2 / 8
2
しおりを挟む通された部屋の床の間の花器には、桔梗が生けてあった。会費や句会の規約等の概要を聞かされた後、山根は会員簿に署名した。仕事柄、予定通りに来られないことを告げると、女は快く承諾した。
「お名前を教えてください」
山根が訊いた。
「広田キョウコです。キョウはアンズの杏です。雅号は〈山野撫子〉です。いかにも、って名前でしょ?ふふふ……あ」
と、思い出したように、杏子は傍らにあった自分の句集を手にすると、
「よろしかったら、どうぞ」
と、山根に差し出した。
「いただいていいんですか」
遠慮がちに言った。
「ええ。どうぞ」
杏子が微笑んだ。
バツイチの山根は男鰥夫になんとか、の汚い部屋に帰ると、杏子の句集を開いた。
手に掬ふ 乳房の如き 牡丹かな
来ぬ人を 待てば散りたる 薔薇の花
初雪や 人肌呑みて 頬を染む
緋牡丹に 気付きし月や 妬きをりぬ
名刹に 湯文字の如き 紅葉かな
手のひらに 源氏蛍を 遊ばせし
漁り火を 宿から眺む 白牡丹
花冷えや ただ逢ひたくて 逢ひたくて
雨垂や 窓辺に馨る フリージア
乱れ髪 鏡の月が 見てをりぬ
――
そこには、あだっぽい情景が克明に詠まれていた。山根も一句、詠むことにした。
翌日の午後、手隙になった山根は杏子に会いに行った。
「なかなか、色っぽい句ですね」
山根が句集のことを言った。
「恥ずかしいわ」
恥じらうように杏子が顔を伏せた。
「僕も一句、詠んでみました」
「あら、ぜひ、お聞きしたいわ」
杏子が興味を示した。
「いいですか?」
山根は軽く咳払いをすると能率手帳を出した。
「物証を 消してしまひし 台風過」
と、詠んで直ぐに、杏子を視た。
「うーん……。いかにも刑事さんの句ね。少し堅いわ」
杏子は涼しい顔で、そう言い放った。
「……はぁ」
強盗事件に関わっているか否かを確認するために、故意にこの句を詠んでみた山根だったが、目論見は外れたようだ。
「そうね。例えば……」
杏子は半紙と筆ペンを手にすると、何やら呟きながら、すらすらと書き始めた。
その杏子の白い項のほつれ毛がやけに艶かしかった。
「いかがかしら」
杏子が、書いたものを見せた。そこには、〈恋までも 奪ひ去りたる 台風禍〉と、あった。
「……なるほど、綺麗な句になりましたね」
「俳句は、外見だけではなく、内面も詠んでみるといいですよ」
杏子が小学校の先生みたいな物の言い方をした。
「はぁ……」
そこに、井川から連絡のポケベルが鳴った。
句の書かれた半紙を杏子から貰うと、山根は現地に急いだ。
最近、羽振りが良いという、森崎から金を借りている小柄な男を追及したが、競馬で儲けたことが判明した。
山根が、杏子の書いた半紙を眺めていると、ハンドルを握っている井川が、
「……なんですか?」
と、声を掛けた。
「うむ……。俳句の先生が書いた句だ」
「えっ、見せてくださいよ」
「危ないよ、ちゃんと運転しろ」
井川は山根の言うことを聞かず、車を停めた。
「どれどれ」
井川は山根からそれを奪うと、
「コイマデモ、ウバヒサリタル、タイフウ、……なんとか」
と、詠んだので、山根が笑った。
「なんとかじゃなくて、カ、って読むんだよ。タイフウカ」
「へぇー。……でも、達筆ですね」
熟と、井川が言った。
「ああ、確かに」
山根も同感だった。
「俺も、俳句を習おうかな」
「お前なら、やっても川柳どまりだな」
山根が馬鹿にした。
「……どう、違うんですか?」
井川が真面目な顔で尋ねた。
「ハッハッハ……。こりゃ、駄目だ」
次の日の夕方、仕事を終えた山根は杏子の家を訪ねた。食事の支度でもしていたのか、割烹着を付けていた。
「すいません、こんな時間に」
山根が恐縮した。
「そう言う約束ですから、構いませんよ。どうぞ」
杏子はいつもの会員用の部屋に山根を案内すると、花瓶に生けた百合を席題にし、半紙と筆ペンを置いて出て行った。
開いた雪見障子の縁側から、涼しい風が廊下に吹き抜け、隅にある蚊取り線香の煙がその風に揺らいでいた。山根は、壁にぶら下がったハンガーに、麻の上着を掛けると、机の前に正座した。
山根は俳句など、どうでもよかった。杏子に興味があって入会したまでだ。
……参ったな。
ない頭を捻って、やっと、三句ほど詠んだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる