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4.旦那様の想い人 ― 1
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王都へ続く街道には、イリファスカらが乗り込んだ五台の馬車と、それを守る馬に騎乗した騎士の隊列があった。
侯爵夫人の移動とあって護衛の数が多いためか、荷物を乗せていた最後尾の台を操作する若い御者達は、ぺちゃくちゃと雑談を交わしながら気怠げに手綱を握っていた。
「王都の研究所って、旦那様の“想い人”もいるんだろ? しかも同じ開発班だって……」
「奥様も不憫だねぇ~。何が悲しくて愛人に会いに都会まで行かなきゃなんねぇんだか」
「美人で仕事ができても、取られるモンは取られるか……あんなお堅そうな旦那様でも、所詮は一人の男ってこったな。若ぇ女に言い寄られちゃ、据え膳食わぬはなんとやらだ」
「あれ? 旦那様の方が言い寄ったんじゃなかったっけ?」
「そうだっけか? ま、細けぇことぁいいじゃねぇか」
「んだな」
……格下の平民が貴族をからかうなど、しかも間近に並走する騎士達がいる状況で堂々と口にするなど、とんだ命知らずと思える行為だが……騎士達は聞こえているのかいないのか、御者達を咎める様子もなく馬を走らせていた。
◇◇◇
道中ぬかるみにはまったせいで、王都に到着したのは取材予定日の前日となった。
急遽押さえた宿屋に一泊し、身軽な人数を連れて研究所へと向かう。
ホールの受付嬢はイリファスカの顔を見ただけで、『アトラスカ侯爵夫人様でございますね』と頭を下げてカウンターから出てくると、一行を別棟のとある一室へと案内した。
「お付きの方々はこちらの控え室にてお待ちください。この先は許可された方のみのお通しとなりますので、侯爵夫人様のみご案内させていただきます。警備体制は万全ですので、ご安心を」
「ええ、分かったわ」
「ご理解いただき感謝申し上げます。では、こちらへ」
不安そうに見つめるカジィーリアに小さく微笑みかけると、イリファスカは受付嬢の後に続いた。
受付嬢はスタスタと無言で前をゆく。
どの部屋も入口には必ず鋭い眼光の騎士達が配備されていて、通りがかるイリファスカを監視するように、じっと目で追ってきた。
控え室から六部屋分離れた最奥の部屋に辿り着くと、受付嬢は扉をノックして中にいる人間に声を掛けてから、ノブを回してイリファスカに道を譲るように身を引いた。
―― 正面に立つ、すらりと伸びた背丈の男……久しく見なかったその姿は、相も変わらず凛々しく秀麗であった……。
「ご苦労。よく来てくれた」
「いえ……皆さんもうお揃いでしたのね。遅れてしまったみたいで、申し訳ございません」
「いや、ここにいる者は全員王都住みだ。研究所は毎日通う職場であるわけだし、君のように何日もかけて集まるわけでもない。予定の時間を超過したわけでもないので、よってこれは遅刻ではない」
「そうですか。それならよかったです」
回りくどい言い方で遅刻に焦点を当てて話すセルヴェンに、イリファスカは機械的に口角を上げて反応を返した。
続けて、緊張気味にこちらを見つめながら並んでいる職員の面々に対し、夫に向けるよりも柔らかい笑みを作って、形式的な挨拶を披露する。
「新薬の完成、おめでとうございます。イリファスカ・アトラスカでございます。以後、お見知りおきを」
イリファスカが名乗り終えると、職員達は『ど、どうもっ』だとか、『こちらこそっ』だとか、各々バラけた調子で統一性のない返事をした。
「お前達、何を緊張しているんだ……たかが俺の伴侶だぞ? 俺にかしこまった態度を取ることがないのに、どうして妻になるとそう固まるんだ?」
「所長と奥様とでは全然違うでしょうがっ!! この方は侯爵夫人様なんですよっ!? ボク達下位貴族出身者とは身分が違いますって!!」
「それを言うなら、俺こそが侯爵なんだがな……」
わいわいと盛り上がる男性陣を前に、イリファスカは目を見張って彼らを不躾にも凝視してしまった。
随分と部下と気安く接しているものだ。屋敷にいる時よりも雰囲気に棘がない。
腹の前で組んだ手に人知れず力がこもった。下の手に重ねた上の手の爪が、ギュッと食い込んでいることに室内の誰も気付いてくれることはなかった。
セルヴェンは職員達に、妻に対して自己紹介することを勧めた。
次々と紹介が進み、イリファスカは一人一人に愛想の良い挨拶を返していった。
十名の男性職員が名乗り終えると、最後の一人……新薬の開発班において唯一の女性職員の順番が回ってきた。
研究室を訪れてからイリファスカがずっと気になっていた存在……眼鏡を掛けた黒髪の少女は、“待ってました”と言わんばかりに、にこやかな表情でイリファスカに一礼してから口を開いた。
