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第三章 口腹の幸福
63.口腹の幸福
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ミェンタージュが生まれた日のことは今でも鮮明に思い出せる。
上辺《うわべ》だけの笑みを貼り付けて生きる実に貴族らしい冷徹なパジオが、あの日だけは涙を流して妻であるカーネスターに惜しみない愛と感謝の言葉を捧げた。
祝福された子だった。
難産にも関わらず、目立つ障害も無く成長した。
―― 早くお父様とお母様のお役に立ちたいの!
そう言って魔術を教えてくれと自身にせがみ張り付いてきた小さな向日葵は、不慮の事故で母を失ってから変わってしまった。
満開の笑顔は消え、子供にしては酷く達観した表情を取るようになった。
魔物とは恐ろしいものだ。目に見えるものだけが破壊ではない。
侵蝕はずっと前から始まっていたのだ。
◇◇◇
劇場の控え室は舞台袖と繋がっていた。控え室でのやり取りが漏れないようカーテン付近には封音の術が掛けてあり、競り落とされた商品があっちへこっちへ行き来していた。
『十四番。こちらロフィアノ王国に現存するとある貴族の次女と、駆け落ち相手の下男《げなん》でございます。共に齢《よわい》十八、貞操の誓いは破られておりません。愛し合う二人を引き裂くも良し、あえて目の前で愛を”はぐくませる”も良し……金貨一枚からどうぞ』
進行を務める身なりの整った男が舞台上の一組の男女を紹介すると、揃いの面を付けて観覧席に座る買い手からは、”銀二!”、”金二!”と、最低金額からどんどん値を上乗せする声が上がる。
ショーディは第二控え室……言うなれば、”控え室に呼ばれるまでの控え室”、だろうか。そちらで三匹の魔物と静かに出番を待っていた。
ミェンタージュとはこれまで幾度となく共謀してきたが、此度の目論見はかなり挑戦的だった。いくら術で大人しくさせているとはいえ、追い詰められた獣は時に予想だにしない行動を取る。それを押さえ付けるために自分がいるわけだが、永遠に続く縛りなど強大な対価がなければ発動しない。つまり、手の内にはないということだ。
そのため出来得る限りの拘束を施してはいるが……所詮鎖で丸太に雁字がらめにして括り付けている程度。地下牢で飼い主だった金髪の男を絞め殺した筋力を思い出すに、こんなものはいざ本気で暴れ出されたら簡単に引き千切られるのだろう。
隣に並ぶ麗しき共犯者を覗き見ると、視線に気付いた彼女が薄っすらと余裕の笑みを浮かべて見上げ返してくる。きっと成長した本物のミェンタージュも、物事が上手くいった時はこんな風に笑っただろう。
「新しい試みは不安?」
「えぇ、まぁ……そんなところです」
「心配しなくとも上手くいくわ。いつだってそうだったでしょう。ところで、お父様はまだ来られないの?」
「今度の議会の準備が押しているようで、切りのいいところまで進めてから向かうとおっしゃっていましたよ」
「そう……遅くまでよく働く方ね」
大勢に成功の瞬間を収めてもらいたいミェンタージュは、自身の歴史的瞬間に乗り遅れそうな忙中のパジオに向かって吐き捨てるように言った。
舞台では十五番……十六番と、次々に商品が落とされていく。
スヤスヤと眠るこの二匹の番号は三十、三十一の連番。出番までに偽りの父が駆け付けるのを口を尖らせながら待つ姿は、嫌に人間臭かった。
そんなミェンタージュに突として変化が襲い掛かった。
「う”っ”!?」
グラリと反転する視界に、ミェンタージュはたまらず頭を押さえてしゃがみこんだ。これは何だと正体不明の症状に焦りを感じながら、とにかく目を閉じて深呼吸を繰り返した。
しかし、いつまで経っても状態は戻らない。それどころか不快感が増し、思考が妨げられる一方だ。
ミェンタージュは”大丈夫ですか!?”と、情けなく駆け寄ってきたショーディの胸ぐらを掴んで悲鳴に似た声を上げた。
「ショ……ショーディ……ッ、まさかっ、わたくしに術なんて掛けてないでしょうねぇっ……!?」
「そんな、まさか!! ここまで協力してきて裏切るわけないでしょう!! 何故今になってそのような疑いを!?」
「大声出すんじゃねぇわよぉっ!! ヴッ……あ、頭が痛いのよぉ……目が回って……っ、こうやって喋るのも辛いわっ……」
「それはもしや……い、いやでも……そんなことが……っ」
「グゥゥゥゥ……ッ、なにをモチャついてんだぁーーっ!? 気付いたことがあんなら言えやぁーーーーっ!!!!」
言ったそばからミェンタージュは自身で大声を放ち、反動で強い吐き気と頭痛を誘発する。
失態を重ねる相棒にショーディが気を取られていると、背後では一つの影がゆらりと立ち上がっていた。
「エイレン、へんなきぶん。しらないきおくが、あたまのなかにながれてくるの」
ポツリと部屋に落ちた声に二人はハッと顔を向けた。
そこには寝ていたはずのエイレンが、確かな意思のこもった目で両者と相対していた。
「おまっ、なんで起きてっ……!?」
「はじめは”メノー”だったね。つぎに”シエル”、そのつぎが”ジン”。たまにとりにもどっては、いろんなくにをわたりとんで……」
それは以前にミェンタージュが成り代わってきた人間達の名前だった。
