そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第二章 帰郷

24.ただより高いものはない

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 丘陵地から向かってくる二人組を発見したリリアは、作業に没頭していた父親のロスに慌てて声を掛けた。

「鎧を身に着けてるわ。盗賊かしら……」
「分からんがお前は家に入ってなさい。戸を閉めて、母さんにも気を張るよう伝えるんだ」

 リリアはなるべく自然な動作で家に入ると、父の言う通りかんぬきを掛けて、怯える母と共にナイフを握り締めて窓から外を覗いていた。用心に越したことはない。人里離れた場所に住む一家は他に助けを借りられないのだから。
 男達は外に残ったロスに対象をしぼり近付いてきた。一人は頭に包帯を巻いていて、そのただならぬ風貌にロスの警戒心は余計に高まった。

「止まれ!」

 ロスは直前に使用していたクワを向けて叫んだ。武装した複数を相手にするのは分が悪いが、妻子を参加させるわけにもいかない。
 まさか大人しく言うことを聞く気などないだろうと思っていたロスの予想に反して男達は素直に足を止め、包帯の男は無害を主張するように腕を頭の横に掲げて言った。

「すみません、脅かすつもりはなかったんです。ただ道を尋ねたくて」

 両の手のひらを見せつける相方にならい、隣の黒髪の長髪男も遅れて手を上げる。だがいくら殊勝しゅしょうな態度を取られたとしても、その程度で警戒が解けるはずがない。ロスは今度は自身の右手側にクワを向けた。

「ずっと東へ行けば街に着く。反対側は何もない。知ってるのはそれだけだ」
「そうでありがとうございます。……あの、厚かましいお願いではあるんですが、少し水を頂けませんか? 昨日野盗に襲われて追い払ったはいいんですけど、荷物を奪われてしまって……」

 申し訳なさそうに告げられた台詞に、ロスはしばし押し黙って考えた。何が真実で何が嘘かなんて、そう簡単に判別できない。二人は本当にこの近辺に潜伏している野盗に襲われたのかもしれないし、逆に彼ら自身が野盗で、この一軒家を襲撃しようとしているのかもしれない。
 よくよく考えてみると、後者の場合はこんな問答を繰り広げず今頃勢いで押し入ってきているに違いない。そうなれば前者だが、向こうの言い分通り近くで賊がうろついているとなると、ロスとしては用心棒代わりに数日残ってもらいたいところではある。
 浅慮に決めていいことではないが……もう少し詳しい話を聞いてみるぐらいはいいだろう。

「……水を飲んだら出てってくれよ。あと武器は持ち込み禁止だ。帰り際に返すから、一旦預からせてもらう」
「ありがとうございます! ええ、何でもどうぞ!」

 包帯男が声を弾ませて言うと、二人組は腕を下ろしてゆっくりと近付いてきた。
 ロスは周囲を確認して他に連れがいないことを確かめると、合流した二人から剣や鉈を受け取った。

「ん? あんた傭兵じゃないのか? 鉈しか持ってないなんて……」
「それが野盗と戦った時に剣を折られちゃいまして。他に武器になる物を持ってなかったので、返り討ちにした奴の得物えものを拝借しました」

 困ったように笑う声にいささか疑いの目を向けながらも、ロスは預かった武器を入口間際の外壁に立て掛け、窓際から外の様子をうかがっていた妻子に深く頷いてみせた。彼女達はためらいながらもしたかんぬきを引き抜き、招かれざる客を中に入れた。

「絶対に妙な真似はするなよ」
「勿論です! 少しお邪魔したらすぐに消え失せますとも! いやぁ、皆さん怖がらせてしまって本当に申し訳ない」

 終始無言な長髪の男に対し、包帯男の方は怪しげな外見とは裏腹にことほか腰が低かった。
 ロスは訪問者の二人には食卓の椅子に座るよう指示し、娘のリリアと妻のリアーナには飲み水を用意するよう頼んだ。そして自分は、食卓に座る二人が怪しい行動を取ってもすぐに対処できるように壁に寄り掛かって話を聞くことにした。

「あんたらの素性を教えてくれ」
「素性、ですか? まぁ、こんな見た目じゃ怪しんで当然ですよね。俺はベルトリウスって言います。こっちの無口なのはマギソン」

 ロスはずっと交渉役を務めていた包帯男……ベルトリウスではなく、先程から一言も発することのないマギソンを注視した。
 初見は本人の言う通り不審な格好をしたベルトリウスを怪しんだが、こうも口を開かず妙な圧を放ち続けているのを見ると、こちらの方が怪しく感じてしまう。
 それにこの顔、どこかで見たような気がするのだ。

 マギソンに向けられている関心をさえぎるように、ベルトリウスは話を続けた。

「俺達流れの傭兵なんですけど、この間の契約が終わってから次の仕事がなくって。どこか大きな街に行ってまた募集を探そうと思ってたんですけど、土地勘がなくて迷っちゃったんですよ。そこで野盗に襲われ、今に至るわけです」
「成程……失礼だが、その包帯はどうして巻いてるんだ?」
「これは……前の仕事の時に全身に火傷を負いまして。まだ治りかけですし、見栄えのいいもんじゃないので」
「ううむ、成程……」

 チラリと手首の服の袖をずらして色の変わった肌を見せられると、ロスは少しだけ気の毒そうな顔をした。
 ……一応、話の筋は通っている。十年前にユージャムルに併合されて以来、この国では定期的に反乱が起きていた。血のニオイを嗅ぎ付けた傭兵を雇って参加させるのもよくある話だ。本当に道に迷ってここに辿り着いただけなのか?
 ロスが考え込み、一旦会話が止まったタイミングでリリアが二人の前に水の入ったコップを置いた。

「ありがとうございます」
「いえ……」

 ベルトリウスは礼を言うと早速、”頂きます”と一言添えてコップに口を付けた。一気に飲み干すベルトリウスに対し、マギソンは手を伸ばすことなく身を固め、じっと水面を眺めていた。

「あの、どうかしましたか?」
「……いや」

 異物でも入っていて機嫌を悪くしたのかとリリアがコップを覗き込みながら問い掛けたが、マギソンは短い返事をするだけだった。

「すみません、こいつシャイなもんで……水、ありがとうございました。あとは街に向かう道を教えてもらいたいんですが……」
「あぁ、それなら昔使っていた地図がある。写しをやろう」
「本当ですかっ!」

 一層気持ちのこもった声を上げたベルトリウスに、ロスは二人は本当にただの迷い人なのだろうと思った。賊ならこうもやすやすと自ら家を出ていこうとはしない。先刻も考えたが、だだっ広い丘にひっそりと建つ小さな一軒家くらい、武装した二人なら回りくどい演技をせずとも乗っ取ることは容易いはずだ。そうしなかったということは自分達に危害を加えるつもりはないのだろう。


 ロスはリアーナに言って物置から地図と無地の白い布、先端が尖るように削られた細い木の棒と、赤い液体の入った小瓶を持ってこさせた。
 食卓に広げられた布と淡い黄味を帯びた地図をまじまじと見つめると、ベルトリウスは感心したように言った。

「これだけ丁寧に描かれた地図、よく一般家庭に置いてありますね」

 リアーナが持ってきた羊皮紙ようひし製の地図には左上に大きく”カイキョウ”と国名が刻まれていた。様々な色のインクを使用して街や山脈などの絵と名称が記されており、これほどしっかりした地図を平民が所持しているのは大変珍しいことだった。

「俺も昔は兵士でな。戦争でユージャムルに敗れた時、愛国心の強い奴らは一斉に解雇されて俺も職を失ったんだ。これはその時の上司からの餞別せんべつだ」
「そうだったんですか……しかし、その人に感謝ですね。お陰で俺達にご利益があった」
「ははっ、そうだな」

