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死神と運命の女
ロアとマリア
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◇ ◇ ◇
「なんで私がまたこんな目に!」
教会ロンディヌス支部の片隅、医療班のオフィスで、エレン・テンダーは叫んだ。
「エレン、気持ちはわかるんだけど今回は僕も始末書を書かされているわけだからね? 僕の始末書は完全に君のせいだからね?」
辞令を前に頭を抱えるエレンにカフェオレを差し出しながら、トーマス・ベイカーはそう恨み言を言った。
教会本部へ向かうために使ったエンジンボートを完全に壊してしまった罰でエレンとトーマスは減給を食らい、エレンは本部の体制の立て直し要員として出向を、トーマスはボートの件の始末書を書かされる羽目になった。
「マグナスもあの女も! いつの間にか都合よく教会から脱退してるし! 減給分賠償しろ! むしろ徴収しに行こうかしら!?」
「えー、でも実質寿退社でしょ? めでたいよねえ」
トーマスはそう言って、新しい棒付きキャンディをくわえた。
「え、なにそれどういうこと?」
「人事のミス・ターナーがそう言ってたよ」
エレンはふと顎に手を当てて、神妙な顔をする。
「…………あいつら友達少なそうだし、お祝い贈ったほうがいいのかしら」
そう呟くエレンに、トーマスは声を上げて笑った。
「君ってそういうとこ律儀だよね!」
そういうとこ嫌いじゃないよと彼は笑う。
「まあでも友達少ないのは君も同じだけどね!」
「あんたに言われたくないわ!?」
エレンはトーマスの肩を勢いよく叩いた。
ふんと鼻を鳴らしてから、エレンは甘いカフェオレを啜る。
「それにしても本当に、あいつどこに消えたのかしら」
「誰の話?」
肩をさすりながら首を傾げるトーマスに、エレンはカップから口を離して言った。
「ガトーよ。存在自体怪しかったけどいつの間にかあいつも除籍してて、何ごともなかったかのようにヘルマー支部長がもとの椅子に戻って来たじゃない」
「まるで幻影(ファントム)だねえ」
* * *
「そんなとこで何寝そべってるの?」
焼け落ちた礼拝堂の跡地を、樹にもたれながら眺める黒い男にリィは声を掛けた。
「私もたまには感傷に浸ることがあるんだよ」
「うそ。そんな大人びた感情の機微、貴方になかったわよクレス」
リィは彼の横にしゃがみこんで、同じく焼け落ちた礼拝堂を見た。
「今はクルワサンだよ。クルワサン・ガトー」
リィは気に入らない、といったふうに眉間に皺を寄せた。
「お菓子みたいな名前ね。あとなんか、見た目も全体的に野暮ったいわ」
「そうかい? 前の顔より若返った気がするんだけどなあ」
そう言って彼は顎をかいた。
「君こそ何をしているんだい。私はもうほとんどの力を失った、君たちの主人でもない。地上の悪魔を狩る必要もなくなったのだから、例の番犬を使って魔界に戻るもよし、好きにしていいんだよ」
しかしリィは首を振る。
「私はまだしばらくこっちにいるわ。からかいがいのある女が二人もいるんだもの」
にこにこと笑うリィに、ガトーはやれやれと肩を竦めた。
「そんなことばかりしていたら嫌われるよ」
「貴方こそ、ほんとに臆病になったわよねえ。そんなにマリアが大事なら顔出してあげたら? あの子毎朝拝んでるわよクレスの墓標」
「え、やだなそれほんとに?」
「墓標は嘘だけどロンディヌスの方向に向かって拝んでるのはほんと」
「……はぁ。きゃわたん」
リィは彼の口からこぼれた言葉を一瞬理解できず、その後ジト目を送った。
「……貴方ちょっと領主様に似てきた? そのマリアにずぶずぶなとこ」
「失礼な。まったく似ていないよ!」
珍しく強く否定する彼に、リィはどうして? と首を傾げる。
「私はあの子の道行きを見守るだけのただのお月さまだったんだ。でも彼女は否定した。あの子が幸せにならなければならないと言った。そんな傲慢な、人間めいた感情は、死神と違って僕は持ち合わせていないからね」
「あら。だったらどうして私を領主様のところに行かせたの?」
リィの問いに、マグナス神父であったその人はふふっとはにかんだ。
「一回やってみたかったんだよね、娘の伴侶候補に立ちはだかる親のポジション。存外に楽しかったなあ! もう一回ぐらいやりたいね」
黒い瞳をきらきらと輝かせる彼に、再びリィは彼に白い視線を送り、立ち上がった。
「マリアにはもう拝まなくていいって伝えておくわ」
「えっなんで!? 可愛いからそのままにしておいてよ! 一生僕のことを胸に刻んでいてもらいたいのに!」
「重っ! 再分裂して性格歪んだんじゃないの!」
「君に言われたくないな!?」
ガトー・クルワサンもといクレセント・J・マグナスが再び顔を替えて娘に会いに行くのはまだ少し先のことになる。
* * *
ボルドウの女領主が、大病を患って遂に領主を退くらしい。
狭い領地にその報せが知れ渡るのは、本当にあっと言う間だった。
「あの、領主様は大丈夫なんですか?」
春の陽気の中、屋敷を訪れた郵便配達員マックス・フロイトは、玄関先で帽子をとり、女中の少女に尋ねる。
「なにやら大病と噂されているようですが、全身複雑骨折みたいなものなんです」
「あんまり大丈夫そうでないですね!?」
さっと青ざめるマックスに、彼女は慌てて付け加えた。
「いえ、今リハビリをしているところで、もう随分良くなりました。いつもご心配をおかけしてすみません」
女中の少女は丁寧にお辞儀する。マックスはほっと胸をなでおろした。
「……あの、でもご引退されるのは本当なんですね?」
遠慮がちに尋ねるマックスに、彼女はええ、と頷く。
「養生が終わるまでしばらくはここにいる予定ですが、時が来たら町はずれに住まいを移そうかと考えていて」
はあ、そうなんですか、寂しくなります、とマックスは帽子をかぶりかけて、はたと止まる。
「その仰り方だと、メイドさんも一緒に?」
そこまで尋ねるのは少し図々しかったかと一瞬自身を省みたマックスだったが、次の瞬間そんな後悔はどうでもよくなった。
「……ええ、その。女中としてではないのですけど」
知る限り、感情の起伏を大きく見せない彼女が、少し照れるように頬を染めはにかんだのを見て、マックスは思わず眉尻を下げ口元を両手で覆った。
(尊っ)
居間のソファでひたすらあやとりに興じるロアを見て、ライアはへえと感嘆の息を零した。
「かなり器用に手指も動くようになったじゃないか。これでいつでもマリアたんとスケベができるな! 良かったなあ!」
「恥ずかしいからそういう言い方やめて先生」
ぴしゃりと、低い声でそう叱咤するロアに、ライアは肩を竦めた。
「なんだよノリが悪いなあ、前はもっと真っ赤になって怒ってたのに……」
言いかけて、ライアははっと目を見開く。
「もしかしてお前、もう……。どうりで手つきがやらしいと思っ」
「してませんしてません、してませんからもう放っといて!」
ロアはテーブルの上に置いてあった小さな毛糸球をライアに投げつけた。
ライアは難なくそれを受け止めて、ボールのように宙に投げて弄ぶ。
「何だよォ、せっかく念願叶って人間に戻れたっていうのにカリカリしてんな?」
「だって……」
小声で何か言いながら、いじけるようにロアはソファの上で膝を抱える。
「あとさっきから言いたかったんだけどさ、なんでお前部屋の中でマフラー巻いてんの? もう春だしいらんだろ」
ちょうどその折、玄関先に出ていたマリアが居間に戻って来た。
その腕には赤いマフラーを巻いたカメリアを抱いている。
「カメリア。もう春ですし、そのマフラーそろそろ洗いましょう?」
「ワタシ寒がりなのでまだ巻いてたいデス。マリアしゃんが編んでくれたマフラーデスもん♪」
「カメリアったら」
そんなふたりを見て、ライアは「あー」と大方状況を察した。
聞けば、カメリアが目覚めたのはつい先日のことだという。
あの魔界の番犬が思いのほか早く目覚めたことを彼女はいたく喜んだらしい。
「ロア、貴女もいつまでマフラー巻いてるんですか大人げない」
「さっきのカメ助にかける言葉より随分冷たくないかな!?」
ロアの半泣きぶりを見て、ライアは思わずこめかみを押さえた。
「あー、マリアちゃん。今日は天気も良いしちょっと散歩でもしてこようかなあと思うんだけど、ひとりで散歩するのもあれだし、そこのワンちゃんお借りしてもよいかナ?」
ライアの申し出に、マリアは少しだけ躊躇った後、わかりましたと子犬を差し出した。
「じゃあ夜まで散歩いってきまーす」
「エぇ!? なんで夜までむッ」
カメリアの口を押さえて、ライアはそそくさと居間を出る。
振り向きざまに、「うまくやれよ」とロアに目配せした。
唐突に居間に残されたロアとマリアは、しばらく気まずげに沈黙する。
沈黙に耐えかねてか、マリアはそうだ、と手を叩いてくるりと厨房のほうへと足を向けた。
「そろそろ夕食の仕込みをしないと。今日はいつもより豪勢にしなければいけませんからね」
「マリア」
そんなマリアを行かせまいと、その手首をロアは掴む。
「握力、かなり戻りましたね。よかったです」
「それ三日前も同じこと言ってくれたよ」
マリアはう、とたじろぐ。
こっち向いてと促され、マリアはしぶしぶロアのほうに身体を向けた。
きちんとロアの顔を見たのは久しぶりかもしれないと、その仏頂面を見てマリアは思った。
「……私がまともに動けるようになってから、マリアずっとそんな感じ。カメリアが起きてからはわざとかなっていうくらいカメリアの世話を焼いてる」
マリアは慌てて首を振った。
「そんなことないです、わざとじゃないです。あの子には貴女の身体を戻してもらった恩があるんですから、丁重にもてなすのは当然のことでしょう?」
するとロアは吊り気味だったまなじりを下げて、今度は寂しそうな顔をする。
「……その点は否定しないけど、じゃあなんで私を避けるの?」
少し前まではそんなことはなかったのに、とロアは言外に滲ませた。
確かに、ロアがベッドの上にいたときはマリアはこれまでと変わらず献身的に、彼女に尽くした。
歩く練習も、食事の訓練も根気強く付き合った。
だというのに、いざロアが復調すれば、どことなくそっけない態度が続いている。
「避けてなんて、」
「ほら今、目逸らしてる」
ロアの両手がマリアの頬を優しく覆い、自らの視線と合わせるように少々上向きに導いた。
途端、マリアは頬を赤らめる。
「……、あの、違う、違うんです」
「何が違うの?」
「あ、貴女が前みたいに動けるようになって嬉しいんです、とても。とても嬉しいのですが、どうしていいかわからなくて」
マリアにしては珍しく早口だった。
そうであることに加え、いまひとつ彼女の言いたいことの趣旨がわからずロアは単純に首を傾げた。
「何が?」
すると今度はマリアが怒ったように眉を吊り上げてロアのマフラーをぎゅっと締め上げる。
「ぐぎゅ!?」
「その、ですから!」
マリアは小声でぼやくように続けた。
「……前は貴女にずっと血を提供していたこともあって、触れ合うことにあまり躊躇などはなかったのですが。今となってはどう貴女に触れていいのかわからないんです……」
……。
…………。
暫しの沈黙の後、ロアは勢いよくマリアを抱きかかえた。
「は!? ちょっと、」
マリアは脚をばたつかせたが、ロアは構わずそのまま彼女をソファに横たえる。
「あの、む」
そのままロアはマリアの口を自らのそれで塞いだ。
「ん、ぅ……」
舌を忍び込ませるのと同時に、宙に浮いたマリアの手に、ロアはそっと自らの指を絡ませる。
きゅっと握り返してくれたその反応が嬉しくて、ロアはより強くマリアを抱きしめた。
「……は、ぁ、」
息が苦しくなってマリアが唇を離すと
「…………可愛い」
ロアは目を細め、濡れた唇でそう囁く。
「……、」
以前のマリアならすぐに抗議をするものの、今日の彼女はそれすら出来ないでいた。
むしろ、どうしようもなく胸が熱くなるのを止められない。
羞恥よりも喜びが勝ってしまう。
ふたりがこうして唇を重ねるのも随分久しぶりなのだ。
「嬉しいな。私のこと、ひとりの女として意識してくれてるんでしょう?」
繋いだ手を引き寄せて、ロアはマリアの手首に口づけを落とす。
優しい口づけとは裏腹に、情熱的に見つめてくるロアの金色の眼差しに、マリアの頬はさらに熱くなる。
その上、「夏に約束したもんね」と耳元で囁かれてマリアはいよいよ困り果てて視線を泳がせた。
一線を越えるのは、身体を元に戻してからに――その約束をマリアは忘れたわけではない。
むしろそれが、妙にぎくしゃくしてしまう原因でもあった。
彼女のそんな様子にふふっと声を出してロアは笑う。
「大丈夫、こんなとこで急に襲ったりしないよ。君に嫌われたくないしね」
そう言って手を離し、身体も離そうとするロアの首のマフラーを、マリアはぎゅっと掴んで止めた。
「……嫌いになんてなりませんよ」
「……ぇ?」
突然の返答に、今度はロアが赤面する番だった。
「そ、それって、こ、ここでエッチしていいってこぎゅ!?」
再び首を絞められるロア。
「そうでなくて!
……貴女のことを嫌いになることはありませんと、言いたかったんです」
マリアの言葉に、ロアは頬を染め微笑んだ。
「ねえマリア。お願いがあるんだけど」
なんですか、とマリアは瞳を向ける。
「あの時言ってくれた言葉をもう一度頂戴? あの時半分眠ってたから、ちゃんと聞きたいんだ」
マリアは少しだけ考える素振りをして、それからロアの首の後ろに両手を回した。
「!」
自然と距離が近づいて、再び唇が重なる。
マリアは栗色の真っ直ぐな瞳をロアに向けて、はっきりと伝えた。
「貴女を愛しています、ロア。この先もずっと、私はただのマリア・マグナスとして、貴女と一緒に生きていきたい」
それは、あの夜の答え。
ロアは至福を噛みしめ、マリアの額に自らのそれをくっつけた。
「私も君を愛してるよ、マリア。何があっても、この先君とずっと一緒にいる」
マリアも微笑んだ。
でも、とロアは付け加える。
「今回は約束はしないね?」
え、どうしてですか、と言いたげなマリアを、ロアはぎゅっと強く抱きしめた。
そして笑顔で言う。
「約束なんかなくても、ロア・ロジェ・クロワはマリアとずっと一緒にいるって言いたかったんだよ!」
「なんで私がまたこんな目に!」
教会ロンディヌス支部の片隅、医療班のオフィスで、エレン・テンダーは叫んだ。
「エレン、気持ちはわかるんだけど今回は僕も始末書を書かされているわけだからね? 僕の始末書は完全に君のせいだからね?」
辞令を前に頭を抱えるエレンにカフェオレを差し出しながら、トーマス・ベイカーはそう恨み言を言った。
教会本部へ向かうために使ったエンジンボートを完全に壊してしまった罰でエレンとトーマスは減給を食らい、エレンは本部の体制の立て直し要員として出向を、トーマスはボートの件の始末書を書かされる羽目になった。
「マグナスもあの女も! いつの間にか都合よく教会から脱退してるし! 減給分賠償しろ! むしろ徴収しに行こうかしら!?」
「えー、でも実質寿退社でしょ? めでたいよねえ」
トーマスはそう言って、新しい棒付きキャンディをくわえた。
「え、なにそれどういうこと?」
「人事のミス・ターナーがそう言ってたよ」
エレンはふと顎に手を当てて、神妙な顔をする。
「…………あいつら友達少なそうだし、お祝い贈ったほうがいいのかしら」
そう呟くエレンに、トーマスは声を上げて笑った。
「君ってそういうとこ律儀だよね!」
そういうとこ嫌いじゃないよと彼は笑う。
「まあでも友達少ないのは君も同じだけどね!」
「あんたに言われたくないわ!?」
エレンはトーマスの肩を勢いよく叩いた。
ふんと鼻を鳴らしてから、エレンは甘いカフェオレを啜る。
「それにしても本当に、あいつどこに消えたのかしら」
「誰の話?」
肩をさすりながら首を傾げるトーマスに、エレンはカップから口を離して言った。
「ガトーよ。存在自体怪しかったけどいつの間にかあいつも除籍してて、何ごともなかったかのようにヘルマー支部長がもとの椅子に戻って来たじゃない」
「まるで幻影(ファントム)だねえ」
* * *
「そんなとこで何寝そべってるの?」
焼け落ちた礼拝堂の跡地を、樹にもたれながら眺める黒い男にリィは声を掛けた。
「私もたまには感傷に浸ることがあるんだよ」
「うそ。そんな大人びた感情の機微、貴方になかったわよクレス」
リィは彼の横にしゃがみこんで、同じく焼け落ちた礼拝堂を見た。
「今はクルワサンだよ。クルワサン・ガトー」
リィは気に入らない、といったふうに眉間に皺を寄せた。
「お菓子みたいな名前ね。あとなんか、見た目も全体的に野暮ったいわ」
「そうかい? 前の顔より若返った気がするんだけどなあ」
そう言って彼は顎をかいた。
「君こそ何をしているんだい。私はもうほとんどの力を失った、君たちの主人でもない。地上の悪魔を狩る必要もなくなったのだから、例の番犬を使って魔界に戻るもよし、好きにしていいんだよ」
しかしリィは首を振る。
「私はまだしばらくこっちにいるわ。からかいがいのある女が二人もいるんだもの」
にこにこと笑うリィに、ガトーはやれやれと肩を竦めた。
「そんなことばかりしていたら嫌われるよ」
「貴方こそ、ほんとに臆病になったわよねえ。そんなにマリアが大事なら顔出してあげたら? あの子毎朝拝んでるわよクレスの墓標」
「え、やだなそれほんとに?」
「墓標は嘘だけどロンディヌスの方向に向かって拝んでるのはほんと」
「……はぁ。きゃわたん」
リィは彼の口からこぼれた言葉を一瞬理解できず、その後ジト目を送った。
「……貴方ちょっと領主様に似てきた? そのマリアにずぶずぶなとこ」
「失礼な。まったく似ていないよ!」
珍しく強く否定する彼に、リィはどうして? と首を傾げる。
「私はあの子の道行きを見守るだけのただのお月さまだったんだ。でも彼女は否定した。あの子が幸せにならなければならないと言った。そんな傲慢な、人間めいた感情は、死神と違って僕は持ち合わせていないからね」
「あら。だったらどうして私を領主様のところに行かせたの?」
リィの問いに、マグナス神父であったその人はふふっとはにかんだ。
「一回やってみたかったんだよね、娘の伴侶候補に立ちはだかる親のポジション。存外に楽しかったなあ! もう一回ぐらいやりたいね」
黒い瞳をきらきらと輝かせる彼に、再びリィは彼に白い視線を送り、立ち上がった。
「マリアにはもう拝まなくていいって伝えておくわ」
「えっなんで!? 可愛いからそのままにしておいてよ! 一生僕のことを胸に刻んでいてもらいたいのに!」
「重っ! 再分裂して性格歪んだんじゃないの!」
「君に言われたくないな!?」
ガトー・クルワサンもといクレセント・J・マグナスが再び顔を替えて娘に会いに行くのはまだ少し先のことになる。
* * *
ボルドウの女領主が、大病を患って遂に領主を退くらしい。
狭い領地にその報せが知れ渡るのは、本当にあっと言う間だった。
「あの、領主様は大丈夫なんですか?」
春の陽気の中、屋敷を訪れた郵便配達員マックス・フロイトは、玄関先で帽子をとり、女中の少女に尋ねる。
「なにやら大病と噂されているようですが、全身複雑骨折みたいなものなんです」
「あんまり大丈夫そうでないですね!?」
さっと青ざめるマックスに、彼女は慌てて付け加えた。
「いえ、今リハビリをしているところで、もう随分良くなりました。いつもご心配をおかけしてすみません」
女中の少女は丁寧にお辞儀する。マックスはほっと胸をなでおろした。
「……あの、でもご引退されるのは本当なんですね?」
遠慮がちに尋ねるマックスに、彼女はええ、と頷く。
「養生が終わるまでしばらくはここにいる予定ですが、時が来たら町はずれに住まいを移そうかと考えていて」
はあ、そうなんですか、寂しくなります、とマックスは帽子をかぶりかけて、はたと止まる。
「その仰り方だと、メイドさんも一緒に?」
そこまで尋ねるのは少し図々しかったかと一瞬自身を省みたマックスだったが、次の瞬間そんな後悔はどうでもよくなった。
「……ええ、その。女中としてではないのですけど」
知る限り、感情の起伏を大きく見せない彼女が、少し照れるように頬を染めはにかんだのを見て、マックスは思わず眉尻を下げ口元を両手で覆った。
(尊っ)
居間のソファでひたすらあやとりに興じるロアを見て、ライアはへえと感嘆の息を零した。
「かなり器用に手指も動くようになったじゃないか。これでいつでもマリアたんとスケベができるな! 良かったなあ!」
「恥ずかしいからそういう言い方やめて先生」
ぴしゃりと、低い声でそう叱咤するロアに、ライアは肩を竦めた。
「なんだよノリが悪いなあ、前はもっと真っ赤になって怒ってたのに……」
