そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第二章 帰郷

23.汚れた包帯

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 ベルトリウスは物心ついてから片手で数えるほどしか泣いたことがなかった。それも身体的に傷付いた痛みのせいで泣いただけで、悲しいとか悔しいとか、その手の情感面が起因となる涙は一度も流したことはなかった。そういった類いの負の感情が昔からあまり湧いてこないのだ。
 だから、目の前の男がどうして泣き出したのか理解に苦しんだ。ただ、泣いている人間がこういう時に何を求めているのかは分かる。”なぐさめ”だ。

「あー、俺ー……ごめん、こういう時に何て言ってやればいいのか分かんねぇわ。落ち着くまで待ってるから、ゆっくりしろよ」

 これが女性相手なら適当に思いやる言葉を掛けて抱擁ほうようしてやるだけで機嫌を取れるのだが、自尊心の高い年上の男となるとこの方法は使えないし、ただでさえ気難しいマギソンには下手な慰めは逆効果な気がしたので、いっそ放っておくことにした。

 結局マギソンが落ち着いたのは三十分後で、目と鼻と耳など各所に赤みを残し、何故かいつにも増して不機嫌そうな表情を取って顔を上げた。
 人相を悪くしたマギソンは常備していた包帯をハンカチ代わりに残った鼻水をぬぐいながら、いつもの調子を取り戻してベルトリウスをにらみ付けた。

「……お前は最低な野郎だ、あの女も……俺の人生はとっくに狂ってるが、お前らはまた一段と台無しにしてくれた。だから……責任を取ってもらう。いざ俺の家族を前にして、歯が立たねぇからやっぱり投げ出す、なんてことは許さねぇからな……」
「ははっ、何だそれ! さっきまで泣いてた奴がよく言うぜ! でもまぁ、やる気になってくれて嬉しいよ。早速出発しよう。クリィィィィ……そう言えばお前の実家ってどこにあるんだ? タハボートじゃないんだよな?」

 父兄が怖くて故郷を去ったというマギソンの話をふと思い出したベルトリウスは、クリーパーに投下位置を変えてもらうことはできないかと呼び付ける直前に考えた。今までの傾向をかえりみるに、注文を付けず飲み込まれた場合、クリーパーは地下室のあったジョイ商会の村で二人を降ろす気がしたのだ。マギソンの故郷が何個も国を隔てた場所にあるとすれば、移動だけでかなりの時間を食ってしまう。できれば目的地の近くに降ろしてもらいたかった。
 そんなベルトリウスの考えを聞かずとも理解したマギソンは、気が進まないといった表情で渋々と答えた。

「俺は……カイキョウの出だ。そこのイユロウって地方にいた。だが今はもうユージャムルに飲み込まれちまった国だからな……地名は変わってるかもしれない」
「カイキョウ、ユージャムルのイユロウか……言ったら伝わるかな?」
「さぁな……」

 ”言うだけ言ってみるか”と、ベルトリウスは今度こそクリーパーを呼び出し、今のやり取りをなぞって頼んでみた。

「なぁ、カイキョウって場所分かるか?」
「ンビィィ……?」
「それって分かんないってこと? じゃあイユロウは?」
「ビビャン」
「うーん……」

 同じ言語を使用していないクリーパーとの意思の疎通は難しかった。こちらからは口……正確に言うなら歯しか視認できないため、表情から肯定や否定を判断することもできない。質問する度に穴の大きさを変えて反応しているので、クリーパーなりに意見を伝えようとしてくれているのかもしれないが……。

 どうしようか悩んでいると、マギソンが鞘を被ったままの剣の先端部分で何やら地面に図を描き始めた。

「俺達を最後に拾った場所がここ……そっから国をまたいで……行き先はこの辺だ。分かるか?」
「ビャッ! ピピアヤァ!」
「あまり近場では降ろさないでくれ。できれば一つ二つ隣の地方で……」
「ビビビッ!」

 マギソンが描いたのは簡略化した大陸地図だった。説明を理解したのか、クリーパーはベルトリウスに尋ねられた時とは違う明るい声色で答えた。注文が通ったのだろう。二人は改めて大口を開けたクリーパーの中へと飛び込んだ。


「目がねぇのにどうやって地面に書かれた地図が分かんだよ。つーか、どういう体してんだこいつ?」
「さぁな」
「いっぺん、こいつの全身を見てみてぇよなぁ。土ん中を移動するんならモグラ似かな?」
「……ミミズだろ」

