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数値は旱魃期の慈雨
しおりを挟む「初代『劇王』とは、六百年前、ミナスの元となる街を作った伝説の俳優です」
小物作成と並行しながら、レノはスラスラと語る。
「七百年前、ただの紫色の石でしかなかった鉱物に、映像の保管・再生機能があると発見されました。街角の趣味活でしかなかった役者業は、これを契機に大躍進します。しかし、当時の王様は、『公序良俗に悖る』として、役者たちを弾圧。すると役者たちは、監視の目が届かない僻地に拠点を作るようになりました。一つがここというわけです。設立者アンドリュー・セゾンは天才的な俳優であり、誠実なリーダーでもありました。最終的にミナスが『演技の聖地』となったのは、間違いなく彼の功績です。彼は『劇王』と呼ばれ、すべての役者から尊敬されていたと言います。その称号は、のちにも優れた俳優に脈々と受け継がれていきました。百五十年前に途絶えましたが」
フレアたちの説明よりも、よほど詳しく、筋道立っている。
「途絶えた理由は?」「それが、まったく分からないのですよ。不思議にも」
丁寧に針を縫っていく。ウサギの可愛いつぶらな瞳が、みるみる形を成していく。ネル義兄さんにあげたら喜びそうだ。
「初代『劇王』は、本当に偉大な方です。彼の逸話を元にした作品はいくつもあります。私もいつか、アンドリュー・セゾンのようになりたいです。目標です」
「自分の銅像を作ってもらいたいんだっけ?」「そうです」
志が高い。ヨルナさんに誘われたから、なんとなく演技の道に飛び込んでみたオレとは大違いだ。ヨルナさんの背中を追いかけてみるといいのか? 『ミナスのヴァルキュリア』はとても面白かった。
しかし、にしても、タイプが異なる。それに、本物の魔法戦士としてミナスを悪の手から救い、かつ俳優の才能もある彼女と、しがないゴロツキに過ぎないオレでは、格が違い過ぎるというものだ。「ヨルナさんのようになりたい」なんて、烏滸がましいにも程がある。
「ああ。『測量卿ヒースの恋愛検定』、持ってきましたよ」
「おお、サンキュ」
袋を受け取る。六冊入ってきた。既刊分すべてあるようだ。
読み始める。まとまった文字を読む機会など、ゴロツキだったオレにはほとんどなかったものだから、文字は滑るし、文意を追うのに苦労する。しかし、物語はいきなり興味深い。生まれた街に帰るため、旅程五日の都市間運行魔車に乗り込んだ少年が、二つ隣に座る少女に一目惚れする。どうにかして気を引こうとするも、イマイチ踏み込んだ行動が取れない。途方に暮れていたところ、前席の男性から悩みを見抜かれ、いくつか選択肢型のアドバイスを受ける。少年は恋心ゆえに必死に考え、途中危ない場面もあったものの、見事正解を選び抜き、少女の心を射止めた。感謝に溢れた少年の誰何に、アドバイザーの青年はこう名乗る。
「人は僕を『心の測量士』と呼ぶ。または測量卿と。名はヒース・レオンハート」
彼はイタズラっぽく続けた。
「最後の選択肢だが。金貨三枚で僕に街を案内するか、なけなしの小遣いをはたいて少女をエスコートするか。どちらがいい?」
大人の男の余裕を感じるぜ。序章、一巻目の三分の一ほどを読み終えて、顎に手を当てる。他人の選択肢など、他人の視点に立てないと見えない。少年の悩みと向き合うだけで終わらず、彼の立ち位置までもきちんと想像している。
自分のことで手一杯なオレには、不可能な芸当だ。
面白かったが、やはり疲れた。休みの姿勢を取る。
「測量。測定……」「どうしたのです? 何か内容に引っかかりでも?」
「いや。昨日の、演技の授業を思い出してさ」「どんな授業だったのですか?」
理想の影との誤差を測るシャドーメソッドに触れつつ、それを発展させた練習法――ジャクソン・メソッドとでも呼ぼうか――について、身振り手振りを交えつつ説明した。
身を乗り出すレノ。近い。
「なるほど。実に興味深いです。ぜひこのアークセラフィム劇団でも取り入れたいですね」
「おお、そんなに食いつくとは。誤差率まで測定するのはやり過ぎじゃねえ? 合う合わないもあるだろうしさ」
フレアの受け売り。レノは首を傾げる。
「そうでしょうか。天才でない人間にとって、数値は旱魃期の慈雨ですよ」
「どうして、と尋ねてもいいか?」
「映画でも、演劇でも、ドラマでも、何であっても、演技の稽古は砂漠の中を歩いているようなものです。どちらに進めばオアシスがあるのか、まるで分からない。指示を出す人間すら、実体のない蜃気楼を追いかけているということが頻繁にあります。ジャクソン・メソッドの誤差率は、地図にも、コンパスにも、いや、それ以上のものになり得ます。想像してみてください。広大な砂漠の中で、自分がどこにいるのかが分かるのですよ?」
言葉をヒートアップさせ、嬉しそうに問いかけてくる。思いがけぬ全肯定。
「天才でない人間の努力は、徒労に終わることも多いのです」
妙に説得力のある、重い口調だった。よく覚えがあるのかもしれない。
「方向性を見定めるのは、本当に難しいのです。小さくすれば改善されていると分かる明確な指標が与えられれば、稽古はとても効率的になります!」
演説が締め括られる。情けなくも気圧されて、一歩下がってしまった。
立派な意見だった。予想外の練習法にノックアウトされ、フラつくばかりだった自分に対し、焦りばかりが募っちまう。
成長しなければならないという強迫観念。
苦しい。
「……えっと。初代『劇王』の誕生祭に、話を戻してもいいか?」
逃げた。昔から、辛いことがあると逃げてばっかだ。
「はい。もちろん構いません」
「アークセラフィム劇団は、なんか出し物をしたりすんの?」
「もちろんですとも。大幅に修正しますが、あの狩人の劇を発表します」
レノは頷く。こう続けた。
「付きましては、ラキさんにも参加していただきたく」
なるべく自然体で演技出来るよう、ピッタリのキャラクターを用意しますので、安心してください。そう言われるも、頬が僅かに引き攣る。慌てて手で隠した。
望んでいた展開じゃないか。サージェント先生の問いに答えるため、元々、演劇や映画の練習を経験させてもらおうと考えていたじゃないか。
だというに、やれる自信が湧いてこない。
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