静かな語り掛けに乗せ、焦らすように一歩一歩近付いてくる銀の髪にミェンタージュは底知れぬ恐怖を感じてしまった。
盾にするようにショーディを前へ突き出すが、エイレンの真っ直ぐな視線はミェンタージュを固定して止めない。先程まで小突いていた相手にどうしてこのような恐れが湧くのか……理解できないミェンタージュは無力にも静止を求めるしかなかった。
「よ、寄るなっ……!!」
「こんなわるいこだなんて、しんじたくなかったの。エイレンがイヴをきずつけるなんて、おともだちにひどいことするなんて、あったらいけないことだもんね。けど、うけいれるしかないんだよね。じぶんがじぶんだってことは、だれもひていできない。ごめんなさいして、イヴにゆるしてもらうしかない。ね? あなたもそうしなきゃって、おもうよね? きっといまからでも、わたしたちはやりなおせるはず」
「寄るなって言ってんでしょ!!おおおいっ、 ショーディ助けろぉっ!!」
「っ、クソッ!!」
ショーディは咄嗟にエイレンに向かって体当たりをした。身構えもしなかったエイレンはまともに直撃を食らい、吹き飛んだ先の壁に強く右半身を打ち付けた。
この期に及んで競売に出すことを前提で攻撃してしまったのがショーディの落ち度だろう。魔術だと跡が残るかもしれないと、最小限の攻撃に留めてしまったのが悪かったのだ。
痛みに悲鳴を上げたのは吹き飛ばされたエイレンではなく、ミェンタージュの方だった。
「いぎゃあっ!? ぇっ……なんでぇっ!? な、なんでわたくしがいたいのぉ!? ショーディッ、なんでぇっ!?」
「不味い……落ち着いて聞いてくださいお嬢様っ、私の考えによるとこれはっ……感覚が元の一個体に戻っているのです!!」
ショーディの言葉に、ミェンタージュは唖然として固まった。
「はっ……ぇっ……? そ……そんなわけあるかっ……おお、おれだぞっ、おれが元になったおれだってのにっ、なんでおれが偽物に引っ張られんだよぉっ!?」
「もととか、だれとか、かんけいないよ。わたしたちは、ひとつなんだから」
「うるっっせぇーーーーーーええええおれの垢《あか》カスがぁっ!!!! ショーディッ、あいつを殺して!! もう売るとかどうでもいいわっ、あいつを殺さなきゃおれが――」
今にも泣き出しそうな顔で悲痛に叫ぶミェンタージュをエイレンは薄く笑った。それが自身の立てた仮説を裏付けるものだと、ショーディは無情にもこうべを垂れるのみだった。
「やめたほうがいいよ。エイレンのいたみは、あなたのいたみ。エイレンがしねば、あなたもしぬ。ほんとうはわかってるんでしょ?」
「……んな……そんなバカなことあるかよぉっ!? おれが始めたんだっ!! やっとここまで進めたのにっ、なんでこんなっ……!!」
「お嬢様っ、体が……!!」
ショーディに指摘されて初めて、ミェンタージュは自身の指先がドロリと溶け出しているのに気が付いた。白い肌が蝋《ろう》のようにダラダラと爛れ落ちてゆく様に、思わず”ヒッ!”と喉が鳴る。
血も肉も肌も骨も、その全てが人間であった”ミェンタージュ”から奪い取ったものだ。内側から肉体を作り変えられた宿主の残留要素といえば、記憶と外見だけ……故に、外部に主導権を握られてしまったミェンタージュの身体は朽ちゆく運命を動かすことができなかった。
こぼれゆく肉体を必死に掬うも、受け止める手すら溶けているのだから必然意味をなさない。もう目からしたたるのが涙なのか肉体の欠片なのかも分からないまま、ミェンタージュは断末魔の咆哮《ほうこう》を上げた。
「やだぁぁぁぁ!!!! やだやだっっっっ、やだやだやだやだやだぁあああああああーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!! きえたくないっっ、こんなところできえたくないよ”ぉ”ーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっぉぉぉォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!!」
そして、全てが崩れ落ちると、ミェンタージュがいた場所にはドロドロの粘土溜まりと高価な服だけが残った。
「だいじょうぶ……もとのひとつに戻るだけだから」
エイレンは冷たく微笑むと、呆然と魔の亡骸を見て立ち尽くすショーディに視線をくれて言った。
「イヴを解放して。わたし達を外へ逃してくれるだけでいいの。何も悪さをしようって言うんじゃないから」
「……私が、お前の言いなりになるとでも?」
「万が一この体に傷を付けて、困るのはあなたでしょう? お父様に嫌われたいの?」
エイレンはそう言うと、文字通り顔を変えた。
銀の髪は金に染まり、金の瞳は翠に変わり、目も鼻も眉も口もありとあらゆる部分が形を変え変身を遂げると、そこには今まさに消えたばかりのミェンタージュの顔があった。
ショーディは震えた。長年仕えた主を欺きながら共に甘い蜜を啜りあったあの”ミェンタージュ”は、完全に個としての存在を上書きされてしまったのだ。そして、次は自分が彼女の能力の前に屈服させられる番……。
要はエイレンは実の娘を偽ってパジオに縋り付き、有ること無いこと言ってお前を処分させるぞと脅しているのだ。それだけは止めさせねばならない。積み上げてきた功績をふいにすることだけは。
追い詰められたショーディは対峙を選択した。
「お前を生かすことは罪だ!! お嬢様の仇っ……外へは出さん!!」
「それってどっちのミェンタージュ? 本物? それとも一緒に遊んでた”わたし”?」
堂々と煽り立てる馴染みの顔に、ショーディは身を切り裂く術を唱えようとした。
だが、悪いこととは続くもので……最悪のタイミングで、よりによって一番現れてほしくない人物が部屋の扉を開けて入ってきた。
「……どうしたんだ、二人共? 何故睨み合っている?」
「っ公!! お聞き――」
「お父様助けて!! ショーディがおかしくなってしまったの!!」
案外早く仕事を切り上げてやって来たパジオに向かい、ショーディは先手を打とうと声を張り上げたが、エイレンはそれを掻き消すように切羽詰まった演技で助けを求めた。
ショーディは不味い、と思った。パジオがどれだけミェンタージュを溺愛しているかはよく知っている。父親に似て冷静な娘がこれほど尋常ならざる様子を見せると……やはり、翠の目がこちらを訝しげに見つめていた。
「一体どういう状況だ? まずミェンから説明しなさい」
「公っ!? ち、違うのですっ、これはっ――」
「まずはミェンからと言ったはずだ!!」
「……ッ!!」
あまり聞かないパジオの怒声にショーディは冷や汗が止まらなかった。そうしている間にも偽のミェンタージュことエイレンは、ペラペラと嘘を吐き並べる。
”ショーディが急に銀髪の売り物の少女を自身の目の前で嬲り始めた”……”蛇の魔物も解体してしまおうと言い出すので必死に止めると、口にするもおぞましい品の欠いた言葉で侮辱された”……など、見る見るうちにパジオの目がつり上がっていく。
エイレンは震え泣きの演技までこなし、未だ眠りこける蛇の魔物を庇うようにいじらしく彼女に寄り添った。ここまでされてこちらの話を聞き入れてもらえるわけがない。それでも、ショーディは僅かな願いを胸に真実を告げた。
「公よっ、お聞きください!! それは誠のお嬢様ではございません!! そやつは魔物なのですっ!!」
「きっ……さまっ、私の娘をっ……カーネスターとの愛の結晶をっ、醜怪《しゅうかい》の同類だと……っ!?」
はやる気持ちが悪手を生んだ。せめてもう少し言葉を選ぶべきであった。
ショーディは好奇心に負けて魔物の誘いに乗ってしまった六年前の自分を責めた。同時に、溺愛を公然しておきながら血の繋がった娘と邪悪な魔物の区別も付かないパジオへの失望も湧き起こった。
互いの不甲斐なさに涙が溢れた。
「公よっ……違うのですっ……!! お嬢様は六年前に奥方様と共に亡くなられているのですっ……!! その醜悪な魔物にずっと成り代わられていたのですぞぉっ!!」
「やめろ……そのような世迷い言など聞きたくはないっ!! 醜悪は貴様の方だ!! 長年生態調査で魔物に接しすぎたせいで気を狂わせたのだ!! 二十余年勤め上げたせめてもの情け……私自ら鉄槌《てっつい》を下してやる……!!」
最早戦闘は避けて通れなかった。
屋外であれば単純に高威力の術を先に展開した方の勝利となるが、このような大事にしたくない屋内であると最小限の威力で致命傷を狙わなければならない。
攻めに出るか、守りに出るか。
熟練の魔術師同士の勝負は一瞬だった。
ショーディは懐から黄白《おうびゃく》色の石を取り出すと、パジオに向かって勢いよく投げた。すると、空中でパァッ! と目が潰れるような閃光が放たれ、既の所で目を閉じたパジオだが僅かに差し込んだ光に呻き声を上げながら両手で目を押さえた。
一方、一同の目がくらんでいる間にこの場から逃げ去ろうとしていたショーディもまた苦しみに藻掻いていた。
ショーディは鼻から口にかけてを硬い氷で覆われていた。それは閃光が放たれる前にパジオが展開していた術で、初めに鼻口に水を纏わり付かせ、直後に急速冷却することによって氷に変え呼吸を塞ぐという、なかなかに無慈悲な技であった。
言霊を操る術士としては口を塞がれるのは一切の力を封じられたも同然であり、この時点で勝敗は決していた。
二者が共に伏せるている隙に、エイレンはイヴリーチを揺さぶって起こした。
「イヴ起きてっ! わたしの力じゃ鎖を解けない!」
「……ぅ”ぅ”……っ」
ショーディが混乱しているために術の効力が弱まってきたのか、イヴリーチは呼び掛けに応じてゆっくりと目を開けた。
「ぇい……れん……なの? よかった……ぶじで……」
「うんっ、無事!! イヴも無事だよ!! ねっ、ここは危ないから、一緒に逃げよ!?」
姿こそ諸悪の根源・ミェンタージュの形をしていたが、その声の抑揚や喋り方は間違いなく慣れ親しんだ”銀の妖精”そのものであった。
徐々に鎮静術が抜けると、イヴリーチは尾の先で太い鎖をいとも簡単に引き千切った。
拘束から解放されたイヴリーチがシュルリととぐろを巻いて対面すると、エイレンはミェンタージュの顔のままフニャフニャと情けなく目尻眉尻を下げ、大粒の涙をこぼして鱗の肌に抱き着いた。
「イヴぅぅぅぅ~~!! ごめんなじゃいっ、わだぢのじぇいな”のぉ”~~!!」
「えっ、何っ、どうしたの……!? は、話は後で聞くからさ、今はここから脱出―― ッ!? グッ……!!」
イヴリーチは小さく呻くと、エイレンを引っ剥がして片手で胸を押さえた。
そして……。
「……っは、なれてぇっ!!」
「ぇっ?」
―― ブシャアッ!!
突き飛ばされたエイレンの目に映ったのは、全身から茶色い液体を噴射するイヴリーチだった。
イヴリーチは肩や胸など、内部から噴き出るものを漏らさまいと痛む箇所を手で押さえると、叫び声を上げながら苦しみに天を仰いだ。
「い…………いぃ”ぃ”や”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!! イヴッ、イヴッ”ッ”!?」
愛する少女の痛々しい姿に、エイレンは自身の頬に爪をメリ込ませながら絶叫した。
とにかく友人を巻き込まんまいと突き飛ばした瞬間に自身も飛ぶように移動して距離を取ろうとったイヴリーチは、ショーディとパジオの方へ寄っていた。そして、体内から弾けた液体は雨のように二人に浴びせ掛かっていた。
「ン”モ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ーーーーーーッ”ッ”!!!! ン”ン”ッ”、ン”ム”ゥ”ーーーーッ”ッ”!!!!」
「カッ、ハッ……!? ヒュッー……ヒュッーッ……、ッア……! 、ィ……ヘェ……ッ!」
氷で口を塞がれているショーディは、やり場のない悲鳴にこもった唸りを響かせながら床をのたうち回って暴れた。パジオもまた、側頸部に空いた風穴から浅い呼吸音を鳴らしながら、地に爪を立てて痛みに悶えた。
隣で転げる男を攻撃したのと同じ方法で、後遺症覚悟でポッカリ空いた穴に氷を纏わせて止血を試みる。だが、侵蝕はパジオを逃してくれなかった。パジオが傷口を氷で覆うと、邪魔をするなと謂わんばかりに肉に張り付いていた茶色の液体が内側から氷を溶かしてゆく。
慌てて再度喉を氷で固めてみるが、やはり食い破られる。何度繰り返そうが肉体への侵攻は止まず、ついにパジオは自身が助からない事実を悟り、向こうで驚愕に顔を引きつらせている愛しい娘に手を伸ばした。
―― ミェン……愛するお前を独り残すことが無念でならない。
不甲斐ない。己が憎い。この狂った術師が憎い。
どうか君よ、頼れる誰かを見つけて不幸を知らず生きてくれ。
私のミェン……私の小さな向日葵…… ――
血管中を微細な虫が這いずり回って移動しているような不快な感覚を味わいながら、パジオは息を引き取った。
部屋の隅では人知れずショーディも絶命しており、そんな彼らに見向きもせず、エイレンは血を吐き出すイヴリーチを前に混乱にふためいていた。
「フ……ッ!! グッ、ブ……ッッ!!!!」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、どうっ、どうしよっ、どうしよイヴッ!? ちっ、血がいっぱいっ、どうすればいいのっ!?」
赤い血と茶色い謎の液体が床で混じり合う。どうすればいいのか分からず立ち尽くすエイレンだったが、そんな中、さらに彼女の心を掻き乱す者が部屋の扉を開けた。
「ははっ、見事命中だな! 上出来じゃないかイヴリーチ」
入室してきた紫眼の男……ベルトリウスは、笑顔で身をよじらせるイヴリーチを讃えた。
エイレンは不意に現れた男の態度に未だかつてない感情を覚えた。怒りを超えた、言いようのない激情に頭が真っ白になった。
「あっ、なただれっ、なんでイヴのなまえ……っ」
「それに答える前に部屋を掃除しよう。放っておくと、どんどん広がってっちゃうんだよ」
そう言うと、ベルトリウスは暴れるエイレンを抱き上げて一旦部屋から出た。背後に控えていたケランダットが入れ替わりで入室すると、彼は毒に飲まれて息を荒げるイヴリーチを見るなり苦虫を噛み潰したように顔を歪ませ、浄化の光を部屋中を満たした。
部屋の外……廊下では、イヴリーチが発したとされる甲高い悲鳴が”ギャーーーーッ!!”と響いた。エイレンは一層手足をバタつかせて暴れたが、どれだけ殴ってもベルトリウスはヘラヘラして抱きとめる手を緩めなかった。
「近付かない方がいいぞ。君も魔物なんだろ? 外で聞いてたよ」
「離してよっ!! イヴがっ、イヴが叫んでるのっ!!!! イヴッ!! イヴッ!! ヴッ……う”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”……っ!!」
「なぁ、あの子は無事だよ。俺はあの子の仲間なんだ。目的を終えたから迎えに来たんだよ」
こんな状況に陥れた者が出してはいけない、穏やかな声だった。
大切な存在を傷付けた張本人に対し、どうして冷静に接せられようか?
ピカピカと扉の隙間から漏れ出る光が無くなると、ベルトリウスの拘束は緩んだ。エイレンは急いで部屋の中へと駆け込んだが、そこにいたのは丸焦げになったイヴリーチだった。
「ああっ……あああああああああ……っ!!」
鉄仮面の長髪男の足元に愛しいイヴリーチが転がっている。エイレンは絶望に打ちひしがれた。
ゆっくりと後を追ってきたベルトリウスは、小刻みに揺れる体を落ち着かせようと肩に軽く手を乗せてやった……が、エイレンは振り向き様にそのおぞましい手を叩き落とした。
「なにっ、なんなのっ!? あなっ、あなただれっ!? なんで笑ってるのっ!? なにが面白いのっ!? なかまって言うならどうしてイヴを傷付けるのよぉっ!!!!」
「あー、君すごく混乱してるだろう? 落ち着いてくれよ、イヴリーチは死んでも生き返るんだよ。今から地獄へ帰るけど、君も一緒に来るかい? この子と離れたくないんだろう?」
矢継ぎ早に質問を重ねるエイレンにベルトリウスは困ったように笑って言った。
射殺されるのではないかと思うくらいに鋭く睨まれる中、ベルトリウスはケランダットと共に、エイレンと動かなくなったイヴリーチを連れて劇場の外へと出た。
裏口から少し歩いた茂み……地面にポッカリと空いた穴へ向かうと、軟派な男は説明も無しにか細い腕を引いて飛び込んだ。
◇◇◇
四人が消えた劇場では、一つのアナウンスが流れていた。
『誠に申し上げにくいことですが……本日予定しておりました三十番、並びに三十一番の出展は、調整不良のため未定の延期とさせていただきます。皆様へ安心且つ安全な商品をお届けしたいという、我々も苦渋の決断でございます。何卒、ご理解賜りますよう、宜しくお願い申し上げます……』
観覧席からは多少のざわめきが立ったが、その晩の競売は無事閉会となった。
客が全員退出したのを確認すると、進行を務めていた男は静まり返った舞台上の端で、体を伸ばしながら大きな溜息を吐いた。
「フゥーッ……普通、盗賊がこんなかしこまった喋り方できっか? いいや、俺だけだね。流石はムドー……度胸と教養を兼ね備えた男……俺はマジに人の上に立つべき器なのかもしれねぇ……」
「なに馬鹿言ってんだ。早く団長の死体処理手伝いに行かねぇと、毒々大将に内臓ぶち撒けられちまうぞ」
「チッ……分かってるっつーの!」
司会役を投げられたコリッツァー盗賊団の団員ムドーは、紐でキュッと結ばれていた襟元を緩めながら、同団の仲間である赤髭と共に第二控え室へと向かった。
上辺《うわべ》だけの笑みを貼り付けて生きる実に貴族らしい冷徹なパジオが、あの日だけは涙を流して妻であるカーネスターに惜しみない愛と感謝の言葉を捧げた。
祝福された子だった。
難産にも関わらず、目立つ障害も無く成長した。
―― 早くお父様とお母様のお役に立ちたいの!
そう言って魔術を教えてくれと自身にせがみ張り付いてきた小さな向日葵は、不慮の事故で母を失ってから変わってしまった。
満開の笑顔は消え、子供にしては酷く達観した表情を取るようになった。
魔物とは恐ろしいものだ。目に見えるものだけが破壊ではない。
侵蝕はずっと前から始まっていたのだ。
◇◇◇
劇場の控え室は舞台袖と繋がっていた。控え室でのやり取りが漏れないようカーテン付近には封音の術が掛けてあり、競り落とされた商品があっちへこっちへ行き来していた。
『十四番。こちらロフィアノ王国に現存するとある貴族の次女と、駆け落ち相手の下男《げなん》でございます。共に齢《よわい》十八、貞操の誓いは破られておりません。愛し合う二人を引き裂くも良し、あえて目の前で愛を”はぐくませる”も良し……金貨一枚からどうぞ』
進行を務める身なりの整った男が舞台上の一組の男女を紹介すると、揃いの面を付けて観覧席に座る買い手からは、”銀二!”、”金二!”と、最低金額からどんどん値を上乗せする声が上がる。
ショーディは第二控え室……言うなれば、”控え室に呼ばれるまでの控え室”、だろうか。そちらで三匹の魔物と静かに出番を待っていた。
ミェンタージュとはこれまで幾度となく共謀してきたが、此度の目論見はかなり挑戦的だった。いくら術で大人しくさせているとはいえ、追い詰められた獣は時に予想だにしない行動を取る。それを押さえ付けるために自分がいるわけだが、永遠に続く縛りなど強大な対価がなければ発動しない。つまり、手の内にはないということだ。
そのため出来得る限りの拘束を施してはいるが……所詮鎖で丸太に雁字がらめにして括り付けている程度。地下牢で飼い主だった金髪の男を絞め殺した筋力を思い出すに、こんなものはいざ本気で暴れ出されたら簡単に引き千切られるのだろう。
隣に並ぶ麗しき共犯者を覗き見ると、視線に気付いた彼女が薄っすらと余裕の笑みを浮かべて見上げ返してくる。きっと成長した本物のミェンタージュも、物事が上手くいった時はこんな風に笑っただろう。
「新しい試みは不安?」
「えぇ、まぁ……そんなところです」
「心配しなくとも上手くいくわ。いつだってそうだったでしょう。ところで、お父様はまだ来られないの?」
「今度の議会の準備が押しているようで、切りのいいところまで進めてから向かうとおっしゃっていましたよ」
「そう……遅くまでよく働く方ね」
大勢に成功の瞬間を収めてもらいたいミェンタージュは、自身の歴史的瞬間に乗り遅れそうな忙中のパジオに向かって吐き捨てるように言った。
舞台では十五番……十六番と、次々に商品が落とされていく。
スヤスヤと眠るこの二匹の番号は三十、三十一の連番。出番までに偽りの父が駆け付けるのを口を尖らせながら待つ姿は、嫌に人間臭かった。
そんなミェンタージュに突として変化が襲い掛かった。
「う”っ”!?」
グラリと反転する視界に、ミェンタージュはたまらず頭を押さえてしゃがみこんだ。これは何だと正体不明の症状に焦りを感じながら、とにかく目を閉じて深呼吸を繰り返した。
しかし、いつまで経っても状態は戻らない。それどころか不快感が増し、思考が妨げられる一方だ。
ミェンタージュは”大丈夫ですか!?”と、情けなく駆け寄ってきたショーディの胸ぐらを掴んで悲鳴に似た声を上げた。
「ショ……ショーディ……ッ、まさかっ、わたくしに術なんて掛けてないでしょうねぇっ……!?」
「そんな、まさか!! ここまで協力してきて裏切るわけないでしょう!! 何故今になってそのような疑いを!?」
「大声出すんじゃねぇわよぉっ!! ヴッ……あ、頭が痛いのよぉ……目が回って……っ、こうやって喋るのも辛いわっ……」
「それはもしや……い、いやでも……そんなことが……っ」
「グゥゥゥゥ……ッ、なにをモチャついてんだぁーーっ!? 気付いたことがあんなら言えやぁーーーーっ!!!!」
言ったそばからミェンタージュは自身で大声を放ち、反動で強い吐き気と頭痛を誘発する。
失態を重ねる相棒にショーディが気を取られていると、背後では一つの影がゆらりと立ち上がっていた。
「エイレン、へんなきぶん。しらないきおくが、あたまのなかにながれてくるの」
ポツリと部屋に落ちた声に二人はハッと顔を向けた。
そこには寝ていたはずのエイレンが、確かな意思のこもった目で両者と相対していた。
「おまっ、なんで起きてっ……!?」
「はじめは”メノー”だったね。つぎに”シエル”、そのつぎが”ジン”。たまにとりにもどっては、いろんなくにをわたりとんで……」
それは以前にミェンタージュが成り代わってきた人間達の名前だった。
静かな語り掛けに乗せ、焦らすように一歩一歩近付いてくる銀の髪にミェンタージュは底知れぬ恐怖を感じてしまった。
盾にするようにショーディを前へ突き出すが、エイレンの真っ直ぐな視線はミェンタージュを固定して止めない。先程まで小突いていた相手にどうしてこのような恐れが湧くのか……理解できないミェンタージュは無力にも静止を求めるしかなかった。
「よ、寄るなっ……!!」