 普段なら無視していたであろう取り留めのない話を拾い始めたマギソンの内面的な変化にベルトリウスも当の本人も気付くことがないまま、二人は移動の間、いまいち盛り上がりに欠ける会話を存外ぞんがい長く続けた。



◇◇◇



 到着した場所は澄んだ日差しが降り注ぐ、草木の鮮やかな丘陵地きゅうりょうちだった。
 ミハやカナーは色味がないというか、冬がすぐそこまで迫っているような物哀しい景色をしていたが、ここは肌に当たる風が若干冷たいものの、赤や青、橙などの、どこまでも広がる色とりどりの花の絨毯じゅうたんが、ひと目でタハボートとは違う国に着いたのだと教えてくれた。

 ベルトリウスはマギソンがまた昔を思い出してぶり返さないかと隣を確認した。彼はじんわりと額に汗をかきながら、苦虫を噛み潰したような顔でなんとか耐えていた。

「この花……」

 おもむろに呟くと、マギソンは自身の足元に咲いていた赤いつぼみを垂らした花を踏みにじった。何度も何度も、しつこいほどに足の裏ですり潰す……この反応だけで充分察することができるのだが、ベルトリウスは自分の世界に入ってしまったマギソンを呼び戻すためにも一応問い掛けてみることにした。

「ここがカイキョウなのか?」
「……ああ。この赤い花はフポリリーと言って、カイキョウで特に見掛ける花だ。どれも蕾の外見そとみは赤いが、花弁の中の色が個体ごとに違っていてな……ちょうど年明けぐらいに開花するから、遊び感覚で一年の運勢を占うのに使われるんだ……」
「へぇ……」

 言い終わるとやはり嫌な思い出が浮かんできたのか、マギソンは顔色を悪くしたまま虚空こくうを見つめた。ベルトリウスは腰を落として片手に収まる大きさのフポリリーを一つ摘み取ると、マギソンの腰帯に付いているポーチを勝手に開けて、中へ無造作に突っ込んだ。

「おい、何すんだっ」
「占ってみようぜ。俺はよく死んじまうからお前が持ってろよ」
「土がないと枯れるだけだろ。俺の荷物を汚すんじゃねぇ」
「じゃあ地獄に戻ったら向こうで植えようぜ。年明けが楽しみじゃん。俺らの今後を……エカノダ様の征服運を試してみんのよ」
「その前に中で花がすり潰れちまうだろうが、くそっ……」

 先程までの青い顔が幾分かマシになったマギソンに舌打ちされながら、ベルトリウスはヘラヘラと笑って受け流した。



 マギソンによると、これほど野生のフポリリーが繁殖している地ならば今立っている場所がカイキョウと見て間違いないらしい。
 今回の目的は過去の清算だ。通りすがりの生物を見境なく襲うような真似はせず、目立つ行動を避けながら、まずはイユロウの現状について情報収集を始める。

 視界いっぱいに広がる丘のど真ん中を歩きながら、ベルトリウスはハッとしたようにマギソンを見た。

「なぁ、包帯余ってるか?」
「……汚れたのならあるが」
「そういや鼻水いてたな……ま、それでもいいや。しばらくの間貸してくんね?」

 マギソンの訝しげな視線を受けて、ベルトリウスは自身の人間離れした皮膚の色や所々抜け落ちてしまった金髪を指差して説明する。

「俺の見た目は病人や死人みてぇだろ? こんなのが街ん中で堂々と歩いてたら警戒されちまうからな、少しでも露出を減らしといた方がいいだろ。顔に包帯巻いて”賊に襲われてできた火傷です”つっときゃあ、同情引いて油断させられっかもしれねぇしな。いつ人に出会ってもいいように、今のうちから準備しときたい」
「……そんな上手くいくかよ」

 冷たく指摘しながらも、マギソンはフポリリーが入ったポーチとは別のポーチから鼻水が固まったぐしゃぐしゃの包帯を取り出して渡した。ベルトリウスは軽く礼を言って、汚れた包帯を躊躇なく頭に巻いた。
 本人が目立たないようにと選んだ格好だったが、目元だけ覗かせる包帯男というのは素の姿よりもよっぽど異様な雰囲気をかもし出していた。
 はたから見た印象もお構いなしに一人気が引き締まったベルトリウスは、マギソンを連れて起伏する大地を進んだ。
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