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2.大人げないのは誰? ― 2
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結局セルヴェンが研究所で缶詰めになっている間に、婚約の件は双方の親によって強引に進められていた。
ひと月ぶりに帰宅する自分を迎える母が妙に浮ついているなとは思っていたが、まさか三ヶ月後に控えた式の日程を聞かされるとは……セルヴェンは大変に驚いた。
家の都合で、あんな価値観の合わなそうな幼い子供を娶らねばならぬ。
結婚後、世間から年下好きの変態扱いされるであろう屈辱……揉め事が起これば、自身に泣き付いてくるであろう未来の妻への鬱陶しさを考えると、めまいがした。
セルヴェンは現実逃避をするために、結婚式の前日ギリギリまで研究所に閉じこもった。
スーツの裾合わせなど、最低限の準備のために何度か家に寄ったことはあったものの、『どうせだから結婚相手であるイリファスカに何か贈り物をしておこう』だとか、『手紙で今までの非礼を詫びよう』などという前向きな考えは一切湧かなかった。
彼の中にあったのは、ただただ“面倒くさい”という気持ちだけだった。
こうなるまで行動しなかったのは他でもないセルヴェンである。
本当に婚約を解消したかったのであれば、自ら率先して各人と話し合いすればよかったのだ。そもそも『年の近い相手がいい』と、はなから両親に要望を伝えていれば、侯爵夫婦も別の候補者を探したことだろう。
なのにセルヴェンは、無礼な態度を取った初めての茶会の席で一方的に関係を終わらせた気になっていた。
結婚という自身にとっても家にとっても大事な事柄を、ずっと他人任せにしていた男に後から文句を言う権利などないのだ。
セルヴェンは被害者ぶっているが、一番の被害者はこんな愛も責任感もない夫を持つことになったイリファスカであろう。
次期家長としての姿勢をろくに見せない息子に、侯爵家の将来を憂いたアトラスカ夫婦……上位貴族からの援助を受けられるからと、不安を募らせる娘を喜んで差し出したルーゼンバナス伯爵夫婦……あらゆる負の要素が噛み合って仕上がった悲劇だった。
式当日……例の茶会から約半年が経過した春の日。
久しぶりに顔を合わせた少女は美しいドレスを身に纏い、今にも泣き出しそうな表情で体格差のある新郎と腕を組み、真っ赤な絨毯の上を歩いた。
参列者の誰もが、この夫婦は長続きしないと影でせせら笑った。
イリファスカを異性として見られないセルヴェンが愛人を作るのが先か……はたまた生真面目なセルヴェンに飽きたイリファスカが不貞を働くのが先かと、下卑た賭けをする者達もいた。
夫婦として誓いを立ててから迎える初めての夜……意外なことにセルヴェンは、初夜を放棄することなくイリファスカを抱いた。
てっきり『小娘を抱くつもりはない』と、しかめっ面で拒否されるものと諦めていたイリファスカは、ほんの少しでも自分が愛される道が残っているのだと知り、喜んで彼を受け入れた。
しかし彼女の思いとは裏腹に、セルヴェンは義務感で抱いただけだった。
互いに初体験……“年上のくせにその手の技術が拙い”などと思われていないかなど、最中はとにかく焦りと恥ずかしさでいっぱいだったセルヴェンであったが、自分よりも遥かに複雑な感情に見舞われているであろうイリファスカが、熱っぽく『セルヴェン様……』と己の名を囁きながら縋り付いてくる様に、胸がうずいたのも事実だった。
次の朝、イリファスカが目覚めた頃にはセルヴェンはとっくに研究所へと出掛けていたが、不安に占拠されていた少女の心には明るい光が差し込んでいた。
思えば、右も左も分からないあの頃が一番幸せだったかもしれない。
一時でも愛に包まれたイリファスカは、その後まったく家に寄り付かない夫に気持ちを裏切られることとなる。
セルヴェンの両親……今は“元”侯爵夫妻となった二人は、息子の結婚を機に彼に爵位を譲り、別宅へと移り住んで余生を過ごしていた。
だがセルヴェンは、結婚後も変わらず研究者として生きることを望んだ。執務はイリファスカが代理で取り組むこととなり、教えられてもいない“侯爵”としての仕事を丸投げされたことを哀れんだ義両親が、イリファスカが安定するまでの間、屋敷に戻ってきて面倒を見てくれた。
彼らは善き人だった。
イリファスカは実の両親よりも義父と義母に厚い信頼を寄せ、頼りにした。
ただ一つだけ、二人が口にする話題の中で、イリファスカの心を酷く掻き乱すものがあった。
“孫”についてだ。
遅かれ早かれ問題になるのは分かっていた。貴族にとって最も重要なことは、“血”を残すことだ。
しかし、男女が揃わないのに、どうして子をなせようか?
