喪服を着た芸妓

紫 李鳥

文字の大きさ
3 / 6

しおりを挟む
 

 ――最近逢ってくれない聡に、松枝は苛立いらだっていた。焦燥しょうそうられ、結局、お互いに禁じていた電話をしてしまった。

「はい、田所どす」

 既に聡の母親は亡くなっている。電話に出た中年の女は、家政婦だと推測できた。

「聡はんは居てはる?」

「どなたはんどすか」

「戸田松枝言います」

「聡はんはまだ帰ってまへんが」

「帰られたら電話くれるように伝えとぉくれやす」

「電話番号は?」

「知ってます」

 無愛想ぶあいそうに言い捨てると、電話を切った。

 だが、その日、聡からの電話はなかった。益々ますます、松枝の苛立ちはつのった。――翌日、会社にも電話をしたが、同様に不在だった。

 ……女ができた。

 松枝は直感した。

 ……さて、どないすんか。

 結局、探偵社に聡の素行調査を依頼した。――数日後、調査結果の報告書が届いた。

【田所聡氏は、祇園の料亭〈月路〉に頻繁に通っていますが、店を出たあとはまっすぐ帰宅しており、また、その後に外出している形跡はありません。したがって、女性の存在は確認できませんでした】

 ったく、へぼ探偵!

 松枝は腕組みをすると、苦虫を噛み潰したような顔をした。


 その頃、聡は既に千代菊の借金を立て替えて、自宅から目と鼻の先で一緒に暮らしていた。

「今日は、鯛の刺身を買ってきたわ。聡さんの酒のさかなにと思って」

 割烹着かっぽうぎ姿の千代菊が、不慣れな手付きで大根を千切せんぎりにしていた。

「おい、気を付けろよ。危なっかしいな」

 聡がハラハラしながら見ていた。

「大丈夫よ。料理も慣れなきゃね。アッ!痛っ」

「ほら、みろ」

 聡は千代菊の手を持つと、血の付いた人差し指を口に含んだ。

 千代菊と暮らす借家には、小さな庭も付いていて、縁側もあった。和風好みの聡にとっては居心地がかった。

 千代菊と暮らすようになってからも、聡は浩一郎に誘われれば〈月路〉に行った。それは、千代菊とのことを悟られないためのカムフラージュでもあった。

 そして、会社から一旦帰宅し、勝手口から抜け出して千代菊に会いに行くのも、同じくカムフラージュだった。

 今回の千代菊との件は、口が堅い秋乃を信頼して、内密に進めたことだった。


 そんなある日。浩一郎が聡を社長室に呼んだ。

「戸田松枝ちゅう女を知ってるか」

 浩一郎はソファに深く座ると、両切りの煙草たばこんだ。

「……はい」

 聡は面目めんぼくないと言った顔をした。

「で、どうなってるんや」

「……どうって?」

 口ごもった。

「頻繁に電話が掛かってきてるそうやないか。会社にも自宅にも」

「……」

「独身やさかい、女遊びは構わへんが、田所の名をけがすような真似はしな」

 手厳しく念を押した。

「……はい」

 聡には返す言葉がなかった。

 ……さて、どうするか。逢ったら逢ったで、執拗しつようなまでの情交じょうこうを求めてくるだろう。……千代菊に出逢ってからは、もう松枝に逢う気にはなれなかった。不器用な自分が嫌になるほど、それは、相手が直感できるくらいに露骨に冷遇した。どうすれば、あっさり別れてくれるのか……。

 結局、松枝と逢って決着をつけるしかないと、聡は思った。


 電話をすると、いつもの料亭の離れ家で待ち合わせをした。

 待ちわびていた聡からの電話に、松枝は思わず狂喜乱舞きょうきらんぶした。早速、箪笥たんすを開けると、小豆色あずきいろかすみ模様をあしらった付け下げを選んだ。えりを抜いて、銀色の帯を結んだ松枝の着こなしは、いかにも垢抜けした元芸妓の風格があった。


「もう、いけずやわ。どないしてはったん?いとうてたまらへんかったわ」

 手酌をしていた聡に抱きついた。だが、聡は反応を示さなかった。

「……どないしたん?なぁ、なぁ」

 寄り掛かると、猫のように擦り寄ってきた。

「……別れてくれないか」

 聡が重い口を開いた。

「!……やっぱし、女がいてはるんやね」

 松枝は一変して、般若はんにゃのような顔になった。

「大人同士だろ?冷静に話し合おう」

 聡は泰然自若たいぜんじじゃくと構えた。

「いやや、いやや、いやや」

 松枝がすがるような表情で求めてきた。

「悪いが、帰る」

 話にならないと思った聡は、松枝の手を払いのけると、腰を上げた。すると、松枝は挿していた平打ちかんざしを手にした。

「待ちなはれ!あんはんを殺してうちも死ぬえ」

 その言葉に、聡は足を止めたが振り向かなかった。

「……好きにすればいい。俺はあんたの望みを叶えてやれない。だから、あんたの気が済むようにすればいい」

 背を向けたままで言った。松枝の手は震えていた。――短い沈黙があった。やがて、松枝は泣き叫びながら逃げるように出ていった。

 聡は腰を下ろすと、ぐったりとした。


 帰宅した松枝は、失意の中、魂が抜けたように一点を見つめて、その挙動を不審にしていた。

 その様子を覗いたキヨは、画竜点睛がりょうてんせいのための一芝居ひとしばいを打った。数日後。

「松枝はん。千代におうてもらいますよってに」

「……千代って、あの、おつむの病気で、精神病院に入ってる人やん?昔、昔。……そうや、お義母はんのお孫はんどしたなぁ」

 松枝の言動は不可解だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

悪役令嬢は手加減無しに復讐する

田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。 理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。 婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。

処理中です...