これ以上体調悪くなるの嫌なんだけどな」

 断続的に吐き気があるのはとてもしんどい。
 眩暈も頻度が上がっているし、酷いときは数分立てなくなる。
 思わず眉根を寄せていたけれど、前方から歩いてきた人物に伊織はふっと表情を緩めた。

「花ちゃん」
「おや、伊織じゃないか」

 快活な声で答えたのは七十代ほどの女だった。
年の割には曲がっていない腰が溌剌としていて、長い白髪をキッチリと後ろでまとめている。
顔見知りの老婆は今日も元気そうで、伊織は満足気に笑った。

「病院かい?」
「そう、いつも通り」
「ふん……家もいつも通りかい?」

 じっとさぐるように見つめられて、伊織は肩をすくめてみせた。

「まあね。今日も産むんじゃなかったって言われた」

 あっけらかんと伝えれば、あからさまに花の眉が寄った。

「勝手なものだね」
「ね!自分が産んじゃったんだから、俺に色々言われても困るなって。産んでなんて頼んでないのに」

 あからさまにため息を吐いてみせると、花が呆れたように片眉をしかめた。

「強く生きなとは言ったけど、そこまで開き直る必要はないよ」
「花ちゃんの教育の賜物だよ」

 へらりと笑う。
 村雨花(むらさめはな)は一人暮らしをしているご近所さんだ。
 伊織が小さい頃、爽子が癇癪を起こして怒鳴られて一人放置されているところに声をかけてくれた。
その後はよく家へと招いて避難させてくれた恩人だ。
 爽子は伊織に人が関わることに厳しかったけれど、花のことは気にしていなかった。
 何か基準があるのかは知らないけれど、何も言われないことをこれ幸いと伊織は花に懐いた。
 今じゃ唯一、知人として関わりのある人物だ。
 小さい頃は今みたいに開き直ることも出来ず、いつも泣いていたけれど、そのたびに。

『産まれた以上幸せになることを考えな』
『子供なんて迷惑かけてなんぼなんだよ』

 と花に言い聞かせられてきた。
 おひとり様を心底楽しんで、趣味に生きる花に伊織はたくさん面倒を見てもらった。
 おかげで自分は必要のない人間だと悲愴な自己否定をしなくなったし、図々しい人間になれたと思っている。

「本屋行ってたの?」

 花は手に本屋のロゴが入った袋を持っていた。
 どこかほくほくとした顔で花が頷く。

「ああ、リルト・クランベルの新刊が発売されたからね」

 花が欠かさず買っている作家の名前を口にしたことで、伊織は笑った。
何冊か花に借りて読んだことがあるけれど、確かに面白かったので伊織も気に入りの作家だ。

「海外作家じゃ一押しだね。ジャンルも幅広いし」
「俺も好きだよ。親日家なんでしょ」
「ああ、たまにそういったことが作品に出てくると嬉しくなるね」

 推し作家の話に花が活き活きとしている。

「今からバイトかい?」

 問われて、そうだと頷きかけたらクラリと目が回った。
 いつもの眩暈かと思ったけれど、どんどん酷くなって地面がぐるりと回る。

「伊織!」

 花の焦る声が聞こえるけれど、立っていられないと思った時には地面に倒れて意識が遠ざかっていった。




 小さな白い部屋。
ここは入院用の病室だと目が覚めてから言われた。
どうやら二日も寝ていたらしい。
聞いたときは驚いた。
その部屋にあるベッドの上で、伊織はポカンとまぬけに口を開いていた。

「は?」
「ですから町田さん、あなたはオメガなんです」

 目が覚めたら病院だった。
何とか眩暈は収まっていてほっとしたけれど、吐き気はうっすらある。
病室に現れた主治医だという女医から簡単な診察を受けたあと、日下部と名乗った彼女はベッド横にある椅子へ座って大事な話があると言った。
茶色い癖毛を一つに結んだ恰幅のいい四十代ほどの外見はおっとりとした雰囲気で安心感がある。
 大人しく頷くと日下部に言われた言葉は入院が決まっていることと、伊織がオメガだという驚愕の言葉だ。