 植物の実をすり潰して水と混ぜ合わせた染料を木の棒の先端に付けると、ロスは食卓に広げた地図を見ながら無地の布に点描てんびょうで写していった。模写しながら、今の今まで警戒していた相手につい流れで身の上を話してしまった自分を恥じた。挙げ句に笑い声を漏らしてしまうなど……ロスは自分をたしなめるように一度咳払いをした。

 大まかな地形と街、現在位置を描き終えると、ロスは小瓶の蓋を閉めて二人に提案した。

「あんたら一日、二日泊まっていかないか? 収穫が滞っててな、地図をやる礼に畑を手伝っていってもらいたい」
「お父さん!?」
「あなたっ……!!」

 リリアとリアーナは何を言い出すんだと驚愕の表情でロスを見た。父親が見ず知らずの男達をいきなり泊めると言い出すのだから当然だ。妻子と同じように、提案された側のベルトリウスも若干困惑気味な様子を見せていた。だが……。

「ええと、そう仰るなら、まぁ……」
「駄目だ」

 押され気味に同意しかけたベルトリウスの言葉を否定したのが、出会って初めて口を開くマギソンだった。
 実際畑の収穫が遅れていたため、農作業要員兼、野盗対策のために二人を滞在させたかったロスは眉をひそめた。

「何故だ? 礼もなしに去るなんて失礼だとは思わないのか?」
「一日でも早く街に行きたいんだ。……そうだろう」

 マギソンはギロリと隣のベルトリウスを睨み付けた。ベルトリウスは困ったように笑って、”まぁ、そうだな”と首を傾げながら小さく呟いたが、ロスもそう簡単には開放してくれなかった。

「いいや、居てもらうぞ。ここまでしてやって恩を返さず出ていくなんて許さん」
「……」

 顔に向かって何度も不躾ぶしつけに指を差して強く主張するロスと、今にも手を出しそうな目で凝視するマギソン……両者譲らぬ態度に不穏な空気が流れ始め、妻子が身を寄せ合って震え出してしまった。このままでは不味いと思ったベルトリウスは、マギソンの肩を押しのけて文字通り二人の間に割って入った。

「まぁまぁ、落ち着いてください。ちょっと席を外させてもらいますね、こいつと話をしてきますので」

 そう言うとベルトリウスはマギソンを引っ張って外に出ていった。軒先の見える位置にいるが、小声で喋っていて家の中までは内容が届かなかった。不服そうなマギソンと呆れ顔のベルトリウスを観察していると、目に薄っすらと涙を浮かべたリリアがロスの腕を乱暴に取って訴えた。

「ちょっとお父さんっ、どうしてあんなこと言ったのよ!?」
「……この辺に野盗がいるかもしれないんだ。少し面倒を見てやるだけで、ただで傭兵を雇えるんだぞ」
「でも、だからって……」
「これも家族を守るためだ」

 ロスは娘のもっともらしい意見を突っぱねた。
 いたたまれない雰囲気の中、待つこと数分。話を終えた二人が食卓へと戻ってきた。

「さっきは失礼しました。流石にお返しもなしに出ていくのは忍びないですからね。何でもお手伝いしますよ」

 話は付いたようだが、ニコニコと話すベルトリウスに対してマギソンは気に食わなそうにロスを睨んでいた。
 突き刺さる視線を物ともせず、ロスは満足げに頷きながら早速指示を出した。

「よし、今日はもう残り時間が少ないが、日没までしっかり作業に励もう。鎧は外して適当に床に置いといてくれ」
「分かりました」
「……」

 カチャカチャとためらいなしに鎧を外すベルトリウスを見て、マギソンはわざと周囲に聞かせるように深い溜息を吐いて鎖帷子くさりかたびらを脱ぎだした。
 身軽になった二人に農具を持たせて、ロスは先頭を行って畑を案内するのであった。
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