ろくぶんのいち聖女~仮初聖女は王弟殿下のお気に入り~

綴つづか

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実験②

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※若干の流血表現を含みます





 ナイフを片手に満面の笑顔で準備ができたと呟く彼は、傍から見たら単なる危険人物でしかないので、妙に気が抜けてしまう。顔がいいから許されている部分も大きい。

「さあ、ユユア嬢。行くよ」
「気は進みませんが、はい」

 ルクス殿下は、すっとナイフを左腕に滑らせる。じわじわと皮膚に血が滲んでいく。低級ポーションでも容易に治る程度の浅い切り傷とはいえ、痛みがないわけではないだろうに、彼は平然としたものだ。

「偉大なる女神ウィルキオラの恩寵のひとかけを彼の者に。《治癒ヒール》」

 すかさず光魔法を唱えると、傷はゆっくりと塞がっていった。

「……あれ?」

 思っていたより、わずかに完治までに時間がかかった気がする。浅い傷だから、誤差の範囲かもしれないが。ここのところ治癒魔法の調子がよかっただけに、何だかがっくりきてしまう。またポンコツ特有のムラが発動したのか。

「いや、これは想定の範囲内だ。ふむ……なるほど、ここでようやく拮抗するか。凄いな」

 己の腕に残る血をハンカチで拭いながら、何がしかの成果を得たらしい殿下は、私に尋ねた。

「ユユア嬢、魔力はまだ残っているな?」
「ギリギリあと1回分くらいなら……」

 ルクス殿下の調査が控えている日は、元々治療を抑えめにしていた。本当は眠るのが一番効果的なのだが、昼休憩を挟みわずかにだが魔力も回復している。
 が、嫌な予感しかしない。

「今度は少し深く切る。時間を計りたい。ああ、ペンダントは外したままで」
「うええ……」
「大丈夫。君の治癒魔法は、湯に浸かっているみたいに心地が良いから、むしろ何度でもかかりたくなるよ」
「そういう問題じゃないです」

 何度口を酸っぱくしたところで上滑りするのはわかっているのだが、反抗したくもなる。
 砂時計を傍に置き、ルクス殿下は再びナイフを手に取ると、今度は深く己の腕を裂いた。思わず眉を顰めたくなる光景だ。

「《治癒ヒール》!!」

 患部に当てた掌から、柔らかな光が生まれる。早く治さねばという気持ちとは裏腹に、やはりどうにも効きが悪い。全く治っていないわけではないので、魔力が持つかヒヤヒヤしつつ、遅々とした治癒を進める。
 特段代わり映えのないナイフで殿下の腕を負傷させ、癒す。それを繰り返しもう何度目かになる実験だ。私の魔法は効果にムラが出るから、当然試みる度に治癒の速度が変わる。果たしてこれで何が得られるのか私にはわからないが、殿下は至極真面目な表情でいつも実験を見守っている。

「……前から気になっていたんだけど、ユユア嬢の瞳は、魔法を使っている最中は紫が更に濃く変化するね」
「は?」

 何を急に。呆気にとられた私が間抜けな声を漏らすと、ルクス殿下の瞳が愛しげなものでも見るように優しく細められた。
 気が付くと、乗り出すような姿勢で覗き込まれている。顔が凄く近くて、思わず息を呑んだ。膝の上に載せていた手には、ルクス殿下の掌が重なって。するりと甲をなぞる指先に、肌が小さく跳ねた。

「深く吸い込まれそうな虹彩の中に淡く黄金の粒が散って、夜空みたいに不思議と輝くな。僕は今まであらゆる魔石も宝石も眺めてきたけど、君の瞳が一番綺麗だ」
「……っ!」

 囁かれた言葉にも動揺する。そんな瞳の変化、今まで聞いたことがない。というより、絶対に今言うことじゃない。柄にもなく、血が湧き立ってでもいるかのように、全身が熱い。掌は変わらず繋がれたまま、互いの混ざり合った体温を伝えてくる。
 気恥ずかしさに矢も盾もたまらなくなり、私はぎっとルクス殿下を睨みつけてしまった。

「ち、治療中に集中を削ぐようなことは言わないでください!」

 一瞬、きょとんとルクス殿下が黙り込んだ後、何食わぬ顔でにっこりと口角を上げた。

「……おや、これは失礼。瞳は魔力放出による影響かなあ。神秘的で面白い」
「殿下、手! 手を……!」

 くすくすと喉を鳴らしながら、ルクス殿下は名残惜しそうに手を離してくれた。揶揄われた、揶揄われたに違いない。これは一体何の実験だ、揺さぶりか。傷を治している真っ最中に、趣味が悪すぎる。
 そのまま魔力制御に集中しているふりをして、私は俯いた。耳の奥に響く鼓動がうるさくて、落ち着かなかった。

「うんうん、いい結果が得られた。僕の想定通りだ」

 ご満悦のルクス殿下と裏腹に、想定外に治癒が長引いてしまったのは、絶対注意が散漫になってしまったせいだと思う……。もちろん、魔力が視えるらしいルクス殿下にも、ブレブレな様子が伝わったことだろう。

 つつがなく調査を終え、ルクス殿下がまとめた実験結果をノートに書きつけている間に、私は自分で淹れた紅茶をいただく。殿下の分も置いてあるが、大概飲むのは冷めてからになるのでもったいない。
 芳醇な香りが部屋に漂い、ほっと肩の力が抜ける。おかげで混乱しきりの感情もすっかり静まった。ここにきて以来、私の紅茶を入れる腕もだいぶ上がったはずだ。雑味も渋みもないマイルドな味わいで、美味しい。茶葉の提供はルクス殿下だから、きっと王室御用達とかのお高く良い茶葉だろう。

「そういえば、君がいてくれるおかげで魔物の勢いが弱まり始めている。まだ予断を許さないが、すぐすぐスタンピードが起こる状態でもなくなりそうだ」
「それはよかったです。回復した騎士や魔法師の皆様方も張り切っておられますしね」
「聖女様様だな。とうとう市民たちの間にも、王宮に聖女様が現れたという噂が流れだしたらしいぞ」
「わぁ……やめてください……」
「はは。まだ慣れないのか。まあ、これで迎え撃つ準備がしっかり整えば、スタンピードが起きても対抗できるだろう」

 魔物の出没は増えているものの、騎士団・魔法師団共に士気も上々。民衆の中に、依然として大きな混乱や動揺が訪れていることもない。国は少しずつ情報を開示し始めたらしく、備蓄や武器の準備、各地の避難場所の整備も進んでいる。聖女作戦も役に立ったということだろうか。
 無事、スタンピードを乗り切ったら、聖女の役割もお終い。私は諸手を挙げて、領地に帰れる。ルクス殿下のおかげで借金はなくなり、報酬も過分にいただけている。我が家はすっかり立ち直りつつある。

(そっか、終わっちゃうんだよなあ。そうしたら、きっと殿下にも会えなくなってしまうよね……)

 ふと、一抹の寂しさが胸を過った。
 元々、ルクス殿下も側近の方々もエマ様も、私にとっては雲の上の存在で。この契約が終わったら、身分的に切れても何らおかしくない縁だ。今はこうして毎日顔を合わせていても、いずれ会う機会もなくなってしまうのだろう。

(最初は、お金に釣られてやむなくだったのにな……)

 どたばたとルクス殿下に振り回される日々が、こんなに愛おしくなるだなんて思わなかった。すっかり慣れてしまった環境は、陽だまりのように居心地が良く優しい。
 でも、当たり前にある日々を、いつか手放す時がやってくるのだと、私は今更ながらにつきつけられてしまったのだ。

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