女領主とその女中~Femme fatale~

あべかわきなこ

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死神と運命の女

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「今夜は帰ってこないんデスよ。この時間デスし、きっと飲みすぎて汽車に乗り遅れたんデス。だからマリアしゃん、もう寝ましょう?」

 ロアとライアが首都ロンディヌスに出掛けて二日目の夜。夕食を終えてからふたりの帰りをずっと居間で待っているマリアに、カメリアはおずおずとそう告げた。
 時刻は零時をとっくに回っているにも関わらず、マリアはソファーから動けずにいた。

「あなたは先に寝ていてください。私はもう少し待ちますから」
「マリアしゃん……」

 カメリアが寝床の籠に行こうか迷ってうろうろとしている最中、玄関のほうから物音がしたのをふたりは聞いた。

「!」

 マリアは即座に立ち上がり、玄関へと駆けていく。
 そこにはコート姿で佇むロアと

「ミス・ロビンソン!」

 蒼白い顔のライアが倒れており、マリアは慌てて彼女に駆け寄った。

「ロア、一体何が、」

 マリアは顔を上げて、一瞬言葉に詰まる。

 ――違う。
 そう感じた彼女は袖に隠していた暗器を手にした。
 しかしそれを見て、彼女はつまらなさげに呟いただけだった。

「家の主に武器を向けるとは無粋な侍女だな」
「……ロアは。ロアはどこです」

 マリアはデジャヴを感じていた。震えまいと堪えても、唇が震える。
 それを見透かすように、赤い眼の彼女は薄く笑みを浮かべた。

「あの金髪の小娘の術で見事に沈んだわ。根性なしな奴だったよ。しかしそれにも礼を言わねばならん。こうして私が出てこられたのだから」
「……ッ」

 マリアがクナイで彼女に斬りつける。
 しかしその悪魔は一瞬で姿を消して、マリアの背後に立ち彼女の手首をひねった。
 その動きは、もう人のものではない。
 悪魔や、アリシアが使った瞬間移動のような――本来人間が使えない能力だ。

「あがくな小娘、手首をへし折るぞ?」
「……望むところ!」

 マリアは手首を抜いて振り向きざまに再度斬りかかる。
 その一閃で、コートの一部が裂けた。

「ほう?」

 意外だったのか、彼女は少し目を見開いてから、しかしすぐに反撃した。

「っ」

 蹴り飛ばされ、マリアは壁に背中を打ち付ける。

「ま、マリアしゃん!? ななにしてるんですかロアしゃん!?」

 何が起こっているのか理解できていないカメリアが困惑の声を上げた。
 しかしマリアは即座にスカートの裾を翻し、両脚に隠していた手裏剣を取り投げつける。
 彼女はそれをかわし、今度は壁際でマリアの首を押さえつけた。

「次から次へと。殺されたいのか?」
「……それはこちらの台詞です」

 首を絞められながらも、マリアはその手を持って不敵に笑う。

「絶対に祓えないはずの貴女が表に出てきた。これは千載一遇の機会チャンスです。だから私は全身全霊で貴女を殺す、たとえこの首を折られても」

 必死の覚悟を示すマリアの眼が悪魔を射抜く。
 それでいてその瞳は煌々と、確固たる希望を灯していた。

「……ああ、そういうことか」

 そうひとりごとのように呟いて、彼女はマリアから手を離した。

「残念だな小娘。意識が前に出てきただけでこの身体はロアのものだ。お前がこの身を傷つけてもロアの身体が傷つくだけだ」
「…………信じるとでも?」
「信じないならこの腕を一本落とそうか? 私の再生力をもってしても腕をいちから生やすのはなかなかに難しいぞ?」

