87 / 159
第七章──孝(いつくしみ)の若き子、親を忘れし心
87話
しおりを挟む
朱鷺は眠った振りをする幸吉に声をかけた。
「御前さま……何やら胸に思うところおありか? われに打ち明けてはくださらぬか」
朱鷺は優しく背中に寄り添う。温かいぬくもりが背中から広がる。
「いやな……忘れ得ぬ恩人がおる……それが、なぜかこの頃になりて殊のほか思い出されるのじゃ……いや、この屋敷に奉公してより常に胸にあったが、今はなおさらにな」
「忘れ得ぬ御方と申すか!」
朱鷺は飛び起きた。
「違う、違う! すまぬ、誤解なさるな……それは某が心にて親と仰ぐ御方じゃ。名をお雪婆と申す。産みの親たる父母、育ての親たるお館様、すなわち朱鷺の父上、そして心の育ての親、お雪婆……某には親と呼べる御方が多くおられるのじゃ」
「心の育ての親……?」
「左様。幼き折、某を導いてくだされたお方にて……」
幸吉は幼少期、お世話になったお雪のことを朱鷺に話した。
「そうであったか……そんな御方がおわしたとは……」
朱鷺は安堵すると共にある提案をした。
「もしよろしければ、会いに行かれてはどうじゃ? 父上にも話せばよい」
「いや、それはならぬ。某は番頭として責を負う身、お館さまには恩義もある。この店を任されておる以上、一時とはいえ投げ出すことは……」
幸吉は朱鷺の提案に心が揺れた。
「御前さま、案ずるな。御前さまの働きぶりは、父上もよくご存じじゃ。それに、幼き頃より御前さまを見てきたこのわれが、御前さまの父上への想いを知らぬはずがない。心底惚れ申した女房の申すこと、どうか信じてくだされ……父上ならきっとわかってくださる。憂うな」
朱鷺はぎゅつと幸吉を抱き締めた。
「すまぬな……お朱鷺……一度、話をしてみよう……」
幸吉はくるりと身体を返し、朱鷺を抱き締め身体を震わせた。
あくる朝、幸吉は兵之助の元に願い出るため部屋を訪れた。身なりを整え礼儀を尽くす。
「お館様、お願いがひとつ御座います。どうかお聞き届けくださらぬか」
改まった幸吉に横柄な態度を取ることなく兵之助も座し、厳しくも優しき眼差しを向ける。
「一時の間、お暇をもらいたく存じます」
「暇を申すか? 御前にはこの店を任せておるが……」
「はっ、そのことゆえ悩み申しました。されど、どうしても会いたき恩人が御座います。故郷に住まう、お雪という婆にて……。奉公に参ってより一度も会うこと叶わず、元気でおわすかどうか、ただ一度、顔を見とう存ずる。何卒お許しくだされませぬか」
幸吉は深く頭を下げた。
「父上、どうか幸吉殿の願いをお聞き届けくだされませ……。幸吉殿は丁稚の頃より、ただひたすら父上のため、この商いに身を捧げて参りました。せめて一度、この願いをお許しくださりませ」
兵之助は、夫婦二人で頭を下げる姿に思い悩んだ。
「……そうか。朱鷺もそこまで申すか。ならば、幸吉……行くがよい。恩人ならば、その一人前になった姿、見せて参れ。さぞ喜ばれようぞ……店のことは、何とかなる」
兵之助は朱鷺の方を見る。
「しばらくとて離れるのは忍びなかろう。朱鷺も行ってまいれ。幸吉がいう恩人がいかほどの人物か見て参れ」
幸吉と朱鷺は顔を見合わせ、顔を綻ばせた。
「お館さま……このご恩、決して忘れませぬ。誠に有難き幸せに御座います」
「道中、朱鷺をしっかり守るのだぞ」
幸吉は血は繋がらぬとも親とは温かいものだなと改めて感じていた。
「御前さま……何やら胸に思うところおありか? われに打ち明けてはくださらぬか」
朱鷺は優しく背中に寄り添う。温かいぬくもりが背中から広がる。
「いやな……忘れ得ぬ恩人がおる……それが、なぜかこの頃になりて殊のほか思い出されるのじゃ……いや、この屋敷に奉公してより常に胸にあったが、今はなおさらにな」
「忘れ得ぬ御方と申すか!」
朱鷺は飛び起きた。
「違う、違う! すまぬ、誤解なさるな……それは某が心にて親と仰ぐ御方じゃ。名をお雪婆と申す。産みの親たる父母、育ての親たるお館様、すなわち朱鷺の父上、そして心の育ての親、お雪婆……某には親と呼べる御方が多くおられるのじゃ」
「心の育ての親……?」
「左様。幼き折、某を導いてくだされたお方にて……」
幸吉は幼少期、お世話になったお雪のことを朱鷺に話した。
「そうであったか……そんな御方がおわしたとは……」
朱鷺は安堵すると共にある提案をした。
「もしよろしければ、会いに行かれてはどうじゃ? 父上にも話せばよい」
「いや、それはならぬ。某は番頭として責を負う身、お館さまには恩義もある。この店を任されておる以上、一時とはいえ投げ出すことは……」
幸吉は朱鷺の提案に心が揺れた。
「御前さま、案ずるな。御前さまの働きぶりは、父上もよくご存じじゃ。それに、幼き頃より御前さまを見てきたこのわれが、御前さまの父上への想いを知らぬはずがない。心底惚れ申した女房の申すこと、どうか信じてくだされ……父上ならきっとわかってくださる。憂うな」
朱鷺はぎゅつと幸吉を抱き締めた。
「すまぬな……お朱鷺……一度、話をしてみよう……」
幸吉はくるりと身体を返し、朱鷺を抱き締め身体を震わせた。
あくる朝、幸吉は兵之助の元に願い出るため部屋を訪れた。身なりを整え礼儀を尽くす。
「お館様、お願いがひとつ御座います。どうかお聞き届けくださらぬか」
改まった幸吉に横柄な態度を取ることなく兵之助も座し、厳しくも優しき眼差しを向ける。
「一時の間、お暇をもらいたく存じます」
「暇を申すか? 御前にはこの店を任せておるが……」
「はっ、そのことゆえ悩み申しました。されど、どうしても会いたき恩人が御座います。故郷に住まう、お雪という婆にて……。奉公に参ってより一度も会うこと叶わず、元気でおわすかどうか、ただ一度、顔を見とう存ずる。何卒お許しくだされませぬか」
幸吉は深く頭を下げた。
「父上、どうか幸吉殿の願いをお聞き届けくだされませ……。幸吉殿は丁稚の頃より、ただひたすら父上のため、この商いに身を捧げて参りました。せめて一度、この願いをお許しくださりませ」
兵之助は、夫婦二人で頭を下げる姿に思い悩んだ。
「……そうか。朱鷺もそこまで申すか。ならば、幸吉……行くがよい。恩人ならば、その一人前になった姿、見せて参れ。さぞ喜ばれようぞ……店のことは、何とかなる」
兵之助は朱鷺の方を見る。
「しばらくとて離れるのは忍びなかろう。朱鷺も行ってまいれ。幸吉がいう恩人がいかほどの人物か見て参れ」
幸吉と朱鷺は顔を見合わせ、顔を綻ばせた。
「お館さま……このご恩、決して忘れませぬ。誠に有難き幸せに御座います」
「道中、朱鷺をしっかり守るのだぞ」
幸吉は血は繋がらぬとも親とは温かいものだなと改めて感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる