そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第三章 口腹の幸福

64.どちらも愚かなものですから

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「自分が何をしたか分かっているの?」

 主人から怒気のこもった目で睨まれ、ベルトリウスはふてぶてしく片眉を上げた。

 ベルトリウス達が帰還してすぐ、エカノダは損傷の激しいイヴリーチを卵へ放り込んで蘇生作業に入った。
 立て続けに攻め込んでくる管理者への対応に追われ、しばらく地上の様子を窺う暇もなかったエカノダは変わり果てたイヴリーチの姿に苛立ちを感じているようだった。
 卵のそばから離れないエイレンの啜り泣きを聞くこと数時間……イヴリーチが元のくすみ一つ無いみずみずしい状態で復活を遂げると、歓喜に沸くエイレンや僅かに安堵を醸すケランダットを部屋に残し、ベルトリウスは個別で広間への呼び出しを食らっていた。

 座に着きもせず問いただす彼女が一体何に対して怒っているのか分からないので、ベルトリウスは正直に”何がですか”、と尋ねた。

「どうしてイヴリーチを毒の爆心に使ったのかと聞いているのよ」
「あぁ、そんなこと……どうしてって、近かったからです。あの子が一番」
「……そんなこと?」

 ぐっと眉をひそめるエカノダを見て、ベルトリウスは何故いちいち突っ掛かってくるの不思議でならなかった。

「今回相手をしたのは魔物と領主ですよ? 領主自身魔術師でしたし、奴にはもう一人別の術師が付き従っていました。どんな術を使ってくるか分からない相手とわざわざ正面から真っ向勝負する必要はありません。不意をついた……それだけの話じゃないですか。何を怒ってんですか?」
「お前は……目的のためなら仲間を犠牲にしてもいいと言うの?」

 その一言にベルトリウスは深く失望した。
 地獄を統べる王になりたい? こんな生ぬるい思考で?

 ベルトリウスは強者が好きだ。強者とは一切弱みを見せない者。こんな馴れ合いを優先するような弱々しい発言をエカノダにしてほしくなかった。
 だから、少し熱が入ってしまったのかもしれない。

「"仲間"なんて親しみを込めて呼ぶのは止めた方がいい。あなたは俺達を駒扱いしなきゃならない立場なんですから、変に優しさが染み付いちまったら大変ですよ」
「別に優しくしているわけではないわ。ただ、背中を向けると後ろから刺してくるような輩が身内にいると組織の士気に関わるから注意しているだけ」
「じゃあ聞きますけど、今回犠牲になったのがイヴリーチじゃなくて俺だったら、エカノダ様は原因となった者をこうして呼び出して問い詰めますか?」

 ベルトリウスが責めるような強い口調で尋ねると、エカノダは険しい顔のまま押し黙った。面白いくらい素直な反応を見せる主人に思わず鼻で笑ってしまう。別に否定してほしかったわけではない。むしろ、如何にも甘ったれた区別に愛おしさすら感じた。

「ほら、言いませんよね? あなたと出会ってから俺は何度も自己犠牲で物事を進めてやってるのに、どうしてイヴリーチの時だけ虫の居所が悪くなるんですか? 同じ獄徒が死んだだけでしょうに、俺とあの子の何が違うんです?」
「……お前は男で……大人で……あの子は小さな女の子よ。同じなわけがないでしょう」
「同じですよ。どっちも死のうが生き返る駒の一つで、一匹の魔物です。どこが違うってんです」

 言ってみて、流石に主に向かって言い過ぎたかと謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、ベルトリウスは腹部に強い衝撃を受けて広間の天井を突き破り、外へ吹き飛ばされていた。エカノダに思いきり殴られたのだ。
 放物線を描いて落下すると、時間を置いて痛みがやって来る。背面と腹部にジクジクと鈍い痛みが走り、次第に万本の針で刺し遊ばれているかのような鋭い痛みに変わる。質は違うが、ガガラの地下牢でイヴリーチに攻撃された時と同じくらいの苦痛だ。腹の状態を確かめようと浅い呼吸で手を伸ばしてみると、触れた瞬間にぬめりを帯びた感触と、”グチュッ”という恐らく漏れ出た中身であろう、聞くだけで吐き気を催す音が耳に届いた。

 そのまま息も絶え絶えに地に伏していると、追って城から出てきたエカノダが頭の先に立つ。
 可能な限り顔を上げてその表情を確認すると、冷え冷えとした視線が自身を貫いていた。

「もういい、お前なんて顔も見たくない。不要だわ。私の前から消えて」
「っ……、ぉこっ、て……ます……か……っ?」
「もういいって言ってるでしょ。もう口を開かないで。その軽薄な声を聞きたくないの。私の知らない所へ消えて野垂れ死んで。私に口答えしたことを後悔しながら、魂にかえって残忍な魔物共に際限なく弄ばれればいいのよ」

 言い終わりと共に、地鳴りが近付いてきた。エカノダは本気で自分を追放するつもりなのだと察したベルトリウスは、起き上がることもできないままパカッと空いた穴へと吸い込まれていった。



◇◇◇



「イ”ィ”ィ”ブ”ュ”ゥ”ゥ”~~ッッ!!!!」
「な、泣かないでエイレン……本当にもう大丈夫だから……」

 ミェンタージュの装いで力一杯に抱き着いてくるエイレンを受け止めながら、イヴリーチはぼうっとする頭で地上での出来事を振り返っていた。
 復讐……というには、何だか呆気ない終わり方だった気がする。実感が湧かないというか、元凶であるミェンタージュが友として認識していたエイレンと同化してしまったことにより感情のぶつけ所を無くしていた。

 やるせない気持ちでかつての忌まわしい女の髪を撫でていると、突如轟音が鳴り響くと同時に部屋が大きく振動した。
 少女達は驚き互いを一層強く抱き締めあったが、留守番中、度重なる拠点襲撃への対処に駆り出されていたケランダットはまた敵が仕掛けてきたかと悠長に溜息を吐いた。

「エイレンはここにいて。私とおじさんで様子を見てくるから」
「えっ、やだよ!! エイレンも行く!!」
「ダメ。敵がいると戦いになるんだから。エイレンが自力で魔物を殺す力を持ってるなら別だけどね」
「それは……」

 歴代の経験を辿るに、エイレンが宿主から受け継ぐことのできる肉体に関する技術は運動能力だけであった。本物のミェンタージュは微力だが魔術を展開できたのに対し、成り代わった後は知識があっても何故か術を発生させることができず、歯痒い思いをした記憶が残っている。
 同化で理性的な考えを得たエイレンは、引き際というものを心得ていた。

「分かった……大人しく待ってるから、無事に戻ってきてね。もう悲しい思いをするのはヤだよ?」
「うん。約束」

 イヴリーチとエイレンは目をつむり、互いの額をコツンと合わせて別れを惜しんだ。
 少女とは言え、同性同士で織り成す甘い雰囲気に良い感情を抱けなかったケランダットは、一人黙って現場へと向かった。

 音の出所である広間にポッカリと空いた天井の穴を見つけると、術を唱えて数メートルの高さを跳躍し穴から外へ出る。
 そこで目にしたのは……荒野に虚しく立つ、エカノダただ一人だった。

 ケランダットは連れ立って部屋を出たベルトリウスがいないことに胸騒ぎを覚えていた。エカノダに近付き、怒りをだだ漏れにする彼女におくすことなく話し掛けた。

「おい……あいつはどこにいるんだ」
「……殺して、遠くへ捨てたわ。私の命に背く輩なんて必要ないもの」
「はっ――」

 エカノダの言葉を聞いた途端、ケランダットは呼吸の仕方を忘れてしまった。
 足や指先が痙攣しているみたいに小刻みに震え、吸い込んだ空気がすぐに口から抜けていく。浅く荒い息遣いが始まり、氷柱で貫かれたような凍てつく痛みが胸を襲う。

 せっかく手に入れた……己の罪も怒りも、全てを肯定してくれたあの薄っぺらい笑みが目の前から消える……?
 そんなこと、受け入れられるはずがない。

 乱れた息のまま、ケランダットは冷たく横目で自身を見つめるエカノダに問い掛けた。

「ころ、した? あいつ、を? なんで、なんでだよ、なんで……」
「命に背いたからと言っているでしょう。何度も言わせないで、今気が立っているの」
「そ……んな……言われた仕事はこなしてきた、だろ……あいつ、ずっと、馬鹿みたいに文句も言わず、国を渡って、」
「それ以上耳障りな台詞を吐くのは止めて。ベルトリウスは消えたわ。あんな人でなしのことはもう忘れなさい」

 動揺するケランダットの意見を突っぱね、エカノダは非情にも背を向けた。
 ケランダットは目の前がぐにゃぐにゃと歪み、頭の中がカーッと熱くなるのを感じた。
 また嫌な記憶が蘇る。母との思い出にさかのぼる。どうして女ってのはこうなんだ。どうして気に食わないとすぐにどっかへやるんだ。俺の物、俺の大事な友達だったのに、どうして――。

「なんでおまえがっ、せっかく見つけたのにっ、おれの隣っ、何もしてくれなかった奴がどうして俺から取りあげるんだよぉっ!!」
「……いい大人が喚かないで。みっともない」
「うるせぇっ!! けっ、結局おまえもそうかよっ、俺が手に入れたもんを取って壊してっ、だから嫌いなんだよっ、感情的で欲深い女共っ!! お前らのせいでっ、どうして俺ばっかりが奪われなきゃならないんだ!?」

 駄々をこねる子供のように叫ぶと、ケランダットは腰の剣を鞘から抜いた。こんな混乱した頭では魔術が使えないからだ。
 しかし、剣をエカノダに振り下ろすどころか構えた瞬間に彼は体勢を崩すこととなる。エカノダの支配の印……出会った時に付けられた、首をぐるりと一周する傷が強く締まり出したのだ。縄で絞められているかのような痛み。気道を圧迫される息苦しさに思わず喉を引っ掻くが、実体のない攻撃故に無意味な抵抗に終わる。

 地に膝をつくも、ケランダットは尚もエカノダを睨み続けた。一段と恨めしそうな目を向けられ、エカノダは不愉快そうに自ら歩み寄った。そして剣を持つケランダットの右腕を両手で掴むと、その細い体に見合わぬ異常な力で、大の男の腕を骨を砕いた。

 ボキボキボキボキッ、と肉越しに小気味よい恐ろしい音が広がる。粉々になった骨が神経を刺激し、痛みの末に気絶することも許してくれない。悶え、悶え、悶えることしかできず、今まで負ったどんな怪我や病気よりも苛酷な仕打ちだった。

「ガァ”ア”ア”ア”ッ”ッ”!!?? フ、ゥ”ッ”、ン”ァ”ァ”ァ”ッ”!!!!」
「感情で動いてるのはどっち? 相槌が欲しいなら地上でまた好きな人間を連れてくれば? 魔物でいいなら造ってあげてもいいけど……あぁ、やっぱりそっちの方がいいかもね。何せをお望みだものねぇ」

 首元が緩められ、獣じみた悲鳴を上げるケランダットを見下しながらエカノダは冷たく吐き捨てた。
 そこへシュルリと、何かが擦れる音がやって来る。
 敵の襲撃だと思い駆け付けたイヴリーチが、信じられないといった表情でエカノダを見つめていた。

「エカノダ様……どうして、こんなこと……?」
「無礼者に制裁を与えるのは当然のことよ。別に殺しちゃいないわ。……また喚き出す前に私の元から消して。どこかへ連れて行って。しばらく生意気な野郎の顔を見たくないの」

 エカノダの指示にイヴリーチは悲しそうに顔を歪めた。
 呻くケランダットを肩に担ぐと、城に引き返そうと主人に背を向ける。進む前に少女は一度、僅かに顔を振り向かせて言った。

「わたし……わたしのために協力してくれたんです……二人とも……だから、酷いことしないで……」
「……」

 エカノダからの返答はなかった。しかし、いつも居丈高な彼女の表情がかすかに揺れた。
 少しだけ……本当に少しだけ、目に涙を浮かべたように見えた。

「どうして幼くして死した者が、死後も辛い目に遭わねばならないの……そんなの……救いがないじゃない……」
「―― え?」

 イヴリーチがしっかりと振り返ると、エカノダは入れ替わるように背を向けた。数秒待ってみたが彼女が再度こちらを相手にするような気配はない。肩から流れる男の苦悶の声にハッとすると、イヴリーチは急いでエイレンの待つ城内へと駆けた。






 残ったエカノダは、一瞬地揺れが己の足元を通り過ぎていったのを感じた。クリーパーが移動する際の振動だ。きっとここでは負傷した男への処置ができないと、地上へ降りていったのだろう。傷付けたのは紛れもない自分だというのに、どこか安堵していた。

 孤独な女王はわびしい荒野で誰に聞かせるでもなく呟いた。

「……自分の行いが正しいのか分かりません……どうか私に王道をお示しください……貴方様の御声で、私に道を……」

 胸元を手で押さえ、想いを馳せる。
 彼女の心を救う者は、この赤と黒の世界のどこを探しても、見つかることはなかった。
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