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転移
05.冒険者は界渡人を拾う
しおりを挟む懇意にしている魔女の店を訪れる道すがら、俺は彼女に出会った。
アイオン王国の北の大地と呼ばれるオルクス公爵領の隣に、ユノ子爵領はある。
比較的温暖な気候のアイオン王国全土の中において、フェーン山脈がそびえ立ち雪が降り積もるここいらは、自然の恵みが多いものの、反面生活するにはなかなかに大変な場所だ。
ユノ子爵領の東部に位置するクラリッサの街にあるギルドは、最北端に近い土地を好んで拠点にしている酔狂な冒険者たちを統括している。
A級冒険者として活動している俺、ヒースもクラリッサのギルドに所属している。
家庭環境に思うところがあり、10代半ばで家を出奔した俺を拾ってくれた剣の師匠について回り、独り立ちしてからも国内全土をあちこち渡り歩いた末に辿り着いた街がここだった。
最初は気候条件的に根を下ろすつもりもなかったのだが、居心地の良さと気のいい街の住人たちにほだされ、立ち去れないままかれこれ数年が経っている。
その日は、ひょんなことから知り合った魔女殿からの依頼をこなし、品物を届けるため馬を駆っていた。
子爵領の更に端っこら辺にあるヴェルガーの森なんて辺鄙なところに住む彼女は、およそ魔女らしくない社交性で、冒険者をこき使っている。
最近特に俺に指名依頼が来て、あっちにこっちに面倒くさい品を取りに行かせられている。薬草の取り扱いが一番丁寧らしい。喜んでいいやら悲しんでいいやら。
魔女といえば、不老不死の特性を持ち、この世界を憎み、神を憎み、その圧倒的な嘆きや憤りの力が、瘴気や魔物を強くさせるという話が一般的に流布しており、畏怖の対象になるほど恐れられている存在だ。
5年ほど前に召喚された『最後の聖女』の手によって消滅したとされる『嘆きの魔女』などは、アイオン王国の南東側の国境付近をずっと脅かしていたので、その最たるものだっただろう。
それなのに、ヴェルガーの森の魔女殿ときたら、近所の人がやってきた程度の気安さで好き勝手しゃべるし、魔女らしさなんて皆無だし、威厳もないし、ぐうたらしていて怠惰だし、その辺に紛れていてもわからないくらい普通の女性だった。
これで、調薬や錬金術が超一級なのだから、到底信じられないだろう。
そもそも、こんなに簡単に出会えるような軽々しい存在ではないはずなのだが、おかしい。
しかも、国にも、ギルドにもその存在は認められており、知る人ぞ知る良き隣人状態になっているらしい。
魔女って、迫害される対象じゃなかったのか。魔女にも色々いるんだなと、その時俺は自分の世界の狭さを知ったのだった。
早朝からの仕事も、何度もこなせばすっかり慣れたものだ。
依頼されていた魔法草は、自生のみしか薬効が続かず、しかも朝一番の日の光をたっぷり受けたものを摘むのが最も効果的らしい。時間が勝負とは、魔女殿の受け売りだ。
山岳地帯にのみ生えるそれなりに希少な薬草なこともあり、魔女殿が定期的に依頼を出してくる。単純に寒さと遠方故に、面倒くさがって本人が取りに行きたくないだけだろうなと予想している。まあ、きっちり報酬は弾んでくれるので、よい取引先でもあるのだが。
他にもめぼしい薬草を摘んだり、ついでに魔獣を間引いたりしてから、俺は意気揚々と馬を駆っていた。
ヴェルガーの森は、薬草の群生地たる山からも、クラリッサの街からもそこそこ距離がある。馬を走らせて大体1時間程度。馬車だとゆうにその倍はかかるので、頻繁に訪れる場所でもない。
しかも、森の奥には相当に強い魔物が出る。かなりの手練れでもなければ、近寄ろうとはしないだろう。
何故魔女殿がそんな不便なところを住処に選んだのかは知らない。
ただ、彼女は家の周辺に広く頑強な結界を張っており、魔物にその身が脅かされないよう対策は取っているそうだ。住めば都だと、彼女は笑っていた。
俺は少しだけ使える風の魔法を駆使して、馬の負担を減らしながら、草原を突っ切っていく。
ボアやウルフ系の魔獣がうろついていたので、帰り際に討伐していくかと予定をたてていたところ、森の上空の空間を切り裂くようにして、不意に何かが現れた。
「あれは……?」
俺は、思わず目を眇めてそれを見据える。
いうなれば、それは漆黒の闇だった。
靄状の闇が、何かを大事そうに包み込んでいる。中身が何かまでは、さすがに遠目でわからなかったが、まるで揺り籠のようだ。
闇の塊は、ゆっくりふわふわと落下していく。恐らく、位置的に魔女殿の庭の一角に落ちるだろうと予測された。
朝ににつかわしくないほどの、禍々しくも思える光景。
だが、何故か嫌な感覚が生まれなかったのが、不思議だった。
馬に鞭を入れ、先を急ぐ。それなりに力を持つ冒険者として、万が一何か発生したときに対処できるよう。
森を踏み分けて行けば、ぐったりと力なく草むらの上に横たわる女性らしきものが目に入った。女性、いや、少女か?
