5 / 30
第一章
4.【私たちがフローレンスよ】●●
しおりを挟む
●副題──【闖入者への褒美】
娘のアリッサが相談無く町のギルドの依頼を受けようとしているのを知った時、マーサは驚きながらも喜んだ。
経緯はどうあれ、まだ齢13の歳になったばかりの我が子が働き口を設ける努力を見せたのは良い事だ。そして、その理由がロセッタ東通りに住まう友人と暮らす為だと事情を聞けば喜びは倍増しである。
教会を通して夫婦となったマーサ・リーズネットは町娘の恋愛という物をよく知らない。
だからというわけではないが、アリッサが恋仲となったに違いない相手と共に生活する未来を描いたという話を聞いてとても心が躍った。その手の詩や観劇でしか知らなかった浪漫が娘の中で人知れず育まれているというのだと、母であるマーサはそれを夫に秘密にして成り行きを見守りたかった。
そしてできるなら──娘の夢の手伝いをしたかった。
(声を……出してはダメ。絶対に、絶対に……ッ!)
だから後悔は出来なかった。
恐怖で震える膝を押さえつけるように片手で抱き寄せ、耳元でガサゴソと蠢く樹木の空洞木に住む蟲共から目を背け。片手は口元を必死に抑え込んで。とにかく息を潜める事に専念する。
怯えるマーサの隠れる樹木からすぐ傍、そこに一体の魔物が佇んでいるのだ。
娘のため。少しでも稼ぎを増やそうと顔見知りの行商から個人で依頼を受け、マーサは森にエストの森に群生するという菌根を採取に来た。しかし夜間に魔力を帯びる事で光るというそれはまるで見つからず、一時は諦めて帰ろうとした彼女だったが──そこで鉢合わせてしまっていた。
流体化生。
フェリシアが見れば直ぐに分かるだろう。スライムとは水に近い性質を有した粘液の魔物、特定の姿形を持つことは極めて稀な不定形にして異形の怪物だった。
マーサが遭遇したスライムはどこか人型を保ったまま佇み、前夜に遭遇した際は恐るべき速度で追いかけて来た。追い詰められかけた彼女だったが、どうにか樹木の陰に見つけた空洞に身を隠した事で捕まることだけは避けたのである。
幸運だったのはそこまで。
スライムがマーサを見失い、暫し経ってから彼女の隠れ潜む樹のそばで立ち尽くすようになってから一切動こうとしなくなったのだ。
一昼夜。日を跨いでも聴こえてくるゲル状の流体がコポコポと鳴らす音に怯え続けたマーサは、いよいよ限界が近かった。
もしかすると出て行っても逃げ切れるかもしれない。そんなことを何度も想像しては頭を振って断念した。万一があっては取り返しがつかない。
「ふー……、すー……」
音をなるべく殺しながら深々と息を吸う。
アリッサにも教えた事だ。気持ちを落ち着かせて物を考える時は、まず胸いっぱいに息を吸い込んで頭の中を空っぽにすべきだと。
(誰か……誰か、近くに来てくれれば。助けを求める事が出来るかもしれない)
諦めては駄目だと、そう頭の中で思い続けた末。二度目の深い夜が来て暫く経った頃に転機が訪れる。
スライム以外の音──人間が出しうる足音らしきものを聞いたのだ。
(っ……ひとり、だけ?)
