2 / 48
1.大人げないのは誰? ― 1
しおりを挟む
イリファスカがこのアトラスカ侯爵家に嫁いだのは、十八歳になった時のことであった。
夫のセルヴェンは当時三十二歳。貴族学校を卒業すると共に王立薬学研究所に勤めに出ていたセルヴェンは、若い頃から生活のほとんどを研究に捧げるほどの仕事人間だった。
セルヴェンは長男であったにもかかわらず、家のことは十個年下の弟のビズロックに任せて、自分は職場近くの寮を借りて独立した生活を送っていた。
しかし、このビズロックという弟もセルヴェンに負けず劣らずの自由人で、自分本位な人だった。
髪も目も薄茶色の長身という身体的共通点以外、アトラスカ兄弟は見た目も考え方も正反対な男児達であった。
美丈夫といった風貌のセルヴェンとは違い、ビズロックは野性味のある厳つい大柄の男だった。
当時は国境に人を食らう凶暴な魔物が多数出没しており、国は国境警備にあたる志願兵を平民から募っていた。
あろうことかビズロックは、侯爵家の跡取り息子という肩書きを隠して勝手に志願書を提出していたのだ。
無論両親とは大喧嘩になったが、ビズロックは文字通り父を肩に担ぎ上げると、ワーワーと騒ぎ立てる使用人達の群れに投げ飛ばして説得し、その身一つで家を飛び出してしまった。
ビズロックが消えたことにより、セルヴェンは実家へ呼び戻されることとなる。
最初に家督相続から逃げだしたのはセルヴェンであったが、研究が波に乗ってきた時分に、“やっぱりお前が結婚して家を継げ”と命じられた彼は内心苛立って仕方なかった。
仕事の邪魔さえしなければ、相手など誰でもいい……そうヤケになるセルヴェンに両親が用意した相手こそ、伯爵家の長女、イリファスカ・ルーゼンバナスだった。
セルヴェンの両親としては、懇意にしている伯爵家の娘であれば、ひねくれ者の息子の我ままも上手く聞き流してくれるだろうと熟考しての人選だった。
だがセルヴェンはまさか十四も年の離れた小娘をあてがわれるとは思っておらず、後日どこからか婚約の話を聞き付けた職場の同僚から、『十四も年上じゃなくてよかったじゃないか』と、からかい交じりの祝福を受けたのが非常に不愉快であった。
そんな周囲への不満がどんどんと高まっていったセルヴェンは、親交を深めるために設けられたイリファスカとの初の顔合わせの席でわざと不遜な態度を取り、悪印象を与えて向こうから婚約を取り下げさせようと目論んだ。
予定の日……侯爵家を訪れたイリファスカを前にしたセルヴェンは、ひと目でその美貌に惹かれてしまった。
顔の形がよく分かるようすっきりと結われた淡い金髪に、透き通るような白い肌、二重まぶたの綺麗なアーモンドアイの中心に浮かぶ魅惑的な色彩の翠眼……まさに息を呑む美しさに、早くもセルヴェンの意思は揺らぎそうだった。
だが、娘の隣に立つルーゼンバナス伯爵の、『姉妹の中で最も美人で淑やかな子です。分をわきまえた良い子ですよ』という、まるで商人が売り出したい品を宣伝するかのような打算的な台詞がセルヴェンの頭を冷やしてくれた。
そうだ、この親子も“うまみ”を求めて父と母の誘いに乗ったのだ。惑わされてはいけない、ここで判断を誤ってはいけない――……。
セルヴェンが一人で葛藤する中、手入れの行き届いた花々が咲き誇る内庭にて茶会は開かれた。
“不遜な態度……不遜な態度……”と、とにかくセルヴェンは思いつく限りの悪い態度を取ろうと決心した。
だらしなく背もたれに寄り掛かり、長い足を偉そうに組み上げ、一口飲み終えたカップはガシャンッ! とわざと音が立つよう荒々しく置いた。
周辺に控える侯爵家側の使用人や警備兵達は、見たことのないセルヴェンの粗暴な態度にギョッとして見ていた。
しかし、イリファスカは彼がどんな荒々しい仕草を見せても、照れたように小さく微笑むだけだった。