執務の方は義両親のお陰で、何とか一人でこなせるようになった。困り事があれば、またいつでも頼るようにと柔らかく微笑むと、義両親は別宅へ帰っていった。
補佐が消えた不安もあるが、それよりも子供を急かされることがなくなった安堵の方がイリファスカの中では勝っていた。
一般的に“新婚”と呼ばれる期間中にもかからわず、月に一度ほどしか帰宅しないセルヴェンとの向き合い方が、イリファスカには分からなかった。
挙式から四ヶ月経ったある晩……まだ片手で数えられるほどしか顔を合わせたことのないセルヴェンが帰宅したのを確認すると、イリファスカは意を決して生地の薄い寝間着を身に着けて、夫婦の寝室へと向かった。
内気な彼女の精いっぱいの努力だった。
すでに就寝直前といった風にベッドに横になっていたセルヴェンは、顔から火が噴き出そうなほど真っ赤に照れたイリファスカが迫ってくる姿を見て、眉間にシワを寄せて言った――。
『品のない服だな……みっともない』
……その日以来、イリファスカはセルヴェンと寝室を共にしていない。あちらも何も言ってこないのだから、うだうだ悩まずに早くにこうしていればよかった。
あの晩、セルヴェンから『みっともない』と告げられた後に自分がどういった行動を取ったのか、記憶に残っていない。
ただ、“体は汚れていなかった”……それだけはしっかりと覚えている。
結婚して七年経った今も子供はいない。
初めは色々と気に掛けてくれていた義両親も、一向に身ごもったという報告のないイリファスカに見切りを付けた。
誰からも愛されず、期待もされない女……そんなだから身分が下の人間にも馬鹿にされるのだと自覚している。
食堂で静かな食事を嘲笑っていた若い娘達だけではない。屋敷に勤める多くの使用人が、社交場で出会う下位の貴婦人達が、自領地の民ですら……みんながイリファスカを見掛ける度に、わざと聞かせるような声量で陰口を叩き、貶してくる。
“旦那様が研究に没頭するためだけに娶った、執務の肩代わりをさせられるだけの価値のない女”――……。
「そろそろ、身の振り方を考えた方がいいかもね……」
誰もいない寝室……あの日から夫とは別の部屋で寝るようになったイリファスカは、腰掛けたベッドの上で、日中に届いたある一通の手紙を握り締めて呟いた。
ひと月ぶりに帰宅する自分を迎える母が妙に浮ついているなとは思っていたが、まさか三ヶ月後に控えた式の日程を聞かされるとは……セルヴェンは大変に驚いた。
家の都合で、あんな価値観の合わなそうな幼い子供を娶らねばならぬ。
結婚後、世間から年下好きの変態扱いされるであろう屈辱……揉め事が起これば、自身に泣き付いてくるであろう未来の妻への鬱陶しさを考えると、めまいがした。
セルヴェンは現実逃避をするために、結婚式の前日ギリギリまで研究所に閉じこもった。
スーツの裾合わせなど、最低限の準備のために何度か家に寄ったことはあったものの、『どうせだから結婚相手であるイリファスカに何か贈り物をしておこう』だとか、『手紙で今までの非礼を詫びよう』などという前向きな考えは一切湧かなかった。
彼の中にあったのは、ただただ“面倒くさい”という気持ちだけだった。
こうなるまで行動しなかったのは他でもないセルヴェンである。
本当に婚約を解消したかったのであれば、自ら率先して各人と話し合いすればよかったのだ。そもそも『年の近い相手がいい』と、はなから両親に要望を伝えていれば、侯爵夫婦も別の候補者を探したことだろう。
なのにセルヴェンは、無礼な態度を取った初めての茶会の席で一方的に関係を終わらせた気になっていた。
結婚という自身にとっても家にとっても大事な事柄を、ずっと他人任せにしていた男に後から文句を言う権利などないのだ。
セルヴェンは被害者ぶっているが、一番の被害者はこんな愛も責任感もない夫を持つことになったイリファスカであろう。
次期家長としての姿勢をろくに見せない息子に、侯爵家の将来を憂いたアトラスカ夫婦……上位貴族からの援助を受けられるからと、不安を募らせる娘を喜んで差し出したルーゼンバナス伯爵夫婦……あらゆる負の要素が噛み合って仕上がった悲劇だった。
式当日……例の茶会から約半年が経過した春の日。
久しぶりに顔を合わせた少女は美しいドレスを身に纏い、今にも泣き出しそうな表情で体格差のある新郎と腕を組み、真っ赤な絨毯の上を歩いた。
参列者の誰もが、この夫婦は長続きしないと影でせせら笑った。
