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第一章
1.【こんなところでなにしてるの】●
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●
王国の城下町、首都は隣り合う都市と区画間における物流の関係から朝から忙しい音が多い。
フェリシアはそんな街中を歩きながら、まるで白昼夢でも見ているかのような気味の悪さと居心地の悪さを感じていた。
(この光景を最後に見たのは何年前だったろう。僕が……勇者として旅立ってから、いつからこれを見れなくなってしまったんだ)
フェリシアは魔王を討つ為、旅の幕間に一度だけ王都へと帰還した事を思い出す。
当時の事をよく覚えていないのはそれだけ疲弊していたという事なのか、彼は冷たい視線と民衆の声を思い出そうとして止めた。
他に思い出せない事が辛かった。
それよりも、彼は今目の前の光景を見ていたかったのだ。
「今日は城で書記官試験があるらしいな」
「ほら坊主! 屋台を出すから手伝え!」
「うへぇ……」
「おかあさん、きょうはどこにいくのー?」
「今日はお父さんのお仕事を見に行くのよ」
「おーい、こっちを手伝ってくれー」
「ちょっと待ってろ、まだ積み荷を降ろしてないんだ」
「早くしてくれよー」
「今日も晴れそうねぇ」
「近頃は物騒だったが偶には良いニュースでも聞きたいものだ」
「本当に──」
静かだ。
人の心が穏やかで、日の下にいなくとも温かみが伝わってくる。
フェリシアは首都大通りの中央に位置する噴水広場に来てから、ずっと放心した様に周囲の人々の様子を眺めていた。
どこかの店が屋台を出そうと置いていた木箱に腰掛け、彼は目と耳を周囲に向ける。
大勢の人々が行き交う中で聴こえてくる雑踏と、他愛ない会話。
フェリシアが耳を路地の裏手に傾けても、朝方から昼食時に向けて料理の仕込みに精を出している店や小さな子供たちの遊ぶ声が聞こえるばかりで──いずれも不穏な喧噪は聞こえて来ない。
平和だ、とても平穏で穏やかで、そこには救いがあった。
ただ一点を除けば。
(どういう事だろう……これじゃ、まるで過去の世界に来たみたいだ)
そう。
懐かしくも思える光景の全ては本来ならば、フェリシアにとって過去の情景でしかなかった筈だ。
だが身体のあらゆる感覚で触れる『世界』に偽りはない。幻惑の類ではなかった。
フェリシアは──目を覚ましてからすぐにそこが過去の世界であると考えたのと同時に、自らの内に流れる力の奔流を感じ取った。
それは本来なら二年後に授かるようになる筈だった勇者の能力だ。
齢が十六になったばかりの頃の自分の中に、四年に及ぶ死闘と旅の果てに手にしていった力が在る。
訳が分からなかった。
(……仮に、ここが過去の世界だとしても。
僕は──どうしてここに? 思い出せない、確か僕は魔王を倒して……それから……それ、から……?)
長い夢から覚めたフェリシアは、どこか不安定な自身の記憶を辿り始める。
なんの魔術式も仕込まれていない綿の衣服。
その下、胸元には最後の戦いで魔王から受けた傷があった筈。
頬に触れる柔らかい自身の髪が懐かしい。
フェリシアが胸元に触れても撫でても、そこに痛みはなく──あるのはまだ幼さの残る身体の未熟さだけだ。
そこで、不意に彼は脳裏を魔王の言葉が過ぎる。
今際に発した自分の声、その感覚と内容そのままにフェリシアは喉を揺らしてなぞるように声に出した。
「────願いを叶えて下さい……もうがんばりたくない……」
思わずフェリシアが立ち上がる。
行先なんて分からないのに自然と歩き出そうとして、しかし何処に行くのかと頭が遅れて来て途中足が止まる。
勇者、フェリシアは魔王との戦いの後に起きた事を朧気ながら思い出した。
(……僕は何かに願いを告げた。これは僕の願い? 過去に戻る事が?)
今起きている事はその結果なのだろうか。
そこまで考えてから、フェリシアは自分が思い出した記憶に霞がかってる印象を覚えた。
(待て、僕は何にそれを願った)
薄ら寒い物を感じた。
この超常の現象は間違いなく魔法を超えた外法のいずれかだ。
その正体を、死に際とはいえ勇者である自分が看破できない事などあるのか──想像も出来なかったのだ。
過去に戻るような秘術があるなら、何故それを魔王は利用しなかったのか。
そんな技があるのなら、フェリシアはとっくの昔に殺されていてもおかしくなかった筈なのだから。
……と、そこでフェリシアは思考を中断した。
背後から駆けて来る足音に気づいた彼は身を躱そうとしたが、どうにも直前で足音の人物は躓いてしまったらしい。
背丈にしてフェリシアより頭一つ低い。
彼はその人物を半ば受け止めるようにしてぶつかった。
小さな衝撃。
腕に引っ掛けるようにして抱き留めたことで硬い石畳に転ばずに済んだのは、茶髪を後ろで一束に結んだ少女だった。
「大丈夫かな」
「す、すいません! お怪我は?」
怪我の心配をするより先に、同じ言葉を言われてしまったフェリシアが小さく笑う。
「平気だよ」
「そうですか、では私はこれで……! ごめんなさい急いでて!」
「うん、試験がんばってね」
「──はい!」
突発的、短い会話。
何でもない日常の風景でしかないそのやり取りの裏、フェリシアは内心穏やかではなかった。
先の少女は見知った顔だったのだ。
彼女はアイシャという──今日行われる王立図書館での書記官試験で合格するのだ。
そしてその際に、落ちるのは自分だった。
未来の書記官となるアイシャが雑踏の向こうへ消えるまで立ち尽くしていたフェリシアは、暫くしてから疲れ切った様子でまた木箱に座り込んだ。
頭を過ぎるのは、応援の言葉をかけた際の少女の表情。
(……これが僕の願いなわけない、過去に戻ってもどうしようもないじゃないか。
さっきの女の子は試験に合格する。だけど僕は違う──試験に落ちて母さんに幻滅され、それから数ヵ月何度も落ちた事を責められる。それが僕の過去なんだぞ?)
少女──アイシャは、きっと先ほどの言葉も励みに変えて今日の試験を迎えるのだろう。
そして彼女は自らの学んできた事を余す事無く発揮した。
王国が定める宮廷書記官とは、将来は貴族の抱える『記者』や歴史書を作る学者にまで至る者を指す。
アイシャは青年フェリシアのしてきた努力を上回るだけの資質があったのだ。
少なくとも、それは才能に偏ったものではない。
フェリシアの一言を正面から受け止めた彼女は紛れもなく、前に進むためにそれを糧とした。
真っすぐに自分の未来と向き合うつもりでいる顔だった。
着込んでいた装いも市井では珍しくもない服だったが、フェリシアと比べても僅かながら年季の入った衣装だった。
これから向かう先は恵まれての壇上ではない、彼女が掴み取った未来だ。
フェリシアは気落ちする一方──それが嬉しかった。
●
ひとしきり落ち込んだり明るい気持ちになったり、ひとりで町並みを眺めている内に陽が沈み始めた頃。
フェリシアはこれからどうしようかと思い立った。
今さら試験を受けるつもりは無かった。
仮にここで受けても、誰かの将来を犠牲に合格証を手にしたとしていずれは勇者となる身だったからだ。
では、ならば。
そうして考えるほどにフェリシアには分からなくなっていく事が増える。
自分はこの過去の世界で何をすればいいのだろう? と。
「試験お疲れ様……って言いたかったのにな」
「──え?」
気付かなかった。
突然耳元で囁くように聞こえたその声に聞き覚えは無い、だが背後からかけられている言葉と声の向きは確実にフェリシアに向いているのが分かる。
彼は振り向く。
振り向きざまと入れ替わるようにして隣にふわりと歩み寄ってきたその人物は、くすくすと小さく笑っていた。
知らない顔。
だが、面を上げたフェリシアは目の前に立っている『少女』が勘違いや記憶違いで自分に話しかけたのではないと察した。
その確信は──勇者として携わる勘によるものだ。
「こんなところでなにしてるの、フェリシア」
その勘を裏付けるかのように、少女はそう言ってフェリシアの隣に座った。
王国の城下町、首都は隣り合う都市と区画間における物流の関係から朝から忙しい音が多い。
フェリシアはそんな街中を歩きながら、まるで白昼夢でも見ているかのような気味の悪さと居心地の悪さを感じていた。
(この光景を最後に見たのは何年前だったろう。僕が……勇者として旅立ってから、いつからこれを見れなくなってしまったんだ)
フェリシアは魔王を討つ為、旅の幕間に一度だけ王都へと帰還した事を思い出す。
当時の事をよく覚えていないのはそれだけ疲弊していたという事なのか、彼は冷たい視線と民衆の声を思い出そうとして止めた。
他に思い出せない事が辛かった。
それよりも、彼は今目の前の光景を見ていたかったのだ。
「今日は城で書記官試験があるらしいな」
「ほら坊主! 屋台を出すから手伝え!」
「うへぇ……」
「おかあさん、きょうはどこにいくのー?」
「今日はお父さんのお仕事を見に行くのよ」
「おーい、こっちを手伝ってくれー」
「ちょっと待ってろ、まだ積み荷を降ろしてないんだ」
「早くしてくれよー」
「今日も晴れそうねぇ」
「近頃は物騒だったが偶には良いニュースでも聞きたいものだ」
「本当に──」
静かだ。
人の心が穏やかで、日の下にいなくとも温かみが伝わってくる。
フェリシアは首都大通りの中央に位置する噴水広場に来てから、ずっと放心した様に周囲の人々の様子を眺めていた。
どこかの店が屋台を出そうと置いていた木箱に腰掛け、彼は目と耳を周囲に向ける。
大勢の人々が行き交う中で聴こえてくる雑踏と、他愛ない会話。
フェリシアが耳を路地の裏手に傾けても、朝方から昼食時に向けて料理の仕込みに精を出している店や小さな子供たちの遊ぶ声が聞こえるばかりで──いずれも不穏な喧噪は聞こえて来ない。
平和だ、とても平穏で穏やかで、そこには救いがあった。
ただ一点を除けば。
(どういう事だろう……これじゃ、まるで過去の世界に来たみたいだ)
そう。
懐かしくも思える光景の全ては本来ならば、フェリシアにとって過去の情景でしかなかった筈だ。
だが身体のあらゆる感覚で触れる『世界』に偽りはない。幻惑の類ではなかった。
フェリシアは──目を覚ましてからすぐにそこが過去の世界であると考えたのと同時に、自らの内に流れる力の奔流を感じ取った。
それは本来なら二年後に授かるようになる筈だった勇者の能力だ。
齢が十六になったばかりの頃の自分の中に、四年に及ぶ死闘と旅の果てに手にしていった力が在る。
訳が分からなかった。
(……仮に、ここが過去の世界だとしても。
僕は──どうしてここに? 思い出せない、確か僕は魔王を倒して……それから……それ、から……?)
長い夢から覚めたフェリシアは、どこか不安定な自身の記憶を辿り始める。
なんの魔術式も仕込まれていない綿の衣服。
その下、胸元には最後の戦いで魔王から受けた傷があった筈。
頬に触れる柔らかい自身の髪が懐かしい。
フェリシアが胸元に触れても撫でても、そこに痛みはなく──あるのはまだ幼さの残る身体の未熟さだけだ。
そこで、不意に彼は脳裏を魔王の言葉が過ぎる。
今際に発した自分の声、その感覚と内容そのままにフェリシアは喉を揺らしてなぞるように声に出した。
「────願いを叶えて下さい……もうがんばりたくない……」
思わずフェリシアが立ち上がる。
行先なんて分からないのに自然と歩き出そうとして、しかし何処に行くのかと頭が遅れて来て途中足が止まる。
勇者、フェリシアは魔王との戦いの後に起きた事を朧気ながら思い出した。
(……僕は何かに願いを告げた。これは僕の願い? 過去に戻る事が?)
