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第一章
5.【私が相手だ】●
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エストの森に火災が拡がる一方、平原を一対の稲妻が奔る。
(単騎なら戦える……けど! くっ、手加減されてるのか僕は──!)
電撃。落雷。稲妻そのものと相対するのは人だ。
夜天を駆け巡る稲光に次ぐ降下の一撃が平原にクレーターを作って衝撃波を撒き散らし、落雷を紙一重で躱したフェリシアが側面からの突撃──即撃雷を蹴り上げ。相殺しきれなかった大地を奔る電撃に吹き飛ばされながら、懐に入り込んだ雷帝と打ち合う。
肉薄する黄金の徒手。
一瞬の油断も許されないフェリシアに対し、雷帝フローレンスは凶笑を浮かべて雷撃を至近で見舞う。
魔力を放出しながら電流の軌道を逸らしたフェリシアが雷帝の軸足と突き合わせる様に踏み締め、震脚にも似た衝撃で地中を爆発させながら怪力で肘鉄を振り下ろす。
実体を捨て、雷撃そのものと化した雷帝が兜割りによって霧散するも、放射状に放たれた電撃がフェリシアを焼き焦がした。
大気を打ち空気が渦を巻いて、その場から僅かに距離を取る形でフェリシアが転移する。
一瞬にも満たぬ呼吸を挟み雷帝がフェリシアを追う。
(彼女たちは音よりも速い……! 目だ、目で見ろ……ッ! 二人で同時に僕を襲わないのは彼女たちの性質に因るものだ、本気で来られたら死ぬのは僕だ。見極め、見切れ……勇者だろ!!)
「死になさぁい──ッ!!」
皮を焼く雷撃相当の手刀を腕で払い除けながら裏拳で雷帝をフェリシアが殴り飛ばす。宙で形態変化による雷撃への変身を行って衝撃を緩和している片割れをよそにもう一人の雷帝が襲い掛かる。
フェリシアの身体から血が宙に散っては、膨大な電圧と呪詛によって蒸発していく。
エストの森から雷帝達を引き剝がしながらフェリシアが消耗し疲弊しきった表情のまま呪文を唱える。
「【其は四番目二人目の繰り手──継ぐ者よ施行せよ】!」
闇を照らすだけなら、雷の嘶きは必要無い。
紡いだ呪文。詠唱に喚ばれた爆炎の壁がフェリシアを中心に展開され、同時に雷帝達をも飲み込んだ。
「詠唱魔術……そんな物で私たちをどうにかできるとでも?」
「お姉様!」
「ええ、行きましょう可愛いフローレンス」
業火に燃ゆる大地が炭化して溶けていく最中。二人の雷帝は互いに実体を失った姿のまま歩み寄っていく。
炎の壁に包まれたフェリシアはとめどなく流れ出る汗を拭いながら、彼女達の動きを見ていた。絶対に見逃してはならないと────何かに強制されたように。
そして雷帝達がついにフェリシアの眼前で手を取り合う。炎の壁の内側で彼女たちは笑っていた。
次の瞬間。
フェリシアの展開していた炎の壁が突如消滅して、彼の胸を何かが打ち上げた。
「が……ッ、は──!?」
──彼は視た。
雷帝フローレンスは互いの手を取った後、触れ合い交わった雷の呪詛が融け合ってお互いの『中身』を満たした事で、彼女達を中心に結界に似た力場が拡がったのだ。
胸部を打ち抜かれたフェリシアは全身を駆け巡る激痛に覚えがある。これは元の──フェリシアが初めて雷帝と対峙した際に受けた奥義だ。
仕組みなど分かる筈も無い。雷の様相を保ちながら駆ける雷帝のスピードは転移を除けば紛れもなく最速、これが本来の彼女達の実力が成す業だった。
だが、それでも見える、視えたのだ。
(……そういう事なら)
全身を神速の雷撃で打たれてから鳩尾を殴り飛ばされる直前、フェリシアは自ら力場の範囲を予測して跳躍していた。
ブレる視界の奥。二人の雷帝は追撃の構えを見せながら繋いでいた手を離している。
「ほらほら、どうしたのさァ──!! あははははッ! これが勇者? 笑わせんじゃないわよ、アンタなんか他と同じ様にここで塵芥にしてやるわ!」
「ッ、雷帝フローレンス……君は……!」
フェリシアの瞳の輝きが僅かに変わる。
幾度となく繰り返される衝突と移動。爆ぜ飛ぶ土砂は爆発音を伴って飛翔する雷帝達によって炭化して、燃え焦がされゆく平原に幾度となく電光が流れ奔る。
息を切らすフェリシアは疲弊しながらも二人の雷帝を同時に相手しながら、戦いの先が見えない事に焦燥を覚えていく。それを雷帝達も感じ取っている。
だがついに左右から一度に舞い込んだ雷撃を、魔力の放出で覆った腕部だけで凌いだフェリシアが雷帝達を一蹴した時。一方だけが気付いた。
(────? 今の動き、偶然ではない)
姉と呼ばれるフローレンスが激しい打ち合いの最中にフェリシアの表情を見た。
その顔は、どこかで見た記憶のある影を宿していた。
●
フェリシアは疲弊し、損耗しながら薄れつつある意識の狭間で自らの魂に刻むように繰り返す。
それは彼にしか見えない世界。
敗北すればどうなるかは目に見えていた。勇者を名乗った以上は、自分を排除した雷帝達が次に狙うのは王国だからだ。
エストの森での出来事は王都との距離を考えれば早々にして騎士団が把握することだろう。そうなれば大勢の騎士や教会の戦闘員──怪我人が多く出れば修道女達も戦場へ派遣されるはずだ。
騎士団で四天王は抑え込めない。ならばと、冒険者ギルドや戦士職の人員をすぐにでも向かわせる。
彼等は勝てない。来た者、皆が死に絶えて破壊される。
この過去の世界にも居るだろう、いつかは大切な仲間となる女性たちも。
なぜこの世界に来てしまったのか、誰が何の目的があって自分を連れて来たのか。或いは呼んだのか。
これまで僅か一日にも満たない間に何度も自問自答してきた事に、フェリシアはついに答えを出した。
(──みんなを、僕が守るんだ)
理由や原因など関係ない。そこに在るのなら、フェリシアに出来る事は少ないのだから。
勇者だから? 正義の味方だから? フェリシアには分からない。だってこの世界はどう抗おうと、頑張ろうと、最後はきっと報われないだろうと分かり切っている。
だが。
それでもいい、と──彼は自分に答えた。
(──行こう。やろう。この先がつらいのは……分かってるんだ)
●
打ち合う手応えや敵の戦術そのものはまだ対応できる。
しかし、雷帝一人でも勇者だけでなく仲間が必要だった事を思えばこんな物ではない筈だ。フェリシア一人。何の装備も持たない身で戦っている姿に彼女たちが手を抜いていないと、どうして断言できよう。
(せめて、武器があれば……いや駄目だ。中途半端な物を使うくらいなら素手の方が──!)
腕を伝う鮮血を指先に塗りつけ、フェリシアが掌に高速で呪文を書き上げると地面に叩きつける。
雷帝が空中を駆けながら笑う。
「あっはははは!! 無様無様無様ァッ! 何も無いくせに、何も抱えて無いくせに、何も知らないくせに、勇者を名乗って主様を殺そうだなんて!」
フェリシアの使った魔術は、岩石を杭として召喚する類の魔法だった。
雷帝にしてみれば苦し紛れの砂かけに等しい。児戯にも劣る悪足掻きの所業だ。
光の矢と化して雷撃をフェリシアの放った岩石の杭に叩きつけた雷帝が、その向こう側で待ち構えていたフェリシアを弾き飛ばした。
その姿はまるで毬のように、容易く吹き飛び転がって行く勇者を雷帝達が追撃しようとする。
「────お待ちなさい、フローレンス!」
「あ?」
刹那に上がる雷帝の声。当然それは──聞こえた時には遅い。
閃く光。
瞬きにも満たぬ間に奔った閃光は幾何学模様を軌跡を残し、次いで黄金の光が荒れ果てた平原へと投げ返された。
滅茶苦茶に土砂が掘り返されて炎上していた草原の中へ突っ込んだのは、雷帝だった。
「……なにが、起きたのよ……ッ」
彼女には何も見えなかった。
ただ、最後に視界に映っていた勇者──フェリシアの姿がどこか違和感を覚えるものと成っていた事だけは覚えている。
窮鼠猫を嚙むとでも言うつもりか。
耐え難い屈辱を受けたフローレンスは地中から飛び出そうとして、それからガクンと身体が縫い付けられたように倒れてしまう。
訳も分からず雷撃と化そうとした彼女は──そのまま糸が解けるように消えてしまった。
──妹が胸元に石剣を生やして消滅した姿を目にした雷帝は。
「────何をしたの」
「……」
最早、死んだ妹が霧散した残滓を見つめる余韻すらなく。完全に別の生き物を見る目で雷帝がフェリシアに問いかける。
その言葉に返す声はひとつもなく。
静かに魔力を充填して牙を研ぎ澄ます雷帝が構える前で、夜闇から抜け出す様に自ら間合いへと入り込んだフェリシアが放出させた魔力で覆う岩石の長剣を両手に携える。その視線は変わらず、じっと敵を見定めているのだ。
元より戦闘を始めた時からずっと、勇者を名乗るフェリシアの眼は雷帝達を見続けていた。
その事実が今になって夜の闇よりも濃く粘り付く事が、雷帝にとって大きく動揺する原因になった。
魔力の質に変わりは無く。
風貌に一変の変化も無く。
ただ、目に見えない得体の知れない違和感だけが浮き彫りになっている。
「雷撃の呪詛が本体だろう」
「……だとすれば?」
やっとのこと口を開けばその声音は微かに暗い。
やはり何かが変わったのだと考察する雷帝はフェリシアに気づかれぬ間に上空に雷撃の魔法を刻む。
夜天を覆い尽くす黒雲。拡がる膨大な魔力が天候を操作し、雷帝にとって最良の環境を作り出そうとする。
雷雲が瞬き、地を震わせる轟音が鳴り響く。
「──私が相手だ」
(────!!)
刹那の読み合いに雷帝は敗北する。
フェリシアが動きを見せる寸前に雷雲から落とした稲妻が大地を穿った瞬間、彼女も雷撃へと形態変化を行い。フェリシアが岩石の長剣を振り抜いて稲妻の余波を切り裂いた所へ一撃を与える。奔る雷撃、フェリシアの後方で大地が爆散する。
身を捻り、刀身に流された電流で雷撃を受け流した勇者を前に四天王・雷帝フローレンスが瞠目した。
勇者の姿が消える。
姉妹揃って成せる神速の機動力を再現して見せた相手に、雷帝は全身全霊を以て応えた。
雷撃の呪詛は形態変化を始めとした雷の在り様を成す為の魔法。
故に──雷を切り裂く術を手にした勇者に雷帝は雷撃と化しての一撃離脱を封じられていた。
爆ぜ奔る電流で脚捌きを隠しながら肉薄した雷帝を、長剣が逆袈裟に切り裂く。雷帝の纏っていた防具が千切れ飛び、微かに鮮血が散った後に頭上から戦域に落雷が降り注ぐ。
雷の手刀を繰り出した雷帝が大きくよろけた直後、肩口から魔力を帯びた血潮が大量に噴き出す。
フェリシアの戦い方がそれまでの防戦から、撃滅する為の戦闘へと変貌していたのだ。
降り注ぐ落雷を全て躱し、即撃雷すら受け流しながら繰り返される──フェイントを絡めた斬撃と身体の動き。技術が違えば気迫も意図も異なる。先ほどまで姉妹が圧倒していた筈の勇者はどこにも居なかった。
「……待っ」
血に塗れた雷帝が口を開こうとした瞬間。度重なる打ち合いに悲鳴を上げるように砕け散った岩石の長剣を捨て、フェリシアが雷撃を纏った手刀で胸元を貫いた。
止まった時の流れが動き出す様に周囲の大地が崩れ陥没する最中、黄金の輝きと共に霧散していった雷帝を見下ろしながらフェリシアが息を吐いた。
「────勝った……な」
枯渇しかけた魔力のせいで頭が揺れる彼はその場に膝を着く。
疲れ果てた彼を笑うかのように、空で雷が轟いたのだった。
●
──朝日が昇った王都の大通りを抜けた少女は笑っていた。
「勝ったんだ。凄いね、やっぱり勇者なんだなぁ」
「どうされますか」
「……お休み、させてあげようよ。きっと疲れてるから」
「かしこまりました」
ロセッタ西通りを往く二人の女性が人々の目を引いていく。
片や美しい青髪を揺らし、片や水銀のような髪を触れ合わせ。隣り合う少女たちは着ている衣装含めて市民に混ざるのが異様に思えるほどの美しさを有していた。
青髪の少女に何事か伝えた銀髪の女性は豊かな胸元を抱き、どこか慣れない様子で頭を下げてから少女の隣を離れる。彼女たちを見かけた町人のいずれかがその後を追って路地裏へと入るが、すぐに見失ってしまう。
少女は一度背伸びをして、それから教会に向かって歩いて行く。
誰に何を見られようと意に介する事なく──庭でも歩くかのような清々しさで、彼女は教会で眠る青年に会いに向かう。
「ふふ。まずは朝ご飯にお誘いしよっかなぁ……もう起きてるよね? 勇者だもんね、フェリシアは」
──その小さな笑みだけは誰にも見せずに。
(単騎なら戦える……けど! くっ、手加減されてるのか僕は──!)
電撃。落雷。稲妻そのものと相対するのは人だ。
夜天を駆け巡る稲光に次ぐ降下の一撃が平原にクレーターを作って衝撃波を撒き散らし、落雷を紙一重で躱したフェリシアが側面からの突撃──即撃雷を蹴り上げ。相殺しきれなかった大地を奔る電撃に吹き飛ばされながら、懐に入り込んだ雷帝と打ち合う。
肉薄する黄金の徒手。
一瞬の油断も許されないフェリシアに対し、雷帝フローレンスは凶笑を浮かべて雷撃を至近で見舞う。
魔力を放出しながら電流の軌道を逸らしたフェリシアが雷帝の軸足と突き合わせる様に踏み締め、震脚にも似た衝撃で地中を爆発させながら怪力で肘鉄を振り下ろす。
実体を捨て、雷撃そのものと化した雷帝が兜割りによって霧散するも、放射状に放たれた電撃がフェリシアを焼き焦がした。
大気を打ち空気が渦を巻いて、その場から僅かに距離を取る形でフェリシアが転移する。
一瞬にも満たぬ呼吸を挟み雷帝がフェリシアを追う。
(彼女たちは音よりも速い……! 目だ、目で見ろ……ッ! 二人で同時に僕を襲わないのは彼女たちの性質に因るものだ、本気で来られたら死ぬのは僕だ。見極め、見切れ……勇者だろ!!)
「死になさぁい──ッ!!」
皮を焼く雷撃相当の手刀を腕で払い除けながら裏拳で雷帝をフェリシアが殴り飛ばす。宙で形態変化による雷撃への変身を行って衝撃を緩和している片割れをよそにもう一人の雷帝が襲い掛かる。
フェリシアの身体から血が宙に散っては、膨大な電圧と呪詛によって蒸発していく。
エストの森から雷帝達を引き剝がしながらフェリシアが消耗し疲弊しきった表情のまま呪文を唱える。
「【其は四番目二人目の繰り手──継ぐ者よ施行せよ】!」
闇を照らすだけなら、雷の嘶きは必要無い。
紡いだ呪文。詠唱に喚ばれた爆炎の壁がフェリシアを中心に展開され、同時に雷帝達をも飲み込んだ。
「詠唱魔術……そんな物で私たちをどうにかできるとでも?」
「お姉様!」
「ええ、行きましょう可愛いフローレンス」
業火に燃ゆる大地が炭化して溶けていく最中。二人の雷帝は互いに実体を失った姿のまま歩み寄っていく。
炎の壁に包まれたフェリシアはとめどなく流れ出る汗を拭いながら、彼女達の動きを見ていた。絶対に見逃してはならないと────何かに強制されたように。
そして雷帝達がついにフェリシアの眼前で手を取り合う。炎の壁の内側で彼女たちは笑っていた。
次の瞬間。
フェリシアの展開していた炎の壁が突如消滅して、彼の胸を何かが打ち上げた。
「が……ッ、は──!?」
──彼は視た。
雷帝フローレンスは互いの手を取った後、触れ合い交わった雷の呪詛が融け合ってお互いの『中身』を満たした事で、彼女達を中心に結界に似た力場が拡がったのだ。
胸部を打ち抜かれたフェリシアは全身を駆け巡る激痛に覚えがある。これは元の──フェリシアが初めて雷帝と対峙した際に受けた奥義だ。
仕組みなど分かる筈も無い。雷の様相を保ちながら駆ける雷帝のスピードは転移を除けば紛れもなく最速、これが本来の彼女達の実力が成す業だった。
だが、それでも見える、視えたのだ。
(……そういう事なら)
全身を神速の雷撃で打たれてから鳩尾を殴り飛ばされる直前、フェリシアは自ら力場の範囲を予測して跳躍していた。
ブレる視界の奥。二人の雷帝は追撃の構えを見せながら繋いでいた手を離している。
「ほらほら、どうしたのさァ──!! あははははッ! これが勇者? 笑わせんじゃないわよ、アンタなんか他と同じ様にここで塵芥にしてやるわ!」
「ッ、雷帝フローレンス……君は……!」
フェリシアの瞳の輝きが僅かに変わる。
幾度となく繰り返される衝突と移動。爆ぜ飛ぶ土砂は爆発音を伴って飛翔する雷帝達によって炭化して、燃え焦がされゆく平原に幾度となく電光が流れ奔る。
息を切らすフェリシアは疲弊しながらも二人の雷帝を同時に相手しながら、戦いの先が見えない事に焦燥を覚えていく。それを雷帝達も感じ取っている。
だがついに左右から一度に舞い込んだ雷撃を、魔力の放出で覆った腕部だけで凌いだフェリシアが雷帝達を一蹴した時。一方だけが気付いた。
(────? 今の動き、偶然ではない)
姉と呼ばれるフローレンスが激しい打ち合いの最中にフェリシアの表情を見た。
その顔は、どこかで見た記憶のある影を宿していた。
●
フェリシアは疲弊し、損耗しながら薄れつつある意識の狭間で自らの魂に刻むように繰り返す。
それは彼にしか見えない世界。
敗北すればどうなるかは目に見えていた。勇者を名乗った以上は、自分を排除した雷帝達が次に狙うのは王国だからだ。
エストの森での出来事は王都との距離を考えれば早々にして騎士団が把握することだろう。そうなれば大勢の騎士や教会の戦闘員──怪我人が多く出れば修道女達も戦場へ派遣されるはずだ。
騎士団で四天王は抑え込めない。ならばと、冒険者ギルドや戦士職の人員をすぐにでも向かわせる。
彼等は勝てない。来た者、皆が死に絶えて破壊される。
この過去の世界にも居るだろう、いつかは大切な仲間となる女性たちも。
なぜこの世界に来てしまったのか、誰が何の目的があって自分を連れて来たのか。或いは呼んだのか。
これまで僅か一日にも満たない間に何度も自問自答してきた事に、フェリシアはついに答えを出した。
(──みんなを、僕が守るんだ)
理由や原因など関係ない。そこに在るのなら、フェリシアに出来る事は少ないのだから。
勇者だから? 正義の味方だから? フェリシアには分からない。だってこの世界はどう抗おうと、頑張ろうと、最後はきっと報われないだろうと分かり切っている。
だが。
それでもいい、と──彼は自分に答えた。
(──行こう。やろう。この先がつらいのは……分かってるんだ)
●
打ち合う手応えや敵の戦術そのものはまだ対応できる。
しかし、雷帝一人でも勇者だけでなく仲間が必要だった事を思えばこんな物ではない筈だ。フェリシア一人。何の装備も持たない身で戦っている姿に彼女たちが手を抜いていないと、どうして断言できよう。
(せめて、武器があれば……いや駄目だ。中途半端な物を使うくらいなら素手の方が──!)
腕を伝う鮮血を指先に塗りつけ、フェリシアが掌に高速で呪文を書き上げると地面に叩きつける。
雷帝が空中を駆けながら笑う。
「あっはははは!! 無様無様無様ァッ! 何も無いくせに、何も抱えて無いくせに、何も知らないくせに、勇者を名乗って主様を殺そうだなんて!」
フェリシアの使った魔術は、岩石を杭として召喚する類の魔法だった。
雷帝にしてみれば苦し紛れの砂かけに等しい。児戯にも劣る悪足掻きの所業だ。
光の矢と化して雷撃をフェリシアの放った岩石の杭に叩きつけた雷帝が、その向こう側で待ち構えていたフェリシアを弾き飛ばした。
その姿はまるで毬のように、容易く吹き飛び転がって行く勇者を雷帝達が追撃しようとする。
「────お待ちなさい、フローレンス!」
「あ?」
刹那に上がる雷帝の声。当然それは──聞こえた時には遅い。
閃く光。
瞬きにも満たぬ間に奔った閃光は幾何学模様を軌跡を残し、次いで黄金の光が荒れ果てた平原へと投げ返された。
滅茶苦茶に土砂が掘り返されて炎上していた草原の中へ突っ込んだのは、雷帝だった。
「……なにが、起きたのよ……ッ」
彼女には何も見えなかった。
ただ、最後に視界に映っていた勇者──フェリシアの姿がどこか違和感を覚えるものと成っていた事だけは覚えている。
窮鼠猫を嚙むとでも言うつもりか。
耐え難い屈辱を受けたフローレンスは地中から飛び出そうとして、それからガクンと身体が縫い付けられたように倒れてしまう。
訳も分からず雷撃と化そうとした彼女は──そのまま糸が解けるように消えてしまった。
──妹が胸元に石剣を生やして消滅した姿を目にした雷帝は。
「────何をしたの」
「……」
最早、死んだ妹が霧散した残滓を見つめる余韻すらなく。完全に別の生き物を見る目で雷帝がフェリシアに問いかける。
その言葉に返す声はひとつもなく。
静かに魔力を充填して牙を研ぎ澄ます雷帝が構える前で、夜闇から抜け出す様に自ら間合いへと入り込んだフェリシアが放出させた魔力で覆う岩石の長剣を両手に携える。その視線は変わらず、じっと敵を見定めているのだ。
元より戦闘を始めた時からずっと、勇者を名乗るフェリシアの眼は雷帝達を見続けていた。
その事実が今になって夜の闇よりも濃く粘り付く事が、雷帝にとって大きく動揺する原因になった。
魔力の質に変わりは無く。
風貌に一変の変化も無く。
ただ、目に見えない得体の知れない違和感だけが浮き彫りになっている。
「雷撃の呪詛が本体だろう」
「……だとすれば?」
やっとのこと口を開けばその声音は微かに暗い。
やはり何かが変わったのだと考察する雷帝はフェリシアに気づかれぬ間に上空に雷撃の魔法を刻む。
夜天を覆い尽くす黒雲。拡がる膨大な魔力が天候を操作し、雷帝にとって最良の環境を作り出そうとする。
雷雲が瞬き、地を震わせる轟音が鳴り響く。
「──私が相手だ」
(────!!)
刹那の読み合いに雷帝は敗北する。
フェリシアが動きを見せる寸前に雷雲から落とした稲妻が大地を穿った瞬間、彼女も雷撃へと形態変化を行い。フェリシアが岩石の長剣を振り抜いて稲妻の余波を切り裂いた所へ一撃を与える。奔る雷撃、フェリシアの後方で大地が爆散する。
身を捻り、刀身に流された電流で雷撃を受け流した勇者を前に四天王・雷帝フローレンスが瞠目した。
勇者の姿が消える。
姉妹揃って成せる神速の機動力を再現して見せた相手に、雷帝は全身全霊を以て応えた。
雷撃の呪詛は形態変化を始めとした雷の在り様を成す為の魔法。
故に──雷を切り裂く術を手にした勇者に雷帝は雷撃と化しての一撃離脱を封じられていた。
爆ぜ奔る電流で脚捌きを隠しながら肉薄した雷帝を、長剣が逆袈裟に切り裂く。雷帝の纏っていた防具が千切れ飛び、微かに鮮血が散った後に頭上から戦域に落雷が降り注ぐ。
雷の手刀を繰り出した雷帝が大きくよろけた直後、肩口から魔力を帯びた血潮が大量に噴き出す。
フェリシアの戦い方がそれまでの防戦から、撃滅する為の戦闘へと変貌していたのだ。
降り注ぐ落雷を全て躱し、即撃雷すら受け流しながら繰り返される──フェイントを絡めた斬撃と身体の動き。技術が違えば気迫も意図も異なる。先ほどまで姉妹が圧倒していた筈の勇者はどこにも居なかった。
「……待っ」
血に塗れた雷帝が口を開こうとした瞬間。度重なる打ち合いに悲鳴を上げるように砕け散った岩石の長剣を捨て、フェリシアが雷撃を纏った手刀で胸元を貫いた。
止まった時の流れが動き出す様に周囲の大地が崩れ陥没する最中、黄金の輝きと共に霧散していった雷帝を見下ろしながらフェリシアが息を吐いた。
「────勝った……な」
枯渇しかけた魔力のせいで頭が揺れる彼はその場に膝を着く。
疲れ果てた彼を笑うかのように、空で雷が轟いたのだった。
●
──朝日が昇った王都の大通りを抜けた少女は笑っていた。
「勝ったんだ。凄いね、やっぱり勇者なんだなぁ」
「どうされますか」
「……お休み、させてあげようよ。きっと疲れてるから」
「かしこまりました」
ロセッタ西通りを往く二人の女性が人々の目を引いていく。
片や美しい青髪を揺らし、片や水銀のような髪を触れ合わせ。隣り合う少女たちは着ている衣装含めて市民に混ざるのが異様に思えるほどの美しさを有していた。
青髪の少女に何事か伝えた銀髪の女性は豊かな胸元を抱き、どこか慣れない様子で頭を下げてから少女の隣を離れる。彼女たちを見かけた町人のいずれかがその後を追って路地裏へと入るが、すぐに見失ってしまう。
少女は一度背伸びをして、それから教会に向かって歩いて行く。
誰に何を見られようと意に介する事なく──庭でも歩くかのような清々しさで、彼女は教会で眠る青年に会いに向かう。
「ふふ。まずは朝ご飯にお誘いしよっかなぁ……もう起きてるよね? 勇者だもんね、フェリシアは」
──その小さな笑みだけは誰にも見せずに。
応援ありがとうございます!
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