どちらにしても、闇に関わる存在なのか、黒を基調にした作りの良い服を着ている。
人間をたぶらかす人型の魔物がいると聞いたことはあるが、魔物……ではないはずだ。多分。
「大丈夫か!?」
慌てて馬から降り、覗き込めば、茫洋とした表情の彼女と視線が合った。
かろうじて成人してそうな年頃で、少女と女性の間にいるような、いささか幼い顔をしている。
乱れてはいるが吸い込まれそうなほどの漆黒の髪、黒曜石みたいに煌めく瞳に、柄にもなくはっと目を惹かれた。いないわけではないが、この国では少しばかり珍しい色をしている。
しかし、その瞳に光は乏しく、相応に顔色は悪く憔悴しており、支えた身体は今にも折れてしまいそうなほどに華奢だった。
「だめ……そう……」
「おい!? しっかりしろ!?」
蚊の鳴くようなか細い声と同時に鳴った腹の音に、ちょっと呆気にとられたけれども。
くたりと、俺の腕の中にすっぽりとおさまってしまう小さな肢体から、完全に力が抜け、彼女の瞳は再び閉じられた。
ぺちぺちと軽く頬を叩いてみても、彼女の意識は戻りそうになかった。
こうなっては仕方がない。
「彼女が何者かはわからないが……魔女殿を頼るのがよさそうだ」
ここは、魔女殿の領域でもある。
俺は彼女を横抱きにすると、魔女殿の店まで足を進めた。
* * *
「この子、『界渡人』ね」
事情を説明して訪れた魔女殿の店。薬を中心に、様々な雑貨を取り扱っており、かなり効能のある品揃えをしているが、辺鄙故に訪れる者はそう多くもない。
店舗の奥にある自宅に初めて通されたのだが、それなりに整頓してある店内とは異なり、プライベートエリアはごちゃついていて、割と目を疑う惨状だった。
結構な広さがありそうな屋敷なのに、誰も使用人を雇っていないのだろうか。
最早物置みたいになっている客室に招かれ、いささか埃っぽいベッドに女性を寝かせた後、魔女殿から聞かされた言葉がそれだった。
「『界渡人』……? って、それは聖女召喚で、国家に招かれる者のことではないのか? 王都からこんな離れた場所にはぐれて降臨するだなんて、ありえるのか?」
「稀ではあるけれど、召喚以外でこっちにやってくるパターンもあるにはあるのよ。それにしても、貴方もよくよくおかしな人に縁があるわね。まさか、こんな子を拾うだなんて、運命の女神の悪戯だわ」
「最たる人物は魔女殿だがな」
「否定はしないわ」
俺の皮肉に、魔女殿は眼鏡の智を上げながら、紅い瞳を細めてくすりと喉を鳴らす。
「しばらく放っておいても大丈夫よ。顔色は悪いけれど、世界を渡った影響で、魔力慣れのために眠りに入っているだけだろうから」
「なら、よかった」
死んだようにくったりしているが、命に別状がないのであれば安心する。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「それで、ヒースはどうするつもり? 『界渡人』は、最初に保護した人物が、ある程度面倒をみつつ、国に引き渡すのが定石なわけだけれども」
「そこなんだよな。俺も根無し草だから、あまり滅多なことは言えないが……」
どうにも歯切れが悪くなる。
真っ青を通り越して、真っ白になっていた彼女の顔色が頭を過ぎった。
お腹の激しい主張に気が抜けたが、疲労が色濃く見えた。世界を渡ったからというだけでもなさそうだ。
放っておけない気がするのは、庇護欲か、はたまた感傷か。
参ったな。あんな風にやつれてしまった女性に、自分が弱い自覚は多少ある。
「ただ国に任せるのも、何か違う気がしてしまってな。本来なら、彼女がどうしたいかを選ばせるべきだろう。異世界から迷い込んできた右も左もわからない女の子を、義務的に国に引き渡すのは、人として心が痛む」
「ふふ、わざわざ面倒ごとを背負い込むなんて、お人よしねぇ。なら、この子がどうしたいか心を決めるまで、私の家に置いてあげてもいいわよ」
そんな殊勝な人柄ではないのを十二分に知っているから、訝しむ気持ちが先立つ。
それでも、魔女殿の提案は、渡りに船だった。
「ここなら、他人の手が入りにくいし。もちろん、貴方にもあれこれ手伝ってもらうけど」
「それは当然だが……いいのか? 君は面倒ごとを嫌がりそうなのに」
「構わないわ。だって、この子、面白そうだし。製薬手伝ってもらいたいし、そろそろ人に飢えていたのよね」
「面白そうって……不安しかないんだが……」
「バカねぇ、魔女なんかを頼ったのが運の尽きよ」
俺が肩を落とすと、唇をにんまりと歪めて、魔女殿は高らかに笑った。
これ以上こんな調子で立ち話をしていても、騒がしいだけだ。女性の眠りを妨げてしまってはよろしくないだろう。
見れば、彼女の眠りは安らかそうで、呼吸も落ち着いている。
視線で、魔女殿へ向けて、店舗への移動を促す。察した彼女も、こくりと頷いた。
俺もまだ依頼の途中のままだし、せっかく取ってきた魔法草の引き渡しも行わなければならない。
魔女殿も、閑古鳥が鳴いているとはいえ、もうそろそろ店を開ける頃合いだろう。
心配ではあるものの、魔女殿にとっては部外者たる俺が、ここに泊まり込むわけにもいくまい。
急ぎの依頼があるわけでもないし、彼女が目覚めるまで、しばらく足しげく通えばいいだけだ。
そんな風に腹を括って、俺は客室を出ると、ギシギシと音を立てる少々古めの階段を下りて行った。
だから、気づかなかったのだ。
「ようやく現れてくれたのね。ずっと待っていたわ、私の慈悲の刃……」
魔女殿が、そんな言葉をぽつりと呟いて、嬉しげに寂しげに『界渡人』を見ていたことなんて。
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