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一章 入学旅行一日目

1-04  リール先生

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 世話好きな雰囲気の先程の女性――リール・ダリアリーデレが、すぐ後ろで心配そうに霧の様子をうかがっていた。
 そう、この女性の名前は、リール・ダリアリーデレ。
 きりは思い出した。
 彼女は魔法士学園の師範で、主人公チェカ・ダリアリーデレの年の離れた姉だ。そして登場人物の一人であるリューエスト・ダリアリーデレの叔母おばでもある。そのため作中では「リール姉さん」「リール先生」「リール叔母さん」などと呼ばれている。
 そしてこの「ダリアリーデレ」――ダリアの一族は、必ず体のどこか一か所に、鮮やかな金橙色オレンジいろの色彩を持って生まれてくる。リールの場合、それは左目だった。

(ああ、本当に……リール先生、リール叔母さん、そのものだ。会ったことないのにどこかで見たと思ったのは、彼女が『クク・アキ』に登場する人物だから、だったのだ!)

 先程彼女に会った途端、霧は慕わしい気持ちになったのを思い出し、笑顔になった。
 霧はこの物語、『ククリコ・アーキペラゴ~空飛ぶ古城学園と魔法士たち~』略して『クク・アキ』に出てくるほとんどの登場人物が好きだが、中でもリールには特別な感情を持っている。
 リール・ダリアリーデレは、極めて優秀な辞典魔法士であるにもかかわらず、少しも偉ぶったところがない人物で、明るく大らかな性格をしている。読書に没頭しすぎて寝食を忘れてしまうところなど、霧にとってはかなり親近感の湧く人物なのだ。
 『クク・アキ』の主人公であるチェカは末っ子のため、たくさんの兄姉きょうだいに囲まれて育ったが、その中でもチェカが一番に頼るのは、いつもこの年の離れた姉であるリールだ。彼女はいつも、ピリリと辛口ながら、愛に満ちた助言を与えてくれる。
 それに、特殊な問題を抱えていた甥のリューエストを引き取り、根気よく面倒を見続ける世話好きな面も彼女の愛すべきところだ。彼女自身は独身で子供はいないが、弟妹や甥っ子への接し方を見ていると、リールがどれほど素晴らしい母性愛に満ちているかが、よくわかる。

 ――だからこそ、霧はリールにかれてしまうのだ。

 霧には、母親に愛された記憶がない。
 霧は『クク・アキ』にリールが登場するたび、何度思ったことか。――もし、リールがあたしのお母さんだったなら、人生はどれほど優しい光で満ち溢れていただろう――と。
 そのリールが、目の前にいて、あろうことか霧のことを心配げに見つめている。霧はドキドキして、震える声でつぶやいた。

「リ、リール先生……」

 霧の言葉に、リールは少し驚いた後、にっこり微笑んで言った。

「あら、キリ。もう先生と呼んでくれるのね。嬉しいわ。そうよね、いつまでも『リール叔母さん』じゃ、家にいるみたいだものね」

 霧はびっくりした。

(え、リール、おばさん?! もしかして叔母?! 彼女はあたしの叔母なの?! リューエストと同じで、この人はあたしにとっても『リール叔母さん』?! つまり、どういうこと?! もしかしてこの夢、あたしってばリール先生の姪っ子設定?! いやいやいや、そんなはずない。いや待て、そういえばさっきリール先生は、リューエストのことを『妹を置いていくなんて仕方のない子』とか言ってなかった?! リューエストの妹って、まさかのあたし?!)

 物語の中でリールには何人も甥っ子姪っ子がいるが、彼女自身が育てたのは、彼女の兄から預かった甥のリューエスト一人だ。霧は考え込んだ。つまり、先ほどの推測が正しければ、霧はオリジナルキャラ設定で、リューエストの妹&リールの姪っ子として、物語の中に入り込んだということになる。

(なんて、素敵な夢なんだろう)

 霧は盛大に鼻息を吹き出すと、顔を紅潮させて喜びに胸を弾ませた。

 夢は、いつか覚める。覚めてしまう。
 本人の意思とは無関係に、唐突に終わってしまう。
 でも、それまでは。

(この夢を、楽しもう。こんな機会、滅多にない。うん、あたしはこの夢の中ではリール叔母さんの姪っ子で、リューエストの妹。そうに違いない。おまけに、魔法士学園に入学したての、新入生! よぉし、なりきるぞ!)

 霧は心の底から湧き上がってくる興奮と共に、大胆にもリールをハグして叫んだ。

「ありがとう、リール先生! もらった辞典ホルダー、大事にします!」

 リールはギュッと霧を抱きしめ返すと、名残惜し気に離した。そして静かな優しい声で霧に告げる。

「もう、この子ったら。ちゃんと卒業して立派な辞典魔法士になるのよ。いい、キリ、あなたには溢れる可能性がある。原因不明の病でずっと眠っていたことを、おくれを取ったなんて思わなくていいのよ。この先の一分一秒、すべてを楽しんで、精一杯生きればいいの。ああ……キリ、可愛い私の姪っ子」

 リールは目に涙を浮かべて、もう一度ギュッと霧を抱きしめて言った。

「行ってらっしゃい、入学旅行、楽しんで」

 リールの温かい抱擁と言葉に、霧は胸の奥から熱い感情が込み上げて、泣きそうな気持になってきた。「可愛い私の姪っ子」というリールの言葉が、心地よい響きを伴って霧の頭の中にリフレインする。

(可愛い私の姪っ子……。可愛い私の姪っ子……。可愛い私の姪っ子……。大事なので3回どころかもっとリフレインしたい。可愛い私の姪っ子。4回目。いい……すごく、いい……。5回目いっとくか)

 じ~ん……としながら、霧は幸福感に酔いしれた。
 先程リールが霧のことを「原因不明の病でずっと眠っていた」と言っていたことがどういうことなのか、ちょっと引っかかったが、夢なんだから深く考えないことにした。この素敵な夢を、つまらない悩み事なんかで曇らせたくない。霧がそんな風に考えて感慨かんがいに浸っていると、ペシッと、リールの平手が軽く頬に当たった。

「変な顔してないで、さあ、行きなさい。辞典魔法を呼び出して」

(そうだった。あたし、これから入学旅行に行くんだった)

 霧は頷くと、意気揚々いきようようとホルダーの留め口をはずし自分の辞典を開いた。
 そして、ためらう。

 入学旅行に旅立つ新入生たちは、みんなこの正面玄関に設けられた階段から辞典魔法を使って空に飛び、地上に降りる。この学園の難関試験を突破した生徒たちにとって、その魔法は難しいものではない。しかし――。

(あたしの辞典、使えるのか?)

 霧が持っているのは、日本の書店で購入した、ただの国語辞典だ。

(これ、ちょっと変わった辞典だけど、いわゆるこの世界の『辞典』じゃ無い……大丈夫か?)

 霧はそう思って、ほんの少し躊躇ちゅうちょした。


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