蠢くスライムが反応する。
泡立つ様な、肉を擦り合わせた様な、不快な粘度を感じさせる粘着音。マーサと同様、歩き出て来たその人に気づいたに違いなかった。
マーサが躊躇する。土を踏む足音から察するに随分と近い、助けを求めても或いは……このままスライムがそちらに気を取られている間に逃げた方が助かる見込みのほうが在った。
だがそれをすれば、もう二度とアリッサの母として胸を張れない気がしてしまった。
だから。
スライムが大きく蠢く様な音をかき鳴らした瞬間、マーサは弾かれたように空洞木から転がり飛び出して足音のした方へ走り出したのだ。
「こっちに来てはダメ! 逃げ──」
──夜闇に包まれた森の中で揺れ動く怪物の傍、マーサは視界が白く染まった後に吹き飛んだ。
「がッ……!?」
耳が聞こえない事に気づいたのは、背中からどこかの樹に衝突して叫んだ時だった。
喉から漏れ出ているはずの声は聞こえず。激しい頭痛と目の痛みがマーサを悶えさせた。
「へぇ。何かいるなぁと思ったけど──場違いな闖入者がいたものね」
血反吐をはきながら蹲るマーサを見下ろして、暗闇を照らす電撃を纏った女が首をカックンと傾げて言った。
その後ろではスライムがまるで傅くかの様に姿勢を低くして震えている。
女は──黄金に光を放つ髪を後ろに流して、スライムの方へ向いた。
「報告が遅いと思ったら、何してんのよ愚図。アンタの所為でこの私がどれだけ主様に怒られたと……」
僅かに激昂した様子を覗かせた女がバチバチ、と電流を夜闇に流して白光を瞬かせた時。
その視線がスライムとマーサから別の方向へ移る。
「────ああ、そっちだったわけね」
音も無く電撃奔る女の前に降り立ったのは、一人の青年。
勇者フェリシアだった。
●
マーサの身体は保って数分で死に至る程の重傷を負っていた。
(半身が酷い火傷を負ってる──直ぐに僕の血を与えないと、アリッサのお母さんは死ぬ。
四天王がどうしてここに……?
森の周辺に魔力の残痕は無かった、雷帝は転移で此処に来てる。
奴一人なら、僕一人でやれるか?
スライムは僕の魔力に怯えてる、やるなら一瞬でだ。
隙を見せればマーサさんが巻き込まれるかもしれない……!
転移で逃走するには雷帝の隙を作らなければ。
だめだここで戦えばあれの攻撃でマーサさんが死ぬ!
どうする、手数が足りない。
数だ……雷帝の気を少しでも逸らすような、僕に今できる全てを……!)
フェリシアが魔力探知で四天王『雷帝のフローレンス』の存在に気づいてから数秒、雷撃が走った地点へ転移の魔法で駆け付けた瞬間。彼は一瞬の思考の果てに決断する。
雷帝が魔法を使う前に振り抜いた拳を大地に叩きつけた直後、魔力を上乗せして操作した衝撃波が地中を奔りマーサを土砂ごと宙に打ち上げた。
足元を揺るがすほどの震動が周辺を襲ったことで一帯の木々が滅茶苦茶に倒れる最中、雷帝からフェリシアに向けて電撃が放たれ。乾いた炸裂に次いでフェリシアが数メートルに弾かれた。彼は雷帝を睨みつけたまま爆ぜ焦げた衣類の残滓を掃うように、腕を一閃させる。
風の魔術。
大地を穿った際に土中で木の根を引っ掻き、呪文を刻んだフェリシアが空中に飛ばしたマーサを引き寄せようとした。
「……ッ!?」
フェリシアの掌から伸びる風の魔術に上書きされる、『電流』の魔法。
彼の視界に映る雷帝の姿は半分が朧な像となっている。正確な姿を見せない為の識別阻害の呪詛、ブレた像の下で確かに女は笑っていた。
マーサを風が包む前に霧散する。
「勘のイイ奴……」
「僕は勇者だ、フローレンス────!!」
「はぁ!?」
苦肉の策だった。
マーサを救出すべくフェリシアが放った風の魔術に電流を乗せたのは、触れれば爆散したであろう呪詛を以て逃走を阻止する為だったに違いない。意図を読まれている以上はとても状況を覆せる作戦など思いつく筈もなく。彼は自ら名乗りを上げながら全身から魔力を放出した。
夜闇を一瞬だけ眩い玉虫色の光が奔り、フェリシアの気迫によって初めて戦闘態勢に入った雷帝が回避行動を取った。
稲妻が激しく唸り、森林が一直線に炎上する。
爆轟の如く上空へ巻き上げられる大木や土砂が地上の森に降り注ぎ、地響きと共に衝撃波が吹き荒れる。
「……クソガキめ。この私を相手によくも虚仮威しを!!」
白光を中心に爆ぜる黄金の雷を纏った雷帝が激昂した。
全身だけでなく自らの『存在』を雷撃そのものと化す形態変化の呪詛。彼女が回避しただけで奔った跡には凄まじい焼け痕が残されていた。
だが肝心の、大技めいた行動に出た筈のフェリシアが消えている。
視界を巡らせるまでもない。一瞬の隙を衝いてマーサへ辿り着いたフェリシアが転移で逃走したのだ。
舌打ちに次ぐ八つ当たりの放電が森をさらに焼く。
滅茶苦茶に砕かれ、地割れに落ちてしまったスライムを遠目で確認した雷帝は息を吐く。
「チッ、勇者ですって? あの臆病者のガキがまさか……」
電流が弾ける。
「────ッ……!!?」
弾けた音を聴く間も無く、雷帝の視界がブレた。
魔力の揺らぎ。大気を震わせて渦巻く風と共に彼女の側面から殴り掛かって来たのは、マーサと逃走したフェリシアだった。
識別阻害の呪詛に隠された頭部。ブレた像の顔面に突き刺さった拳が雷帝を弾き飛ばす。
炎上していた木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ雷帝が途中から雷へと転じて、旋回からの三次元的軌道を宙に描いてからフェリシアを頭上から襲った。
轟音に次ぐ轟音。
雷の唸る音が連続して森の一角で大爆発が起きた後、炎上する森林に照らされた森の外に広がる平原へフェリシアが何度も地面に打たれながら吹き飛び転がって行った。
「ぐ、ぁああ……ッ!」
背中や脚部を焦がして態勢を立て直そうと地を滑るフェリシアは、眼前に迫って来ていた電撃を火傷を負った左腕で掻き消した。
森から飛翔して来た雷帝が彼の前に立ち塞がる。
「やってくれたわね。アンタ……何いまの? もう少しで死んでたわぁ」
「はぁ、はあ……ッ」
雷帝フローレンスの識別阻害の呪詛が解けかけていた。先の奇襲も成功していたのか、身構える雷帝の足が僅かに揺れていた。
だが、フェリシアの予測を悪い意味で裏切っている。
マーサを教会に連れ出してから即座に戻って来た彼が繰り出した魔力を放出しながらの一撃は、決まれば頭部を吹き飛ばすくらいなら出来ていた筈だった。それが出来なかった要因は──彼の知らない因子によるもの。第三者の介入だった。
奇襲の一撃を決めた瞬間にフェリシアを襲ったものは、雷帝と等しい雷撃。
つまり──。
「でも残念。この私に一発入れたのはいいけど、ここで死ぬのはアンタ……勇者だけだわ」
(どういう事だ……どうして、雷帝が)
──夜天を照らし出す様に森から飛翔する稲光。
轟雷。平原に突き立つそれは紛れもなく雷撃であり、立ち並べば瓜二つ。重なり合う魔力は互いを刺激し合っているのか。都度、電流が弾けて。
もう一人の雷帝がそこに立っていた。
「勇者──と言ったわね、ちょっと予定外だったけど初めまして」
「私たちがフローレンスよ……!」
●
教会にマーサが運び込まれて直ぐ、神父──クライド・リーズネットは教会の修道女を礼拝堂に集めた。
既にロセッタ西通りには複数の騎士が駆け回っており、森の方角から雷雲の様な音が響いては震え上がっていた。クライド神父は祭壇に上げた妻を前に膝を屈し、手を握りながら修道女達の回復と癒しの奇跡を見守っている。
涙ぐむ彼の傍では今にも崩れ落ちそうなアリッサが立ち尽くしている。フェリシアが何か薬の様な物を飲ませてからクライド神父にマーサを託してからずっと、少女は動けずにいたのだ。
「お母……さん」
変わり果てた母親の姿。
修道女達の懸命な祈りでも、雷帝が刻んだ雷撃の呪詛はマーサの血肉を焼き続け、一向に治癒が進んでいなかった。
右半身に受けたらしい痛々しい火傷から流れ出る血液は今も祭壇を濡らしている。それが長引けば、人間がどうなるかは学の無いアリッサでも理解していた。
突如襲う死がこれほど恐ろしいとは思わなかった。
震える膝は父も同様。余りにも惨たらしい傷痕と、それを成したであろう存在に気が付きつつある修道女達までもが額に汗を粒にして流している。
助けを呼ぼうにも、誰にそれを乞えばいいのか分からないアリッサは。人知れず『神様』に祈った。
(おねがいします、お願いします……お母さんを連れて行かないでください。ママを、助けてください……!)
