彼女の方が魅力的ですものね

ヰ島シマ

文字の大きさ
4 / 48

3.新薬の完成

しおりを挟む
「はぁ……ようやく完成ですか……? 随分とまぁ、長くかかりましたねぇ……」

 侍女のカジィーリアは早朝に寝室を訪ねると、分厚いカーテンを開けて部屋に差し込む朝日を頭から浴びながら、いぶかしげな表情でイリファスカを見返した。

「そりゃ今までなかった薬を開発するんですもの。すぐには出来上がらないわよ」
「それにしたって……数年も妻を放置してるんですよ? 文句の一つも言いたくなりますよ! 他の研究者だって家庭持ちの方はいらっしゃるでしょうに、どうしてうちの旦那様だけこんなにも家に帰られないのですか!? おかしいですよ!」
「帰ってきても家に楽しみがないんだもの。元々研究が生き甲斐みたいな方よ? あちらを選ぶのは当然のことだわ」
「お嬢様は色々と諦めすぎですっ!! もっと怒らないとっ、わたくしの方がいつ噴火するか分かりませんよっ!? この間だって洗濯中にアリア達が――」

 身支度みじたくを手伝いながら激昂げきこうするカジィーリアに、イリファスカはおかしそうに笑みを漏らした。


 カジィーリアはイリファスカが嫁入りの際に伯爵家から連れてきた、むかし馴染なじみの侍女である。
 イリファスカよりも六つ年上の彼女は、他の使用人がいる場所ではこちらが威厳を失わないよう淡々とした態度で接しているが、今みたいに個室でやり取りする時は、砕けた調子に戻していた。


 イリファスカがワンピースに袖を通すと、カジィーリアは命じずとも背後に回り、背中部分のひもを結んでくれた。
 延々えんえんとやまぬ侯爵家側の使用人達への愚痴ぐちに、イリファスカは苦笑いをして『やめなさいよ』とたしなめていたが、本音を言えば己の代わりに怒ってくれるカジィーリアに感謝していた。
 イリファスカはカジィーリアといる時だけ、素の自分を表に出すことができたから……。


 ―― “以前より開発していた新薬がこの度完成し、新聞社から取材の依頼が入った。夫婦揃いの写真を撮りたいらしいので、指定した日に王都へ来てほしい”――


 ……それが、昨日セルヴェンから届いた手紙の内容だった。

 侯爵家から王都までは、最低でも馬車で四日はかかる。
 指定日は八日後……道中で問題が起こっても遅れず到着できるよう、明日には領地をたなければならず、今日のうちに荷物の準備と人員の手配を行いながら、家令や街の役人に自分が留守の間の指示を出しておかねばならない。
 カジィーリアが怒る理由はそこなのだ。セルヴェンはいつも急な頼み事を手紙で伝えてくる。
 手紙の配達にかかる日数を計算に入れずに、“あれをやっておけ”、“これをやっておけ”と……人に丸投げするにしても、せめて取り組む時間に余裕を持たせてほしかった。

 もし失態を演じれば周囲から非難を受けるのはイリファスカであるというのに、そうならないよう努力した愛嬢あいじょうに対して、セルヴェンは直接謝意を述べることもしない。
 それどころか、イリファスカが完遂の報告を送った手紙に返事も寄越さないのだ。彼にとっては、自分の頼み事は“こなして当然の令”……カジィーリアは無責任に無責任を重ねる名ばかりの侯爵が憎くてたまらなかった。

 背中の紐を結びながら、目の前に立つ年下の女主人の薄っぺらな体の輪郭りんかくを見て、悲しみに襲われる……。
 貴族の女性は栄養価の高い物を食する割に体を動かす機会が少ないので、大抵は年を重ねるごとにふっくらと肥えてゆくものだが……イリファスカは元来の食の細さと心労が合わさり、十代の頃よりも今の方がほっそりとしていた。

 敬愛する人間がつらい目に遭っているというのに、口出しできない身分が恨めしかった。
 イリファスカ自身が反発しないので、侍女であるカジィーリアが代わりに暴れるわけにもいかない。
 “侍従の不手際は、あるじの不手際”……自分が発端でイリファスカに恥をかかせることだけはしたくなかった。


「どうせ今回も、体調を気遣う一文もないんでしょうね……最後にお会いしたの半年前ですよ? 手紙だって二、三ヶ月に一度あるかないかっ…………―― あ”あ”あ”あ”っ!! もう考えただけでイライラしますっ!! うちのお嬢様をどれだけ侮辱ぶじょくすれば気が済むのでしょうか!?」
「ふふっ……もう“お嬢様”なんて呼ばれる年齢じゃないわよ。落ち着きなさいな、カズ……愛のない相手を屋敷から放り出さずに置いておいてくださるなんて、寛大な方じゃない。私、今更実家に帰ったって居場所ないもの。どっちの領地でも変な噂が広まって嫌われ者だし、平民に下れば最悪命の危険も……」
「そんな悲しいことを口にするのはおやめくださいっ!! もうっ……いっそのこと隣国へ逃げましょう!! わたくしもおとも致しますっ!! こんなにも懸命に日々執務をこなしているというのに、ろくに感謝もされない国なんてこっちからおさらばですっ!!」
「……まぁ、それもいいかもね」

 イリファスカの一言に、怒り狂っていたカジィーリアは『えっ”』と頓狂とんきょうな声を漏らし、口をポカンと開けたまま、金色の後頭部を呆然と見つめた。

「本気……ですか? ようやく決心が……?」
「“決心”……そうね、ようやく気持ちに踏ん切りをつけられたわ。最近ね、私に関する新しい噂話ができたの知ってる? 『侯爵様は同じ研究に取り組んでいる若い部下の女性を気に入ったので、現妻を追い出してそちらを正妻に迎えたがっている』……だって。新聞社がわざわざ夫婦写真を撮りたがってるのって、きっとさらに話が膨らむよう人々にを提供するためよ。今まさに離縁されそうな妻が、我が物顔で侯爵様の隣に並んでいるなんて……人によっては新薬の完成よりも盛り上がるかもね」
「お嬢様……」

 いつも落ち着いた様子でカジィーリアの言葉を受け流すイリファスカが、いつになく肯定したかと思えば……自嘲気味に話す主人を前に、カジィーリアは痛ましそうに呟くしかなかった。

 イリファスカはカジィーリアを横目で見ると、フッと微笑みかけて続けた。

「お義母様かあさまもね、この間お会いになった時、『もし第二夫人を迎えることになったら、どうする?』って私に尋ねてきたし……みんな部下の女性の方がお似合いだと考えているのよ。私、旦那様がご自身の研究について語ってくださった時も、欠片かけらも理解が追いつかなかったしね。まぁ、若い頃の話だから今は少しはマシになったかもしれないけれど……でも、深い溜息を吐かれたあの時の旦那様の表情、今でも忘れられないわ。やっぱり頭の良い人は、同じくらい頭の良い人とくっついた方がいいのよ。絶対にそう……」
「お嬢様だって頭がいいです!! 現に執務を一人でこなしていらっしゃるじゃありませんか!? 今領地が上手く栄えているのは、若き日から寝る間も惜しんで運営について学ばれたお嬢様の努力の賜物たまものですっ!! なのにっ……どいつもこいつも勝手なことばかりぃぃ”ぃ”~~~~っ!!」

 カジィーリアはイリファスカに代わって、キーキーと金切り声を上げた。
 また誰々のああいった態度が気に入らないと、その人間の名と所業しょぎょうを挙げ連ね始めたカジィーリアだが、イリファスカの身支度を終えるのに合わせて、深呼吸して己の気を静めた。

「ふぅ……熱くなってしまいましたね……お嬢様が一大決心なされたんですもの、これ以上わたくしからは何も言いますまい。―― 不肖ふしょうカジィーリア、お嬢様を自由な暮らしへと導くため、この身をしてでも国外脱出の夢を叶えましょう!! 燃えてきましたよぉ~~っ、お嬢様ぁ~~っ!! 今更後悔したところで遅いってことを、愚か者共に知らしめてやりましょうっ!!」
「ふふっ……また熱くなってるじゃない、カズ。……私が消えたって誰も後悔しないわよ。むしろ部下の女性の方がより良い運営手腕を発揮して、『早く前妻を捨てておけばよかった』……なんて言われちゃうかも」
「言われません”ん”ーーーーっ!! お嬢様はご自身を低く評価されすぎですぅ”ぅ”ーーーーっ!!」

 重すぎる自虐じぎゃくに絶叫するカジィーリアを見て、イリファスカは心の底から笑みを沸かせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】本当に愛していました。さようなら

梅干しおにぎり
恋愛
本当に愛していた彼の隣には、彼女がいました。 2話完結です。よろしくお願いします。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

処理中です...