そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第三章 口腹の幸福

57.月を隠して夜、あなたと浮上して ― 2

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「どうして、こんな所に閉じ込められてるの?」

 巧みにガラスを引っこ抜き侵入してきたイヴリーチを前にしても、少女は慌てる素振りも見せず、ぽけーっと口をだらしなく開けて迎えるだけだった。今しがた向けた言葉も耳に入らなかったのか、返答もない。
 先程の熱探知で、この塔に見張り兵が配置されていないのは確認済みだ。冷静に考えてみれば、こんな場所に幽閉される人物に見張りの一人も付いていないのはおかしな気もするが、彼女に事情を聞いてみれば分かることかもしれない。
 刺激しないように気を使い、緩やかに距離を詰める。
 ガラス越しでは分からなかったが、こうして近付いてみると顔の造形だけではない。毛穴一つ見当たらない滑らかな肌も、その至高の美貌の一端を担っている。
 一歩進むごとに何か一つ優れた点が見つかってしまう。まさに完璧。だからこそ、見た目に似つかわしくないつたない喋り方が気になってしまう。一見すると十代半ばに見える彼女の口から、幼児がするような舌足らずな言葉遣いが繰り出されるのだから、違和感を覚えるのは当然のことだろう。
 イヴリーチは長い胴を床に寝かせ、少女と目線が合うように上体を低くして言った。

「ねぇ……あなた、どうしてこんな所に閉じ込められているの?」

 もう一度ゆっくりと、聞き逃された問い掛けを繰り返してみると、少女はハッと我に返ったように体を小さく揺らし、口を開いた……が。

「とじ、こめ?」

 それだけ言うと、少女は首をコテンと傾げ、口をつぐんだ。
 澄んだ真っ直ぐな瞳を無言で向けられ、イヴリーチは困惑した。警戒はしていないみたいだが、魔物を前に平然としていられるのがまた奇異だ。
 イヴリーチがどう声掛けすればよいか迷っていると、再び少女が口を開いた。

「とじこめ、じゃないよ。おまえ、ここがおへやなの。ずっとここにいる……ここがおまえのおへやなの」
「あっ……会話できるんだ」
「できるよお! あんまりいっぱいは、しゃべれないけどね。でも、しゃべるのすきだよ! あんまりしゃべっちゃ、だめだけどね」
「えーっと……何がダメなの? お喋りしちゃダメって、誰かに言われてるってこと?」
「うん。おじょうさまがね、しゃべるとかちがさがる、っていうの。いしみたいにうごかずだまれって。なんだっけ……おきゃく? が、いっぱいしゃべるのきらいなんだって」
「……そうなんだ」

 片言ではあるが、短い言葉を返すことしかできないのだと決め付けていたイヴリーチは、ペラペラと絶え間なく舌を回す少女にやや面食らった。それはよいとしても、困るのはいまいち要領を得ない内容の方だ。
 イヴリーチは首を捻りながら、自身の脳内で話をまとめてから質問に移った。

「ずっとって……生まれてからずっと、この部屋から出たことがないってこと? じゃあ、十年くらいこの部屋にいるの?」
「うーん……よくわからない。きづいたら、ずっといるの。いつからはわすれたけど、いつもおじょうさまがやってきて、むちとかてでたたくの。いたいけど、おまえはすぐになおっちゃうから、つぎのあかるいときには、またたたかれるの。それがずっとだから、あかるいときはきらいなの。いやだっていうんだけど、たたかれるのはおまえのやくめなんだって」

 やはり要領を得ない話し方だが、少女が悲惨な境遇にいることは伝わった。だが、それを事も無げに語る少女に、イヴリーチは何だか苛立ちを感じていた。

「……あなた、名前はなんて言うの?」
「なまえ……”おまえ”だよ。おじょうさまがいつも、”おまえ”ってよぶから、”おまえ”なの。おまえはいやしくて、だれにものぞまれない、むかちなそんざいなの。おじょうさまいつもいってる。そんなおまえに、かかし……の、やくめをあたえてくれるおじょうさまには、かんしゃしなきゃいけないんだって」

