春の噂

帆村仁

文字の大きさ
上 下
5 / 5

もう一つの真相

しおりを挟む
 家に帰ってベッドに身を投げると、どっと疲れが出てきた。
 今日は本当に色々なことがあった。めまぐるしい一日だった。
 不精な僕がこれだけ稼働するなんて、とても珍しいことだった。
 携帯が着信音を鳴らした。鈴木からだった。
〈どうだった?〉
 僕はすばやくキーを押すと、鈴木に返信した。
《なんとかなった》
 数分後、鈴木から返信が返ってきた。
〈なんとかなったってどういうことだよ〉
 僕は少し思案して、こんなメールを返信した。
《会って話すよ。これからおまえの家に行く》

 鈴木の家には何度も行っている。なので鈴木の家に行ってくるということを家族に話しても「いってらっしゃーい」という返事が返ってくるだけだった。中学二年ともなれば家族の対応も素っ気なくなるものだ。僕はその方が楽なのでいいが、年頃の娘を持つ家族だったらこうはいかなかっただろう。
 鈴木の家に向かいながら、僕は今日のことをあらためて反芻していた。今日は怒涛の展開を味わう一日だった。学校一の悪、内館くんとも初めて話したし、学校一のマドンナ、五十嵐薫とも初めて話した。ある意味有名人と交流を深めたわけであるから、なんとなく僕の気分が高揚しているのもうなずける。
 鈴木の家に着いた。インターホンを押すと、鈴木の家のお母さんが出迎えてくれた。これもまたいつものことなので、僕は適当に「お邪魔します」と言うと、鈴木の家に上がり込んだ。鈴木の部屋は二階にある。部屋のドアをノックして入った。鈴木が僕のことを確認して言った。
「おう、来たか」
「うん」
 鈴木はゲームをやっていた。
 僕は適当なところに腰掛けると、しばらく鈴木がゲームをしているのを眺めていた。鈴木もまた黙ってゲームを続けていた。正直に言うとなにから話そうか僕は迷っていた。僕の当て推量が正しければ、親友は何かしらの問題を抱えているはずだ。いつまでも黙っていても仕方がないので僕から話すことにした。
「五十嵐と話したよ」
「うん。どうだった?」
「美人だった」
 僕は率直な感想を口にした。実のところ五十嵐は僕の好みのタイプだった。今日直に話してみて思った。確かに学校一のマドンナというのもうなずける。僕はもしかして恋をしているのかもしれない。いや、ただ単に一度に色々なことがあったから心が動揺していているだけかもしれない。いわゆる吊り橋効果というやつだ。鈴木は笑って言った。
「おまえ、あれに惚れると厄介だぞ」
「ああ。そりゃそうだろうな。厄介だろうな」
「やめとけよ」
「厄介か。本当に厄介なのはお前じゃないのか?」
 鈴木は黙ってゲームの画面に集中している。僕は無視された気分になって「聞いてんのか?」と少々語気を荒げて言ってしまった。
「聞いてるよ」
「お前、大丈夫なのか?」
「なにが」
「佐々木璃子の件」
 鈴木はまた黙った。こいつは自分が不利な立場になると黙ってしまうくせがあるようだった。僕も話の核心に触れるのはためらわれた。しかし、ただ五十嵐の話をするためにここに来たのではない。僕は勇気を振り絞って二の句を告げた。
「たぶんだけど、妊娠してるんだよな。佐々木」
 鈴木はただ黙っている。ゲームも中断した。しばらくして鈴木は口を開いた。
「五十嵐に聞いたのか?」
「いや、僕の推量だ」
「へえ、名探偵様ってわけだ」
 鈴木の言葉にも語気にも棘が感じられた。
「なんでわかった?」
 鈴木が訊いてきた。
「いや、なんとなくだけど。今日のお前のこと見てたらさ。佐々木のこと聞いてた時のお前の反応、やっぱりおかしかったし。それに佐々木が学校に来てないっていうのもおかしい。ただの退部処分で学校まで来なくなるっていうのはおかしい。それで、なんとなく……妊娠してるんじゃないかなって」
「じゃあ、親が知ってるってことも分かってるんだよな」
「うん」
 それにしては今日僕のことをいつもと変わりなく迎え入れてくれた鈴木のお母さんの行動には疑問が残るところではある。しかし、全ての事柄において筋が通るというのも不自然なことなのかもしれない。
「いやあ。まさかこの俺がこんな失敗やらかすなんてな」
 鈴木が乾いた笑いを見せた。僕はその軽薄な発言に眉をひそめたくなった。しかし、こいつの立場になってみれば、相当大変なことになっているのだ。僕の心の中には同情心と反発芯が同居していた。
「俺、学校やめるわ」
「え……」
「だって女の子妊娠させといて、ただ漫然と学校似通っているわけにもいかないだろ」
「だからってどうするんだよ」
「知り合いのところで働かせてもらう」
 鈴木は途端に大人の顔を見せた。いや、僕がそう感じただけのことなのだろう。
「そうか。そのことはあっちにも話てるの?」
「ああ。あっちの両親はちゃんと学校を卒業してからって言ってくれたけど。俺はそんなことできないから」
「ああ」
 僕たちはしばらく無言でうつむいていた。部屋が静寂に包まれていた。沈黙を破ったのは鈴木の言葉だった。
「ゲームするか。これからあんまり会えなくなるし。今のうちに遊んでおこう」
 僕は少々面食らったが、うなずいて同意を示した。
「ああ」
 僕たちはしばらくゲームに熱中した。密かな連帯感が僕たちを包んでいた。

 翌日、鈴木は学校に来なかった。
 放課後、学校の屋上で五十嵐と内館くんと話した。
  僕は昨日あったことを全部、内館くんと五十嵐に話した。
 穏やかな風が吹いていたせいか、自然と話すことができた。
 五十嵐も内館くんも黙って僕の話を聞いていた。
 彼らは全部聞き終えると、驚愕の真実を僕に告げてきた。
「実は俺たち付き合ってるんだよね」
 そう言う内館くんの隣で五十嵐は顔を赤らめていた。
 その瞬間、僕の小さな恋は爆ぜて散った。
「なんだ。つまり僕は壮大な痴話げんかに巻き込まれたってわけか」
 彼らは笑った。冗談じゃない。だが。
 その姿を、僕は不思議と美しいと思った。
「ごめんね。佐藤くん。私けじめつけるよ」
 五十嵐はそう言った。つまり部活動をやめるということなのだろう。
 部活動より、恋をとるってことか。いいさ。それもまた青春。
 僕はなんだか一人取り残された気分になりながらも、不思議と一つ大人になった気分でいた。
 たぶんそれはただの勘違いなのだろうけど。
 僕はそれでもいいと思った。
 大人になる彼らのことを僕は眺めていた。
 僕は一つのびをした。まったく、春というのは眠いだけの季節ではないのだな。
 そんな僕をあざ笑うかのようにウグイスが「ホーホケキョ」と鳴いていた。

                                         了      
 
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...