今起きている事はその結果なのだろうか。
そこまで考えてから、フェリシアは自分が思い出した記憶に霞がかってる印象を覚えた。
(待て、僕は何にそれを願った)
薄ら寒い物を感じた。
この超常の現象は間違いなく魔法を超えた外法のいずれかだ。
その正体を、死に際とはいえ勇者である自分が看破できない事などあるのか──想像も出来なかったのだ。
過去に戻るような秘術があるなら、何故それを魔王は利用しなかったのか。
そんな技があるのなら、フェリシアはとっくの昔に殺されていてもおかしくなかった筈なのだから。
……と、そこでフェリシアは思考を中断した。
背後から駆けて来る足音に気づいた彼は身を躱そうとしたが、どうにも直前で足音の人物は躓いてしまったらしい。
背丈にしてフェリシアより頭一つ低い。
彼はその人物を半ば受け止めるようにしてぶつかった。
小さな衝撃。
腕に引っ掛けるようにして抱き留めたことで硬い石畳に転ばずに済んだのは、茶髪を後ろで一束に結んだ少女だった。
「大丈夫かな」
「す、すいません! お怪我は?」
怪我の心配をするより先に、同じ言葉を言われてしまったフェリシアが小さく笑う。
「平気だよ」
「そうですか、では私はこれで……! ごめんなさい急いでて!」
「うん、試験がんばってね」
「──はい!」
突発的、短い会話。
何でもない日常の風景でしかないそのやり取りの裏、フェリシアは内心穏やかではなかった。
先の少女は見知った顔だったのだ。
彼女はアイシャという──今日行われる王立図書館での書記官試験で合格するのだ。
そしてその際に、落ちるのは自分だった。
未来の書記官となるアイシャが雑踏の向こうへ消えるまで立ち尽くしていたフェリシアは、暫くしてから疲れ切った様子でまた木箱に座り込んだ。
頭を過ぎるのは、応援の言葉をかけた際の少女の表情。
(……これが僕の願いなわけない、過去に戻ってもどうしようもないじゃないか。
さっきの女の子は試験に合格する。だけど僕は違う──試験に落ちて母さんに幻滅され、それから数ヵ月何度も落ちた事を責められる。それが僕の過去なんだぞ?)
少女──アイシャは、きっと先ほどの言葉も励みに変えて今日の試験を迎えるのだろう。
そして彼女は自らの学んできた事を余す事無く発揮した。
王国が定める宮廷書記官とは、将来は貴族の抱える『記者』や歴史書を作る学者にまで至る者を指す。
アイシャは青年フェリシアのしてきた努力を上回るだけの資質があったのだ。
少なくとも、それは才能に偏ったものではない。
フェリシアの一言を正面から受け止めた彼女は紛れもなく、前に進むためにそれを糧とした。
真っすぐに自分の未来と向き合うつもりでいる顔だった。
着込んでいた装いも市井では珍しくもない服だったが、フェリシアと比べても僅かながら年季の入った衣装だった。
これから向かう先は恵まれての壇上ではない、彼女が掴み取った未来だ。
フェリシアは気落ちする一方──それが嬉しかった。
●
ひとしきり落ち込んだり明るい気持ちになったり、ひとりで町並みを眺めている内に陽が沈み始めた頃。
フェリシアはこれからどうしようかと思い立った。
今さら試験を受けるつもりは無かった。
仮にここで受けても、誰かの将来を犠牲に合格証を手にしたとしていずれは勇者となる身だったからだ。
では、ならば。
そうして考えるほどにフェリシアには分からなくなっていく事が増える。
自分はこの過去の世界で何をすればいいのだろう? と。
「試験お疲れ様……って言いたかったのにな」
「──え?」
気付かなかった。
突然耳元で囁くように聞こえたその声に聞き覚えは無い、だが背後からかけられている言葉と声の向きは確実にフェリシアに向いているのが分かる。
彼は振り向く。
振り向きざまと入れ替わるようにして隣にふわりと歩み寄ってきたその人物は、くすくすと小さく笑っていた。
知らない顔。
だが、面を上げたフェリシアは目の前に立っている『少女』が勘違いや記憶違いで自分に話しかけたのではないと察した。
その確信は──勇者として携わる勘によるものだ。
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その勘を裏付けるかのように、少女はそう言ってフェリシアの隣に座った。
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