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しおりを挟むそこで、零余子の本棚に(退会)が表示された8月×日の尚美の行動を調べることにした。夏休み期間は互いにバイトが忙しく、あまり会っていなかった。だが、行動を調べるにも本人に確認するわけにはいかないし、かと言って、バイト先のパン屋で出勤の有無を確認するわけにもいかない。尚美の耳に入ったら警戒される。
どうしようか。……あっ、そうだ。ツイストドーナツやクロワッサンを何度か買ったことがあるが、あそこのパン屋はレシートにレジ担当者の名前が印字される。よし、これを利用しよう。
「8月×日にパンを買った者ですが」
「ありがとうございます」
電話に出た責任者らしき男は感じがよかった。
「レジに文庫本を忘れてませんでしたか? レシートには確かレジ担当が岩井とあったような」
尚美の名字を言った。
「8月×日ですね? しばらくお待ちください」
丁寧な電話の応対だった。
「お待たせしました。文庫本の忘れ物はありませんでした。それと、岩井は8月×日は休みですが」
「そうですか? じゃ、私の勘違いですね。他の店に忘れたのかもしれません。お手数をおかけしました」
零余子が退会した日に尚美はバイトを休んでいる。どこかで会ったのだろうか? 夏希はもう一度、零余子のエッセイを読み返した。
〈夏休みを利用して、帰省がてら実家がある飯能を観光しようかしら。ムーミンバレーパークや曼珠沙華が綺麗な巾着田もいいな。でも、曼珠沙華の見頃は9月中旬ごろ〉
とあった。仮に尚美がこのエッセイを読んでいたなら、零余子を尾行することができる。それが、(退会)が表示された日だとしたら。――夏希は、バイトが終わる時間を見計らって、尚美をお茶に誘った。
「ね、気分転換に旅行でもしない?」
「旅行?」
「日帰りで。遠出はできないから飯能なんかどう?」
「飯能?」
尚美がギョッとした目を向けた。
(間違いない。尚美は零余子の(退会)に関わっている)
「飯能が嫌なら、逆に元町・中華街とかでもいいけど」
「……ごめん。その気になれなくて」
「……そうか。ごめんね、無理に誘って」
「ううん。こっちこそ、ごめん」
何か隠し事があるような弱々しい視線を向けた。
(……これ以上は尚美から情報を得ることはできない)
夏希は諦めた。
飯能市の名栗川で未菜の遺体が発見されたのは、巾着田の曼珠沙華が真っ赤に色づく頃だった。任意同行を求められたのは、佐々木雄也。尚美の元カレだった。だが、佐々木は殺害を否認した。
「彼女が夢中になって携帯電話で風景写真を撮っていたので、その間にトイレに行きました。ところが、戻ると彼女の姿がなくて、ふと崖の下を覗くと倒れている彼女の背中が見えたんです。助けようと川に下りようとした時です、万が一死んでいたら自分が犯人にされると思い、パニックになって逃げました」
顔面蒼白の佐々木は気の弱さを露呈していた。ところが、佐々木が取り調べられていた頃、尚美が出頭してきた。
「立木さんのアパートに遊びに行った時、立木さんがシャワーをしてる間に携帯電話を盗み見しました。すると、メールで小説を書いていたんです。メールボックスに保存していた作品のタイトルを検索して、サイト名とペンネームを知りました。私は早速サイトに登録すると、立木さんのペンネームである〈零余子〉の作品を読んでいました。そんな時、彼から、好きな人ができたから別れたいと言われて。相手の名前を訊くと、なんと、立木さんだったんです。ショックでした。
エッセイで、夏休みに帰省することを知った私はバイトを休むと、普段は着ないやぼったい服装に黒いキャップとだて眼鏡で立木さんのアパートの近くで張り込みました。ショートカットの私は遠目には男にも見えるはずです。間もなくすると、リュックサックの立木さんが出てきたんで、尾行しました。立木さんは山手線に乗ると、池袋で降りました。そして、喫茶店に入ると、男性が座っている席に腰を下ろしました。……通行人を装って窓から覗くと、その男性は、別れてくれと言った佐々木雄也さんでした。ジェラシーと憎しみが同時に湧きました。
喫茶店を出た二人は池袋から西武池袋線に乗ると飯能で降りました。それから、名郷行きのバスに乗ったので、私も乗りました。少し離れた席に座ると耳をそばだてました。すると、立木さんの楽しげな笑い声が聞こえてきたんです。滅多に笑わない物静かな立木さんしか知らなかった私は、立木さんの明るい笑い声に憎しみを感じました。
バスを降りた二人を尾行すると、川沿いの崖を歩いていました。立木さんが携帯電話で風景写真を撮っていると、佐々木さんがそこを離れたんです。チャンスだと思い、立木さんに駆け寄ると力任せに背中を押しました。すると、短い悲鳴と共に乾いた草のカサカサという音が聞こえました。崖の下を覗き込む勇気もなく必死で逃げました」
尚美はなぜ、自ら出頭したのだろうか? 出頭しなければ佐々木を犯人にすることができたかもしれないのに。たぶん、無実の佐々木を犯人にしたくないという、尚美の愛情だったのかもしれない。
一方未菜だが、消えない[new]や(退会)で、私に犯人を教えたかったのではないだろうか。聞こえたあの泣き声は、私に助けを求めるダイイング・メッセージだったのかもしれない。つまり、あの時はまだ生きていたのではないか。夏樹は、未菜を助けてやれなかったことを悔やんだ。
ふと、零余子の本棚を開くと、赤い[new]が消えていた。――
完
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