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厄日①
しおりを挟むほわ、と金色に輝く清浄な光が、傷口を包み込む。今日の治癒魔法は、ムラもなくきっちり発動している。
西部拠点にて魔物との交戦で重傷を負ったものの、やはりポーションではなかなか治りきらず、本部へ帰還した騎士様を治療し始め3回目。身体に負担がかからないよう、少しずつ試みていた治療がようやく終わった。己の腕を何度も振りかぶり、状態を確かめていた騎士様が、みるみるうちに破顔した。
「ああ、あんなに痛みが続いていたのに……! おかげで腕もこの通りですし、身体の調子も良いです。本当にありがとうございます、聖女様!」
「いいえ。騎士様に女神のご加護がありますよう」
軍部治療院での活動を始めてから、だいぶ負傷者数も減ってきた。ルクス殿下がおっしゃっていた通り、魔物の活動がやや収束してきたのもあってか、騎士団や魔法師団の出撃も緩やかになってきているのだとか。
とはいえ、いたちごっこは続く。病人や怪我人が出ないわけではないから、気は抜けない。王宮所属の薬師たちも、てきぱきと働いている。
(それにしても、どうしてポーションでの治りが悪いのかしら……)
今までそんな話を聞いたことはなかった。実際、領地や辺境伯領の治療院で働いていた時には、よほどの重傷でもない限り、各種ポーションで対応できていた。ここ最近の出来事であるならば、やはりスタンピードが何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
ふうと一つ息を吐いてから、次の患者を診るべく顔を上げると、淡い金髪を耳元で切りそろえた少年が、護衛を引き連れ入り口からずかずかと押し入ってくるのが目に入った。
「……お前が聖女とやらか?」
尖った声が響く。気の強さが伺える眼差しで、じろじろとこちらを値踏みしてくる。まだ成長しきっていない中性的な面差しだが、どこかルクス殿下に似ている気がした。
いやだな、トラブルの匂いしかしない。いつか来るだろうなとは思っていたけれども。
内心のドキドキを抑えて、私は立ち上がりドレスの裾を摘んでカーテシーをする。
「第二王子殿下にご挨拶申し上げます。王弟殿下の命により、軍部治療院にて治癒を行っている治癒師にございます」
第一王子殿下は、そろそろ成人だったはず。目の前の彼はまだそこまで至らぬ年齢に見えたので、そう当たりを付けた。
第二王子オルヴィス・ケルヴ・ノルンディード殿下は、青い瞳を眇め、フンと不機嫌極まりなさそうに鼻を鳴らした。
「聖女などと噂になっているからわざわざ見に来てみれば、光魔法も大したことないではないか。それしきで聖女とは、伝承も随分と地に落ちたものだな」
皮肉気にオルヴィス殿下は嘲う。刺々しい言葉は、私を貶めるためだけのもの。
でも、まさしくその通りなんだよなあと思わず内心で同意してしまったので、私はただ黙っているのみだ。こんなのルクス殿下に知られたら、笑顔で両頬を抓られそうだが。
「しかも、ヴェールなんぞ被って、顔を出せぬほど醜いのか?」
「……あっ!?」
私が大人しくしているのを見てか、獲物を甚振るように笑いながら、オルヴィス殿下は不躾にばっとヴェールを跳ね上げた。隠していたからこそ、興味をそそってしまったのだろう。慌ててヴェールの裾を握り後ろに身を引いたものの、一瞬素顔は皆の前に晒されてしまう。
「ほう……?」
目を丸くしたオルヴィス殿下の表情が、みるみる下卑た好色に染まっていく。
「何だ、華もなく地味でつまらん女かと思ったら、なかなかのものではないか。おい、ヴェールを外せ。もっと良く顔を見せろ」
オルヴィス殿下が、手を伸ばしぐいぐい迫ってくる。
悪事を働いているわけではないし、果たしてヴェールを被る意味などあるのだろうかと疑問を覚えたものだが、ルクス殿下がやけに難色を示していた理由を痛感してしまった。舐めるような気色の悪い視線に、ぞわぞわと鳥肌が立つ。王子すらも騙くらかすエマ様の化粧技術に脱帽するが、今はそれが裏目に出てしまったらしい。
すると、間一髪肩を引かれ、私の代わりに颯爽と前に出たエマ様が、オルヴィス殿下に頭を下げた。
「恐れながら、オルヴィス殿下。彼女についての詮索はご容赦を。王弟殿下直々の命あってのことです」
「また叔父上の仕業か! フィリオリ伯爵令嬢、お前も相変わらずろくでもない左遷先で仕事とは、随分と気楽で羨ましいことだ」
「まあ、左遷だなんてとんでもない。こうやって素晴らしい聖女様にお仕えできて、至上の喜びですわ。どなた様かと異なって、やはり王弟殿下の慧眼は健在ですもの」
「はっ……減らず口を。上が上なら部下も部下だな!」
フィリオリ伯爵家は古くから続く武門の一族と言われ、陛下の覚えもめでたく、多くの優秀な騎士や諜報員を輩出している。長女たるエマ様も女だてらに大変お強く、ルクス殿下の虎の子として、家の名に恥じない働きを見せている。
「おい、そこをどけ。俺はその女に用がある」
「ご遠慮ください。王弟殿下より、不逞の輩は何人たりとも聖女様に近づけるなと申しつけられております」
「はあ!? 俺は王子だぞ!!」
癇癪を起すオルヴィス殿下に、にこやかな表情でぴしゃりといなすエマ様。二人の睨み合いが続く。トゲトゲだらけの応酬が物凄い。居心地が悪すぎて、当事者なのに私は身を竦めるほかなかった。
誰かどうにかして。
そんな切実な祈りが、天に通じたのか。
「何を騒いでいる」
凛とした声が、緊迫する場を打った。オルヴィス殿下も、目を見開く。
「……兄上」
入り口に立っていたのは、第一王子であるマティアス・セラフ・ノルンディード。こんなところで王子が揃い踏みとは、一体何事だろうか。
ざわつく院内を後目に、マティアス殿下はオルヴィス殿下の前に立った。眼鏡の奥から覗く切れ長の瞳が、オルヴィス殿下を冷静に見下ろしている。
マティアス殿下はもうすぐ18歳。オルヴィス殿下は16歳になったばかりだったはず。
こうして並ぶと、身長や体格の違いもあってか、マティアス殿下の威厳が不思議と大きく見える。誠実で優秀、打ち出した政策で民にもしっかり心を配る彼への支持は高い。着実に積み上げてきた王子としての実績に裏打ちされた自信に満ち溢れる姿は、指導者として申し分ない。
「オルヴィス、こんなところにいたのか。陛下がお呼びだ。早く行きなさい」
「……ちっ。行くぞ」
マティアス殿下を睨みつけ、忌々し気に舌を打つと、オルヴィス殿下は身を翻した。
彼の背中が消えるのを見送ってから、マティアス殿下はパンパンと手を打った。
「やれやれ。皆の者、オルヴィスが騒がせてすまなかったね。さあ、業務に戻りたまえ」
止まっていた時間が動き出したかのように、皆があくせくと仕事を再開していく。気になるところはあるものの、いつまでもちらちら様子を窺っているわけにもいくまい。
「さて、と。聖女殿」
「は、はい。第一王子殿下……」
「ああ、挨拶はいい。騎士団長、応接室を借りても構わないかな?」
「かしこまりました。用意させます」
やはり状況を静観していたらしい騎士団長に声をかけて、マティアス殿下はにこりと笑った。ルクス殿下の血縁者だなあと、しみじみ実感する。含みのある笑顔がそっくりだ。
「ちょっと君に話があってね。付き合ってもらうよ」
落ち着いたかと思いきや、怒涛の王子様による波状攻撃を食らうとは。今日は厄日なのだろうか。
逃げられるはずもなく、私はエマ様と一緒にマティアス殿下に促されるまま、応接室へと足を踏み入れるのだった。
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