言いかけて、ライアははっと目を見開く。
「もしかしてお前、もう……。どうりで手つきがやらしいと思っ」
「してませんしてません、してませんからもう放っといて!」
ロアはテーブルの上に置いてあった小さな毛糸球をライアに投げつけた。
ライアは難なくそれを受け止めて、ボールのように宙に投げて弄ぶ。
「何だよォ、せっかく念願叶って人間に戻れたっていうのにカリカリしてんな?」
「だって……」
小声で何か言いながら、いじけるようにロアはソファの上で膝を抱える。
「あとさっきから言いたかったんだけどさ、なんでお前部屋の中でマフラー巻いてんの? もう春だしいらんだろ」
ちょうどその折、玄関先に出ていたマリアが居間に戻って来た。
その腕には赤いマフラーを巻いたカメリアを抱いている。
「カメリア。もう春ですし、そのマフラーそろそろ洗いましょう?」
「ワタシ寒がりなのでまだ巻いてたいデス。マリアしゃんが編んでくれたマフラーデスもん♪」
「カメリアったら」
そんなふたりを見て、ライアは「あー」と大方状況を察した。
聞けば、カメリアが目覚めたのはつい先日のことだという。
あの魔界の番犬が思いのほか早く目覚めたことを彼女はいたく喜んだらしい。
「ロア、貴女もいつまでマフラー巻いてるんですか大人げない」
「さっきのカメ助にかける言葉より随分冷たくないかな!?」
ロアの半泣きぶりを見て、ライアは思わずこめかみを押さえた。
「あー、マリアちゃん。今日は天気も良いしちょっと散歩でもしてこようかなあと思うんだけど、ひとりで散歩するのもあれだし、そこのワンちゃんお借りしてもよいかナ?」
ライアの申し出に、マリアは少しだけ躊躇った後、わかりましたと子犬を差し出した。
「じゃあ夜まで散歩いってきまーす」
「エぇ!? なんで夜までむッ」
カメリアの口を押さえて、ライアはそそくさと居間を出る。
振り向きざまに、「うまくやれよ」とロアに目配せした。
唐突に居間に残されたロアとマリアは、しばらく気まずげに沈黙する。
沈黙に耐えかねてか、マリアはそうだ、と手を叩いてくるりと厨房のほうへと足を向けた。
「そろそろ夕食の仕込みをしないと。今日はいつもより豪勢にしなければいけませんからね」
「マリア」
そんなマリアを行かせまいと、その手首をロアは掴む。
「握力、かなり戻りましたね。よかったです」
「それ三日前も同じこと言ってくれたよ」
マリアはう、とたじろぐ。
こっち向いてと促され、マリアはしぶしぶロアのほうに身体を向けた。
きちんとロアの顔を見たのは久しぶりかもしれないと、その仏頂面を見てマリアは思った。
「……私がまともに動けるようになってから、マリアずっとそんな感じ。カメリアが起きてからはわざとかなっていうくらいカメリアの世話を焼いてる」
マリアは慌てて首を振った。
「そんなことないです、わざとじゃないです。あの子には貴女の身体を戻してもらった恩があるんですから、丁重にもてなすのは当然のことでしょう?」
するとロアは吊り気味だったまなじりを下げて、今度は寂しそうな顔をする。
「……その点は否定しないけど、じゃあなんで私を避けるの?」
少し前まではそんなことはなかったのに、とロアは言外に滲ませた。
確かに、ロアがベッドの上にいたときはマリアはこれまでと変わらず献身的に、彼女に尽くした。
歩く練習も、食事の訓練も根気強く付き合った。
だというのに、いざロアが復調すれば、どことなくそっけない態度が続いている。
「避けてなんて、」
「ほら今、目逸らしてる」
ロアの両手がマリアの頬を優しく覆い、自らの視線と合わせるように少々上向きに導いた。
途端、マリアは頬を赤らめる。
「……、あの、違う、違うんです」
「何が違うの?」
「あ、貴女が前みたいに動けるようになって嬉しいんです、とても。とても嬉しいのですが、どうしていいかわからなくて」
