夏の香り

ぽえーん

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夏の香り

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 容赦なく太陽が照りつける今日もまた、僕はいつもと同じように神社へを足を運ぶ。
 8月の半ば。まさに夏真っ盛りといったところか。
 こんな田舎では日の光を遮るものもない。
 それでも、夏休みを迎えた子供たちは元気に走り回っていた。
 空き地、田んぼ、道路、山。どこへ行っても、子供たちのはしゃぐ声が聞こえくる。
 ふと、神社も子供たちの遊び場になっているのかな? なんて心配になる。今日くらいは静かに過ごしたいものだ。
 だけど、いるならいるでいいだろう。無邪気な子供たちを眺めているのも悪くない。
 そして僕は、蝉たちの混声合唱に夏を感じながら、ゆっくりと歩くのだった。



      *      *      *



 神社へと上る階段を前にして、僕は大きく息を吸い込んだ。
 緑のいい匂いが、僕の肺一杯に広がる。
 ここから先はちょっとした森になっている。木々がざわめき、木漏れ日が道を照らしていた。
 こう風情があると、この階段も苦にはならなくなるから不思議だ。まるで、今までの世界から切り離された世界に迷い込んだかのような気分になる。
 彼女はもう来ているのだろうか? それともまだかな?
 少しわくわくしながら、僕は歩を進めた。
 鳥居が近づくにつれて、景色が広がっていく。
 彼女の姿は見えない。まだいないのかな? 鳥居をくぐってあたりを見渡して見るが、やはり彼女の姿は見つからなかった。
「ちょっと早かったかな?」
 一人ごちる。
 まぁたまには待つのも悪くない。
 僕はベンチに腰を下ろすと、そのまま空を見上げてみた。
 流石田舎とでも言うべきだろうか、立派な木の葉が空を埋めていた。
 その隙間からは、澄んだ色をした空が顔を覗かせている。
 そっと目を閉じるとそよ風が匂いを運んでくる。
 森の匂いと、土の匂い、そして太陽の匂いが混ざった夏の香り。
 葉の間から漏れる光が、境内を神秘的に彩っていた。
 このまま一眠りするのも悪くない。
 そう思っていると
「遅れてごめんなさいっ」
 と、静寂を乱す声が聞こえてきた。
 階段の方へ目をやると、彼女がそこにいた。
 肩で息をして、申し訳なさそうに苦笑いしている。
 なにもそんなに急いでくることもないのに。
 僕は、そんな彼女を微笑ましく思い、口元を緩めた。
「ごめんね~」
 まだ少し息を乱しながら、彼女は僕の横に腰を下ろした。
 上気した肌を見てなんだか気恥ずかしくなる。
「そんなに急がなくてもよかったのに」
 僕はそんな彼女を直視することが出来ずに、もう一度空を見上げ、彼女の声を待った。
「うん。でも、早く来たかったから」
「なら、もっと早く来ればよかったじゃん」
 悪気はないのに、意地悪な言い方になってしまう。 
 それでも彼女は、そんなこと気にした風もなく
「あはは、それもそうだね」
 と、楽しそうに笑うのだった。
 本当に純粋に笑うヤツだな、と思う。邪気のない真っ白な笑顔だ。
「ところで、どうして遅れたの?」
 別に遅れたことは気にしていないのだが、なんとなく理由が気になった。
「ん? ……あぁ、お弁当を作ってたんだよ。
 思ってたよりも時間がかかっちゃって。——ほら」
 そういって彼女は、大きなお弁当箱と小さいお弁当箱を一つずつ取り出した。
 可愛いハンカチに包まれたお弁当はまだ温かかった。
「なるほどな。だから今日はお昼からのお誘いだったわけか」
 でも、この子は僕が家で昼を済ましてくると言う考えは浮かばなかったのだろうか?
「うん。そうだよ」
 なんだか少し、困らせてやりたくなってくる。
「でもさ、昼から呼ばれたら集合前に家で飯を済ませてきちゃうとおもわない?」
 僕がそういうと、初めてそのことに思い至ったのか、終始にこやかだった彼女の顔がさっと暗くなる。
「……え? ご飯、食べてきちゃったの?」
 凄く悲しそうにそう聞く彼女を見て、なんだか凄い罪悪感を覚える。
 少し考えが足りてなくて、でも凄く純粋な分、彼女のこういう表情に僕は凄く弱い。
「いや、大丈夫。まだ食べてないんだ。早速二人で食べようか」
「よかったぁ~」
 そういう彼女は、心底安心したように顔をほころばせた。
 やっぱり彼女には、笑顔が一番似合う。
「それじゃ、開けていい?」
「どうぞ~」
 彼女に了解を貰って、お弁当を開けてみる。
「……これは凄いね」
「でしょっ?」
 自信満々に胸を張る彼女が、なんだか子供みたいで可愛らしい。
 でも、このお弁当はお世辞抜きで凄かった。彼女が料理上手なのは知っていたけど、今日はまた一段と気合が入っていた。
「ねぇねぇっ、早く食べてみてよ」
 楽しそうな彼女に急かされて、僕はお弁当を一口食べてみる。結果は言うまでもない。
 彼女も僕が感想を言う前から勝ち誇ったような顔をしている。
「美味しい」
 僕の言葉を聞いた彼女は、ただ嬉しそうに微笑んでいた。
「それじゃあ私も食べよっ」
 彼女もお弁当箱を開くと、美味しそうに自分で作ったお弁当を食べ始めた。
「我ながら美味しくできてるっ」
「自画自賛だね」
「だって本当だもん」
 屈託なく笑う彼女を見て僕は呆れ、でも確かに美味しいと思うのだった。



      *      *     *



 お弁当を食べ終わってからは、二人でどこへ行くでもなく、ただこのベンチでお喋りをした。
 今までのこと、最近のこと、これからのこと。
 この場所の雰囲気も手伝ってか、ゆったりと、のんびりと時間が流れているように感じる。
「なんだか、眠くなってきちゃったね」
 ふいに、彼女がそんなことを言い出した。
 確かに、木々の陰で心地よい匂いと暖かさに包まれたこの場所はとても気持ちがいい。
 葉の音が耳に心地いい。温かい風が肌を撫でる。
「一眠りする?」
 それもまたいいだろう。いい夢が見られそうだ。
「ん~、それじゃあ膝を貸して?」
 言うが早いか、彼女は横になって僕の膝に頭を乗せた。
 やれやれ、こういうのは女の子が男の子にしてくれるものではないだろうか?
「いい夢は見られそうかな?」
「うん。幸せ」
 よく恥ずかしげもなくこんなことが言えたものだ。
 これだから、彼女にはかなわない。
 僕も彼女の柔らかい髪を撫でながら、ただ幸せを感じていた。
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