「え、オメガって……」
「町田さんはバースについてどれくらいの知識がありますか?」

 うろたえながらも何とか記憶のなかをひっくり返した。
 バースやオメガなんて単語は中学の時の保健体育で体の構造について聞いたとき以来だ。

「オメガが子供産めるのと、アルファと番になるってことくらいしか」

 なるほどと日下部は頷いた。
 そして簡単に説明しますねと言われたので大人しくこくりと首を縦に振る。
 バースと呼ばれる第二性別には一般的なベータ、発情期があり男でも女でも妊娠できるオメガ、能力が高くオメガと番になれるアルファがいる。
 オメガとアルファはフェロモンを持っていて、それはベータにはわからない。
 簡単な説明に伊織はこくこくと頷いた。
 伊織はそのなかでもベータの筈だ。
 オメガなら発情期が第二次性徴でくるはずだけれどそんなものはなかったし、フェロモンなんかも感じたことはない。
 かといってアルファとも診断を受けたことはないし、何か秀でた能力なんてない。
ベータで間違いない筈だ。
 そんな伊織の考えに気づいたのか、日下部が手に持っていたタブレットに一度視線を落として眉を下げた。

「町田さんが倒れて運ばれる前に警察に通報がありました」
「通報?」
「あなたの主治医だった松島医師が偽の診断をして、無断で薬を処方し飲ませていたと電話してきたんです」

 思わぬ言葉に伊織は目を見張った。
 確かに何の説明もない薬を飲むように言われていたけれど、それは病気だからだった筈だ。

「あの、でも確かにずっと体調悪くて、そのための薬だって」
「その体調不良は飲んでいた薬が原因です。処方されていたのは強い抑制剤、つまりオメガ性を抑えつけるものです。あなたはオメガにも関わらずオメガとして成長しないように抑制されていたんです」

 日下部の言葉は考えたこともなかった内容で、伊織は唇を震わせながらぎゅっとシーツを握りしめた。

「嘘でしょ」
「薬はいつから飲んでましたか?」
「物心つく頃から飲んでました……」

 日下部があからさまに眉根を寄せた。
 強い抑制剤と言っていたから、あまりよくない薬だったのかもしれないと少し不安に思う。

「それだけ長い間、しかも小さい頃から強い抑制剤を飲んでいたのなら、支障が出て当たり前です。バース性は産まれた時の検査でわかっても、第二次性徴が始まるまでは抑制剤なんて必要ないものなのに」

 はあと日下部が重い溜息を吐き出した。
 そもそも抑制剤を飲むこともなるべく避けるべきことだと言われ、伊織はかすかに眉尻を下げた。

「ええと、つまり、本当は俺は健康だった?」
「そうです」

 ハッキリ頷かれて、いつものとは違う意味で眩暈を起こしそうだと思った。
 展開が急すぎてついていけない。

「松島医師は自首して捕まりました」
「うわあ……あの、何でそんなことを?」
「それは別の方から説明がありますので、交代しますね」

 どこか気づかわし気な視線を伊織に向けてから、日下部は立ち上がって病室の扉を開けた。
 外にいるらしい人物と二言、三言話して出ていってしまう。
 入れ替わりに入って来たのはスーツを着た三十代後半くらいの女性だった。
 黒髪を肩口で切りそろえていて、無表情にぺこりと一礼してくる。
 慌てて伊織も頭を下げると、ベッド横の日下部が座っていた椅子に腰を下ろした。

「世界バース保護機関の日本支部に所属している望月と申します」

 頭を丁寧に下げられて、慌てて伊織も会釈する。

「町田伊織です」
「今回は大変でしたね」

 無表情ながらも望月の声音は気遣うように温かいものだったので、伊織はほっとした。
 表情が乏しいだけなのだろう。

「あの、バース保護機関って?」
「はい。主にオメガの保護に力を入れている機関です。本当なら産まれてすぐ、遅くとも一歳までには検査をしてオメガやアルファならば当機関に登録されます。そして知識や必要なら保護なんかも提供するんです。ここまではいいですか?」