マリアにしては珍しく早口だった。
そうであることに加え、いまひとつ彼女の言いたいことの趣旨がわからずロアは単純に首を傾げた。
「何が?」
すると今度はマリアが怒ったように眉を吊り上げてロアのマフラーをぎゅっと締め上げる。
「ぐぎゅ!?」
「その、ですから!」
マリアは小声でぼやくように続けた。
「……前は貴女にずっと血を提供していたこともあって、触れ合うことにあまり躊躇などはなかったのですが。今となってはどう貴女に触れていいのかわからないんです……」
……。
…………。
暫しの沈黙の後、ロアは勢いよくマリアを抱きかかえた。
「は!? ちょっと、」
マリアは脚をばたつかせたが、ロアは構わずそのまま彼女をソファに横たえる。
「あの、む」
そのままロアはマリアの口を自らのそれで塞いだ。
「ん、ぅ……」
舌を忍び込ませるのと同時に、宙に浮いたマリアの手に、ロアはそっと自らの指を絡ませる。
きゅっと握り返してくれたその反応が嬉しくて、ロアはより強くマリアを抱きしめた。
「……は、ぁ、」
息が苦しくなってマリアが唇を離すと
「…………可愛い」
ロアは目を細め、濡れた唇でそう囁く。
「……、」
以前のマリアならすぐに抗議をするものの、今日の彼女はそれすら出来ないでいた。
むしろ、どうしようもなく胸が熱くなるのを止められない。
羞恥よりも喜びが勝ってしまう。
ふたりがこうして唇を重ねるのも随分久しぶりなのだ。
「嬉しいな。私のこと、ひとりの女として意識してくれてるんでしょう?」
繋いだ手を引き寄せて、ロアはマリアの手首に口づけを落とす。
優しい口づけとは裏腹に、情熱的に見つめてくるロアの金色の眼差しに、マリアの頬はさらに熱くなる。
その上、「夏に約束したもんね」と耳元で囁かれてマリアはいよいよ困り果てて視線を泳がせた。
一線を越えるのは、身体を元に戻してからに――その約束をマリアは忘れたわけではない。
むしろそれが、妙にぎくしゃくしてしまう原因でもあった。
彼女のそんな様子にふふっと声を出してロアは笑う。
「大丈夫、こんなとこで急に襲ったりしないよ。君に嫌われたくないしね」
そう言って手を離し、身体も離そうとするロアの首のマフラーを、マリアはぎゅっと掴んで止めた。
「……嫌いになんてなりませんよ」
「……ぇ?」
突然の返答に、今度はロアが赤面する番だった。
「そ、それって、こ、ここでエッチしていいってこぎゅ!?」
再び首を絞められるロア。
「そうでなくて!
……貴女のことを嫌いになることはありませんと、言いたかったんです」
マリアの言葉に、ロアは頬を染め微笑んだ。
「ねえマリア。お願いがあるんだけど」
なんですか、とマリアは瞳を向ける。
「あの時言ってくれた言葉をもう一度頂戴? あの時半分眠ってたから、ちゃんと聞きたいんだ」
マリアは少しだけ考える素振りをして、それからロアの首の後ろに両手を回した。
「!」
自然と距離が近づいて、再び唇が重なる。
マリアは栗色の真っ直ぐな瞳をロアに向けて、はっきりと伝えた。
「貴女を愛しています、ロア。この先もずっと、私はただのマリア・マグナスとして、貴女と一緒に生きていきたい」
それは、あの夜の答え。
ロアは至福を噛みしめ、マリアの額に自らのそれをくっつけた。
「私も君を愛してるよ、マリア。何があっても、この先君とずっと一緒にいる」
マリアも微笑んだ。
でも、とロアは付け加える。
「今回は約束はしないね?」
え、どうしてですか、と言いたげなマリアを、ロアはぎゅっと強く抱きしめた。
そして笑顔で言う。
「約束なんかなくても、ロア・ロジェ・クロワはマリアとずっと一緒にいるって言いたかったんだよ!」
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