初秋風

紫 李鳥

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 帰途、二人と別れた佑輔は、空き地にバイクをめると、近くのスナックに美輪子を誘った。――

「名前ば知りたか」

 酔いが回った佑輔は美輪子の横に座ると、体を寄せた。

「……ミワコ」

「……ミワちゃんか。ミワちゃん、なんか、一緒に歌おうで」

 美輪子の耳元にささやいた。

「……何にする?」

 佑輔と目を合せた。

「なんばしようか」

「全然、その気ないでしょ?」

「あるさ。なんばしようか」

「ほら、やっぱり、歌う気ないじゃない」

「あるって」

「じゃ、何するの」

「何しよか」

「もう……」

「分った、分った。じゃ、おいが先に歌うけん、ミワちゃんもなんか歌って。したら、よかたい?」

「……ええ。分ったわ」

「……なんば歌うかな」

 佑輔はカラオケの本を右手で捲りながら、美輪子の肩に回した左手で、客の歌う歌のリズムをとっていた。


 佑輔の選曲したイントロを耳にした途端、美輪子の顔が曇った。初めて豪と会った時に、豪が歌っていた曲だった。佑輔はまだ若いのに、その歌を上手に歌いこなしていた。

 美輪子は豪のことを思い出してしまった。……豪、生きているの?死んでしまったの?電話一本で確認できるのに、電話をするのが怖かった。その電話で私の将来が確定してしまう。今の私には電話をする勇気はない。そんなことを考えながら美輪子は顔を曇らせた。

「……どぎゃんしたと?」

 歌い終えた佑輔が心配そうに尋ねた。

「……ごめんね。帰ろ」

 

 店の前の誘蛾灯にふと、顔を上げると、無数の蛾が群がっていた。その瞬間、不意に、佑輔に唇を奪われた。あっと言う間だった。佑輔のキスは松脂とアルコールが混ざったような味がした。……それは、豪の味と似ていた。同じ銘柄の煙草を吸っているせいだろうか、と美輪子は思った。

「……あんたが好きだ」

 美輪子の耳元に囁いた。

「酔ってるの?……私が訳ありなのは分かるでしょ?だから、これ以上、深入りしないで」

「イヤだっ」

 佑輔は美輪子を力一杯抱きしめた。



 クーラーの効いたホテルのベッドに佑輔は汗ばんだ肉体を投げ出していた。気だるさにどっぷり浸かった体を横臥おうがした美輪子は、そんな佑輔のあどけない寝顔を見つめていた。――



 佑輔は久し振りに登校した。堂々と遅刻をすると、教室のドアをガラッ!と開けて、大きな音を立てた。

「生徒諸君、おはよう!気張って、学問ばしとるや?」

 佑輔が席に着くと、両隣りのヒロシとミノルが「ヨッ!」と歓迎の挨拶をした。教壇に立っている担任の増田が煙たい顔をしていた。

「……ウッホン。中川、次を読んで」

 佑輔を無視して咳払いをすると、増田は授業を続けた。佑輔の前の席の中川という女子が起立すると、佑輔がその子のスカートを捲った。

「キャッ!」

 中川が悲鳴を上げた。

「ハッハッハッ……」

 佑輔が大声で笑うとヒロシとミノルも笑った。

「……田宮、やめんか」

 増田が小さな声で注意した。

「センコー!今、なんか言ったや?」

 佑輔が啖呵たんかを切った。

「……いや」

 増田は眼鏡のフレームに指を置くと、俯いた。そんな佑輔を睨み付ける女子が居た。高島南美たかしまみなみだった。


 南美は下校の佑輔を待ち伏せした。やがて、ヒロシとミノルを伴った佑輔が笑い声を立てながらやって来た。

「……田宮くん」

 南美が声をかけた。三人は振り向くと、

「したら、先に行っとるけん」

 ヒロシがミノルと歩きながら佑輔に言った。

「……ああ」

 佑輔は仕方なさそうに返事をすると、髪に手櫛を入れた。

「……最近、会ってくれんとね」

 南美は肩まで伸ばした髪を耳にかけた。

「……忙しかったけんさ」

 佑輔が嘯いた。

「今日、会ってくれんね」

「……」

「後で〈海の家〉で待っとるけん。ね?着替えたらすぐ行くけん。したらね」

 南美は佑輔の返事も聞かず駆け出した。

「……」

 佑輔は南美と付き合っていた。だが、美輪子と出会ってからは、一度もデートをしていなかった。佑輔はため息を吐くと、重い足を引きずった。



 廃墟の〈海の家〉に行くと、イエローのタンクトップに白いホットパンツの南美が手を振っていた。

「コーヒーばうてきた。はい」

 佑輔に缶コーヒーを手渡すと、茣蓙に腰を下ろした。南美のその行為が佑輔は不愉快だった。

 ……その茣蓙は、ミワコを人工呼吸した時に使ったもんたい。気安く座るな!と、腹の中で怒鳴った。仕方なく、佑輔も腰を下ろした。

「今度の休み、映画ば観たか」

 佑輔に寄り添った。

「……」

 佑輔は缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。

「ボウリングもよかね」

「……」

「……なんね、黙りこくってからに」

 佑輔の顔を見た。佑輔は缶コーヒーを一気に飲み干すと、

「悪か。用事のあるけん」

 と、急いで腰を上げて歩き出した。

「佑輔っ!」

 佑輔は南美の呼びかけに振り向かなかった。南美は悔しそうに唇を噛んだ。



 佑輔がノックしたドアを開けた美輪子は微笑んでいた。佑輔は無言で美輪子を抱擁ほうようした。


 翌朝、佑輔が客室を出てすぐ、ノックがあった。忘れ物でもしたのかと、美輪子はドアを開けた。違っていた。そこに居たのは、恐い顔をして睨み付けるセーラー服の少女だった。

「……どなた?」

「……佑輔を私から奪わんで!」

 南美は辛そうな顔でそう叫ぶと走り去った。

「……」

 美輪子は潮時だと思った。このまま佑輔と関係を続けたら、皆を不幸にする。


 チェックアウトすると、埠頭に向かった。が、海は時化しけ、台風の影響で欠航になっていた。仕方なく、埠頭近くの民宿に一泊することにした。

 雨は一段と激しさを増し、午後には風を伴った。やがて、暗雲に雷鳴が轟き、更にその激しさを増していた。美輪子は心細さの中で佑輔のことを想っていた。



 校門を出た佑輔は傘も差さず、走り出した。

「佑輔!」

 その声に振り返ると、佑輔を睨み付けるずぶ濡れの南美が居た。

「……あげなオバサンといやらしか!」

 美輪子のことを言っていた。

「……悪か」

 そうぽつりと言って、佑輔は駆け出した。頬伝う南美の涙は雨に流されていた。
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