そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第五章 滅亡、または繁栄を祝う輪舞

86.わたしの太陽

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 暗澹あんたんとした意識の中、いつだったか遠い昔の記憶が蘇る。

 あれは初めて他者に成り代わった時のことだ。
 地獄から下界へ追いやられた己をつついた鳥……脆い泡から厚い肉体を持った生物に変わるというのは、言いようのない感覚だった。
 母鳥のくちばしから虫の肉をついばんだ記憶、天敵に兄弟が奪い去られた記憶……その鳥が経験した全てが、己のものであったかのように共有される。
 初めて直面する”思考”というものに当時はかなり戸惑ったが、今まで一方的に与えられていた”痛み”以外の感覚がこれほどまでに素晴らしいものだとは思わず、自然と涙がこぼれていた。

 羽の使い方は知っている。他者からすれば小さな鳥が飛び立っただけのありふれた風景だろうが、あの時の身に当たる風や己を照らす太陽には、世界の息吹いぶきを感じた。
 この美しい場所で永遠を生きよう。もう地獄には戻らない。あんな非道なバケモノしかいない所とは決別するのだ。
 そう思いながら、風の流れるがままにあちこちを移動した。


 ある日、畑の土に潜むミミズをほじくり返していた自分は、掘ることに夢中になりすぎて飢えた狼が真後ろに迫っていることに気付いていなかった。
 ひと噛みで体のほとんどを牙でえぐられた自分は、酷い苦しみを味わいながら意識が。鳥の自分は死に、新たに狼の肉体を得たのだ。この時初めて、自分には成り代わりの能力があるのだと知った。

 狼として陸地を移動し、先々で襲い掛かってくる者を乗っ取りながら数年の時を過ごした自分は、ある年に一人の人間に成り代わった。


「メノー、そろそろ結婚の準備を進めなきゃ。いつまで外の世界に出たいなんて夢を見ているの? 農奴が生まれた土地を離れられるわけないじゃない。あたしだってあんたみたいな冴えない男やーよ。でも、他に同い年の子がいないんだからしょーがないじゃない」

 メノー……十八歳の若き少年だった。荘園に迷い込んだイノシシの自分を叩き殺し、不運にも返り血を浴びて肉体を乗っ取られた男。初めての人間の器だった。

 メノーは農奴だった。土地に囚われる個体は使い勝手が悪い。早めに見切りを付けることにしたが、人間社会を知るために何年か彼として振る舞った。
 今まで獣の身でいくつもの季節を越えてきたが、獣と人間とでは思考力に差があることを実感した。視野が広がる、とでも言おうか。獣の頃は今を生きるだけで十分だったのに、人間になると海の泡沫うたかたとして生まれた己の弱き時代を、否定したくなったのだ。

 聞いた話によると、上位の人間が使う魔術という力は魔物すら凌駕りょうがするものらしい。他にも魔物が地上に存在すると知り恐怖心が芽生えたが、その特別な個体を乗っ取れば、いくら魔物が降りてきても恐れることはないのではと考えた。

 今度は自分が奴らを打ち負かし、この美しき世界で自由に暮らそう。
 決心の付いたおれは荘園から逃げ出した。すぐに地主が差し向けた追っ手に捕らえられたが、暴行を受けている最中に追っ手の一人の体を奪い取り、後日改めて隙を見て荘園を抜け出した。

 道沿いに見えた集落へ寄り、大きな街へゆき……各地を転々とした。





「シエルってば最近やけに大人しいね。少し前はドロんこになっていっしょに遊んでたのに。おなかの調子でもわるいの?」

 七歳の少女。
 幼すぎる。肉体が成長しても女という個体はどの地域でも地位が低く、好ましくない。魔術も使えないし。不採用。





「おとーちゃん、おかえりぃーー!!」
「おかえりなさいジン。ちょうど夕飯が出来上がるところよ」

 三十代後半の兵士。
 やはり職の選択は大きい。戦闘職に就いている人間は命を懸ける分、野生に生きる獣や農奴よりかは豊かな生活が送れる……が、この個体は小さな町の駐在兵なので魔術師からは遠い存在にある。戦地に赴くわけでもないので彼らとの接触の機会もない。不採用。





「お義父様とうさまったら、最近夜中に屋敷を徘徊しているみたいよ。外に出ようとしているのを巡回の兵士が止めたって……相当お義母様かあさまの死がこたえたのね。ボケが始まったのかしら?」
「こら、口が悪いぞ。それに本人の部屋の前で……」
「構いやしないわ。どうせ聞こえたって理解する頭が残ってないわよ」