 こくりと頷く。
 そんなものがあったのかと感心した。
 ベータとして生きてきたので、まったく知らなかった。

「町田さんは本来なら産まれてすぐに検査でオメガと判明したので当機関に登録されるはずでした。しかし松島医師が言うには母親である爽子さんが産婦人科医にお金を渡してベータと届出たそうです」

 ああ、やりそう。
 思わず出そうになった言葉を飲み込んだ。
 そしてふと薬もだろうかと疑問がよぎる。

「……もしかして薬も母が?」

 尋ねると、望月は神妙な顔でひとつ頷いた。

「爽子さんに指示されて診察と薬を渡していたと自供していますが、本人が否定していることと証拠も無く立証は難しい状態です」

 すみませんと謝られたので、慌てて首を振っておいた。
 望月が謝ることではない。
 とりあえず自分がオメガなのは確定らしい。
 伊織は意識してなんとか細く深呼吸を繰り返した。
 動揺で変な声が出ないように、落ち着けと自分に言い聞かせる。

(もしかしてオメガだからあんなに嫌われてた?)

 え、何でと思う。
 詳しくはないけれど、オメガには何か大きな問題があっただろうかと考えたけれど、さっぱり思いつかなかった。

「本当なら検査などを色々して承諾のもと機関に登録してもらうけれど、特例としてすでに登録をしています。町田さんにはしばらくここで入院してもらって、体を検査することになります」

 話を聞けばここはオメガが入院する専門の病棟らしい。
 伊織自身はいつもよりちょっと大げさに倒れただけという認識なのだけれど、なんだか大がかりなことになっていて吃驚する。
 治療もしていくと言われたので、それだったら吐き気がなくなればいいなと小さく希望を抱いた。

「それでですね、町田さんには治療と並行してマッチングをしていただきたいと思っています」
「何ですそれ」
「オメガとアルファには運命の番というものがあります。遺伝子レベルで惹かれあうと言われ、一目見てわかるものです」

 そんなのがあるのかと伊織は感心した。
 アルファがオメガの項を噛んだら番になるとは聞いた事があるけれど、詳しくは知らないのだ。

「けれどアルファは人口の五パーセントに対してオメガは〇・三パーセントと言われています」
「少な!」

 思わず上げてしまった声に口を押えると、望月がそうですよねと頷いた。

「ですがアルファは本能でオメガを求めます。なのでオメガの争奪戦がおきて、オメガが不当に傷つけられないように当機関に登録いただいているのです。運命の番は遺伝子配列が大きく影響を受けるので相性のいい二人を運命の番候補として引き合わせることをマッチングといいます」
「なるほど……」

 婚活みたいなものだろうか。
 とりあえず理解したと伊織が頷くと、望月が少しだけ眉を下げた。

「検査しないとわかりませんが、町田さんはオメガとしては未発達状態です。この先もどうなるかわかりません」
「じゃあマッチング必要ないと思うんですが。むしろそんなオメガじゃアルファも嫌でしょ」
「いえ、体調も考えてアルファといた方が安定しやすいと思われます」

 そう言われてもピンとこないなと思う。
 ついでに言えば、伊織にはそういったメリットがあるかもしれないけれど、アルファ側はどうなんだろうとも。

(完全にお荷物だよなあ)

 少し眉間に皺が寄ってしまう。
 けれど望月はそれには気づいているのか気づかないふりをしているのか、さらりと爆弾発言をした。

「相性のいい番候補はすでに選出済みで、お相手も会うことに同意しています」
「え!」

 展開が早すぎる。
遺伝子配列が関係していると言ったのにそれが調べ終わっているだなんて、二日も寝ていたとはいえ仕事が出来すぎだろう。
 目を丸くして驚いても、望月の表情は淡々としていて変わらない。

「早急にマッチングをした方がいいと判断しましたので、最優先で調整させていただきました」
「あの、ちゃんと説明しました?」

 おそるおそる確認すれば、もちろんと頷かれてしまった。

「すべて説明済みで、簡単なプロフィールと事情、写真も渡しています。そしてこちらがアルファの方の資料です」

 持っていた鞄から望月が封筒を取り出して差し出した。
 用意よすぎではないかと封筒をじっと見下ろしてしまう。
 ついでに言えば自分の資料も寝てる間に用意されたということで微妙な気持ちになる。
 何が書かれたのか気になるところだ。

「お相手はとても心配されていましたし、乗り気ですよ」
「何で……」

 おそるおそる封筒を受け取ると、望月はほんのりと口角を上げた。
 基本が無表情なのでそうするとほんの少し安心する。

「アルファにとってオメガはそれだけ特別ですし、番うことは最上の幸福です」
「番うって、結婚ていうことですか?」
「番えばお互いにしかフェロモンも感じないし、オメガなら相手のアルファにしか発情しなくなります。発情期もかなり楽になりますよ。番った方は皆さん結婚もセットでされてますね」

 ますます何でこんな自分と、と困惑が広がって伊織はへにょんと眉を下げた。
 結婚よりも番うことが一大事のように聞こえるけれど、それが自分に当てはめて考えられない。
 困惑しかなくシーツを握る手にさらに力がこもった。
 力を入れすぎて白くなった手に、そっと望月の手が重ねられる。
 顔を上げると、表情は乏しいながらも眼差しはいたわりに満ちていた。

「決定権はオメガにあるので悪いようにはしません。ただ、今回だけは一度だけでも会ってもらいたいんです」
「今まで人と関わってなかったから、いきなり番とか言われても……」

 困惑したようにへにょりと眉を下げると、わかりますよと望月は頷いた。

「ベータには番の概念はありませんから、とまどいますよね」

 そうなのだ。
 いきなりオメガと言われても知識もほとんどないので、どうしたらいいかわからない。

「気負う必要はありません。体調のために顔を合わせてみるだけと思ってください」
「体調の……」

 ぽつりと零せば、力強く頷かれた。

「オメガとして心身ともにアルファの支えがあった方が楽だということは忘れないでください」

 そこまで言われたら、無碍にも出来ない。
 どのみちこれからどうしたらいいのか途方に暮れてしまうのが目に見えているので、案を提示してくれるならそれに乗っかるのもひとつだろうと結論づけた。

「……わかりました」

ほっとしたように望月がかすかに目元を緩めた。

「では日程を組みますね」

 それだけを言うと望月はぺこりと頭を下げて立ち上がり病室を出て行った。
 あとには困惑顔の伊織だけ。
 ちらりと手にある封筒を見下ろす。
 そして、うーんと唸る。

「オメガねえ……」

 ガラス窓の方に目線を向けるとベリーショートに地味な顔立ちが映っている。

「これが?」

 疑問しかない。
 世間一般的にオメガやアルファは見目がいいというイメージが強い。

「凄く普通……むしろ地味だよな」

 爽子に似ていたらまだ外見が華やかだっただろうけれど、面影が欠片もないので父親似なのだろう。
 ベータのなかでも中の下ではなかろうかと伊織は思う。

「これ、相手のアルファは写真見てないんじゃないの?」

 ありえる。
 オメガってだけで受け入れている可能性だってある。
 伊織は思わずガラスに映った自分に半眼を向けていた。

「えー……オメガは特別っていうけど俺だよ?えぇ……」

 何度も唸り声が出てしまう。

「そもそもアルファって男のイメージが強いけど男女どっちなんだろう」

 じっと封筒を見下ろした。
 けれど、特にこだわりはないなと思う。
 むしろ爽子のことがあるから、女の方が苦手かもしれない。
 うむむと唸ったけれど、封筒の表面をひと撫でしてサイドテーブルへと置いた。

「先入観は持たないように見ないでおこう」

 調査されているということは変な人間ではないだろう。

「どんな人かな」

 怖さと興味がないまぜになった感情で、伊織はポツリと呟いた。
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