「こんなわるいこだなんて、しんじたくなかったの。エイレンがイヴをきずつけるなんて、おともだちにひどいことするなんて、あったらいけないことだもんね。けど、うけいれるしかないんだよね。じぶんがじぶんだってことは、だれもひていできない。ごめんなさいして、イヴにゆるしてもらうしかない。ね? あなたもそうしなきゃって、おもうよね? きっといまからでも、わたしたちはやりなおせるはず」
「寄るなって言ってんでしょ!!おおおいっ、 ショーディ助けろぉっ!!」
「っ、クソッ!!」
ショーディは咄嗟にエイレンに向かって体当たりをした。身構えもしなかったエイレンはまともに直撃を食らい、吹き飛んだ先の壁に強く右半身を打ち付けた。
この期に及んで競売に出すことを前提で攻撃してしまったのがショーディの落ち度だろう。魔術だと跡が残るかもしれないと、最小限の攻撃に留めてしまったのが悪かったのだ。
痛みに悲鳴を上げたのは吹き飛ばされたエイレンではなく、ミェンタージュの方だった。
「いぎゃあっ!? ぇっ……なんでぇっ!? な、なんでわたくしがいたいのぉ!? ショーディッ、なんでぇっ!?」
「不味い……落ち着いて聞いてくださいお嬢様っ、私の考えによるとこれはっ……感覚が元の一個体に戻っているのです!!」
ショーディの言葉に、ミェンタージュは唖然として固まった。
「はっ……ぇっ……? そ……そんなわけあるかっ……おお、おれだぞっ、おれが元になったおれだってのにっ、なんでおれが偽物に引っ張られんだよぉっ!?」
「もととか、だれとか、かんけいないよ。わたしたちは、ひとつなんだから」
「うるっっせぇーーーーーーええええおれの垢《あか》カスがぁっ!!!! ショーディッ、あいつを殺して!! もう売るとかどうでもいいわっ、あいつを殺さなきゃおれが――」
今にも泣き出しそうな顔で悲痛に叫ぶミェンタージュをエイレンは薄く笑った。それが自身の立てた仮説を裏付けるものだと、ショーディは無情にもこうべを垂れるのみだった。
「やめたほうがいいよ。エイレンのいたみは、あなたのいたみ。エイレンがしねば、あなたもしぬ。ほんとうはわかってるんでしょ?」
「……んな……そんなバカなことあるかよぉっ!? おれが始めたんだっ!! やっとここまで進めたのにっ、なんでこんなっ……!!」
「お嬢様っ、体が……!!」
ショーディに指摘されて初めて、ミェンタージュは自身の指先がドロリと溶け出しているのに気が付いた。白い肌が蝋《ろう》のようにダラダラと爛れ落ちてゆく様に、思わず”ヒッ!”と喉が鳴る。
血も肉も肌も骨も、その全てが人間であった”ミェンタージュ”から奪い取ったものだ。内側から肉体を作り変えられた宿主の残留要素といえば、記憶と外見だけ……故に、外部に主導権を握られてしまったミェンタージュの身体は朽ちゆく運命を動かすことができなかった。
こぼれゆく肉体を必死に掬うも、受け止める手すら溶けているのだから必然意味をなさない。もう目からしたたるのが涙なのか肉体の欠片なのかも分からないまま、ミェンタージュは断末魔の咆哮《ほうこう》を上げた。
「やだぁぁぁぁ!!!! やだやだっっっっ、やだやだやだやだやだぁあああああああーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!! きえたくないっっ、こんなところできえたくないよ”ぉ”ーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっぉぉぉォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!!」
そして、全てが崩れ落ちると、ミェンタージュがいた場所にはドロドロの粘土溜まりと高価な服だけが残った。
「だいじょうぶ……もとのひとつに戻るだけだから」
エイレンは冷たく微笑むと、呆然と魔の亡骸を見て立ち尽くすショーディに視線をくれて言った。
「イヴを解放して。わたし達を外へ逃してくれるだけでいいの。何も悪さをしようって言うんじゃないから」
「……私が、お前の言いなりになるとでも?」
「万が一この体に傷を付けて、困るのはあなたでしょう? お父様に嫌われたいの?」
エイレンはそう言うと、文字通り顔を変えた。
銀の髪は金に染まり、金の瞳は翠に変わり、目も鼻も眉も口もありとあらゆる部分が形を変え変身を遂げると、そこには今まさに消えたばかりのミェンタージュの顔があった。
ショーディは震えた。長年仕えた主を欺きながら共に甘い蜜を啜りあったあの”ミェンタージュ”は、完全に個としての存在を上書きされてしまったのだ。そして、次は自分が彼女の能力の前に屈服させられる番……。
要はエイレンは実の娘を偽ってパジオに縋り付き、有ること無いこと言ってお前を処分させるぞと脅しているのだ。それだけは止めさせねばならない。積み上げてきた功績をふいにすることだけは。
追い詰められたショーディは対峙を選択した。
「お前を生かすことは罪だ!! お嬢様の仇っ……外へは出さん!!」
「それってどっちのミェンタージュ? 本物? それとも一緒に遊んでた”わたし”?」
堂々と煽り立てる馴染みの顔に、ショーディは身を切り裂く術を唱えようとした。
だが、悪いこととは続くもので……最悪のタイミングで、よりによって一番現れてほしくない人物が部屋の扉を開けて入ってきた。
「……どうしたんだ、二人共? 何故睨み合っている?」
「っ公!! お聞き――」
「お父様助けて!! ショーディがおかしくなってしまったの!!」
案外早く仕事を切り上げてやって来たパジオに向かい、ショーディは先手を打とうと声を張り上げたが、エイレンはそれを掻き消すように切羽詰まった演技で助けを求めた。
ショーディは不味い、と思った。パジオがどれだけミェンタージュを溺愛しているかはよく知っている。父親に似て冷静な娘がこれほど尋常ならざる様子を見せると……やはり、翠の目がこちらを訝しげに見つめていた。
「一体どういう状況だ? まずミェンから説明しなさい」
「公っ!? ち、違うのですっ、これはっ――」
「まずはミェンからと言ったはずだ!!」
「……ッ!!」
あまり聞かないパジオの怒声にショーディは冷や汗が止まらなかった。そうしている間にも偽のミェンタージュことエイレンは、ペラペラと嘘を吐き並べる。
”ショーディが急に銀髪の売り物の少女を自身の目の前で嬲り始めた”……”蛇の魔物も解体してしまおうと言い出すので必死に止めると、口にするもおぞましい品の欠いた言葉で侮辱された”……など、見る見るうちにパジオの目がつり上がっていく。
エイレンは震え泣きの演技までこなし、未だ眠りこける蛇の魔物を庇うようにいじらしく彼女に寄り添った。ここまでされてこちらの話を聞き入れてもらえるわけがない。それでも、ショーディは僅かな願いを胸に真実を告げた。
「公よっ、お聞きください!! それは誠のお嬢様ではございません!! そやつは魔物なのですっ!!」
「きっ……さまっ、私の娘をっ……カーネスターとの愛の結晶をっ、醜怪《しゅうかい》の同類だと……っ!?」
はやる気持ちが悪手を生んだ。せめてもう少し言葉を選ぶべきであった。
ショーディは好奇心に負けて魔物の誘いに乗ってしまった六年前の自分を責めた。同時に、溺愛を公然しておきながら血の繋がった娘と邪悪な魔物の区別も付かないパジオへの失望も湧き起こった。
互いの不甲斐なさに涙が溢れた。
「公よっ……違うのですっ……!! お嬢様は六年前に奥方様と共に亡くなられているのですっ……!! その醜悪な魔物にずっと成り代わられていたのですぞぉっ!!」
「やめろ……そのような世迷い言など聞きたくはないっ!! 醜悪は貴様の方だ!! 長年生態調査で魔物に接しすぎたせいで気を狂わせたのだ!! 二十余年勤め上げたせめてもの情け……私自ら鉄槌《てっつい》を下してやる……!!」
最早戦闘は避けて通れなかった。
屋外であれば単純に高威力の術を先に展開した方の勝利となるが、このような大事にしたくない屋内であると最小限の威力で致命傷を狙わなければならない。
攻めに出るか、守りに出るか。
熟練の魔術師同士の勝負は一瞬だった。
ショーディは懐から黄白《おうびゃく》色の石を取り出すと、パジオに向かって勢いよく投げた。すると、空中でパァッ! と目が潰れるような閃光が放たれ、既の所で目を閉じたパジオだが僅かに差し込んだ光に呻き声を上げながら両手で目を押さえた。
一方、一同の目がくらんでいる間にこの場から逃げ去ろうとしていたショーディもまた苦しみに藻掻いていた。
ショーディは鼻から口にかけてを硬い氷で覆われていた。それは閃光が放たれる前にパジオが展開していた術で、初めに鼻口に水を纏わり付かせ、直後に急速冷却することによって氷に変え呼吸を塞ぐという、なかなかに無慈悲な技であった。
言霊を操る術士としては口を塞がれるのは一切の力を封じられたも同然であり、この時点で勝敗は決していた。
二者が共に伏せるている隙に、エイレンはイヴリーチを揺さぶって起こした。
「イヴ起きてっ! わたしの力じゃ鎖を解けない!」
「……ぅ”ぅ”……っ」
ショーディが混乱しているために術の効力が弱まってきたのか、イヴリーチは呼び掛けに応じてゆっくりと目を開けた。
「ぇい……れん……なの? よかった……ぶじで……」
「うんっ、無事!! イヴも無事だよ!! ねっ、ここは危ないから、一緒に逃げよ!?」
姿こそ諸悪の根源・ミェンタージュの形をしていたが、その声の抑揚や喋り方は間違いなく慣れ親しんだ”銀の妖精”そのものであった。
徐々に鎮静術が抜けると、イヴリーチは尾の先で太い鎖をいとも簡単に引き千切った。
拘束から解放されたイヴリーチがシュルリととぐろを巻いて対面すると、エイレンはミェンタージュの顔のままフニャフニャと情けなく目尻眉尻を下げ、大粒の涙をこぼして鱗の肌に抱き着いた。
「イヴぅぅぅぅ~~!! ごめんなじゃいっ、わだぢのじぇいな”のぉ”~~!!」
「えっ、何っ、どうしたの……!? は、話は後で聞くからさ、今はここから脱出―― ッ!? グッ……!!」
イヴリーチは小さく呻くと、エイレンを引っ剥がして片手で胸を押さえた。
そして……。
「……っは、なれてぇっ!!」
「ぇっ?」
―― ブシャアッ!!
突き飛ばされたエイレンの目に映ったのは、全身から茶色い液体を噴射するイヴリーチだった。
イヴリーチは肩や胸など、内部から噴き出るものを漏らさまいと痛む箇所を手で押さえると、叫び声を上げながら苦しみに天を仰いだ。
「い…………いぃ”ぃ”や”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!! イヴッ、イヴッ”ッ”!?」
愛する少女の痛々しい姿に、エイレンは自身の頬に爪をメリ込ませながら絶叫した。
とにかく友人を巻き込まんまいと突き飛ばした瞬間に自身も飛ぶように移動して距離を取ろうとったイヴリーチは、ショーディとパジオの方へ寄っていた。そして、体内から弾けた液体は雨のように二人に浴びせ掛かっていた。
「ン”モ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ーーーーーーッ”ッ”!!!! ン”ン”ッ”、ン”ム”ゥ”ーーーーッ”ッ”!!!!」
「カッ、ハッ……!? ヒュッー……ヒュッーッ……、ッア……! 、ィ……ヘェ……ッ!」
氷で口を塞がれているショーディは、やり場のない悲鳴にこもった唸りを響かせながら床をのたうち回って暴れた。パジオもまた、側頸部に空いた風穴から浅い呼吸音を鳴らしながら、地に爪を立てて痛みに悶えた。
隣で転げる男を攻撃したのと同じ方法で、後遺症覚悟でポッカリ空いた穴に氷を纏わせて止血を試みる。だが、侵蝕はパジオを逃してくれなかった。パジオが傷口を氷で覆うと、邪魔をするなと謂わんばかりに肉に張り付いていた茶色の液体が内側から氷を溶かしてゆく。
慌てて再度喉を氷で固めてみるが、やはり食い破られる。何度繰り返そうが肉体への侵攻は止まず、ついにパジオは自身が助からない事実を悟り、向こうで驚愕に顔を引きつらせている愛しい娘に手を伸ばした。
―― ミェン……愛するお前を独り残すことが無念でならない。
不甲斐ない。己が憎い。この狂った術師が憎い。
どうか君よ、頼れる誰かを見つけて不幸を知らず生きてくれ。
私のミェン……私の小さな向日葵…… ――
血管中を微細な虫が這いずり回って移動しているような不快な感覚を味わいながら、パジオは息を引き取った。
部屋の隅では人知れずショーディも絶命しており、そんな彼らに見向きもせず、エイレンは血を吐き出すイヴリーチを前に混乱にふためいていた。
「フ……ッ!! グッ、ブ……ッッ!!!!」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、どうっ、どうしよっ、どうしよイヴッ!? ちっ、血がいっぱいっ、どうすればいいのっ!?」
赤い血と茶色い謎の液体が床で混じり合う。どうすればいいのか分からず立ち尽くすエイレンだったが、そんな中、さらに彼女の心を掻き乱す者が部屋の扉を開けた。
「ははっ、見事命中だな! 上出来じゃないかイヴリーチ」
入室してきた紫眼の男……ベルトリウスは、笑顔で身をよじらせるイヴリーチを讃えた。
エイレンは不意に現れた男の態度に未だかつてない感情を覚えた。怒りを超えた、言いようのない激情に頭が真っ白になった。
「あっ、なただれっ、なんでイヴのなまえ……っ」
「それに答える前に部屋を掃除しよう。放っておくと、どんどん広がってっちゃうんだよ」
そう言うと、ベルトリウスは暴れるエイレンを抱き上げて一旦部屋から出た。背後に控えていたケランダットが入れ替わりで入室すると、彼は毒に飲まれて息を荒げるイヴリーチを見るなり苦虫を噛み潰したように顔を歪ませ、浄化の光を部屋中を満たした。
部屋の外……廊下では、イヴリーチが発したとされる甲高い悲鳴が”ギャーーーーッ!!”と響いた。エイレンは一層手足をバタつかせて暴れたが、どれだけ殴ってもベルトリウスはヘラヘラして抱きとめる手を緩めなかった。
「近付かない方がいいぞ。君も魔物なんだろ? 外で聞いてたよ」
「離してよっ!! イヴがっ、イヴが叫んでるのっ!!!! イヴッ!! イヴッ!! ヴッ……う”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”……っ!!」
「なぁ、あの子は無事だよ。俺はあの子の仲間なんだ。目的を終えたから迎えに来たんだよ」
こんな状況に陥れた者が出してはいけない、穏やかな声だった。
大切な存在を傷付けた張本人に対し、どうして冷静に接せられようか?
ピカピカと扉の隙間から漏れ出る光が無くなると、ベルトリウスの拘束は緩んだ。エイレンは急いで部屋の中へと駆け込んだが、そこにいたのは丸焦げになったイヴリーチだった。
「ああっ……あああああああああ……っ!!」
鉄仮面の長髪男の足元に愛しいイヴリーチが転がっている。エイレンは絶望に打ちひしがれた。
ゆっくりと後を追ってきたベルトリウスは、小刻みに揺れる体を落ち着かせようと肩に軽く手を乗せてやった……が、エイレンは振り向き様にそのおぞましい手を叩き落とした。
「なにっ、なんなのっ!? あなっ、あなただれっ!? なんで笑ってるのっ!? なにが面白いのっ!? なかまって言うならどうしてイヴを傷付けるのよぉっ!!!!」
「あー、君すごく混乱してるだろう? 落ち着いてくれよ、イヴリーチは死んでも生き返るんだよ。今から地獄へ帰るけど、君も一緒に来るかい? この子と離れたくないんだろう?」
矢継ぎ早に質問を重ねるエイレンにベルトリウスは困ったように笑って言った。
射殺されるのではないかと思うくらいに鋭く睨まれる中、ベルトリウスはケランダットと共に、エイレンと動かなくなったイヴリーチを連れて劇場の外へと出た。
裏口から少し歩いた茂み……地面にポッカリと空いた穴へ向かうと、軟派な男は説明も無しにか細い腕を引いて飛び込んだ。
◇◇◇
四人が消えた劇場では、一つのアナウンスが流れていた。
『誠に申し上げにくいことですが……本日予定しておりました三十番、並びに三十一番の出展は、調整不良のため未定の延期とさせていただきます。皆様へ安心且つ安全な商品をお届けしたいという、我々も苦渋の決断でございます。何卒、ご理解賜りますよう、宜しくお願い申し上げます……』
観覧席からは多少のざわめきが立ったが、その晩の競売は無事閉会となった。
客が全員退出したのを確認すると、進行を務めていた男は静まり返った舞台上の端で、体を伸ばしながら大きな溜息を吐いた。
「フゥーッ……普通、盗賊がこんなかしこまった喋り方できっか? いいや、俺だけだね。流石はムドー……度胸と教養を兼ね備えた男……俺はマジに人の上に立つべき器なのかもしれねぇ……」
「なに馬鹿言ってんだ。早く団長の死体処理手伝いに行かねぇと、毒々大将に内臓ぶち撒けられちまうぞ」
「チッ……分かってるっつーの!」
司会役を投げられたコリッツァー盗賊団の団員ムドーは、紐でキュッと結ばれていた襟元を緩めながら、同団の仲間である赤髭と共に第二控え室へと向かった。
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