「お初にお目にかかります。四年前に配属されました、ミフェルナ・マレイと申します。所長から奥様のお話はかねがね」
爛々と輝くクリッとした大きな黒い瞳に見つめられ、イリファスカは脇腹に“ズキンッ”と鋭い痛みが走るのを感じた。
侯爵夫人の移動とあって護衛の数が多いためか、荷物を乗せていた最後尾の台を操作する若い御者達は、ぺちゃくちゃと雑談を交わしながら気怠げに手綱を握っていた。
「王都の研究所って、旦那様の“想い人”もいるんだろ? しかも同じ開発班だって……」
「奥様も不憫だねぇ~。何が悲しくて愛人に会いに都会まで行かなきゃなんねぇんだか」
「美人で仕事ができても、取られるモンは取られるか……あんなお堅そうな旦那様でも、所詮は一人の男ってこったな。若ぇ女に言い寄られちゃ、据え膳食わぬはなんとやらだ」
「あれ? 旦那様の方が言い寄ったんじゃなかったっけ?」
「そうだっけか? ま、細けぇことぁいいじゃねぇか」
「んだな」
……格下の平民が貴族をからかうなど、しかも間近に並走する騎士達がいる状況で堂々と口にするなど、とんだ命知らずと思える行為だが……騎士達は聞こえているのかいないのか、御者達を咎める様子もなく馬を走らせていた。
◇◇◇
道中ぬかるみにはまったせいで、王都に到着したのは取材予定日の前日となった。
急遽押さえた宿屋に一泊し、身軽な人数を連れて研究所へと向かう。
ホールの受付嬢はイリファスカの顔を見ただけで、『アトラスカ侯爵夫人様でございますね』と頭を下げてカウンターから出てくると、一行を別棟のとある一室へと案内した。
「お付きの方々はこちらの控え室にてお待ちください。この先は許可された方のみのお通しとなりますので、侯爵夫人様のみご案内させていただきます。警備体制は万全ですので、ご安心を」
「ええ、分かったわ」
「ご理解いただき感謝申し上げます。では、こちらへ」
不安そうに見つめるカジィーリアに小さく微笑みかけると、イリファスカは受付嬢の後に続いた。
受付嬢はスタスタと無言で前をゆく。
どの部屋も入口には必ず鋭い眼光の騎士達が配備されていて、通りがかるイリファスカを監視するように、じっと目で追ってきた。
控え室から六部屋分離れた最奥の部屋に辿り着くと、受付嬢は扉をノックして中にいる人間に声を掛けてから、ノブを回してイリファスカに道を譲るように身を引いた。
―― 正面に立つ、すらりと伸びた背丈の男……久しく見なかったその姿は、相も変わらず凛々しく秀麗であった……。
「ご苦労。よく来てくれた」
「いえ……皆さんもうお揃いでしたのね。遅れてしまったみたいで、申し訳ございません」
「いや、ここにいる者は全員王都住みだ。研究所は毎日通う職場であるわけだし、君のように何日もかけて集まるわけでもない。予定の時間を超過したわけでもないので、よってこれは遅刻ではない」
「そうですか。それならよかったです」
回りくどい言い方で遅刻に焦点を当てて話すセルヴェンに、イリファスカは機械的に口角を上げて反応を返した。
続けて、緊張気味にこちらを見つめながら並んでいる職員の面々に対し、夫に向けるよりも柔らかい笑みを作って、形式的な挨拶を披露する。
「新薬の完成、おめでとうございます。イリファスカ・アトラスカでございます。以後、お見知りおきを」
イリファスカが名乗り終えると、職員達は『ど、どうもっ』だとか、『こちらこそっ』だとか、各々バラけた調子で統一性のない返事をした。
「お前達、何を緊張しているんだ……たかが俺の伴侶だぞ? 俺にかしこまった態度を取ることがないのに、どうして妻になるとそう固まるんだ?」
「所長と奥様とでは全然違うでしょうがっ!! この方は侯爵夫人様なんですよっ!? ボク達下位貴族出身者とは身分が違いますって!!」
「それを言うなら、俺こそが侯爵なんだがな……」
わいわいと盛り上がる男性陣を前に、イリファスカは目を見張って彼らを不躾にも凝視してしまった。
随分と部下と気安く接しているものだ。屋敷にいる時よりも雰囲気に棘がない。
腹の前で組んだ手に人知れず力がこもった。下の手に重ねた上の手の爪が、ギュッと食い込んでいることに室内の誰も気付いてくれることはなかった。
セルヴェンは職員達に、妻に対して自己紹介することを勧めた。
次々と紹介が進み、イリファスカは一人一人に愛想の良い挨拶を返していった。
十名の男性職員が名乗り終えると、最後の一人……新薬の開発班において唯一の女性職員の順番が回ってきた。
研究室を訪れてからイリファスカがずっと気になっていた存在……眼鏡を掛けた黒髪の少女は、“待ってました”と言わんばかりに、にこやかな表情でイリファスカに一礼してから口を開いた。
「お初にお目にかかります。四年前に配属されました、ミフェルナ・マレイと申します。所長から奥様のお話はかねがね」
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