成人したばかりの少女は親の都合で決められた婚約者とはいえ、結婚という繋がりに夢を抱いていた。彼女からすれば“おじさん”に分類されるであろうセルヴェンに対しても、お互いを知ろうと内気な性格を押し隠して必死に質問に乗り出た。
『セルヴェン様のご趣味はなんですか?』
『……』
『……あの、セルヴェンさま……? ……えっと……うちのお父様とお母様がですね、セルヴェン様はとても真面目で素敵な人だといつも言って――』
反応のないセルヴェンにより緊張が高まったイリファスカは顔を赤らめながら、それでも何とか会話を成立させようと一人健気に口を開き続けた。
セルヴェンは大きく舌打ちを鳴らすと、話を遮るように勢いよく立ち上がり、怯えるイリファスカを見下ろして冷たく言い放った。
『俺は一秒たりとも時間を無駄にしたくないんだ。このような実のない会話をよくも笑って続けられるものだな? 侯爵家に取り入りたいのなら、せめて相手の顔色を読み取る力くらいは身に付けておけ。俺の機嫌の悪さを知ってなお自分の話を聞かせようなどと、伯爵家の教育について甚だ疑問に思う』
自らの態度を棚に上げ、なるべく酷い言葉を選んで言い放つと、内庭にいた誰もが驚いた様子で渦中の二人を交互に見やった。
イリファスカは良くない注目を浴びて、くしゃりと顔をしかめて目にいっぱいの涙を溜めた。
『わっ、わたしっ……そんなつもりじゃっ……!』
うつむき、声を震わせる少女にセルヴェンは少し悪いことをした気分になった。
だがこれで年の近い別の婚約者を探せると自分に言い聞かせ、彼は黙ってその場を後にした。
イリファスカもこんな壮年のおじさんと結婚して、気を使い続ける生活を何十年と送るよりも、同世代の砕けた仲の青年と暮らす方が幸せに決まっている……。
セルヴェンは本気でそう考えていた。
夫のセルヴェンは当時三十二歳。貴族学校を卒業すると共に王立薬学研究所に勤めに出ていたセルヴェンは、若い頃から生活のほとんどを研究に捧げるほどの仕事人間だった。
セルヴェンは長男であったにもかかわらず、家のことは十個年下の弟のビズロックに任せて、自分は職場近くの寮を借りて独立した生活を送っていた。
しかし、このビズロックという弟もセルヴェンに負けず劣らずの自由人で、自分本位な人だった。
髪も目も薄茶色の長身という身体的共通点以外、アトラスカ兄弟は見た目も考え方も正反対な男児達であった。
美丈夫といった風貌のセルヴェンとは違い、ビズロックは野性味のある厳つい大柄の男だった。
当時は国境に人を食らう凶暴な魔物が多数出没しており、国は国境警備にあたる志願兵を平民から募っていた。
あろうことかビズロックは、侯爵家の跡取り息子という肩書きを隠して勝手に志願書を提出していたのだ。
無論両親とは大喧嘩になったが、ビズロックは文字通り父を肩に担ぎ上げると、ワーワーと騒ぎ立てる使用人達の群れに投げ飛ばして説得し、その身一つで家を飛び出してしまった。
ビズロックが消えたことにより、セルヴェンは実家へ呼び戻されることとなる。
最初に家督相続から逃げだしたのはセルヴェンであったが、研究が波に乗ってきた時分に、“やっぱりお前が結婚して家を継げ”と命じられた彼は内心苛立って仕方なかった。
仕事の邪魔さえしなければ、相手など誰でもいい……そうヤケになるセルヴェンに両親が用意した相手こそ、伯爵家の長女、イリファスカ・ルーゼンバナスだった。
セルヴェンの両親としては、懇意にしている伯爵家の娘であれば、ひねくれ者の息子の我ままも上手く聞き流してくれるだろうと熟考しての人選だった。
