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しおりを挟む富山港線の東岩瀬で降りると記憶を辿った。当時の風景を遮るかのように新しいビルが屹立していたが、その一本道は昔のままにあった。つまりは、あの男の家まで道案内してくれる。うろ覚えの床屋も小学校も、記憶どおりにあった。記憶が正しければ、辻を右に曲がった二、三軒目に、あの男の家があるはずだ。
果たしてそこには、〈柴田〉の表札があった。だが、当人がここに住んでいるとは限らない。純香は何一つ下調べをしていなかった。電話や近所の聞き込みで探ることもできるが、仄聞にせよ、当人にその暗示を悟られてはならない。
“完全な復讐を遂げるために”
タイツは穿いているものの、爪先はブーツの中で血行を悪くしていた。アイスバーンの轍に足幅を嵌めながら逆戻りすると、駅前のビジネスホテルにチェックインした。
暖房をつけると、凍えた体を解凍させた。曇天の窓は純香の暗い胸中を映していた。……さて、どんな方法で復讐するか。ボストンバッグから大学ノートを出すと、考えつく方法を箇条書きにしてみた。
・恋人がいたら色仕掛けで奪って、破局にしてやる。
・既婚者なら女房に暴露して、離婚させてやる。
・子供がいたら、――
空腹を覚えた純香は、近くのラーメン屋で夕食を摂ると、“空腹にまずいものなし”そんな諺を頭に浮かべながら柴田の家に向かった。
表札灯は消えていたが、小さな庭の竹垣からは明かりが漏れていた。その往来をゆっくりと通り過ぎた。声は無かった。……ダイニングキッチンで食事でもしているのだろう。
ホテルに戻ると、翌日の計画を立てた。その夜は眠れなかった。東京での生活や、この先の不安が純香の神経を過敏にしていた。――母が他界してからは、電気技師の父に育てられ、高校まで富山にいたが、大学からは東京で一人暮らしをした。卒業すると、大手出版社で校正と英訳に携わりながら、人並みに恋愛も経験し、悪くない半生だった。
だが、どれも結婚に至れなかった。その理由は分かっていた。あの男のせいだ。いや、あの男たちが男性不信を植え付けたのだ。
昨年の二月、父は心筋梗塞で逝ってしまった。あの男たちへの復讐心が芽生えたのは、丁度その頃だった。結婚を承諾できなくなってしまった根源を絶たなければ、という使命感のようなものが純香に芽生えた。
翌日、朝食を済ませると、柴田の家の前にある神社の玉垣に身を隠した。積もった雪を足で除けると、顔を出した地面を足場にした。足踏みしながら腕時計を視た。……勤務先が遠ければ、家を出る時間は早くなるし、逆に近ければ遅くなる。さて、どっちだ。
復讐をこの寒い時期にしたのは衝動的だった。半年ほど交際していた彼氏と別れ、気がムシャクシャして、気が付くと、その翌日にはボストンバッグを手にしていた。その別れた彼が、純香に復讐の日時を決めさせる切っ掛けを作ってくれたようなものだ。
もし、その彼と順調に行っていたなら、今回の復讐劇な無かったか、もしくは延期になっていたに違いない。今回の軽はずみな行動を後悔しながらも、後には引けないという意地のようなものが、純香の中にあった。
その時だった、磨りガラスの戸が開く音がした。純香は玉垣の隙間から覗いた。黒いコートの男が出てきた。その顔は歳を重ねていたが、当時の面影があった。柴田だっ! 純香は心の中で叫んだ。
「行ってくるぞ」
「いってらっしゃい!」
女の子の声だ。……子供がいるのか。
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