 そう言って彼女は腰から抜いた護身用の短剣を左手に添える。
 良く研がれているせいか、コートの生地はそれだけで裂けた。

「……やめて」
「やめてください、だろう。仮にもクロワ家の侍女だというのに躾がなっていないな」

 彼女はそう言いながらも、素直に剣を腰に戻した。はなから腕を落とす気などなかったようにも見える。

「とはいえ威勢が良いのは褒めてやろう。行儀がいいだけの女はつまらんからな」

 不遜に笑いながら彼女はそうひとりごち、

「とりあえずそこな女を客室にでも寝かせておけ。あれだけ血を流してもまだ息をしているとは不死の呪いでもかかっているのではないか?」

 難儀だな、と倒れこんでいるライアを指さして、彼女は無遠慮に屋敷の奥へと入っていく。
 数歩歩いたところでちらりとマリアのほうを振り返り、彼女は言った。

「運びえ終えたら湯を沸かせ。少し湯浴みをする。手伝え」

 その傍若無人さにマリアは開いた口が塞がらない。

「ちょっと! 貴女は一体何者なんですか!?」

 彼女ははあ、と辟易とした大きな溜息をついて、名乗った。

「私はレティシア・クロワ。この子の祖、クロワ家の礎を築いた者、そして死神の呪いを最初に受けた女だ」



 白い湯けむりの中、女はゆったりと長いその脚を組んだ。

「嗚呼。良い湯加減だ。――それにしても先刻のお前の顔、あのようにまで目をむいて驚かんでもよかろう? よもや一族を蝕んだ呪いの正体が初代の亡霊などとは思わなんだか?」

 女の言葉に、マリアは言葉を返せなかった。

「おいこらもう少し優しく髪を梳け、ひっかかっておるぞ」
「……すみません」

 バスタブに優雅に浸かる彼女の後ろで、ロングスカートの裾を結び、腕まくりをしたマリアは片膝をつき、複雑な想いで彼女の髪をブラシで梳いていた。

「せっかくだ、蔵から葡萄酒を持ってこい。お前にも相伴させてやろう」

 よく冷えた甘い白が良い、とレティシアはさらに注文をつけた。

「……お言葉ですが、入浴中の飲酒は身体に悪くお勧めしません」
「小娘のくせに頭の堅い奴だな。主人の言うことは多少の我が儘でも黙って聞くものだ、お前の主人に教えられなかったか?」

