女領主とその女中~Femme fatale~

あべかわきなこ

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死神と運命の女

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「……ロア、はやく、血を摂りなさい」

 絨毯に広がっていく赤い血だまり。
 その中心に横たわりながら、父は掠れた声でそう言った。

「……そんなこと、できるわけないじゃない」

 血まみれの手を握ると、ずっと厳めしかった父の表情は、幾分かだけ柔らかくなった。
 バーガンの病院につてがあるから、輸血用の血液をもらいなさいとも父は言った。
 それでも、それでもひとりで生きていくことが辛いのなら、書斎に隠してある毒薬をと。
 それが彼の最期の言葉だった。

 このとき。最後の最後で、私は父に愛されていたのだと知った。

 満月の夜の、血に飢える苦しみをひとりで乗り越えられる自信などなかった。
 悪鬼と化し、父を殺したアリシアが、いつこの喉元を切り裂きにくるかも分からない状況を、たったひとりで耐えるなんて到底無理だと。

 どうせ、数年も経たないうちに呪いで死ぬ身だ。
 どう考えても、生きることより死を選択するほうが楽だった。
 私は父が残した毒薬の瓶を探し当て、それを握りしめた。
 ちょうどその時だ、彼女と出逢ったのは。

 窓の外に気配を感じ視線を移すと、樹にしがみついてこちらを覗う栗色の髪の少女がいた。
 私と目が合ったことに驚いたのか、彼女はバランスを崩して落下した。
 私はうろたえて、握っていた毒薬を手から滑り落とした。
 割れた瓶を気にするよりも、落っこちた彼女が気になって、私はすぐに階下に降りた。

「私を、女中として雇ってください」

 髪色と同じ、栗色の真っ直ぐな瞳で彼女は私にそう言った。
 ただの奉公志望の少女ではないだろう。それを分かった上で、あえて私は彼女を雇った。
 最初は、あまりに出来すぎたタイミングで彼女と出会ったものだから、運命に対する可笑しさと皮肉が勝っていた。けれど。

「ロア様。素敵なお名前ですね」

 少しずつ、彼女に対する関心が増えていって。

「ロア様。他に誰も人がいないからといっていつまでも寝坊しているものではありません。さあ起きて」

 彼女の優しさが心地よくて、私は少しだけ苦しみを忘れていた。
 けれどアリシアが、街に下りていた屋敷の使用人たちをひとりずつ殺害していると知って、私は慄いた。

「ここにいたら君も殺されてしまうかもしれない。だから逃げて」

 必死の懇願だったにも関わらず、彼女はいいえと首を振った。

「私は貴女を助けにきたのです。貴女を救うまで私は帰りません」
 悪魔祓いの修道女。まだあどけなさを残す彼女は、私なんかよりもずっと芯の強い女の子だった。

 かつての使用人を殺しきったアリシアが屋敷を襲撃したあの日。
 アリシアは私よりも先にマリアを狙った。
 私が新しいよりどころを得ようとしたのがきっと気に入らなかったのだろう。
 私はマリアを失いたくなくて、私が殺したも同然のアリシアを再び殺すことになった。
 私の心は、あの時からもうとうにぐちゃぐちゃに潰れて歪んでいたのだ。
 それでも。

「私が貴女を救います。貴女が正しく、人間として終われるように」

 マリアのその言葉が嬉しかった。
 この子になら、安心して「私の死」を差し出せると。
 壊れてしまった心も、きっと綺麗に終わらせてくれると思った。

 けれど本当の私はもっと浅ましくて、混濁した気持ちを抱えたまま、その先を望んでしまった。
 彼女とずっと一緒にいたいと願ってしまった。

「……そんな資格、私にはないのに」

 一点の光もない暗闇の中、私はただそう呟いた。すると。

「相っ変わらず自己肯定感の低い奴だな!」

 突然、知らない女性の声が降って来た。
 なに? と仰ぎ見ても、声の主の姿は見えない。

「そのくせ自分のことしか見ていない。お前が後悔したところで過去は変わらぬし未来も変わらんのだ、とっとと顔を上げよ」
 やや高圧的にも聞こえるその声に、私は少しだけ気後れする。

「でも、」
「すべての人間が幸せになれる世界などない、仮にあったとしたらその世界は偽物だ。あの女が幸せになる世界にお前は存在できなかった。お前があの女を殺したからこそお前は今この世界で生きているのだ。なぜそれを誇らない?」
「だって、それは、」

 私だって分かっている。この悩みは愚かしいと。ただのエゴだと。
 自分が選んだのだ、アリシアを殺すことを。マリアと生きたいということを。
 それでもやはり、私には自信がない。誰かにこの想いを、この醜くてちっぽけな存在を認めてもらわなければ耐えられない。

「ロア」

 高圧的だった女性の声が少し柔らかくなる。そして親しみを込めて私の名を呼んだ。

「私は、お前が生きていてくれて嬉しいよ。それでも駄目か?」

 ……ああ、と私は思い出す。
 この人の声は、初めて聴く声ではない。
 春のロンディヌスで、ジェフ・ウロボスに殺されたあのとき。
 私に立つ力を貸してくれた人の声だ。

「貴女は……」

 * * *

 ロアの瞼がぴくりと痙攣した。
 マリアがよく知る、午睡から目覚めたときのような仕草で、彼女は緩慢に首をもたげる。

「……、マリア?」

 ロアの口から名を呼ばれた瞬間、マリアはロアにしがみついた。

「!? マリア、どうしたの!?」

 ロアは状況が呑み込めず、とりあえず後ろに倒れぬよう足を踏ん張った。
 必死に記憶をたどり、ロアははっとする。

「! マリア、先生がアリシアにやられて大怪我を」
「ミス・ロビンソンなら客室でお休みになっています、大丈夫です、無事ですよ」
「そうなの? よかった……?」

 とはいえ理解が追い付かず、ロアは首を傾げる。そして異変に気が付いた。

「……マリア? 泣いてるの?」

 マリアの顔はよく見えなかったが、微かに肩が震えている。けれどマリアは首を振り、

「いいえ。泣いてなんていませんよ」
 そう力強く否定した。

「……ほんとに先生、ちゃんと生きてる」

 ライアが眠る客室を覗いたロアは、思わずそう呟いた。

「今はよく眠っていらっしゃいますが、ここに寝かせた時、意識はありました。呼吸も安定していますし、出血もありません。大丈夫ですよ」
「……でも誰が私達を屋敷まで運んで?」

 ロアの問いに、マリアは苦笑した。

「ロアは覚えていないんですね。王宮の方が気遣って人を出してくれたんですよ」
「……そう」
「貴女も疲れているでしょうから、今日ははやく休んではどうですか」

 ロアはマリアに言われるまま、シャワーを済ませて床に入った。

 数日空けていただけだというのに、随分久しく感じる自室のベッド。
 どこか記憶も曖昧で、腑に落ちないものを抱えながらロアが横になっていると、部屋のドアがノックされた。

「はいはい」

 どうしたの、とロアがドアを開けると、そこには髪を下ろした寝間着姿のマリアがいた。
 彼女の寝間着姿は何度も見ているのに、なぜか一瞬どきりとする。
 僅かに緊張を感じさせる硬い笑みと、不安げに揺れる瞳のせいか。
 それとも彼女が告げた言葉のせいなのか。

「……一緒に寝ても、いいですか」

 一瞬たじろぐものの、断る理由もなく、ロアはどうぞ、とマリアを部屋に招き入れた。
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