 鱗があってもシワはできる。イヴリーチは隠すことなく眉間にシワを寄せた。
 少女が口にする身の上話は耳障りなものだった。つまりは憂さ晴らしの暴力を受けるために生きているわけだ。こんな可憐な少女に……いや、見目が好いからこそ汚したいという変態気質か。ともかく、無罪な少女に手を上げる屈折した心を持つミェンタージュにむかっ腹が立ったし、理不尽を当たり前のように受け入れている少女にも尖った感情が湧いていた。

「変なの。つまりあなたはミェンタージュから暴力を受けるためだけに塔に隔離されてるってこと? それって、おかしいよ」
「みえ……? おじょうさまのこと? おじょうさま、おかしいの?」
「おかしいのはお嬢様だけじゃなくて……はぁ。あのさ、腹が立たないの? 淡々と話してるけど、あなたが受けてることって酷いことだよ? 普通の人は鞭なんかで叩かれないし、こんな所で生活させられたりしない。こんなの当たり前じゃないんだよ?」

 イヴリーチの責めるような強い物言いに、少女は長い髪を顔の前に垂らし、しゅんと頭を伏せて呟いた。

「……べつに、あたりまえとおもってないよ。おまえは……だって、どうしようもないんだもん。おまえのところにくるのは、おじょうさまだけなんだもん。ほかにおまえのこと、しってるひとなんて、いないのにさ? おじょうさまがこなくなっちゃったら、おまえはここで、ひとりになっちゃうんだよ?」
「それでいいじゃない。来なくなれば鞭打ちもなくなるよ」
「……むちはないけど、さびしいよ……いたいより、さびしいのがつらいよ……」

 大きな目にうるうると涙が溜まり始める。泣く姿も芸術的だ。
 イヴリーチはこれまた、どうしたものかと頭を悩ませた。競りを待つだけではと情報収集に出掛けたのに、見つけたのは物知らぬ少女一人。しかも環境のせいで虐げられ根性が染み付いており、負けん気の強い自分とは相性が良くない。
 彼女を相手にするのは正直苦だが、ここでミェンタージュに取って代わり少女の心のり所となれば、アラスチカ家の弱みを探れるかもしれない。何せ少女はミェンタージュの”殴られかかし”なのだから、少しくらいは役に立とう。

 イヴリーチは小さく口角を上げ、心うちの薄汚れた考えをこれっぽっちも感じさせない聖人の如き物柔らかさで、銀髪の少女に微笑みかけた。

「じゃあ、寂しくないように私がお友達になってあげる。そしたら嫌なお嬢様だって切り捨てられるでしょ?」
「うぅん……? おともだちって、なに? なにするひとなの? おじょうさま、おこらないかな?」
「お友達っていうのは、お話したり、かくれんぼ……は、ここじゃできないか。とにかく、一緒に楽しく遊ぶ子のことだよ。塔の中じゃお喋りくらいしかできないけど、こんな場所で一人でじっと時間が過ぎるのを待ってるよりかはマシでしょ?」
「おしゃべり……! おまえ、おしゃべりしたい! おしゃべりしてるとさびしくないのに、おじょうさまはくちをひらくなっていうから、おまえつまらなかったの! ほんとはもっとおしゃべりしたいの! おともだち、なるよぉ!」
「ふふっ、良かった。でもねぇ、その……”おまえ”っていうのは良くないよ。そんなの名前じゃないもん。私がもっと綺麗なのを付けてあげるね」
「……おまえ、へんなの? 」
「あなたが変じゃなくて、名前が変なの。うーん、そうだなぁ……綺麗な銀の髪だから、”エイレン”……なんてどう? 私が一番好きなおとぎ話に出てくる、可愛い妖精の名前だよ」

 イヴリーチは上体を低く保ったまま、四メートルほど空いていた少女との距離をいつの間にか詰め、すぐ触れ合えるほどにまで近寄っていた。そして、床に広がる月光色の毛をひと束手に取り、眩しそうに目を細めた。