 レティシアは不満げにマリアのほうへと振り返った。

「マダム・クロワ。私は内心焦っているのです。こんなことをしている場合ではないと。貴女の目的は何なのですか?」

 マリアの真剣な顔を見て、彼女はひどく面白そうに、にやりと笑う。

「一刻もはやくロアこれを取り戻したいという顔だな。それでは私も問おう。お前はロアのなんなのだ」

 畳みかけるように、彼女はマリアの眼を覗き込み、言う。

「これは都で爵位を返すと王に言ったぞ? クロワ家の女が地位も財も手放してお前を求める意味は。価値は。お前に本当にあるのか?」

 その直球の問いに、マリアは口ごもる。
 その様を見て、レティシアは瞳を失望の色に染めた。

「答えられぬようではまったく駄目だ」

 ばしゃりと水音を立てて、レティシアは立ち上がる。
 マリアは慌ててバスタオルで彼女の裸体を覆った。

「血も落とせたことだ、お前が言うところの千載一遇の機会をやろう」
「……?」

 マリアが訝しげに見上げると、レティシアは鼻で笑った。

「私を殺したいのならば私に従え。私には悲願がある、その悲願を成就こそすれば私はこの呪いから解き放たれ、ロアにこの身体を返すこともできよう」

「……悲願? 私に何をしろと」

 マリアは眉をひそめる。そうこうしている間にレティシアが当然のように両腕を伸ばすので、仕方なく下着を身につけさせた。

「お前の誘引力を最大限に解放するのだ。上級悪魔の動きを数秒でも止められるほどの力、本来はそれこそ規格外であることを貴様自身は知らぬのか?」
「……師は、なにも」

 あえて告げなかったか、と彼女は鼻を鳴らし、重ねて問うた。

「ではなんらかの封印があるはずだ。常に手元に置いてあるものなどはないか。その師とやらからの貰い物など特に怪しい」

 マリアは胸に手をやる。衣服の下、首から提げている何の変哲もない十字架。
 マグナス神父から最初にもらった贈り物だ。

『君が礼拝堂で住まう以上はそれを身につけなければならない。お守りのようなものだから、なくさないようにね』

 言葉通りのものだとばかり思っていた。

「あるのだな。ではそれを壊せ、そうすればお前は本来の力を発揮する。我が怨敵、死神を呼び寄せることも叶うだろう」

 マリアは息を呑む。レティシアの目的は死神への復讐なのだ。
 驚きもしたが納得もした。
 アリシアがロアを特別視した理由、それは容姿がその死神ととてもよく似ていたからだ。まったくの無関係というのはありえないだろう。

 レティシアはさっとブラウスに袖を通し、スカートを引き上げた。
 衣服を整え靴を履き、彼女は居間へと向かう。

「あれは私に死の呪いを与えた張本人だ。私の命を奪うだけならまだよかったが、奴は私自身が呪いの悪魔になるようあつらえた」

 最初こそ淡々と語っていたが、次第に彼女の言葉には熱が入っていった。

「私は実体を持たぬ呪いとなって我が子に移り、そのまた子に移り、いつしか私の意識が摩耗し沈んでもなお、今代まで我が子孫を蝕んだ」

 ぎり、と彼女は歯を食いしばる。

「復讐を! 奴に復讐を果たしこの身を殺す! そのためにお前の力が必要なのだ。お前がロアを救うというのなら私の復讐に手を貸せ!」

 懇願にも似た叫び。
 マリアはレティシア・クロワという女性の、言葉にし得ない悲しみをそこに見た。
 マリアは首元からチェーンを抜く。
 銀色の十字架を改めて手に取ると、それには既にヒビが入っていた。じっと見つめていたわけではないので、いつからそうなっていたのかはわからない。けれど

(……これも運命なのでしょう)

 マリアはそう思って、手に力を籠める。
 しかし。

「――やっと見つけたわ」
「!?」

 突然現れた女の声に、レティシアとマリアは身構えた。
 そこには頬を手で押さえたままの、ドレス姿のアリシアが立っていた。

「どうしてあなたがここに」
「その女に頬をはたかれたせいで私の肌が傷ついた。どんな能力を使ってももう元にもどせない」

 アリシアが手をどけると、彼女の頬にはヒビが入っていた。
 あれは人が負うような傷ではない。陶器に入るようなヒビだ。

「こんな顔じゃあの人に会えない! どうしてくれるのよ!」

 アリシアが叫ぶと、壁に穴が空いた。

「っ癇癪持ちの幼児か」

 レティシアはそう舌打ちしたが、次の瞬間彼女の腕はあらぬ方向に曲がった。

「っ」

 レティシアは顔を歪める。

「私は立派な淑女よ! あの人に愛されるためにここまで来たの!」

 アリシアは暴走している。ここであの状態が続けば命の危険はもちろん、建物すら崩れてしまう。
 困惑するマリアと、レティシアの視線がぶつかる。
 いちかばちか。マリアは再び手に力を籠める。
 マリアの手の中で、十字架はあっけなくパキリと折れた。

「――」

 次の瞬間、空気が変わった。
 レティシアは息を呑む。
 動けないのだ。それはもはや数秒の話ではない。単に動きを封じられただけではない。内側に沸き起こるのはえもしれぬ畏怖と、敬服。

 レティシアは起源が特異な悪魔だ。だからこそこの状態でまだ耐えられる。
 しかし一端の悪魔であれば。その全てが彼女の前に膝を折り首を垂れるのではなかろうか?

 ――その時ひゅうと、一陣の風が吹きすさんだ。

 窓も開けていないこの屋敷で、そんな現象起こりうるわけがない。
 だからこそそれは、『彼』の訪れを確定させる風だった。

「……ああ」

 アリシアが感嘆の声を上げる。

「死神様」

 風と共に現れたその男は、ふと口元を綻ばせた。
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