 七十代の貴族の老爺。
 ついに辿り着いた上位種! 貴族の生活は最高だ……今後成り代わるのなら貴族だな。ただ一つ残念なのは、おれは成り代わった先の人間が持つ運動能力は受け継げても、魔術のような特殊な力は受け継ぐことができないということ……。
 残念……とても残念だ。これじゃ魔物とは戦えない……でも、仕方ないか。諦めて良い暮らしを満喫しよう。こいつの難点は歳を食いすぎていたことだ。若すぎる個体は使えないと思っていたが、先の短い者よりはいいのかもしれない。
 次だ、次。思い描いた未来からはそれてしまったが、悪いもんじゃない。人間ってのは案外面白い生き物だ。





「ミェンのやりたいことをやりなさい。どんなことでも応援するよ。ミェンは私と……お母さんの大切な宝物だからね」

 十歳の貴族の少女。
 きたきたきたーーーーっ!!!! 大当たりっ!! ドンピシャッ!! 国を牛耳ぎゅうじる大領主の娘とか最高じゃん!?
 自分が強くなれないなら、他の強い奴に守ってもらえばいいんだよ!! だゃははっ!! 母親と娘、どっちに成り代わろうか迷ったけど、やっぱ未来ある方がいいよなぁーー? 父親も甘ちゃんだし、ほんっっっっと最高の器だわ!!



 愚かなお父様パジオは娘の我が儘を何でも叶えてくれた。お陰で自室は金色の装飾品でいっぱいになった。
 金は好き。だって金の輝きは、下界に落ちてきて初めて見た太陽の輝きと同じまばゆさをしているから。

 金……金……もっと金が欲しい。もっと金で埋もれたい。国の印が刻まれた金貨は勝利の証。あの山で埋もれたい……そう思って、競売を始めた。
 手はずは上手く整えた。大きな商会と取引をし、お父様の力添えもあって競売は成果を収めた。何もかもが滞りなく進むのが嬉しくて、諦めていた己の能力の限界にも挑戦した。そして、分裂体を生み出すことに成功した。

 まさか生みの親であるおれがエイレンに乗っ取られるとは思わなかったけど、もっとすごぉい能力に仕上がったからいっかぁ……きっとミェンタージュのままなら、また能力の限界にブチ当たる。そう考えたら……あれ? エイレンに飲み込まれた? じゃあ、今のおれはなんだ?

 おれ……あれ……なんか、変だぞ。わかんなくなってきた。今の自分がどの人間の人格ってやつなのか……おれ……あれ? ……初めての本体……あれっ? 本体って、初めてのあたしって、こんな感じだっけ……?

 あれ? 違うな、初めての鳥は男だったから、おれって言ってんだよな? それとも女? いや、動物だからオスとメスか……じゃなくてっ!!
 えっ? オスだったから、自分のこと、オレって言ってるんだよね? あれっ? これって誰の喋り方だっけ? あれっあれっ? あっ、あたしがミェンっ!? 違うっ!! ミェンは”わたくし”だよ!! あっ!? あっ、あっ、今のは誰の人格の声っ!? 
 ジン、サック、ボミー、コーエン、サマーリア、ハンナ、エリヤ、マール……だっ、だめっ!! わかんない!! 自分の中に人がいすぎてわかんないよぉっ!?

 たすけてぇっ、誰かぁっ!! 本当の自分が分かんないのぉっ!! 人を飲み込みすぎたっ!! これは誰の記憶なのっ!? 誰かっ、おれの名前を呼んでくれぇ!! わたしが誰なのか教えてぇ!! 誰かっ!!!! 誰でもいいよぉっ!!!! 誰でもいいから教えてほしいのぉっ!!!!

 誰か呼んでっ……!!
 もう、”自分”が保てないっ……!















「エイレン」





 ふわりと、優しい金の髪が目の前に舞う。
 エイレン……そうだった。今の私はエイレンなんだった。

 ありがとう、あなたは――。





「私の大切な人、みんないなくなっちゃったから……エイレンだけは、いなくならないでね」





 思い出の中のイヴが、悲しく微笑む。

 ごめんねイヴ。
 エイレン、約束を破るところだった。

 今すぐ、戻るからね――。
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