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前編
しおりを挟む北陸の小さな港町に、怒涛に包まれてひっそりと佇む喫茶店があった。雪に閉ざされる時期は近所の老爺や漁師と言った顔ぶれだが、夏ともなれば活気が出る。
東京からの客が多く、若者や家族連れが観光や海水浴のついでに立ち寄ってくれる。小さな店ではあるが、テラスから海を眺めながら味わうコーヒーは格別だった。
その店の主、荒木義信は、定年退職をすると、若い頃からの念願だった喫茶店をオープンした。
都会で流行りの洒落たメニューはないが、選りすぐりのブレンドで淹れたオリジナルのコーヒーを売りにしていた。
それは、8月の中頃だった。高校生ぐらいだろうか、白いワンピースに麦わら帽子の少女が来店した。東京からの観光客だと推測できる垢抜けした雰囲気だった。
「いらっしゃいませ」
外出中のウエイトレスに代わって、義信が水を持っていった。
「アイスコーヒーを」
そう言って帽子を取った少女の顔を見て、義信は目を丸くした。
「……」
無言で見つめる義信を少女が不思議そうな顔で見上げた。
「……何か?」
「あ、失礼しました。知り合いに似ていたものですから。申し訳ありません」
義信はお辞儀をすると、カウンターに戻った。――グラスに氷を入れながら、海を眺める少女の横顔を一瞥した。
……似ている。否、瓜二つだ。
義信はそう思いながら、顔を確認するかのように何度となく少女を見た。そして、メモ用紙に走り書きをすると、その紙切れをグラスと一緒にトレイに載せた。
「おまちどおさまです」
グラスを置いた。
「つかぬことをお尋ねしますが、この名前に心当たりはありませんか」
そう言って、テーブルに紙切れを置いた。そこに書いてあったのは、〈菜月〉だった。
「あ、お祖母ちゃんの名前です」
少女が笑顔で見上げた。思った通りの返答に、義信は顔を綻ばせた。
「やっぱりそうでしたか。川島菜月さんとは同級生だったんです。高校の」
「そうだったんですか……」
円らな瞳で見た。
「お顔がそっくりなので、もしかしてと思って」
「よく言われます。隔世遺伝だと」
そう言って、少女は白い歯を覗かせた。その時、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
客が来た。――店が混み始め、注文の料理を作るため、義信はキッチンに入った。折よく戻ってきたウエイトレスが店を切り盛りした。
ナポリタンを手にカウンターに戻ると、少女の姿はなかった。菜月のことを聞きたかった義信は肩を落とした。――
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