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1.青天の霹靂
しおりを挟む午後十時。朝比奈光希は呼び出された会長室で告げられた言葉を静かに聞き入れた。勤務時間はもうとっくに終わっている。わざわざ会長室に呼び出されたのはここで働き出して初めての事だった。
「光希さん。急な話で申し訳ないが環奈のサポートをお願いしたいんだ」
「と言いますと……?」
「異動という形を取らせてもらおうと思っているのだが」
「え……異動、ですか?」
「仕事の覚えが早く、とても優秀だと桜木部長からは聞いているよ」
穏やかな声でそう言ったのは、ここ『零協会』の創設者であり統括責任者でもある葉月礼央(ハヅキレオ)。
齢五十を目前にしているというのに、三十代に見える程に若々しい。シワひとつない端正な顔に柔和な笑みを浮かべている。年齢不詳という言葉は正に彼の為にあるのではないかと光希は常々思っていた。
「あの……その言葉は有難いのですが、たった一年しか仕事の経験のない未熟な私がお役に立てるかは」
光希はそう言ったが、葉月会長は椅子に座ったまま口を挟む事もなく此方を見つめている。そこで何を言っても会長は折れない事を察する。
「そんなことはない。君がどれ程努力しているかは知っているよ。もっと自信を持ちなさい」
「……あ、ありがとうございます」
朝比奈光希、十九歳。身長百五十センチ、肩までの緩くウェーブのかかったブラウンの髪。もう直ぐ二十歳を迎える歳だというのに周囲からは中学生に間違えられたこともある。勉強は好きだが、運動は苦手。そんな光希は高校を卒業して直ぐに『零協会』で働くようになり一年が経った。
三年前、唯一の家族であった母を亡くし一人になった光希を今目の前にいる葉月が二つ返事で引き取ったのだ。
母は生前葉月とは知り合いで光希にもまるで本当の【父親】のように接してくれていた。そしてその一人娘である葉月環奈とは本当の姉妹のように育ったため生活の変化も特になく、行く事を諦めていた高校も無事卒業する事が出来た。何不自由のない生活を送らせてもらえている。まさに葉月会長は恩人だった。
葉月会長からは大学にも行くように勧められた光希だが断った。単純に恩返しがしたくて高校卒業して直ぐに働く事を決めていたためだ。
周囲が部活に遊びに勤しむ中、在学中にパソコンの扱いや必要と思われる資格の取得に明け暮れた。
その甲斐あって入社試験を受けた企業からは複数内定をもらえた。だが光希は何処に行こうかを決めかねていた。その時、大学進学を断った後の進路については一切口を出さなかった葉月会長が言ったのだ。
「そんなに迷う位なら、うちで働いてみないか?」
それが『特殊法人 零協会』だった。
どんな組織であるのか直接聞いた事はない。一つ屋根の下で生活していた、とは言っても葉月会長や葉月の一人娘である葉月環奈は家で仕事の話をする事が殆ど無かったためだ。
聞いてはいけない訳ではないが、何となく聞きづらくもあり光希は一人で情報を集める事にした。幸い今はパソコンやスマートフォンを駆使すれば情報収集自体は難しくない。
ものの数日で零協会に関する情報が集まった。内容を要約すると
【警察が手に負えないと判断した事件や事故の調査依頼が舞い込んでくる日本で唯一の機関】
であり、二十五年程前から不可解な事件や事故が爆発的に増え始め、従来の機関だけでは手に負えず警察との合同捜査の機会も同じように増えているとのことだ。
誰かのためになる仕事がしたい。零協会で働く母の背中を見てきてそう考えるようになっていた光希。葉月会長の言葉は正に鶴の一声となり全ての内定を辞退し提案を受けた。
配属されたのは総務部門だった。新しく協会で始まった検査を受けるために毎日長蛇の列を作る人々の受付や、電話の対応、書類の管理や整理と全てが初めてであっというまに過ぎて行った一年目はただ仕事を覚える事に没頭した。
そして二年目の今年、勿論まだ覚える事は山積みで、大変だけれどとても充実した生活を送っていた。異動の打診はその矢先の出来事だった。
「異動先は【特殊犯罪対策部門】だ」
「それはいつからですか?」
「もし受けてくれるなら、一ヶ月後を考えている。無理なら断ってくれても構わないよ。どうかな?」
「一ヶ月後……ですか」
どうかなと聞いてくれてはいるが、話の流れから面と向かって断る、という選択肢は取りにくい。しかも異動先は特殊犯罪対策部門(通称【トクハン】)と呼ばれており、零協会での所属人数が最も多く核となる部署だ。
総務部門のような裏方の部署とは違い現場での業務が大半を占めており、相応に賃金も良いが命の危険が及ぶ可能性も格段に高い。
実際に過去何人も亡くなった者がいる。今回の異動で光希が躊躇ってしまった理由はここにあり、直ぐに首を縦に振る事はどうしても出来なかった。それを察したのか葉月会長は話を続ける。
「君を現場に行かせることは無いよ。そこは安心してくれて良い」
「では、私は何を」
「君には重要書類や特殊備品の管理、後は書類の作成等々の事務作業を一手に担ってもらいたい。近くトクハンの規模を拡大しようと思っているのだが資金不足でデータ管理のシステムが未だ不完全でね。事務員が圧倒的に足りないんだ」
小さく溜息を吐き肩をすくめた葉月会長の姿を、光希は初めて見たような気がした。
季節はもう冬に差し掛かろうとする十月。正規の異動は四月だ。この時期の急な異動の打診には部署の規模拡大と管理システムの整備という相応の理由があった。
「詳しい話は君が異動を受けてくれてからに……」
「分かりました。お引き受けします」
言葉を全て聞く前に光希は答えを返した。先程現場に出る事は無いと言った葉月会長の言葉で不安な部分がクリアされた今、断るという選択肢は無くなった。少し驚いた表情になった会長は静かに念を押すよう言った。
「本当に良いのかい?」
「はい。私で力になれるのなら」
「そうか、わかった。このことは環奈に伝えておくよ。こんな時間に呼び出して申し訳なかった。寮まで送るから帰る準備が出来たらここに来なさい」
「ありがとうございます。失礼致します」
一礼して会長室を出た。扉を完全に閉めた後、ぴんと張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れ、どっと力が抜けた。
静まり返った会長室の扉の前で光希は暫く立ち尽くしていた。
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