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しおりを挟む――最近逢ってくれない聡に、松枝は苛立っていた。焦燥に駆られ、結局、お互いに禁じていた電話をしてしまった。
「はい、田所どす」
既に聡の母親は亡くなっている。電話に出た中年の女は、家政婦だと推測できた。
「聡はんは居てはる?」
「どなたはんどすか」
「戸田松枝言います」
「聡はんはまだ帰ってまへんが」
「帰られたら電話くれるように伝えとぉくれやす」
「電話番号は?」
「知ってます」
無愛想に言い捨てると、電話を切った。
だが、その日、聡からの電話はなかった。益々、松枝の苛立ちは募った。――翌日、会社にも電話をしたが、同様に不在だった。
……女ができた。
松枝は直感した。
……さて、どないすんか。
結局、探偵社に聡の素行調査を依頼した。――数日後、調査結果の報告書が届いた。
【田所聡氏は、祇園の料亭〈月路〉に頻繁に通っていますが、店を出たあとはまっすぐ帰宅しており、また、その後に外出している形跡はありません。したがって、女性の存在は確認できませんでした】
ったく、へぼ探偵!
松枝は腕組みをすると、苦虫を噛み潰したような顔をした。
その頃、聡は既に千代菊の借金を立て替えて、自宅から目と鼻の先で一緒に暮らしていた。
「今日は、鯛の刺身を買ってきたわ。聡さんの酒の肴にと思って」
割烹着姿の千代菊が、不慣れな手付きで大根を千切りにしていた。
「おい、気を付けろよ。危なっかしいな」
聡がハラハラしながら見ていた。
「大丈夫よ。料理も慣れなきゃね。アッ!痛っ」
「ほら、みろ」
聡は千代菊の手を持つと、血の付いた人差し指を口に含んだ。
千代菊と暮らす借家には、小さな庭も付いていて、縁側もあった。和風好みの聡にとっては居心地が好かった。
千代菊と暮らすようになってからも、聡は浩一郎に誘われれば〈月路〉に行った。それは、千代菊とのことを悟られないためのカムフラージュでもあった。
そして、会社から一旦帰宅し、勝手口から抜け出して千代菊に会いに行くのも、同じくカムフラージュだった。
今回の千代菊との件は、口が堅い秋乃を信頼して、内密に進めたことだった。
そんなある日。浩一郎が聡を社長室に呼んだ。
「戸田松枝ちゅう女を知ってるか」
浩一郎はソファに深く座ると、両切りの煙草を喫んだ。
「……はい」
聡は面目ないと言った顔をした。
「で、どうなってるんや」
「……どうって?」
口ごもった。
「頻繁に電話が掛かってきてるそうやないか。会社にも自宅にも」
「……」
「独身やさかい、女遊びは構わへんが、田所の名を汚すような真似はしな」
手厳しく念を押した。
「……はい」
聡には返す言葉がなかった。
……さて、どうするか。逢ったら逢ったで、執拗なまでの情交を求めてくるだろう。……千代菊に出逢ってからは、もう松枝に逢う気にはなれなかった。不器用な自分が嫌になるほど、それは、相手が直感できるくらいに露骨に冷遇した。どうすれば、あっさり別れてくれるのか……。
結局、松枝と逢って決着をつけるしかないと、聡は思った。
電話をすると、いつもの料亭の離れ家で待ち合わせをした。
待ちわびていた聡からの電話に、松枝は思わず狂喜乱舞した。早速、箪笥を開けると、小豆色に霞模様をあしらった付け下げを選んだ。衿を抜いて、銀色の帯を結んだ松枝の着こなしは、いかにも垢抜けした元芸妓の風格があった。
「もう、いけずやわ。どないしてはったん?逢いとうて堪らへんかったわ」
手酌をしていた聡に抱きついた。だが、聡は反応を示さなかった。
「……どないしたん?なぁ、なぁ」
寄り掛かると、猫のように擦り寄ってきた。
「……別れてくれないか」
聡が重い口を開いた。
「!……やっぱし、女がいてはるんやね」
松枝は一変して、般若のような顔になった。
「大人同士だろ?冷静に話し合おう」
聡は泰然自若と構えた。
「いやや、いやや、いやや」
松枝がすがるような表情で求めてきた。
「悪いが、帰る」
話にならないと思った聡は、松枝の手を払いのけると、腰を上げた。すると、松枝は挿していた平打ち簪を手にした。
「待ちなはれ!あんはんを殺してうちも死ぬえ」
その言葉に、聡は足を止めたが振り向かなかった。
「……好きにすればいい。俺はあんたの望みを叶えてやれない。だから、あんたの気が済むようにすればいい」
背を向けたままで言った。松枝の手は震えていた。――短い沈黙があった。やがて、松枝は泣き叫びながら逃げるように出ていった。
聡は腰を下ろすと、ぐったりとした。
帰宅した松枝は、失意の中、魂が抜けたように一点を見つめて、その挙動を不審にしていた。
その様子を覗いたキヨは、画竜点睛のための一芝居を打った。数日後。
「松枝はん。千代におうてもらいますよってに」
「……千代って、あの、おつむの病気で、精神病院に入ってる人やん?昔、昔。……そうや、お義母はんのお孫はんどしたなぁ」
松枝の言動は不可解だった。
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