だがセルヴェンはまさか十四も年の離れた小娘をあてがわれるとは思っておらず、後日どこからか婚約の話を聞き付けた職場の同僚から、『十四も年上じゃなくてよかったじゃないか』と、からかい交じりの祝福を受けたのが非常に不愉快であった。
そんな周囲への不満がどんどんと高まっていったセルヴェンは、親交を深めるために設けられたイリファスカとの初の顔合わせの席でわざと不遜な態度を取り、悪印象を与えて向こうから婚約を取り下げさせようと目論んだ。
予定の日……侯爵家を訪れたイリファスカを前にしたセルヴェンは、ひと目でその美貌に惹かれてしまった。
顔の形がよく分かるようすっきりと結われた淡い金髪に、透き通るような白い肌、二重まぶたの綺麗なアーモンドアイの中心に浮かぶ魅惑的な色彩の翠眼……まさに息を呑む美しさに、早くもセルヴェンの意思は揺らぎそうだった。
だが、娘の隣に立つルーゼンバナス伯爵の、『姉妹の中で最も美人で淑やかな子です。分をわきまえた良い子ですよ』という、まるで商人が売り出したい品を宣伝するかのような打算的な台詞がセルヴェンの頭を冷やしてくれた。
そうだ、この親子も“うまみ”を求めて父と母の誘いに乗ったのだ。惑わされてはいけない、ここで判断を誤ってはいけない――……。
セルヴェンが一人で葛藤する中、手入れの行き届いた花々が咲き誇る内庭にて茶会は開かれた。
“不遜な態度……不遜な態度……”と、とにかくセルヴェンは思いつく限りの悪い態度を取ろうと決心した。
だらしなく背もたれに寄り掛かり、長い足を偉そうに組み上げ、一口飲み終えたカップはガシャンッ! とわざと音が立つよう荒々しく置いた。
周辺に控える侯爵家側の使用人や警備兵達は、見たことのないセルヴェンの粗暴な態度にギョッとして見ていた。
しかし、イリファスカは彼がどんな荒々しい仕草を見せても、照れたように小さく微笑むだけだった。
成人したばかりの少女は親の都合で決められた婚約者とはいえ、結婚という繋がりに夢を抱いていた。彼女からすれば“おじさん”に分類されるであろうセルヴェンに対しても、お互いを知ろうと内気な性格を押し隠して必死に質問に乗り出た。
『セルヴェン様のご趣味はなんですか?』
『……』
『……あの、セルヴェンさま……? ……えっと……うちのお父様とお母様がですね、セルヴェン様はとても真面目で素敵な人だといつも言って――』
反応のないセルヴェンにより緊張が高まったイリファスカは顔を赤らめながら、それでも何とか会話を成立させようと一人健気に口を開き続けた。
セルヴェンは大きく舌打ちを鳴らすと、話を遮るように勢いよく立ち上がり、怯えるイリファスカを見下ろして冷たく言い放った。
『俺は一秒たりとも時間を無駄にしたくないんだ。このような実のない会話をよくも笑って続けられるものだな? 侯爵家に取り入りたいのなら、せめて相手の顔色を読み取る力くらいは身に付けておけ。俺の機嫌の悪さを知ってなお自分の話を聞かせようなどと、伯爵家の教育について甚だ疑問に思う』
自らの態度を棚に上げ、なるべく酷い言葉を選んで言い放つと、内庭にいた誰もが驚いた様子で渦中の二人を交互に見やった。
イリファスカは良くない注目を浴びて、くしゃりと顔をしかめて目にいっぱいの涙を溜めた。
『わっ、わたしっ……そんなつもりじゃっ……!』
うつむき、声を震わせる少女にセルヴェンは少し悪いことをした気分になった。
だがこれで年の近い別の婚約者を探せると自分に言い聞かせ、彼は黙ってその場を後にした。
イリファスカもこんな壮年のおじさんと結婚して、気を使い続ける生活を何十年と送るよりも、同世代の砕けた仲の青年と暮らす方が幸せに決まっている……。
セルヴェンは本気でそう考えていた。
36
あなたにおすすめの小説
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる