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死神と運命の女
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ロア・ロジェ・クロワの記憶の中で、最も暗いものがあるならば、それはやはり、あの時の記憶だろう。
『お前が! お前さえいなければ! 私は幸せになれたのに!』
床を這いずる彼女だったモノは、呪いのような言葉を延々と吐き続けた。
アリシア・シドニー。
母親の顔すら知らないロアにとって、母代わりであり、姉のような存在でもあった、心から大好きだった女性の名だ。
アリシアはロアが生まれる以前、少女の頃からクロワ家に仕えたメイドだった。
ロアの母ロサリアが産後直ぐに亡くなった後は、ロアの世話係としてもよく働き、それが認められて若くしてメイド長の座をロアの父レオナルドから賜った。
アリシアは以前からレオナルドに密かに思いを寄せていた。一方で、妻と死に別れたレオナルドはそんなアリシアの想いに気付いた上で、その好意を否定しなかった。つまるところ、両者は両想いだったのだ。
けれどレオナルドには、アリシアに言えない秘密があった。
それはクロワ家の呪い、ロアの体質のことだ。
定期的に娘に血を提供していた彼は、首の噛み跡を常に隠さなければならなかった。だからアリシアとはそれ以上の関係を築けなかった。
それが発端となり、いつしかふたりの間に距離が生まれた。そんな折、アリシアはドアの隙間からレオナルドとロアのただならぬ抱擁を目撃してしまう。
もちろんそれはただの吸血行為だったのだが、アリシアには知る由もなく、否、そのときの彼女は既に平常の精神状態ではなかったのだろう。
成長したロアの容姿は母であるロサリアによく似ていた。アリシアがそれまでずっと心の奥底で抱えていたロサリアへ羨望、嫉妬、それらの負の感情がその瞬間溢れてしまったのだ。
穏やかだったアリシアは病的にヒステリックになっていき、慕われていたはずの他の使用人たちからも白い目で見られるようになった。それを見かねて、レオナルドは彼女を解雇した。
ひどく絶望した彼女の心にひとりの悪魔が付け込み、そして一気に彼女の身を蝕んだ。悪鬼と化したアリシアは、愛していたはずのレオナルドを殺害し、それに飽き足らずロアが暇を出し既に街に下りていた他の使用人たちも全て殺害した。次はお前の番だと、ロアにいわんばかりの所業だった。
「もうやめて、アリシア」
人間でなくなった彼女には、言葉なんてひとつも届かなかった。その容姿すらも以前の美しい姿とはかけ離れ、その唇からは呪いの言葉しか零れなかった。
ロアとアリシアの間には、思い出が数えきれないほど沢山あった。
人生の大半を彼女と共に過ごしてきた。ロアが熱を出した時につきっきりで看病してくれたのも彼女だ。寝る前に本を読んでくれたのも、最後までボードゲームの相手をしてくれたのも彼女だけだった。お父様には内緒ですよと微笑んで、美味しいオムレツの作り方を教えてくれたのも彼女だ。
『お前さえいなければ』
繰り返されたその言葉は、ナイフのようにロアの心に何度も刺さった。
――こんなにも最初から、私は彼女に憎まれていたんだろうか。
私は、生まれてこなければよかったんだろうか。
『絶対に、許さないわ』
それが彼女の最期の言葉。
終ぞ彼女は正気になんて戻らないまま、亡骸すら残さずこの世を去った。
「……私なんかいなければ、彼女も、あの人も、幸せになれたのに」
それはずっと、ロアが抱えていたどうしようもない後悔。
いつの間にか、ロアの身体は黒い泥の中に沈んでいく。
『私が貴女を』
あの先に光があったはずなのに、今は腕が重くて上がらない。
その黒い泥の中で、ロアは知らない青年を見た。
霧雨で煙く街の中。
佇むのは不吉なくらいに美しい、赤い髪の青年。
『幸福な貴女に呪いを差し上げます、ママン』
『……なにを、した? 私とこの子に何を……!』
……私は、知らない。
これは、誰の記憶だ?
* * *
アリシアは歓喜する。ロアの記憶の深淵でようやく『彼』を見つけたのだ。
それも、今までに見たことのない、若い彼の姿を。
「ねえ、もっと見せて、あの人は今ど」
突然、アリシアの頬が張り飛ばされた。
尋常ではない力と速さで殴られたので、アリシアの身体が吹き飛んだほどだ。
「はぁっ?」
そんな間の抜けた声が、思わず彼女の口から零れるほどに。
「……小娘が。忌々しい記憶を蘇らせよって」
舌打ち交じりに、彼女はそう吐き捨てた。
声は、ロア・ロジェ・クロワのものだった。
けれど、立ち上がったその所作は、彼女のそれとは少し違う。
洗練された淑女の気品、優雅さをもって、血に染まったドレスを揺らし、女はすらりと立ち上がった。
「……だれ、だれよ貴女!」
はたかれた頬を押さえ、アリシアが叫ぶ。
ロアの顔をしたその人は、尊大に、しかし忌々しげに名乗った。
「我が名はレティシア・クロワ。初代ボルドウ女子爵クロワ家当主にしてクロワの呪いの根源よ」
『お前が! お前さえいなければ! 私は幸せになれたのに!』
床を這いずる彼女だったモノは、呪いのような言葉を延々と吐き続けた。
アリシア・シドニー。
母親の顔すら知らないロアにとって、母代わりであり、姉のような存在でもあった、心から大好きだった女性の名だ。
アリシアはロアが生まれる以前、少女の頃からクロワ家に仕えたメイドだった。
ロアの母ロサリアが産後直ぐに亡くなった後は、ロアの世話係としてもよく働き、それが認められて若くしてメイド長の座をロアの父レオナルドから賜った。
アリシアは以前からレオナルドに密かに思いを寄せていた。一方で、妻と死に別れたレオナルドはそんなアリシアの想いに気付いた上で、その好意を否定しなかった。つまるところ、両者は両想いだったのだ。
けれどレオナルドには、アリシアに言えない秘密があった。
それはクロワ家の呪い、ロアの体質のことだ。
定期的に娘に血を提供していた彼は、首の噛み跡を常に隠さなければならなかった。だからアリシアとはそれ以上の関係を築けなかった。
それが発端となり、いつしかふたりの間に距離が生まれた。そんな折、アリシアはドアの隙間からレオナルドとロアのただならぬ抱擁を目撃してしまう。
もちろんそれはただの吸血行為だったのだが、アリシアには知る由もなく、否、そのときの彼女は既に平常の精神状態ではなかったのだろう。
成長したロアの容姿は母であるロサリアによく似ていた。アリシアがそれまでずっと心の奥底で抱えていたロサリアへ羨望、嫉妬、それらの負の感情がその瞬間溢れてしまったのだ。
穏やかだったアリシアは病的にヒステリックになっていき、慕われていたはずの他の使用人たちからも白い目で見られるようになった。それを見かねて、レオナルドは彼女を解雇した。
ひどく絶望した彼女の心にひとりの悪魔が付け込み、そして一気に彼女の身を蝕んだ。悪鬼と化したアリシアは、愛していたはずのレオナルドを殺害し、それに飽き足らずロアが暇を出し既に街に下りていた他の使用人たちも全て殺害した。次はお前の番だと、ロアにいわんばかりの所業だった。
「もうやめて、アリシア」
人間でなくなった彼女には、言葉なんてひとつも届かなかった。その容姿すらも以前の美しい姿とはかけ離れ、その唇からは呪いの言葉しか零れなかった。
ロアとアリシアの間には、思い出が数えきれないほど沢山あった。
人生の大半を彼女と共に過ごしてきた。ロアが熱を出した時につきっきりで看病してくれたのも彼女だ。寝る前に本を読んでくれたのも、最後までボードゲームの相手をしてくれたのも彼女だけだった。お父様には内緒ですよと微笑んで、美味しいオムレツの作り方を教えてくれたのも彼女だ。
『お前さえいなければ』
繰り返されたその言葉は、ナイフのようにロアの心に何度も刺さった。
――こんなにも最初から、私は彼女に憎まれていたんだろうか。
私は、生まれてこなければよかったんだろうか。
『絶対に、許さないわ』
それが彼女の最期の言葉。
終ぞ彼女は正気になんて戻らないまま、亡骸すら残さずこの世を去った。
「……私なんかいなければ、彼女も、あの人も、幸せになれたのに」
それはずっと、ロアが抱えていたどうしようもない後悔。
いつの間にか、ロアの身体は黒い泥の中に沈んでいく。
『私が貴女を』
あの先に光があったはずなのに、今は腕が重くて上がらない。
その黒い泥の中で、ロアは知らない青年を見た。
霧雨で煙く街の中。
佇むのは不吉なくらいに美しい、赤い髪の青年。
『幸福な貴女に呪いを差し上げます、ママン』
『……なにを、した? 私とこの子に何を……!』
……私は、知らない。
これは、誰の記憶だ?
* * *
アリシアは歓喜する。ロアの記憶の深淵でようやく『彼』を見つけたのだ。
それも、今までに見たことのない、若い彼の姿を。
「ねえ、もっと見せて、あの人は今ど」
突然、アリシアの頬が張り飛ばされた。
尋常ではない力と速さで殴られたので、アリシアの身体が吹き飛んだほどだ。
「はぁっ?」
そんな間の抜けた声が、思わず彼女の口から零れるほどに。
「……小娘が。忌々しい記憶を蘇らせよって」
舌打ち交じりに、彼女はそう吐き捨てた。
声は、ロア・ロジェ・クロワのものだった。
けれど、立ち上がったその所作は、彼女のそれとは少し違う。
洗練された淑女の気品、優雅さをもって、血に染まったドレスを揺らし、女はすらりと立ち上がった。
「……だれ、だれよ貴女!」
はたかれた頬を押さえ、アリシアが叫ぶ。
ロアの顔をしたその人は、尊大に、しかし忌々しげに名乗った。
「我が名はレティシア・クロワ。初代ボルドウ女子爵クロワ家当主にしてクロワの呪いの根源よ」
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