イリファスカを異性として見られないセルヴェンが愛人を作るのが先か……はたまた生真面目なセルヴェンに飽きたイリファスカが不貞を働くのが先かと、下卑た賭けをする者達もいた。
夫婦として誓いを立ててから迎える初めての夜……意外なことにセルヴェンは、初夜を放棄することなくイリファスカを抱いた。
てっきり『小娘を抱くつもりはない』と、しかめっ面で拒否されるものと諦めていたイリファスカは、ほんの少しでも自分が愛される道が残っているのだと知り、喜んで彼を受け入れた。
しかし彼女の思いとは裏腹に、セルヴェンは義務感で抱いただけだった。
互いに初体験……“年上のくせにその手の技術が拙い”などと思われていないかなど、最中はとにかく焦りと恥ずかしさでいっぱいだったセルヴェンであったが、自分よりも遥かに複雑な感情に見舞われているであろうイリファスカが、熱っぽく『セルヴェン様……』と己の名を囁きながら縋り付いてくる様に、胸がうずいたのも事実だった。
次の朝、イリファスカが目覚めた頃にはセルヴェンはとっくに研究所へと出掛けていたが、不安に占拠されていた少女の心には明るい光が差し込んでいた。
思えば、右も左も分からないあの頃が一番幸せだったかもしれない。
一時でも愛に包まれたイリファスカは、その後まったく家に寄り付かない夫に気持ちを裏切られることとなる。
セルヴェンの両親……今は“元”侯爵夫妻となった二人は、息子の結婚を機に彼に爵位を譲り、別宅へと移り住んで余生を過ごしていた。
だがセルヴェンは、結婚後も変わらず研究者として生きることを望んだ。執務はイリファスカが代理で取り組むこととなり、教えられてもいない“侯爵”としての仕事を丸投げされたことを哀れんだ義両親が、イリファスカが安定するまでの間、屋敷に戻ってきて面倒を見てくれた。
彼らは善き人だった。
イリファスカは実の両親よりも義父と義母に厚い信頼を寄せ、頼りにした。
ただ一つだけ、二人が口にする話題の中で、イリファスカの心を酷く掻き乱すものがあった。
“孫”についてだ。
遅かれ早かれ問題になるのは分かっていた。貴族にとって最も重要なことは、“血”を残すことだ。
しかし、男女が揃わないのに、どうして子をなせようか?
執務の方は義両親のお陰で、何とか一人でこなせるようになった。困り事があれば、またいつでも頼るようにと柔らかく微笑むと、義両親は別宅へ帰っていった。
補佐が消えた不安もあるが、それよりも子供を急かされることがなくなった安堵の方がイリファスカの中では勝っていた。
一般的に“新婚”と呼ばれる期間中にもかからわず、月に一度ほどしか帰宅しないセルヴェンとの向き合い方が、イリファスカには分からなかった。
挙式から四ヶ月経ったある晩……まだ片手で数えられるほどしか顔を合わせたことのないセルヴェンが帰宅したのを確認すると、イリファスカは意を決して生地の薄い寝間着を身に着けて、夫婦の寝室へと向かった。
内気な彼女の精いっぱいの努力だった。
すでに就寝直前といった風にベッドに横になっていたセルヴェンは、顔から火が噴き出そうなほど真っ赤に照れたイリファスカが迫ってくる姿を見て、眉間にシワを寄せて言った――。
『品のない服だな……みっともない』
……その日以来、イリファスカはセルヴェンと寝室を共にしていない。あちらも何も言ってこないのだから、うだうだ悩まずに早くにこうしていればよかった。
あの晩、セルヴェンから『みっともない』と告げられた後に自分がどういった行動を取ったのか、記憶に残っていない。
ただ、“体は汚れていなかった”……それだけはしっかりと覚えている。
結婚して七年経った今も子供はいない。
初めは色々と気に掛けてくれていた義両親も、一向に身ごもったという報告のないイリファスカに見切りを付けた。
誰からも愛されず、期待もされない女……そんなだから身分が下の人間にも馬鹿にされるのだと自覚している。
食堂で静かな食事を嘲笑っていた若い娘達だけではない。屋敷に勤める多くの使用人が、社交場で出会う下位の貴婦人達が、自領地の民ですら……みんながイリファスカを見掛ける度に、わざと聞かせるような声量で陰口を叩き、貶してくる。
“旦那様が研究に没頭するためだけに娶った、執務の肩代わりをさせられるだけの価値のない女”――……。
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