 それは、”銀の楽園”というおとぎ話だった。
 ある泉の底に住んでいたエイレンと呼ばれる一匹の妖精が、旅の休息のために寄り掛かった流浪の騎士に一目惚れし、住処すみかであった銀の岩を騎士に贈り物として与える物語である。
 騎士も健気で美しいエイレンに愛を囁いて次の旅先へ出発するが、実は銀の岩にはエイレンの他にも多くの妖精が住み着いていた。寝坊したエイレンを置いて花の蜜を集めに森へ行っていたのだが、帰ってくると家が消えている。これには皆、激怒した。
 正直に事情を話して謝罪したエイレンだったが、仲間の妖精達の怒りは収まらず、彼女らはエイレンを銀の岩に変えて新たな住居にしてしまう。
 翌年、エイレンに会うべく泉を訪れた騎士は、エイレンが自身のせいで銀の岩に変えられたことを仲間の妖精達に聞き、深く嘆いた。そして、仲間の妖精達に”自分も銀にしてくれ”と頼み込んだ。仲間の妖精達は、”罰はとうにエイレンに与えた”と言うが、騎士はエイレンと共にいることを望んだ。
 結局、妖精達は騎士をエイレンと同じく銀の岩に変えた。住居が広くなったと風の噂を聞きつけ、別の土地から新たな妖精がどんどんとやって来ると、たちまちに泉は妖精達の楽園となった。
 銀の岩になった騎士とエイレンは、妖精達の美しい歌声に囲まれながら、共に永遠を生きる喜びを分かち合うのであった……という、お話である。

 悲劇ではあるが、”愛する者のそばにいられること以上に素晴らしいことはない”、”己の全てを捧げられるほど愛の深い者になりなさい”、という教えが含まれているらしい。
 幼い頃のイヴリーチはこの物語に特別浪漫ろまんを感じていた。大人になった自分にも、一途に愛してくれる騎士のような情熱的な男性が現れると夢見ていた。
 今となっては男性など、数名を除きおぞましい存在にしか見えないが。

 一瞬のうちに色んなものを考えていると、いつしか上げていた口角が下がりきっていることに気付き、イヴリーチはまた口の端をくっと上げた。
 指先で遊んでいた髪をサラサラと一本ずつ流し落とし、視線を目前の少女に向けると、同時に少女が勢いよく立ち上がり、両手を天に掲げてその場でクルクルと回り踊りだした。

「えいれん! エイレン! すてきなひびき! すてきななまえ! もう、おまえじゃないんだね! これからは、エイレン!」
「……気に入ってくれてよかった。私達、いい関係になれそうだね」
「ね! ね! ……あっ! あなたは? あなたのなまえ、きいてないよっ?」

 ピタリと足を止めたエイレンが、形の良い鼻に横髪を数本引っ掛けながらイヴリーチを見つめる。

「言ってなかったっけ。私はイヴリーチ。よろしくね」
「イヴリーチ! イヴリーチも、すてきななまえ! イヴリーチとエイレン! おともだちだね!」
「ふふ、そうだね……お友達。あなたみたいな綺麗なお友達、初めてできたかも」
「え? イヴリーチも、おともだちいないの?」

 意外そうに言うエイレン。イヴリーチはすべやかな顔に手を伸ばし、鼻に掛かっていた髪を人差し指で掬って、あるべき方向へと流してやった。

 本当に美しいものは、嫉妬さえ起こらない。

 流した人差し指を耳、次いで顎に這わせると、エイレンはくすぐったそうに肩をすくめて笑った。
 そう、美人は笑ってるのが一番だ。悲痛に溺れる顔はよろしくない。

「私と会ったことはミェンタージュ……お嬢様には内緒ね? 変なこと言って怒らしちゃ嫌でしょ?」
「うん! エイレン、ないしょにする!」
「絶対に絶対、約束できる?」
「ぜったいぜったい! やくそくするする! 」

 エイレンは首を大きく縦に振り、無邪気に答える。
 何度も隠匿いんとくを結ばせ、イヴリーチはやっと成果に繋がりそうだと胸を撫で下ろした。
 立ち上がると存外身長の大きなエイレンは、やはり自身より年上なのだろう。コロコロと忙しなく変わる表情や全身で感情を表現する癖など、名付けたお陰か愛玩動物のようで愛おしく見えてくる。

 愛着というものに良い思い出はないが、しばし手元に置くぐらいならいいだろう。
 イヴリーチは埃を被った芸術品を磨くが如く、指で滑らかな頬の感触を楽しみながら何度もなぞった。
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