「くっ……このままでは、魔力が……」
「何をそんな弱気になっているのですシスターアイリーン! 祈るのです、神を信じ……リーズネット夫人を救わなければ……!」
「ですが、もう……っ」
アリッサの前で祈りを捧げている修道女達の間で交わされる不穏な会話。
彼女たちとて、生半な修練を積んだわけではない。だが、だからこそ、屈しかけているともいえる。
切迫した状況の最中、教会の門扉が開かれる。
息を切らして駆け付けた修道女は一人、アリッサの傍へと向かって行った。
「君は……?」
「神聖教会から使命を帯びて参りました、シスターカーライルです。供にマーサ様をお救いしましょう!」
「ああ……っ、来てくれたのね……っ」
「ええ、お待たせしました」
表情を僅かに明るくさせたアリッサの様子を見たクライド神父が訝しむように修道女、カーライルを名乗った少女を見上げる。
アリッサに微笑みを返して。少女は、白を基調とした修道服の袖を肘まで捲り上げながらマーサに向かって手をかざしながら答える。
「アリッサの友人の。ルシール・カーライルと申します……義父様!」
長く柔らかな金髪を揺らし、眩い白亜の光が祭壇へ注がれる。
ルシールが瞼を閉じて祈りを捧げた瞬間──彼女の奇跡がマーサの身体を癒し始めるのだった。
娘のアリッサが相談無く町のギルドの依頼を受けようとしているのを知った時、マーサは驚きながらも喜んだ。
経緯はどうあれ、まだ齢13の歳になったばかりの我が子が働き口を設ける努力を見せたのは良い事だ。そして、その理由がロセッタ東通りに住まう友人と暮らす為だと事情を聞けば喜びは倍増しである。
教会を通して夫婦となったマーサ・リーズネットは町娘の恋愛という物をよく知らない。
だからというわけではないが、アリッサが恋仲となったに違いない相手と共に生活する未来を描いたという話を聞いてとても心が躍った。その手の詩や観劇でしか知らなかった浪漫が娘の中で人知れず育まれているというのだと、母であるマーサはそれを夫に秘密にして成り行きを見守りたかった。
そしてできるなら──娘の夢の手伝いをしたかった。
(声を……出してはダメ。絶対に、絶対に……ッ!)
だから後悔は出来なかった。
恐怖で震える膝を押さえつけるように片手で抱き寄せ、耳元でガサゴソと蠢く樹木の空洞木に住む蟲共から目を背け。片手は口元を必死に抑え込んで。とにかく息を潜める事に専念する。
怯えるマーサの隠れる樹木からすぐ傍、そこに一体の魔物が佇んでいるのだ。
娘のため。少しでも稼ぎを増やそうと顔見知りの行商から個人で依頼を受け、マーサは森にエストの森に群生するという菌根を採取に来た。しかし夜間に魔力を帯びる事で光るというそれはまるで見つからず、一時は諦めて帰ろうとした彼女だったが──そこで鉢合わせてしまっていた。
流体化生。
フェリシアが見れば直ぐに分かるだろう。スライムとは水に近い性質を有した粘液の魔物、特定の姿形を持つことは極めて稀な不定形にして異形の怪物だった。
マーサが遭遇したスライムはどこか人型を保ったまま佇み、前夜に遭遇した際は恐るべき速度で追いかけて来た。追い詰められかけた彼女だったが、どうにか樹木の陰に見つけた空洞に身を隠した事で捕まることだけは避けたのである。
幸運だったのはそこまで。
スライムがマーサを見失い、暫し経ってから彼女の隠れ潜む樹のそばで立ち尽くすようになってから一切動こうとしなくなったのだ。
一昼夜。日を跨いでも聴こえてくるゲル状の流体がコポコポと鳴らす音に怯え続けたマーサは、いよいよ限界が近かった。
もしかすると出て行っても逃げ切れるかもしれない。そんなことを何度も想像しては頭を振って断念した。万一があっては取り返しがつかない。
「ふー……、すー……」
音をなるべく殺しながら深々と息を吸う。
アリッサにも教えた事だ。気持ちを落ち着かせて物を考える時は、まず胸いっぱいに息を吸い込んで頭の中を空っぽにすべきだと。
(誰か……誰か、近くに来てくれれば。助けを求める事が出来るかもしれない)
諦めては駄目だと、そう頭の中で思い続けた末。二度目の深い夜が来て暫く経った頃に転機が訪れる。
スライム以外の音──人間が出しうる足音らしきものを聞いたのだ。
(っ……ひとり、だけ?)
蠢くスライムが反応する。
泡立つ様な、肉を擦り合わせた様な、不快な粘度を感じさせる粘着音。マーサと同様、歩き出て来たその人に気づいたに違いなかった。
マーサが躊躇する。土を踏む足音から察するに随分と近い、助けを求めても或いは……このままスライムがそちらに気を取られている間に逃げた方が助かる見込みのほうが在った。
だがそれをすれば、もう二度とアリッサの母として胸を張れない気がしてしまった。
だから。
スライムが大きく蠢く様な音をかき鳴らした瞬間、マーサは弾かれたように空洞木から転がり飛び出して足音のした方へ走り出したのだ。
「こっちに来てはダメ! 逃げ──」
──夜闇に包まれた森の中で揺れ動く怪物の傍、マーサは視界が白く染まった後に吹き飛んだ。
「がッ……!?」
耳が聞こえない事に気づいたのは、背中からどこかの樹に衝突して叫んだ時だった。
喉から漏れ出ているはずの声は聞こえず。激しい頭痛と目の痛みがマーサを悶えさせた。
「へぇ。何かいるなぁと思ったけど──場違いな闖入者がいたものね」
血反吐をはきながら蹲るマーサを見下ろして、暗闇を照らす電撃を纏った女が首をカックンと傾げて言った。
その後ろではスライムがまるで傅くかの様に姿勢を低くして震えている。
女は──黄金に光を放つ髪を後ろに流して、スライムの方へ向いた。
「報告が遅いと思ったら、何してんのよ愚図。アンタの所為でこの私がどれだけ主様に怒られたと……」
僅かに激昂した様子を覗かせた女がバチバチ、と電流を夜闇に流して白光を瞬かせた時。
その視線がスライムとマーサから別の方向へ移る。
「────ああ、そっちだったわけね」
音も無く電撃奔る女の前に降り立ったのは、一人の青年。
勇者フェリシアだった。
●
マーサの身体は保って数分で死に至る程の重傷を負っていた。
(半身が酷い火傷を負ってる──直ぐに僕の血を与えないと、アリッサのお母さんは死ぬ。
四天王がどうしてここに……?
森の周辺に魔力の残痕は無かった、雷帝は転移で此処に来てる。
奴一人なら、僕一人でやれるか?
スライムは僕の魔力に怯えてる、やるなら一瞬でだ。
隙を見せればマーサさんが巻き込まれるかもしれない……!
転移で逃走するには雷帝の隙を作らなければ。
だめだここで戦えばあれの攻撃でマーサさんが死ぬ!
どうする、手数が足りない。
数だ……雷帝の気を少しでも逸らすような、僕に今できる全てを……!)
