無いもの貸し升!損料屋

紫 李鳥

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 ――翌日の昼四ツ(午前10時)頃、お稲が〈無いもの貸し升〉にやって来た。

 お沙希は、兵治んとこに行って留守だ。

「……あのう」

「はい、いらっ……しゃい……ませ」

 帳場格子で算盤を弾いてた新蔵は、お稲を見た途端、豆鉄砲を食らった鳩みてぇな顔になっちまった。

「お嬢様はおいでで?」

「あ、いえ。いま、ちょっと出てまして」

 新蔵は格子から急いで出てくると、お稲の前に正座した。

「そうですか。……じゃあ、伝えて頂けますか?」

「え?あ、はい」

「よかったら、また遊びに来てください、と」

「あ、はい、お伝えします。お名前は?」

「お稲と申します」

「お稲さんですね?かしこまりました。お伝えします」

「……それじゃ」

 お稲がお辞儀をした。

「あ、はい、どうも……」

 新蔵も頭を下げた。

 あららら、背を向けたお稲の後ろ姿を見ながら、口をポカーンと開けてにやけちまってら。

 おーい!新蔵!鼻の下が伸びちまってるぜ。あ~あ~あ~、デレ~ッとしちまって、まるで、阿呆が酢に酔ったみてぇなつらだぜ。なんでぃ、一目惚れか?

 お沙希は太助に、新蔵はお稲に惚れちまって。先々、どうなっちまうんでぃ?ま、予想がつかなくもねぇけどよ。……あ~あ~。(語りのため息)


 一方、番屋では。

「お嬢さん、貴重な情報提供だったんですが、嘉右衛門が殺された時刻、与市は賭場とばに居たのが判明しました」

 兵治は残念そうに、肩を落とした。

「そうかい。……ってことは、下手人は他に居るってこったな。けど、嘉右衛門の後妻と与市は臭い仲だ。与市の身辺も探ったほうがいいぜ」

「へい、合点承知之助がってんしょうちのすけでい」

「……」

(お梗のほうを見張ってみるか……)



「お嬢さん、おかえりなさいませ」

「おう、新蔵、勘定は合ってんだろな?一文でも足りなきゃ、昼飯抜きだぜ」

「へ。……あ、先程、お稲さんて方がおいでに――」

「えっ!で、なんて?」

(太助さんにちなんだことかな……?)

 お沙希は不安げな面持ちでぃ。

「また、遊びに来て――」

「えっ!ほんとに?やりーっ」

(ってことは、酔っ払っても嫌われなかったんだ。じゃなきゃ、おふくろさんがわざわざ来て、また遊びに来て、なんて誘うわけないもんね?クッ。また太助さんに会えるぅ)

 お沙希はニヤッとした。

「お嬢さん?」

「ん?うっさいっ!めしは?」

「お亀がご用意を」

「おう、新蔵。勘定のほうは合ってん――」

「それは、先程、おっしゃいました」

「ムム……うっさいっ!いちいち人の揚げ足を取んじゃねーっ!」

 お沙希は、でっけぇ足音をさせるってぇと、外股で引っ込んだ。

「……」


 今すぐにでも太助に会いてぇお沙希だが、嘉右衛門の事件が解決してねぇもんだから、ラブラブモードにはなれねぇんですな。その辺のとこは、商人の娘だけあって、しっかりしてら。つまり、ケジメって奴だ。仕事は仕事、恋は恋。公私混同はしねぇ。なかなかのしっかり者だ。その辺もまた、魅力的だなぁ。


 ――宵五ツ(午後8時)には布団に入るって、お梗は言ってたな。それが本当かどうか、この目で確かめてみっか。

 お沙希は、新蔵から借りっぱなしの小袖を着るってぇと、ほっかぶりをして、嘉右衛門の屋敷に向かった。――


 仮に外出するとしても、玄関から出入りはしないだろう、と推測したお沙希は、勝手口が見える松の木に身を隠した。――


 五ツは過ぎたか……。月光に陰となった勝手口の軒下に、お沙希は目を据えていた。と、その時、音もなくやって来た黒い人影が、勝手口の戸を無造作に開けた。

 ん?中から心張しんばり棒はしてなかったのか?お沙希は不審に思った。

 着流しの男は中に入ると、静かに戸を閉めた。

 ……誰でぃ?与市って奴か?お沙希は首を傾げた。――


 お沙希は、お亀の部屋の雨戸を三回、軽く叩いた。帰宅したら、合図する手筈てはずになっていた。

 勝手口を開けたお亀は、しょぼしょぼさせた目をこすった。

「……おかえりなさいませ」

「ん。おやすみ」

「おやすみなさいませ……」


 ――翌朝、めしを済ませたお沙希は、兵治に会いに番屋に行った。

「ゆんべの五ツ頃、与市はどこに?」

「相変わらず、賭場に入り浸りでっさ」

「えっ?……」

(ってことは、あの男は与市じゃなかったのか……。ま、あとは兵治に任すっか。それより、太助さんに会いてぇ)


「こんばんは~」

 江戸小紋でおしゃれに決めるってぇと、丸型の平打簪ひらうちかんざしを挿して、太助んちに遊びに来たお沙希でぃ。

「まあ、お嬢さん。よくおいでくださいました。さあさあ、お入りください」

 お稲は満面の笑みでぃ。

「これ。花売りにったものだから」

 お沙希が、手にした鬼灯ほおずきの鉢を差し出した。

「ま~、カワイイ。いつもありがとうございます」

 鉢を受け取ると、頭を下げた。

「さあさあ、どうぞ」

「失礼しま~す」


 ――暮六ツ(午後6時)頃、太助が帰ってきた。

 太助と目が合った途端、お沙希は頬を染めると、

「……こんばんは」

 小さな声で言って、俯いた。

「あ、いらっしゃい」

 太助も満更でもない顔だ。

「またまた、無理矢理に母さんが誘ったんだよ」

「そんなこと……」

「迷惑でしたでしょ?」

 洗った手を手ぬぐいで拭きながら、お沙希を見た。

「ぃぇ、うれしかったです」

 蚊の鳴くような声で言った。

「お嬢さん、お酒も付けましょうね」

 お稲が土間から振り向いた。

「あ、いえ。今夜はご遠慮します。番頭さんに叱られて。太助さんに迷惑が及ぶからと」

 お沙希がおんぶのことを言った。

「そんな。気にしないでください。お嬢さんをおんぶできて光栄です」

 太助はそう言いながら、お沙希の前に座った。

「ヤだ。光栄だなんて、恥ずかしい。おほほほ」

 お沙希は指先で口元を隠すってぇと、上品に笑った。似合わないけどな。ま、お沙希のやりてぇようにさせとくか。

「そうですか?じゃ、ご飯だけでも食べてってください。折角、お嬢さんのために作ったんですから」

 お稲が勧めた。

「え。お言葉に甘えて頂きます」

「あ~、よかった。作った甲斐かいがあった。あ、さっき買った天ぷらも添えましょうね。うふふ」

 お稲は嬉しそうにご飯をよそった。

 太助と目が合ったお沙希は、恥じらうように俯いた。
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