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しおりを挟むベッドの軋む音がカウントダウンに聴こえた。
過去の記憶がフラッシュバックする。
冷たいけれど、僕にだけ向ける優しい瞳。交錯するだけで、いつだって心が締め付けられていた。纏う空気も冷たいけれど、その温度が心地よかった。反抗的なのに従順な身体は僕が作り上げたもの。
全部全部、僕が育てた。だから――他の誰かに渡すなんて無理だ。
それが僕から離れてしまうなら、壊してしまうしかない。
そんな衝動に掻き立てられながら、首筋に唇を這わせれば、敏感な身体はひくりと期待に震えた。
淡い胸先は僕の指の中で息吹き、舌の上で花開き、鮮やかな紅へと変化を遂げている。
下肢の欲望は既に形を変え、まだ得ぬ刺激を欲して先走る涙で快楽を懇願するように、ふるふると痙攣を繰り返しているが――。
その様がたまらなく愛おしくて嗜虐心が湧く。
するりと欲望から滴る涙を掬い上げて、その湿りだけで滑らかな臀部に誘われるように隘路を辿り、窄まりに指を一本差し込む。
「ちっ……が! そっちじゃねぇ!」
震える肉を慰めて欲しいことはわかっている。
わかっているが、今は一刻も早く彼の内側を侵食したかった。もう、時間がないから。
やや急ぎ足で指の数を増やし、一掻きで見極めている内なる火種を擦ってやれば、面白いくらいに腰が跳ねる。
(この反応を見るのも今日で最期、か)
次第に彼は我慢が出来なくなったんだろう。自らの指でひくひくと鼓動を打つ欲望を握りしめ、手のひらの中に収めて手慰め始めた。
「そんなに我慢出来なかった?」
返事は返ってこない。
快楽を追うことだけに必死なんだろう。
「ねぇ、僕だけを見てよ?」
ふたりの時間はもう間もなく終わりを告げる。
だからこそ、全身に自分と言う存在を刻みつけておきたかった。永遠に忘れられないような、ふたりでしか共有できない快楽と共に。
僕の言葉で、彼は手慰んでいた指を離し、透明に濡れた手のひらを僕の頬へ滑らせてきた。何か、確かめるように。感触を忘れまいとするように。
その手の上に僕も手のひらを重ねる。
蜜に濡れた手指は、いつもより熱を帯びていた。
「もう、いい?」
「来い」
すらりと長い脚が開かれる。僕だけしか知らない身体は僕だけの仕様に作り上げられていて、難なく欲望を呑み込んでいく。抑え込まれた嬌声の代わりに肩に爪が食い込んで、ちりりとした痛みが走った。それすらも、今は哀しいくらい愛おしい。
互いの身体が隙間なく繋がり、馴染んだ頃を見計らって、ゆっくりと腰を使い始めれば、押し殺せない逼迫した吐息が聴こえて耳触りが良い。
そんなBGMを優雅に楽しめる余裕が、今日の僕にはない。最期なのに――最期だから優しくしてあげられないんだ。
激しく肉欲をぶつけ合い、互いに高みへの階段を駆け上がっていく。その頂上に待つのは幸か不幸か。今となってはどちらでもいい。
ベッドの軋む音がカウントダウンに聴こえた。
明日、彼は結婚する。
親が決めた許嫁と、数度しか顔を合わせたことすらない女と婚姻を結ぶ。何度も顔を合わせてきた僕すら――否、僕だから結ばれない。
やがて、ふたりの狭間で彼の熱が弾けた。
刹那、僕も彼の体内に想いを放つ。
互いの荒い呼吸だけが密やかな逢瀬の静寂を打ち消していた。
息が整う。
準備が整う。
「ねぇ、これからはずっと一緒だね?」
「ああ」
彼はいつも口数が少なかったけれど、最期まで変わらないその態度に心がじわじわと満たされていく。これからも、ふたりの間に変わるものはないのだと信じられるようで。
「なぁ」
「うん?」
彼が静かに口を開いた。
その双眸に、穏やかな顔をした僕が映っている。
「先に行くのは俺でいいか?」
「僕としては、君に追いかけられたいんだけどな」
「追いかけてた。いつも。お前が笑うたび、怒るたび、背中追いかけてた。だから、最期くらい俺を追いかけてこい」
そっと、彼の頬に手のひらを添える。
汗ばんでいるのとは別の温かさを感じる。
これから――。
その温もりを僕は奪う。
もう一度確かめたかったけれど、それはもう叶わないから――僕が奪う。
そして、永久にふたりだけの時を刻んでいく。
「今、すごく幸せ」
「ああ、俺もだ。とことん気が合うな」
頬に触れていた指が彼の首筋に下りる。他人よりもやや突き出た喉仏が好きだった。そこに、親指を押し当てる。
もう片方の指も添えて、優しく確かに喉仏を圧迫するように。
「僕もすぐに追いかけるから、心配しないで?」
彼はいつもどおりのニヤリとした笑みを浮かべた。どこまでもいつもどおりの。これからもきっと変わらない笑み。
「テメェを疑ったことなんて一度もねぇよ。信じ……」
――信じてる。
その言葉は、僕の両手が圧し潰した。
(もう、それ以上言わないで。どんどん君を好きになってしまう)
最後まで聞かずとも、彼が僕を信じてくれていることは、これまでの長い年月でしっかりと刻みつけられているから。
この選択が正しいのか、きっと誰にも理解できないだろう。
けれど、僕たちにとっては確かな正解で、確かな幸せ。これ以上の幸せな選択は他にないだろう。だってもう、終わりが来ないのだから。
これからはずっと、誰にも邪魔されずにふたりで歩んで行けるのだから。
たとえ身体という殻を喪っても、中身の心は永遠に結ばれる。
「ありがとう。ずっと僕のそばにいてくれて」
返事のなくなった唇にそっと口接ける。
(今、僕も君のもとへ行くね)
ギシッと軋んだベッドの音がカウントダウンの終わりを告げる。
手にした刃は永遠の愛を誓う指輪の代わりなのかもしれない。他の誰かと誓い合う前に、僕たちだけで誓い合うことを決めたのは昨日。
ありがとう。
ずっと一緒だね。
今までも、これからも。
最後にもう一度ベッドが軋んだ音が、合図のようにひとりだけになった静寂を裂いた。
最後のBGMはふたりが奏でる愛を誓い合った証。
その音は、彼の胸に倒れ込んだ音。
幸せな旋律。
END
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