フェリシアが魔力探知で四天王『雷帝のフローレンス』の存在に気づいてから数秒、雷撃が走った地点へ転移の魔法で駆け付けた瞬間。彼は一瞬の思考の果てに決断する。
雷帝が魔法を使う前に振り抜いた拳を大地に叩きつけた直後、魔力を上乗せして操作した衝撃波が地中を奔りマーサを土砂ごと宙に打ち上げた。
足元を揺るがすほどの震動が周辺を襲ったことで一帯の木々が滅茶苦茶に倒れる最中、雷帝からフェリシアに向けて電撃が放たれ。乾いた炸裂に次いでフェリシアが数メートルに弾かれた。彼は雷帝を睨みつけたまま爆ぜ焦げた衣類の残滓を掃うように、腕を一閃させる。
風の魔術。
大地を穿った際に土中で木の根を引っ掻き、呪文を刻んだフェリシアが空中に飛ばしたマーサを引き寄せようとした。
「……ッ!?」
フェリシアの掌から伸びる風の魔術に上書きされる、『電流』の魔法。
彼の視界に映る雷帝の姿は半分が朧な像となっている。正確な姿を見せない為の識別阻害の呪詛、ブレた像の下で確かに女は笑っていた。
マーサを風が包む前に霧散する。
「勘のイイ奴……」
「僕は勇者だ、フローレンス────!!」
「はぁ!?」
苦肉の策だった。
マーサを救出すべくフェリシアが放った風の魔術に電流を乗せたのは、触れれば爆散したであろう呪詛を以て逃走を阻止する為だったに違いない。意図を読まれている以上はとても状況を覆せる作戦など思いつく筈もなく。彼は自ら名乗りを上げながら全身から魔力を放出した。
夜闇を一瞬だけ眩い玉虫色の光が奔り、フェリシアの気迫によって初めて戦闘態勢に入った雷帝が回避行動を取った。
稲妻が激しく唸り、森林が一直線に炎上する。
爆轟の如く上空へ巻き上げられる大木や土砂が地上の森に降り注ぎ、地響きと共に衝撃波が吹き荒れる。
「……クソガキめ。この私を相手によくも虚仮威しを!!」
白光を中心に爆ぜる黄金の雷を纏った雷帝が激昂した。
全身だけでなく自らの『存在』を雷撃そのものと化す形態変化の呪詛。彼女が回避しただけで奔った跡には凄まじい焼け痕が残されていた。
だが肝心の、大技めいた行動に出た筈のフェリシアが消えている。
視界を巡らせるまでもない。一瞬の隙を衝いてマーサへ辿り着いたフェリシアが転移で逃走したのだ。
舌打ちに次ぐ八つ当たりの放電が森をさらに焼く。
滅茶苦茶に砕かれ、地割れに落ちてしまったスライムを遠目で確認した雷帝は息を吐く。
「チッ、勇者ですって? あの臆病者のガキがまさか……」
電流が弾ける。
「────ッ……!!?」
弾けた音を聴く間も無く、雷帝の視界がブレた。
魔力の揺らぎ。大気を震わせて渦巻く風と共に彼女の側面から殴り掛かって来たのは、マーサと逃走したフェリシアだった。
識別阻害の呪詛に隠された頭部。ブレた像の顔面に突き刺さった拳が雷帝を弾き飛ばす。
炎上していた木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ雷帝が途中から雷へと転じて、旋回からの三次元的軌道を宙に描いてからフェリシアを頭上から襲った。
轟音に次ぐ轟音。
雷の唸る音が連続して森の一角で大爆発が起きた後、炎上する森林に照らされた森の外に広がる平原へフェリシアが何度も地面に打たれながら吹き飛び転がって行った。
「ぐ、ぁああ……ッ!」
背中や脚部を焦がして態勢を立て直そうと地を滑るフェリシアは、眼前に迫って来ていた電撃を火傷を負った左腕で掻き消した。
森から飛翔して来た雷帝が彼の前に立ち塞がる。
「やってくれたわね。アンタ……何いまの? もう少しで死んでたわぁ」
「はぁ、はあ……ッ」
雷帝フローレンスの識別阻害の呪詛が解けかけていた。先の奇襲も成功していたのか、身構える雷帝の足が僅かに揺れていた。
だが、フェリシアの予測を悪い意味で裏切っている。
マーサを教会に連れ出してから即座に戻って来た彼が繰り出した魔力を放出しながらの一撃は、決まれば頭部を吹き飛ばすくらいなら出来ていた筈だった。それが出来なかった要因は──彼の知らない因子によるもの。第三者の介入だった。
奇襲の一撃を決めた瞬間にフェリシアを襲ったものは、雷帝と等しい雷撃。
つまり──。
「でも残念。この私に一発入れたのはいいけど、ここで死ぬのはアンタ……勇者だけだわ」
(どういう事だ……どうして、雷帝が)
──夜天を照らし出す様に森から飛翔する稲光。
轟雷。平原に突き立つそれは紛れもなく雷撃であり、立ち並べば瓜二つ。重なり合う魔力は互いを刺激し合っているのか。都度、電流が弾けて。
もう一人の雷帝がそこに立っていた。
「勇者──と言ったわね、ちょっと予定外だったけど初めまして」
「私たちがフローレンスよ……!」
●
教会にマーサが運び込まれて直ぐ、神父──クライド・リーズネットは教会の修道女を礼拝堂に集めた。
既にロセッタ西通りには複数の騎士が駆け回っており、森の方角から雷雲の様な音が響いては震え上がっていた。クライド神父は祭壇に上げた妻を前に膝を屈し、手を握りながら修道女達の回復と癒しの奇跡を見守っている。
涙ぐむ彼の傍では今にも崩れ落ちそうなアリッサが立ち尽くしている。フェリシアが何か薬の様な物を飲ませてからクライド神父にマーサを託してからずっと、少女は動けずにいたのだ。
「お母……さん」
変わり果てた母親の姿。
修道女達の懸命な祈りでも、雷帝が刻んだ雷撃の呪詛はマーサの血肉を焼き続け、一向に治癒が進んでいなかった。
右半身に受けたらしい痛々しい火傷から流れ出る血液は今も祭壇を濡らしている。それが長引けば、人間がどうなるかは学の無いアリッサでも理解していた。
突如襲う死がこれほど恐ろしいとは思わなかった。
震える膝は父も同様。余りにも惨たらしい傷痕と、それを成したであろう存在に気が付きつつある修道女達までもが額に汗を粒にして流している。
助けを呼ぼうにも、誰にそれを乞えばいいのか分からないアリッサは。人知れず『神様』に祈った。
(おねがいします、お願いします……お母さんを連れて行かないでください。ママを、助けてください……!)
「くっ……このままでは、魔力が……」
「何をそんな弱気になっているのですシスターアイリーン! 祈るのです、神を信じ……リーズネット夫人を救わなければ……!」
「ですが、もう……っ」
アリッサの前で祈りを捧げている修道女達の間で交わされる不穏な会話。
彼女たちとて、生半な修練を積んだわけではない。だが、だからこそ、屈しかけているともいえる。
切迫した状況の最中、教会の門扉が開かれる。
息を切らして駆け付けた修道女は一人、アリッサの傍へと向かって行った。
「君は……?」
「神聖教会から使命を帯びて参りました、シスターカーライルです。供にマーサ様をお救いしましょう!」
「ああ……っ、来てくれたのね……っ」
「ええ、お待たせしました」
表情を僅かに明るくさせたアリッサの様子を見たクライド神父が訝しむように修道女、カーライルを名乗った少女を見上げる。
アリッサに微笑みを返して。少女は、白を基調とした修道服の袖を肘まで捲り上げながらマーサに向かって手をかざしながら答える。
「アリッサの友人の。ルシール・カーライルと申します……義父様!」
長く柔らかな金髪を揺らし、眩い白亜の光が祭壇へ注がれる。
ルシールが瞼を閉じて祈りを捧げた瞬間──彼女の奇跡がマーサの身体を癒し始めるのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
279
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる